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第三十四節「鬼影去りて 空に神の憂鬱 自由の旗の下に」

~礼節、不ず~

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 藤咲勇とブライアン=ウィルズ大統領。
 二人の会合がここ、ホワイトハウスの執務室で静かに行われていた。

 だが取り巻くのは不穏な空気。
 ブライアンの思惑はこの先にこそ存在するのだから。



「さて、そこでなんだが……本題に入る前に一つ訊きたい」

 落ち着きを取り戻したブライアンが自分大統領専用の椅子へと座る。
 しかし先程の柔らかい雰囲気から一転、その顔に強張りが生まれ。

 途端、重い空気が執務室を包み込む。

「……なんでしょうか?」

 勇も同様に、上げた声のトーンが低みを帯びる。
 ブライアンから何かを感じ取ったのだろう。

「実はな、先日そのエイミーと会談をした事は既に報告に上がっているんだ。 では何故、この時間に私と会う約束をしておきながら、その前に彼女と会ったんだ?」

 途端、ブライアンの眼がギラリとした鋭い輝きを放つ。
 目の前に座る勇へと向けて。



 その瞳に籠るのは一種の疑念。



 政治とは建前と礼節によって成り立っているといっても過言ではない。
 自身の立場を知り、地位の高い相手を敬い、人を立てる。
 その上で成り上がり、下の地位の者へ便宜を図り、国を回す。
 そうして自身を押し殺してでも国民の代表として働き、国を導かなければならない義務があるからだ。

 しかし理由も無く礼節を欠けば、たちまちその者は政治の世界からつまはじきにされる。
 すぐ裏切り、信用出来ない存在とされるからである。
 
 礼節とはつまり信用を創るという事。
 それを成す事で政敵であろうと信用し、手を取り合って国を動かす事が出来るのである。

 勇がした事はまさにその礼節を欠く所業だった。

 アメリカ合衆国大統領とはつまり、この国で最も上の立場の人間である。
 そんな人物を差し置いて、政敵でもあり宿敵とも言えるエイミーと先に会ったのだから。

 それがブライアンには堪らなく許せなかったのだ。
 まるで自分をエイミーの下に見た様で。

 それは政治家としては見逃す事の出来ない大切な事案だったのだろう。
 ブライアンが個人としてその様な礼節を重んじるかどうかは別として。
 そう問う彼の声が重みを有していたのは、それが理由だったからに他ならない。

「その理由を敢えて答えるならば、それも作戦の内です」

「……ほう?」

 そんな感情を露わとするブライアンを前に、勇が臆する事無く答える。
 嘘偽りの無い彼の本心、その狙いを。

「単純に言えば、俺は隠し事が苦手でして。 エイミーやブライアンさんの様な政治家を相手に嘘を付き続けるのはハッキリ言って無理です」

 それはきっとブライアンも知る所なのだろう、小さく頷く様子を見せる。
 福留が太鼓判を押す程の正直者、そんな風にでも伝えられているのかもしれない。

「俺がここに来たのは彼女を制する話をする為。 でももしそんな話を先にしてしまえば、恐らく俺は誘導されて喋ってしまうかもしれない。 そういったリスクを払う為に、俺は敢えて先にエイミーに会ったんです」

 その一言を前に、ブライアンも半ば納得したかの様に「ふぅむ」と声を上げ。
 体を椅子へと預け、「そうか」と頷いて見せる。

 主な理由は間違いなくその通りなのだろう。
 だがそれでは説得力に乏しい。
 例えブライアンが納得しようとも、客観的に考えれば彼を後回しにした理由に足り得ない。

 〝うっかり喋ってしまいそうだから後回しにした〟
 それは余りにもお粗末過ぎる理由だから。

 しかし勇もそれをわかっているからこそ、作戦と称したのだ。
 全てはブライアンを巻き込んで事を成す為の布石とする為に。

「そしてこれは本筋に至る話ですが……俺がエイミーと先に会ったのは、彼女という存在を色眼鏡無く見る必要があったからなんです。 天力の力はきっともう知ってらっしゃるでしょう?」

「ああ。 この間の講演の事とは別に、福留からは人の願いを司る力、〝確信〟に至る力だと聞いているよ。 実に羨ましい、素敵ファンタスティックな能力だと言わざるを得ない」

「ええ。 この力は人の願いや想いを俺に見せます。 そして彼女が何を想って俺と相対しているのか……それを知る為には、真っ白な状態で会う事が大事なんです。 そう、先程のブライアンさんの本音を聞く前に」

 そう言われると、ブライアンも堪らずお手上げの様を見せながら苦笑を浮かべる。



 実際に人とはそういうものだ。

 勇が言うのは詰まる所の「先入観」の事である。
 知らぬ相手の事を噂や聞いた話だけで判断してしまう思考の事だ。

 例え嘘の悪い噂であろうとも、一度聞いてしまえば噂の対象を悪く見てしまう。
 そこからいざこざや争いに発展する事も珍しくなく、それを払拭する事は思う以上に難しい。
 先入観に左右されずに客観的に見られる人間は少なく、情緒的に動く人間ほど囚われやすいものだ。

 勇もまた人間だからこそ、そういった先入観に囚われてしまえば正常に相手を見る事が難しくなる。

 だから勇はエイミーと先に会う必要があったのだ。
 それはブライアンがどうこうというよりも、エイミーという存在を最も正しい形で知る為に。



「それに実際、そうした事で思いがけないもありました」



 すると勇が何を思ったのか、椅子から立ち上がって歩み寄っていく。
 唖然とするブライアンの前へと。

「それは本当に偶然で、あの時間に訪れなければ得られなかった収穫です。 でも間違いなくそれは勝利の鍵になる。 だから俺は今、ここに自信を持って堂々と来る事が出来ました」

 その時勇が見せたのは―――自信に満ち溢れた微笑み。

 更に外から差す陽射しが顔の陰影を浮き彫りにしていて。
 溢れ出んばかりの自信に拍車を掛けるかのよう。

「なるほど。 それで君は私に一体何を望む?」

「そうですね、単刀直入に言わせてもらえば―――」

 途端一言が詰まり、僅かな間を静寂が包み込む。
 そんな中で勇がそっとブライアンへ向けて差し出したのは―――一枚の紙。

 だが、それが受け取られるのと同時に勇から放たれたのは……衝撃的な一言であった。





「グランディーヴァは……アメリカ合衆国政府の即時降伏を望みます」


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