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第六節「人と獣 明と暗が 合間むる世にて」
~それはまるで夢物語のよう~
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『隠れ里とは本来、戦う事を嫌った魔者が逃げ隠れる為に生まれた場所』
この事実は事情を知るはずのレンネィでさえも驚愕する程だった。
それ程までに秘密とされてきたのだろう。
では何故か。
それはグゥの口から間も無く明かされる事となる。
「これは本来口外する事も許されないのだが、君達になら話してもいいだろう。 君達が我々に敵意を向けないからこそ、話せる事だと思って欲しい」
グゥが言うのはつまり、「これから伝えるのはこの場に居る者のみが知るべき話」という事に他ならない。
そして何より、もう彼を戒める者も里も存在しないからこそ。
「これはずっとずっと遥か遠い昔の話。 世界は戦争に包まれた。 人間と魔者がいがみ合う戦争だ。 その争いは互いの種族を心から怨み、憎しみ、畏れるにまで発展したそうだ」
「ええ、それは知ってる。 色々な伝承に残る程の伝説だもの。 魔剣が生まれるくらいのね」
「そうだ。 そしてそれはとても凄惨な戦争だったという」
それはあくまでも伝承であり、グゥも詳細は知らないのだろう。
ただそこに秘められた事実だけは彼等にとって忘れられる事も出来ない『呪い』として生き続けている。
彼等が里を出る事の出来ない戒めとして。
「その怨みや憎しみは同族にさえも向けられた。 見境なく殺し合ったのだ。 だから我々の祖先は逃げた。 戦う事を嫌い、世俗と交流を断つ事にしたのだ。 発展する事も無く、人数も増やす事無く、長い長い年月を今までずっと限られた土地で生き続けて来た。 それが隠れ里の在り方なのだ」
「なるほど……それじゃあ!?」
「そうだ。 外の魔者達は私達隠れ里の魔者だとわかれば怨み、憎むだろう。 『何故戦争から逃げたのか』とね」
「確かにそうかもしれない。 魔者は自分達の意思にそぐわない者達を絶対に許しはしないから。 それが例え魔者同士であってもね」
そしてそれは人間にも言える事だとレンネィは言う。
『あちら側』特有の事情として、人間も魔者も集団意識がとても強い。
敵を倒して生き残る為にも、同調し、協力し合う事を強制され続けてきたからだ。
しかもその考えは遥か昔から醸成され続けて来た。
それはもはや遺伝子レベルで刻まれ続けてきた生き方ともなりえる。
もし隠れ里の者が「戦争から逃げて来た者達の末裔です」と答えれば最後。
それだけで魔者も、人間も、揃って声をこう上げるだろう。
「この裏切り者め」と。
彼等にとって時代も現実も関係は無い。
その事実があるだけで殺意と変わるのである。
レンネィの様に冷静な分析が出来る人間などほぼ皆無だろう。
ある意味で言えば細かい事を気にしない性質が招いた幸運だと言える。
打ち明けられた事実を前に、勇達はただただ唖然とするばかりだ。
グゥが福留の話を断った理由もさることながら、彼等の生まれた歴史を前にして。
知られるはずも無かったのだ。
里の外へと出た者は皆、殺意を向けられる事に恐れたから。
「そういう事だ。 だから私が交渉に出ればむしろ混乱を呼びかねない。 もっとも、こんな事実が無くても戦いに飢えた者達を止められるとは思っていないがね」
「なるほど、そういう事でしたか。 確かにそれでは厳しいですねぇ」
「えぇ。 それならむしろ武力で伏せた方がまだ理想的かもしれないわ」
グゥにはグゥの、外の魔者達への価値観があるのだろう。
そう語る口ぶりは「同族」というよりも「忌避すべき相手」というニュアンスが近い。
彼等もまた長い時を恐れて隠れて来たからこそ、相応の怯えが染みついているのかもしれない。
「わかりました。 まぁ我々としては強要するつもりはありませんので。 今は体を労ってくださいねぇ」
「えぇ、感謝します」
そしてその話をしてもなお、勇達のスタンスは変わらない。
神妙な面持ちこそ向けてはいるが、それはどちらかと言えば同情の意。
辛い世界を生きてきた彼等の事を想う勇達の優しさの表れだった。
だからこそグゥは感謝の気持ちを拭えない。
今こうして受け入れて貰えた事に。
「話してよかった」と思えたから。
「それでは私達は一旦ここで失礼します。 勇君、明日ここの施設の件で相談がありますので、申し訳ありませんがまた来てもらえますか?」
「はい、グゥさんが元気になるまでは毎日来ようって思ってるので大丈夫です」
「助かります。 では―――」
どうやら福留の要件としてはグゥの真実を聞けただけで充分だった様だ。
早々に話を切り上げ、勇達と挨拶を交わしながら部屋の外へと去っていく。
レンネィもまた後に続く様にして。
間も無く二人はエレベーターへと乗り込み。
勇とちゃなに見送られながらその場から姿を消す。
そうして気付けば、その場は三人だけの空間と化していた。
「グゥさん、元気になったみたいで何よりです」
「はは、心配かけさせてすまない」
どうやら体調はすっかり元通りの様子。
先程の語り声もハッキリとしていて、むしろ体調は良さそう。
「とても美味しい食事を頂いたからね。 あんな物を食べたのは生まれて初めてだ」
「何を食べたんです?」
「この間ユウ殿に貰ったあの食べ物と同じ白い粒だ。 温かいと実に素晴らしい。 それと【ラーエイ】の様な赤魚だな。 味付けがとても見事だ。 それと汁だ。 濁り汁だが後から来る味わいが堪らん。 後は【白葉の蕾】の漬物だ。 これは故郷の味を思い出す良い出来栄えだった」
その話から察するに、用意されたのは日本の代表的な和食メニューだ。
ご飯、焼き鮭、味噌汁に白菜の漬物。
オーソドックスだが、食文化を伝えるには充分過ぎる品目と言える。
そう語るグゥは半ば興奮気味。
よほど提供された食事が美味しかったのだろう。
想像以上の反応に、勇も「あははっ」と笑ってしまう程である。
「色んな料理がまだまだありますから、好きなだけ堪能してください。 お金が足りない様なら俺が出しますから」
「【オカネ】という物があるだけで何でも食べれるのか。 素晴らしいなこの世界は」
例えその名を知らなくとも価値観は十分理解出来た様で。
この世の仕組みとも言うべき存在に興味が湧いた模様。
その概念を知らない辺り、狭い隠れ里で過ごす分には通貨など必要無かったのかもしれない。
ただその意見はお金にまつわるしがらみを知らないからこそ。
その事を少し知る勇としては心中複雑だ。
「ところでずっと気になっていたのだが、彼は誰かな?」
「彼? あ、もしかしてこの子ですか?」
そんな折突然話が変わり、勇とグゥの視線がちゃなへと向けられる。
何せずっと無言で佇んだまま、反応もそれ程見せないままで。
傍に居る手前、やはり気になっていた様だ。
「おや、女性だったか。 すまない、私は人間の雌雄が判別出来んのだ」
「あ、やっぱそういうもんなんですね」
これには勇も「なるほど」と思ってならない。
当然だ、勇にもパッと見で犬や猫の雌雄など判別出来ないのだから。
恐らくこれは魔者全般に言える事だろう。
人間が動物の雌雄を判別出来ないのと同様に、魔者もまた人間の雌雄を判別出来ない。
精々性器を見る事で判別出来るだろうが、お互いこうして衣服を纏っている訳で。
もっとも、ちゃなの場合は色々と成長中ともあって間違えてしまうのは仕方ない事だが。
元々成長期という事もあるのと充分な栄養が行き渡ったお陰か、最近のちゃなの成長は著しい。
特に胸は顕著で、この一ヵ月だけで膨らみを感じさせる程の成長を果たしている。
出会った当初は背負った勇が感じない程の小ささだったのに。
果たして一体何が彼女の胸をここまで発達させたのか……それは乙女の秘密である。
「彼女は田中ちゃなさんっていいます。 そんで俺と同じ魔剣使いです」
「そうか……という事は、彼女も君と同じなのかい?」
「そうです。 彼女も『こちら側』です」
「ど、どうも……」
そんな意味深な会話を交わす中で、ようやく二人がグゥへと歩み寄っていく。
とはいえちゃなはと言えば半ば怯え気味で。
こうして普通に会話を交わしていても、やはり怖いものは怖いのだろう。
ただグゥもそんな彼女にそっと手を伸ばしていて。
その仕草がどうやらちゃなの恐怖心を拭った様だ。
「はわぁ」と驚きの顔を浮かべつつ、差し出された手をそっと両手で掴み取る。
気付けば掴み合った手をゆっくりと揺すっていて。
そこに交わされたのは、他愛も無い握手そのもの。
「どうやら君達の世界にも握手という文化があるようだね」
でもそんな一言が勇に気付かせる。
「そうか、そういうのも文化で違うのか」と。
勇達にとっては当たり前の事でも、文化が異なればそういう風習も変わってくる。
場合によっては生物としての在り方から成り立つ文化もある程なのだから。
生き物の文化を創る世界そのものが違うならなおさらだ。
それでもこうして握手という文化が共通している事に気付かされて。
たったそれだけの事でも奇跡の様で。
そんな巡り合わせが互いに感動を呼び込んでならない。
しかし―――ちゃなだけは別だった。
握手を終えたと思えば、途端にグゥの手を調べる様に眺めていて。
しまいには「ツンツンプニプニ」と指で触り倒す始末。
これにはさすがのグゥも「んん?」と困惑気味。
「魔者さんって肉球はついてないんですね……」
「【ニクキュウ】……?」
しかも満を辞してちゃなから放たれたのは全く違う話題。
おまけに肉球という単語は『あちら側』では使われていない様で。
グゥの困惑はますます深まるばかり。
勇もこれには「うん?」と首を傾げ、その顔をしかめさせる。
するとそんな時、ちゃなが何を思ったのかスマートフォンを取り出していて。
そして不慣れな指先で一心不乱に何かを検索し始めたかと思うと―――
「これですっ!」
それはとても自慢げに、それでいてとても嬉し気に。
グゥへスマートフォンの画面を「グイッ」と見せつける。
画面一杯に映っていたのは可愛い子犬の写真。
桃色の肉球をひけらかす様に寝かされたその姿は可愛いモノ好きの心を刺激して堪らない。
「は、はぁ……」
ただグゥとしては突然の事で何を見せられているのかわかる訳も無く。
鼻が付いてしまいそうな程に近付けられた画面を前に、眉間を寄せるばかりだ。
だがちゃなの勢いはそこで留まらない。
グゥが困惑していようがもはやお構いなし。
素早くスマートフォンを引き戻し、興奮のままに再び指を走らせる。
「ちなみにこれが猫ちゃんの肉球ですっ!」
その見せつけんばかりの勢いは「テテーン」と効果音が鳴ってしまいそうな程。
きっとこれがやりたかったのだろう。
相手はともかくとして。
先程の怯えはどこへ行ったのか、そんな彼女の顔に浮かぶのはぷっくりとした笑み。
でもそんな顔も今となってはドヤ顔にしか見えない。
更には、そんな自慢を終えた途端にスマートフォンを弄り始めていて。
肉球画像を調べる余り、自身がたちまちその虜となってしまったのだろう。
気付けばちゃなは二人の事などそっちのけ。
癒し画像の数々に魅入られて、自分だけの世界に入り込んでしまった様子。
取り残された二人としてはただただ呆れるばかりである。
「彼女は何が言いたかったのだろう」
「欲しかった物が手に入ったんでハイになってるだけですよ、はは……」
時に魅力のある物は人を誘惑して自身を忘れさせる。
ちゃなの様にずっと抑制されてきた者であればその度合いは顕著だ。
きっと今の彼女にとっては、世界の話よりもスマートフォンを弄る方がずっと楽しいのだろう。
一人で悦に入ったちゃなの事はそっとしておき―――
「ところで……グゥさん、やっぱり気付いてたんですね。 この世界の事に」
勇がここでずっと思っていた事を打ち明ける。
思えばグゥは何度か意味深な発言を繰り返していて。
まるで世界の事を既に知っているかの様な。
レンネィとの会話から気付く要素もあるにはあったが。
だからずっと気になっていたのだ。
実は何か知っているのではないか、と。
先程の隠れ里の秘密と同様に。
「ああ。 君達の話を聞いてなんとなくだけどね。 だから先程フクトメ殿に訊いたんだ。 この世界では何が起きているのかとね」
「あ、そうだったんですね」
でもどうやらもう既に説明する必要は無かった様で。
勇としては意気揚々と説明するつもりだっただけにほんの少し残念そう。
反面、全て語れる自信も無かったので安心もあるが。
「俺達の世界には魔剣も魔者も無いんで、『そちら側』と比べたら殺し合う様な事は―――まぁ無い訳じゃないですけど、そこまで多くないです」
「争いの無い世界、か。 夢の様だな」
そんな時、数羽の小鳥がジジジと囀りを立てながら窓の傍を横切っていく。
森でも無いのにも拘らずそういった小鳥が飛ぶ姿に、グゥは目を奪われてならない。
相変わらず電車の音も聴こえ、今は車の走る音さえよく届く。
風景はまだ見る事も叶わないが、音だけでも知らない者には十分刺激的だ。
外の様子に気を取られるグゥへ、勇も穏やかな微笑みを向けていて。
そんな姿が故郷の森を懐かしむ様にも見えたのだろう。
「きっとグゥさんがいた森の辺りに行けばもっと静かになりますよ」
「はは、そうなのか。 ここでも十分穏やかな気がするけどね」
それに駅から離れれば、いくら人の多い上野駅周辺と言えど喧騒は聞こえない。
森の中と比べれば騒がしいのだろうが、これくらいはグゥにとっても普通の事な様で。
そう返すグゥ自身の様子も穏やかそのものだ。
そんな光景は故郷の森とは違っても、穏やかである事には変わりない。
争いが無い、襲われる事が無い―――グゥ達にとってはただそれだけで充分なのだから。
「この様な優しい世界だから、きっとユウ殿の様な優しい者が生まれるのだろうな」
「それは褒め過ぎですって。 こんな世界でも戦いが好みな奴は一杯いますから」
「そうなのかい?」
「そうですよぉ。 例えばこの間ですね―――」
そんな話から始まったのは『こちら側』の話。
勇達にとってしてみれば日常の一幕にしか過ぎない出来事ばかりで。
でもグゥにしてみれば、何もかもが珍しいから。
そんな話を楽しそうに聴き入り、時折驚く様に相槌を打ち。
勇もそんなグゥに甘えて楽しそうに語り。
自分だけではと、グゥから『あちら側』の話を催促する。
グゥもきっと語りたかったのだろう。
そう振られれば、出るのは里での楽しい日々の数々。
思い出される話はもはやとめどない。
気付けば込み入った話も既に消え。
二人の会話はなんら他愛のない話へと変わっていた。
勇が語ったのは当たり前の日常だ。
子供達が毎日学校という学び舎に通って学問を学ぶ事。
そこで友達も一杯出来て、毎日が充実している事も含めて。
お金は稼ぐのが大変だけど、それを得る為に働いて、見合った物も手に入る。
それを買う場所だって今は困らない程に沢山あって、人も一杯集まるのだと。
売る為の物を皆が造って育てているから、基本的にこの日本では食べる物には困らない。
争いこそ無くなってはいないけど、少なくとも転移前では殺し合う事はほとんど無い。
それは世界で争いを止めようっていう取り決めをしたから。
とても当たり前の話ばかりだけど、全く真逆の世界を生きてきたグゥにはとても魅力的だ。
グゥが語ったのは里だけでの出来事。
それでも、そんな場所に住んだ事が無い勇には驚く事ばかりだ。
子供達の数はそれほど多く無いから、皆が年中面倒を見るのだそう。
レンネィが言った事と同じで、集落の皆が親代わりになって色んな事を教えてくれるという事だ。
特に驚いたのは、暦が『あちら側』も『こちら側』と同じ、おおよそ三六〇日で季節が一巡するという事。
【暦士】という役割を持った者がいて、ずっと日にちを管理していたのだとか。
その役割のお陰で季節もわかるから、時期が来たら里の皆で協力して農作業を行っていて。
お陰で、よほど不作でない限り備蓄に困る事はほとんど無かったという。
加えて、村にはあまり手を入れなくても育つ【パラの実】という大きな木の実がなるそうで。
これが実る夏頃になると、里の人々が皆そわそわしだすのだそうな。
とても甘くて、でも時々酸っぱくて、その事が楽しみでしょうがないのだと。
だから季節が訪れると出掛ける度にお椀へ水を汲み、木に撒いていく『パラ散水』という行為が人々の間で常態化するのだという。
二人が語り合ったのはもちろんそれだけに尽きない。
まだまだ若年の勇でさえも語るに止まらない程、世界は情報に満ちていたから。
とても些細な事から噂話、作り話など、知っている事を次々に言い合っていて。
その度に笑い合い、「私の方では~」と応酬が続いて盛り上がりを見せていく。
そこで語られたのはもはやスマートフォンでは調べる事も出来ない話ばかり。
気付けばちゃなも聴き入り、楽しそうに手を合わせて微笑みを向ける。
それだけ二人の話が魅力的だったから。
そんな夢物語の様な話が交わされ続け―――
―――気付けば、窓の景色が暗みを帯びる程の時間が過ぎ去っていた。
「あ、やっべ、もうこんな時間じゃん……トレーニング施設見るの忘れてたぁ」
それは看護師がグゥの夕食を持ってきた事で気付かされる。
与えられた時間は勇達がこれ以上深く語るには不十分だった様だ。
「そうか……なら今日はもう帰った方がいいかもしれないね」
「そうします、また来ますね」
「バイバイ」
「あぁ、また会おう」
そう挨拶を交わし、勇とちゃなが部屋から去っていく。
互いに笑顔のまま、手を振りながら。
グゥもまた名残惜しそうに、そんな二人をいつまでも見送り続ける。
ただその眼は細まり、言い得ぬ哀愁を醸し出していた。
この時彼が想うのは果たして―――
この事実は事情を知るはずのレンネィでさえも驚愕する程だった。
それ程までに秘密とされてきたのだろう。
では何故か。
それはグゥの口から間も無く明かされる事となる。
「これは本来口外する事も許されないのだが、君達になら話してもいいだろう。 君達が我々に敵意を向けないからこそ、話せる事だと思って欲しい」
グゥが言うのはつまり、「これから伝えるのはこの場に居る者のみが知るべき話」という事に他ならない。
そして何より、もう彼を戒める者も里も存在しないからこそ。
「これはずっとずっと遥か遠い昔の話。 世界は戦争に包まれた。 人間と魔者がいがみ合う戦争だ。 その争いは互いの種族を心から怨み、憎しみ、畏れるにまで発展したそうだ」
「ええ、それは知ってる。 色々な伝承に残る程の伝説だもの。 魔剣が生まれるくらいのね」
「そうだ。 そしてそれはとても凄惨な戦争だったという」
それはあくまでも伝承であり、グゥも詳細は知らないのだろう。
ただそこに秘められた事実だけは彼等にとって忘れられる事も出来ない『呪い』として生き続けている。
彼等が里を出る事の出来ない戒めとして。
「その怨みや憎しみは同族にさえも向けられた。 見境なく殺し合ったのだ。 だから我々の祖先は逃げた。 戦う事を嫌い、世俗と交流を断つ事にしたのだ。 発展する事も無く、人数も増やす事無く、長い長い年月を今までずっと限られた土地で生き続けて来た。 それが隠れ里の在り方なのだ」
「なるほど……それじゃあ!?」
「そうだ。 外の魔者達は私達隠れ里の魔者だとわかれば怨み、憎むだろう。 『何故戦争から逃げたのか』とね」
「確かにそうかもしれない。 魔者は自分達の意思にそぐわない者達を絶対に許しはしないから。 それが例え魔者同士であってもね」
そしてそれは人間にも言える事だとレンネィは言う。
『あちら側』特有の事情として、人間も魔者も集団意識がとても強い。
敵を倒して生き残る為にも、同調し、協力し合う事を強制され続けてきたからだ。
しかもその考えは遥か昔から醸成され続けて来た。
それはもはや遺伝子レベルで刻まれ続けてきた生き方ともなりえる。
もし隠れ里の者が「戦争から逃げて来た者達の末裔です」と答えれば最後。
それだけで魔者も、人間も、揃って声をこう上げるだろう。
「この裏切り者め」と。
彼等にとって時代も現実も関係は無い。
その事実があるだけで殺意と変わるのである。
レンネィの様に冷静な分析が出来る人間などほぼ皆無だろう。
ある意味で言えば細かい事を気にしない性質が招いた幸運だと言える。
打ち明けられた事実を前に、勇達はただただ唖然とするばかりだ。
グゥが福留の話を断った理由もさることながら、彼等の生まれた歴史を前にして。
知られるはずも無かったのだ。
里の外へと出た者は皆、殺意を向けられる事に恐れたから。
「そういう事だ。 だから私が交渉に出ればむしろ混乱を呼びかねない。 もっとも、こんな事実が無くても戦いに飢えた者達を止められるとは思っていないがね」
「なるほど、そういう事でしたか。 確かにそれでは厳しいですねぇ」
「えぇ。 それならむしろ武力で伏せた方がまだ理想的かもしれないわ」
グゥにはグゥの、外の魔者達への価値観があるのだろう。
そう語る口ぶりは「同族」というよりも「忌避すべき相手」というニュアンスが近い。
彼等もまた長い時を恐れて隠れて来たからこそ、相応の怯えが染みついているのかもしれない。
「わかりました。 まぁ我々としては強要するつもりはありませんので。 今は体を労ってくださいねぇ」
「えぇ、感謝します」
そしてその話をしてもなお、勇達のスタンスは変わらない。
神妙な面持ちこそ向けてはいるが、それはどちらかと言えば同情の意。
辛い世界を生きてきた彼等の事を想う勇達の優しさの表れだった。
だからこそグゥは感謝の気持ちを拭えない。
今こうして受け入れて貰えた事に。
「話してよかった」と思えたから。
「それでは私達は一旦ここで失礼します。 勇君、明日ここの施設の件で相談がありますので、申し訳ありませんがまた来てもらえますか?」
「はい、グゥさんが元気になるまでは毎日来ようって思ってるので大丈夫です」
「助かります。 では―――」
どうやら福留の要件としてはグゥの真実を聞けただけで充分だった様だ。
早々に話を切り上げ、勇達と挨拶を交わしながら部屋の外へと去っていく。
レンネィもまた後に続く様にして。
間も無く二人はエレベーターへと乗り込み。
勇とちゃなに見送られながらその場から姿を消す。
そうして気付けば、その場は三人だけの空間と化していた。
「グゥさん、元気になったみたいで何よりです」
「はは、心配かけさせてすまない」
どうやら体調はすっかり元通りの様子。
先程の語り声もハッキリとしていて、むしろ体調は良さそう。
「とても美味しい食事を頂いたからね。 あんな物を食べたのは生まれて初めてだ」
「何を食べたんです?」
「この間ユウ殿に貰ったあの食べ物と同じ白い粒だ。 温かいと実に素晴らしい。 それと【ラーエイ】の様な赤魚だな。 味付けがとても見事だ。 それと汁だ。 濁り汁だが後から来る味わいが堪らん。 後は【白葉の蕾】の漬物だ。 これは故郷の味を思い出す良い出来栄えだった」
その話から察するに、用意されたのは日本の代表的な和食メニューだ。
ご飯、焼き鮭、味噌汁に白菜の漬物。
オーソドックスだが、食文化を伝えるには充分過ぎる品目と言える。
そう語るグゥは半ば興奮気味。
よほど提供された食事が美味しかったのだろう。
想像以上の反応に、勇も「あははっ」と笑ってしまう程である。
「色んな料理がまだまだありますから、好きなだけ堪能してください。 お金が足りない様なら俺が出しますから」
「【オカネ】という物があるだけで何でも食べれるのか。 素晴らしいなこの世界は」
例えその名を知らなくとも価値観は十分理解出来た様で。
この世の仕組みとも言うべき存在に興味が湧いた模様。
その概念を知らない辺り、狭い隠れ里で過ごす分には通貨など必要無かったのかもしれない。
ただその意見はお金にまつわるしがらみを知らないからこそ。
その事を少し知る勇としては心中複雑だ。
「ところでずっと気になっていたのだが、彼は誰かな?」
「彼? あ、もしかしてこの子ですか?」
そんな折突然話が変わり、勇とグゥの視線がちゃなへと向けられる。
何せずっと無言で佇んだまま、反応もそれ程見せないままで。
傍に居る手前、やはり気になっていた様だ。
「おや、女性だったか。 すまない、私は人間の雌雄が判別出来んのだ」
「あ、やっぱそういうもんなんですね」
これには勇も「なるほど」と思ってならない。
当然だ、勇にもパッと見で犬や猫の雌雄など判別出来ないのだから。
恐らくこれは魔者全般に言える事だろう。
人間が動物の雌雄を判別出来ないのと同様に、魔者もまた人間の雌雄を判別出来ない。
精々性器を見る事で判別出来るだろうが、お互いこうして衣服を纏っている訳で。
もっとも、ちゃなの場合は色々と成長中ともあって間違えてしまうのは仕方ない事だが。
元々成長期という事もあるのと充分な栄養が行き渡ったお陰か、最近のちゃなの成長は著しい。
特に胸は顕著で、この一ヵ月だけで膨らみを感じさせる程の成長を果たしている。
出会った当初は背負った勇が感じない程の小ささだったのに。
果たして一体何が彼女の胸をここまで発達させたのか……それは乙女の秘密である。
「彼女は田中ちゃなさんっていいます。 そんで俺と同じ魔剣使いです」
「そうか……という事は、彼女も君と同じなのかい?」
「そうです。 彼女も『こちら側』です」
「ど、どうも……」
そんな意味深な会話を交わす中で、ようやく二人がグゥへと歩み寄っていく。
とはいえちゃなはと言えば半ば怯え気味で。
こうして普通に会話を交わしていても、やはり怖いものは怖いのだろう。
ただグゥもそんな彼女にそっと手を伸ばしていて。
その仕草がどうやらちゃなの恐怖心を拭った様だ。
「はわぁ」と驚きの顔を浮かべつつ、差し出された手をそっと両手で掴み取る。
気付けば掴み合った手をゆっくりと揺すっていて。
そこに交わされたのは、他愛も無い握手そのもの。
「どうやら君達の世界にも握手という文化があるようだね」
でもそんな一言が勇に気付かせる。
「そうか、そういうのも文化で違うのか」と。
勇達にとっては当たり前の事でも、文化が異なればそういう風習も変わってくる。
場合によっては生物としての在り方から成り立つ文化もある程なのだから。
生き物の文化を創る世界そのものが違うならなおさらだ。
それでもこうして握手という文化が共通している事に気付かされて。
たったそれだけの事でも奇跡の様で。
そんな巡り合わせが互いに感動を呼び込んでならない。
しかし―――ちゃなだけは別だった。
握手を終えたと思えば、途端にグゥの手を調べる様に眺めていて。
しまいには「ツンツンプニプニ」と指で触り倒す始末。
これにはさすがのグゥも「んん?」と困惑気味。
「魔者さんって肉球はついてないんですね……」
「【ニクキュウ】……?」
しかも満を辞してちゃなから放たれたのは全く違う話題。
おまけに肉球という単語は『あちら側』では使われていない様で。
グゥの困惑はますます深まるばかり。
勇もこれには「うん?」と首を傾げ、その顔をしかめさせる。
するとそんな時、ちゃなが何を思ったのかスマートフォンを取り出していて。
そして不慣れな指先で一心不乱に何かを検索し始めたかと思うと―――
「これですっ!」
それはとても自慢げに、それでいてとても嬉し気に。
グゥへスマートフォンの画面を「グイッ」と見せつける。
画面一杯に映っていたのは可愛い子犬の写真。
桃色の肉球をひけらかす様に寝かされたその姿は可愛いモノ好きの心を刺激して堪らない。
「は、はぁ……」
ただグゥとしては突然の事で何を見せられているのかわかる訳も無く。
鼻が付いてしまいそうな程に近付けられた画面を前に、眉間を寄せるばかりだ。
だがちゃなの勢いはそこで留まらない。
グゥが困惑していようがもはやお構いなし。
素早くスマートフォンを引き戻し、興奮のままに再び指を走らせる。
「ちなみにこれが猫ちゃんの肉球ですっ!」
その見せつけんばかりの勢いは「テテーン」と効果音が鳴ってしまいそうな程。
きっとこれがやりたかったのだろう。
相手はともかくとして。
先程の怯えはどこへ行ったのか、そんな彼女の顔に浮かぶのはぷっくりとした笑み。
でもそんな顔も今となってはドヤ顔にしか見えない。
更には、そんな自慢を終えた途端にスマートフォンを弄り始めていて。
肉球画像を調べる余り、自身がたちまちその虜となってしまったのだろう。
気付けばちゃなは二人の事などそっちのけ。
癒し画像の数々に魅入られて、自分だけの世界に入り込んでしまった様子。
取り残された二人としてはただただ呆れるばかりである。
「彼女は何が言いたかったのだろう」
「欲しかった物が手に入ったんでハイになってるだけですよ、はは……」
時に魅力のある物は人を誘惑して自身を忘れさせる。
ちゃなの様にずっと抑制されてきた者であればその度合いは顕著だ。
きっと今の彼女にとっては、世界の話よりもスマートフォンを弄る方がずっと楽しいのだろう。
一人で悦に入ったちゃなの事はそっとしておき―――
「ところで……グゥさん、やっぱり気付いてたんですね。 この世界の事に」
勇がここでずっと思っていた事を打ち明ける。
思えばグゥは何度か意味深な発言を繰り返していて。
まるで世界の事を既に知っているかの様な。
レンネィとの会話から気付く要素もあるにはあったが。
だからずっと気になっていたのだ。
実は何か知っているのではないか、と。
先程の隠れ里の秘密と同様に。
「ああ。 君達の話を聞いてなんとなくだけどね。 だから先程フクトメ殿に訊いたんだ。 この世界では何が起きているのかとね」
「あ、そうだったんですね」
でもどうやらもう既に説明する必要は無かった様で。
勇としては意気揚々と説明するつもりだっただけにほんの少し残念そう。
反面、全て語れる自信も無かったので安心もあるが。
「俺達の世界には魔剣も魔者も無いんで、『そちら側』と比べたら殺し合う様な事は―――まぁ無い訳じゃないですけど、そこまで多くないです」
「争いの無い世界、か。 夢の様だな」
そんな時、数羽の小鳥がジジジと囀りを立てながら窓の傍を横切っていく。
森でも無いのにも拘らずそういった小鳥が飛ぶ姿に、グゥは目を奪われてならない。
相変わらず電車の音も聴こえ、今は車の走る音さえよく届く。
風景はまだ見る事も叶わないが、音だけでも知らない者には十分刺激的だ。
外の様子に気を取られるグゥへ、勇も穏やかな微笑みを向けていて。
そんな姿が故郷の森を懐かしむ様にも見えたのだろう。
「きっとグゥさんがいた森の辺りに行けばもっと静かになりますよ」
「はは、そうなのか。 ここでも十分穏やかな気がするけどね」
それに駅から離れれば、いくら人の多い上野駅周辺と言えど喧騒は聞こえない。
森の中と比べれば騒がしいのだろうが、これくらいはグゥにとっても普通の事な様で。
そう返すグゥ自身の様子も穏やかそのものだ。
そんな光景は故郷の森とは違っても、穏やかである事には変わりない。
争いが無い、襲われる事が無い―――グゥ達にとってはただそれだけで充分なのだから。
「この様な優しい世界だから、きっとユウ殿の様な優しい者が生まれるのだろうな」
「それは褒め過ぎですって。 こんな世界でも戦いが好みな奴は一杯いますから」
「そうなのかい?」
「そうですよぉ。 例えばこの間ですね―――」
そんな話から始まったのは『こちら側』の話。
勇達にとってしてみれば日常の一幕にしか過ぎない出来事ばかりで。
でもグゥにしてみれば、何もかもが珍しいから。
そんな話を楽しそうに聴き入り、時折驚く様に相槌を打ち。
勇もそんなグゥに甘えて楽しそうに語り。
自分だけではと、グゥから『あちら側』の話を催促する。
グゥもきっと語りたかったのだろう。
そう振られれば、出るのは里での楽しい日々の数々。
思い出される話はもはやとめどない。
気付けば込み入った話も既に消え。
二人の会話はなんら他愛のない話へと変わっていた。
勇が語ったのは当たり前の日常だ。
子供達が毎日学校という学び舎に通って学問を学ぶ事。
そこで友達も一杯出来て、毎日が充実している事も含めて。
お金は稼ぐのが大変だけど、それを得る為に働いて、見合った物も手に入る。
それを買う場所だって今は困らない程に沢山あって、人も一杯集まるのだと。
売る為の物を皆が造って育てているから、基本的にこの日本では食べる物には困らない。
争いこそ無くなってはいないけど、少なくとも転移前では殺し合う事はほとんど無い。
それは世界で争いを止めようっていう取り決めをしたから。
とても当たり前の話ばかりだけど、全く真逆の世界を生きてきたグゥにはとても魅力的だ。
グゥが語ったのは里だけでの出来事。
それでも、そんな場所に住んだ事が無い勇には驚く事ばかりだ。
子供達の数はそれほど多く無いから、皆が年中面倒を見るのだそう。
レンネィが言った事と同じで、集落の皆が親代わりになって色んな事を教えてくれるという事だ。
特に驚いたのは、暦が『あちら側』も『こちら側』と同じ、おおよそ三六〇日で季節が一巡するという事。
【暦士】という役割を持った者がいて、ずっと日にちを管理していたのだとか。
その役割のお陰で季節もわかるから、時期が来たら里の皆で協力して農作業を行っていて。
お陰で、よほど不作でない限り備蓄に困る事はほとんど無かったという。
加えて、村にはあまり手を入れなくても育つ【パラの実】という大きな木の実がなるそうで。
これが実る夏頃になると、里の人々が皆そわそわしだすのだそうな。
とても甘くて、でも時々酸っぱくて、その事が楽しみでしょうがないのだと。
だから季節が訪れると出掛ける度にお椀へ水を汲み、木に撒いていく『パラ散水』という行為が人々の間で常態化するのだという。
二人が語り合ったのはもちろんそれだけに尽きない。
まだまだ若年の勇でさえも語るに止まらない程、世界は情報に満ちていたから。
とても些細な事から噂話、作り話など、知っている事を次々に言い合っていて。
その度に笑い合い、「私の方では~」と応酬が続いて盛り上がりを見せていく。
そこで語られたのはもはやスマートフォンでは調べる事も出来ない話ばかり。
気付けばちゃなも聴き入り、楽しそうに手を合わせて微笑みを向ける。
それだけ二人の話が魅力的だったから。
そんな夢物語の様な話が交わされ続け―――
―――気付けば、窓の景色が暗みを帯びる程の時間が過ぎ去っていた。
「あ、やっべ、もうこんな時間じゃん……トレーニング施設見るの忘れてたぁ」
それは看護師がグゥの夕食を持ってきた事で気付かされる。
与えられた時間は勇達がこれ以上深く語るには不十分だった様だ。
「そうか……なら今日はもう帰った方がいいかもしれないね」
「そうします、また来ますね」
「バイバイ」
「あぁ、また会おう」
そう挨拶を交わし、勇とちゃなが部屋から去っていく。
互いに笑顔のまま、手を振りながら。
グゥもまた名残惜しそうに、そんな二人をいつまでも見送り続ける。
ただその眼は細まり、言い得ぬ哀愁を醸し出していた。
この時彼が想うのは果たして―――
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