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第三十三節「二つ世の理 相対せし二人の意思 正しき風となれ」

~憤怒と本能 向けられしはかつての仇~

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 今日この日、勇達グランディーヴァがスイスのジュネーヴ国連仮本部へと訪れる予定だ。
 国連所属員であるリッダとアネットは彼等の話を聴く為に、聴講会の行われる国連本部建屋へと向けて続く石畳の上をひた進む。
 小さい体なりに歩みが遅いのがリッダの欠点か……本人は必死に歩いているのだが。

 先に見えるのは建屋入口。
 もう少しで辿り着く……そう思えた矢先、リッダとアネットの視界に何者かの姿が映り込んだ。

 それは本部建屋を見上げる二人の男女。
 初めて訪れたのだろうか、観光者とも思える私服を身に纏い、建屋の外装を見回す様に眺めていた。

「こんな時に観光客など……入れたのは一体どこの馬鹿だ!」

 これから行われるのは重要かつ重大なイベント。
 当然、関係者以外の立ち入りは禁じられている。
 にも拘らずの非関係者らしき者の姿……それが厳格なリッダの癪を触る。

 たちまち生まれた憤りの感情が彼女の表情に強張りを生み、その歩みを早めさせていた。

「おい貴様!! 今ここは関係者以外立ち入り禁―――」
 
 その声、その足取りが存在感を曝け出し、二人の男女に気付かせる。
 そして二人が振り向き素顔を晒した時……リッダの目が、これでもかという程に大きく開かれた。



 瞳に映るその男の顔を―――リッダは良く知っていたから。



 その瞬間、彼女の心に一つの言葉が繰り返し過る。
 「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」と……彼女の心を縛る程に強く、強く。
 普通の人間相手であれば抑えられた理性も、その男の前では無力だった。
 遺伝子に刻まれた憎悪の感情が、理性すらをも押し殺したのだ。
 彼女の本来持つ怒りと憎しみを増幅させながら。

「あ、あ……ッ!!」

 早まった歩みは途端に駆け出しへと変わり、その身を前傾させる。
 感情のままに、憎悪のままに……彼女はその手に、剣の柄を握り取っていた。

「あああああッ!!!」

 ただ一直線に、男へと目掛けて。
 
 

 その瞳に映る顔こそ……勇だった。



「うあああああッ!! フジサキユウゥゥーーーーーー!!!」

 その憤怒と憎悪は遂に激昂へと姿を変える。
 最高潮に達した怒りは刃を抜かせ、切っ先を勇へと向けてさせた。

 驚き慄く勇に……霊銀の剣が真っ直ぐ伸びるかの如く、彼女の小さな体ごと勢いのままに押し迫る。

 彼女はもう、理性を働かせる事を放棄していたのだ。
 そうすら考えられぬ程に……本能のままに。



「父上、母上の仇ィィーーーーーー!!!」



 ただ、それだけの為に。





「リッダちゃん!! だめよぉ!!!」





 だが、その時放たれたアネットの叫びがリッダの理性を呼び戻す。
 真っ黒に塗り潰された、彼女の理性の光を。

ガッガガガガ!!!

 勢いのままに飛び出していた体を、理性に従属した足が抑え付ける。
 石畳を削らんばかりの勢いで足裏を滑らせ、激しく土煙を撒き起こさせていた。

「ガウウゥゥウッ!!」

 目を血走らせながらも、持ち上がった顎を抑え付け。
 食い縛らせた歯を「ギリリッ」と軋ませながら、体全体で抑え付けんばかりに体を強張らせる。
 たちまち駆け出しの勢いが殺され……勇の前でようやく止まったのだった。

 剣の切っ先が、勇の胸元へと到達する寸前で。

 それでも彼女の心にはまだ憤怒と憎悪が荒れ狂う様に渦巻き続けているのだろう。
 突き付けた剣先は震え、肩もまた同様に。
 勇を見上げる瞳もまた大きく揺れ動き、焦点が定まっていない様にすら見えた。

「ハッ……ハッ……!!」
 
 心の葛藤が精神をすり減らし、それだけで彼女の体力を奪う。
 高まった鼓動がそれを加速させ、酸素をこれ程になく求めて止まない。

 そんな彼女の背後から突如として、大きな衝撃が走った。

「リッダちゃん!! だからあれほど言ってたのにッ!!」

 アネットがリッダを背後から抱き込んだのだ。
 巨大な彼女が抱き込めば、おのずと小さなリッダが隠れんばかりに覆い包まれる。

「ウッ! アネット!! ちょっ!!」

 アネットに包まれてようやく理性を完全に取り戻したのだろう、リッダは先程の雰囲気を取り戻していた。
 剣を引力のままに落とし、アネットにされるがままとなる。

 勇と……そして同伴していた茶奈が、突然の出来事に唖然とする前で。



 勇と茶奈……二人は予めこの場に訪れていたのだ。
 予定調整を行う福留と、今回の会議に参加する日本代表の官僚を連れて来る為に。
 日本から直接来るとあって、今回は特別に代表を乗せて来ていた。
 福留も代表も国連本部のイメージを強く持っていたという事もあり、今回勇が天力転送で先んじて送り届けたのである。
 ちなみに茶奈は付いてきたいからという理由でついでに居るだけだ。

 用のある二人は既に本部入り。
 勇と茶奈は福留が戻ってくるのを待っていたという訳だ。



「――― 一体、なんだというんです?」

 一連の出来事に面食らっていた勇がようやく落ち着き、引いていた姿勢を立て直す。
 それでも剣を向けられたのは事実な訳で、そう問い質してしまうのは当然か。

 当然勇はリッダの事を知らない……初対面なのである。

 彼女が魔者であるという事は理解出来ているが、身なりからして明らかな融和勢。
 それが何故、どうしてこの平和の場で剣を突き付けたのか不思議でしょうがなかったのだ。

「一体何もクソも無い! 貴様が……貴様が私の父上と母上を殺したんだ!!」

「ッ!?」

 そんな勇を前に、アネットの腕枕の隙間から顔を覗かせたリッダが何一つ物怖じする事無く。
 その瞳に覗くのは突き刺さる程に強い恨みの光。
 勇が思わず顔をしかめさせる程の。

「畏れして聴くがいい!! 恥を知らぬ残忍な蛮勇め!!」

 アネットに抑え付けられながらも……リッダがなお感情のままに、想いのままに咆え上げる。



「我が名はリッダ!! 誇り高きナイーヴァの戦神サヴィディアと至高の女王アーラトマの娘だ!!」



 ナイーヴァ族……それは勇がまだ魔剣を持って一年も経たぬ時に戦った種族である。
 強力な槍型魔剣を操る王サヴィディアを前に、勇は苦戦を強いられた。
 しかしそこで勇専用の魔剣【翠星剣】が勇の手へと渡り、その力を以って倒す事が出来たのである。

 その後、サヴィディアを失った女王は彼と同じ死を望み……自害した。

 この事は勇の中でも大きな〝呪い〟として今も残り続けている。
 彼等との出会いはそれ程までに激しく、そして辛かったのだ。

「まさか君が……ナイーヴァ王の娘だって!?」

「そうだッ!! 忘れたとは言わさないぞ! 父と母を惨殺し、民を皆殺しにしたという貴様の所業を!!」

 その一言を前に、勇が再び慄きを見せる。
 明らかに彼女の言い分が事実と異なっていたから。

 確かにサヴィディアとの戦いでは、彼を一撃の下に切り裂いたのは事実だ。
 だがそれはサヴィディア自身も受け入れ、あろう事か勇を讃えたのだ。
 そして王女も自害……勇は決してそれ以上の手出しはしていない。
 民に対してもそうだ……王が死ねばおのずと民衆も消える。
 しかもサヴィディアに勝利した事で、勝者である勇を讃えながら消えていったのだ。

 それは決して嘘ではない。

「待つんだ!! それは一体誰から聞いた情報なんだ!?」
「お前の祖国である日本政府からだッ!!」
「なら何時聞いたッ!?」
「一年半前だあッ!!!」

 一年半前、それはすなわち魔特隊の暗黒期……小嶋が支配していた時の日本である。

 それを聞いた時、勇も茶奈も理解した。
 彼女の掴まされていた情報は明らかな嘘であるという事に。
 小嶋由子の魔の手はこの様に国連にまで伸びていたのだ。
 勇に関して嘘偽りを報告し、無駄に怨みを広げていたのである。

 リッダは成熟していてもまだ精神的には未熟な所が大きい。
 この様に本能に囚われてしまう所もまたその一端。
 だから彼女は信じてしまったのだろう、日本政府が出した勇の嘘の所業を。

 それ程までに、彼女は純粋なのだ。

 国連で働く者達の心を惹く程に。

「それなら聞けッ!!」
「なっ!?」

 その時、勇が体を一瞬だけ輝かせる。
 それは天力の光……心の光。
 弾ける様に舞い散った光は粒と成って消え、霧散する。

 しかしそれは彼の訴えんばかりの想いを多大に乗せていた。

 たちまち光は心の叫びとなって周囲へ飛び……リッダだけでなくアネットや茶奈でさえも押し黙る程に心へ響いたのだった。

「確かに、俺はナイーヴァの王を討った。 それは事実だ。 それが惨殺だと言うなら俺も認めざるを得ない。 だけど王は俺に言ったよ……『これは武人の定めだ』ってさ。 あの人は俺にそう言ったんだ、誇りや掟だと言って……ッ!!」

「父上が―――」

「あの人は間違いなく強かったよ。 そして勝者として讃えてくれたんだ。 俺と戦えた事が喜びだと言ってな!!」

 そしてそれは勇にとって戦いとは何かという事を大きく考えさせた。
 戦う事が誇り、死ぬ事が生き様……それは生きるという事に大きく反する思想。
 なのに何故彼等はそこにしがみ付くのか、当時まだ子供だった勇にはわからなかったのだ。

 でもきっと、今ならわかるのだろう。

 愛する者を得て。
 戦う理由を得て。
 守りたい仲間を得て。
 救いたい世界がある。

 そこにあるのは誇りや掟という名の、成さねばならぬという意思。
 サヴィディアは戦神であり女王や民を守る戦士だったからこそ、誇りと掟を選んだのだ……と。

「そして女王はサヴィディアが倒れた事で……自分から命を絶ったんだよ」
「嘘だ! でも―――」
「嘘じゃないッ!! あの人はサヴィディアと一緒だったんだ。 女王も何より彼の事を想っていたから。 俺を讃える様に皆に言って、彼の下に向かったんだ! 止められなかったんだ……ッ!!」

 感情の昂りが、勇の瞳に潤いを呼ぶ。
 あれから四年半経った今でも、彼の脳裏にはあの時の想いを鮮明に呼び起こす事が出来る程に衝撃的だったから。

 あの時、勇を讃えるナイーヴァの民達の声は激しく強く。
 大地が震える様な声援が響き渡った。
 女王の死がきっかけを与え、民達を空へ帰そうとする中で。

 それでもなお、彼等は叫び続けたのだ。
 勝者を讃える喝采を、己達の掟に従うままに。
 光に包まれ、その全てが消え去るまで。
 
 当時の勇にとって何もかも初めての出来事だった。
 敵に讃えられたあの一時は。
 喜びと同時に耐え難い悲しみを一挙に受けたあの瞬間は。



 絶対に忘れられない。



「ナイーヴァとの戦いは俺にとって忘れられない出来事の一つだ。 もし戦うキッカケさえなければ、もしかしたらきっと仲良くだってやれてたかもしれない。 そうしたかったんだ。 でも戦ってしまった―――」

「勇さん……」

「それでもサヴィディアは俺と戦う為に仲間に攻撃する事を止めてくれた!! 彼は敬意を以って俺と戦う事を望んだんだ!! そんな人を惨殺なんて出来る訳がないだろッ!! 王女だってそうだッ!! でもそれを否定するなら……君は両親である二人の事を知らなさ過ぎると言わざるを得ないッ!!」

 ナイーヴァ族とは総じて掟に重んじる種族である。
 彼等がそう言い、伝え、伝搬した。
 アージやマヴォが知る程に、知られていたのだ。

 その掟とは、決闘への絶対的な執着。
 強き者同士が戦い、勝利した者を讃える。
 その果てに勇が勝利したから、彼等は讃えたのだ。

 それを否定すればリッダはナイーヴァ族の事を知らぬナイーヴァ族という事になるのだから。



 だが彼女は紛れも無くナイーヴァ族だった。



「そうか……父上も、母上も誇り高くして死んだのだな……」

「ああ、間違いなく言い切れるよ、二人は誇らしかったってさ。 あの二人の死は俺に一つのキッカケを与えてくれたから」

 命とは何か。
 生と死とは何か。
 生きる意味とは何か。

 無数の人々、無数の人生でここに行き着く者はきっとそう多くは無いだろう。
 例えそう考える事があったとしても、本当の意味では辿り着けていない。
 命のやり取りの中に身を染めた者にしかわからぬ世界なのだから。

 しかし勇は若くしてその世界に身を投じた。
 そして知ったのだ。

 多くの魔者の血を浴びて来た。
 中には感情のままに斬り抜いた者も少なくは無い。
 でもその先に斬る以外の手段を見つけたから、手を取る事を選んだ。
 それが積み重なり、今の彼が居る。

 彼を今この場に押し上げた者の中に……戦神サヴィディアと女王アーラトマは間違いなく存在する。

「わかった、信じよう……お前の中に居る父上と母上は私の知る二人と同じだから」

「ありがとう、リッダさん」

 そこでようやくリッダの力が完全に抜け……肩をガクリと落とす。
 アネッタはそれに気付くと、そっと覆い被せていた体をそっと起こすのだった。


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