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第三節「未知の園 交わる願い 少年の道」
~彼女は戯れ道具じゃない~
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心輝達との再会の後。
勇が家に辿り着く頃には、時刻は既に朝の九時台を回っていた。
駐車場に車は無く、父親が出勤済みであるという事を物語る。
どうやら勇の父親が働く企業もまた、変容事件に左右される事無く社会の流れに則っている様だ。
「ただいまー」
さりげない挨拶で帰宅を知らせる勇。
しかし間も無く、朝の時とは異なったリビングの光景に目を奪われる事となる。
「あ、勇君おかえり~遅かったわね~」
そう返す母親の手に―――ハサミと櫛が握られていたのだ。
出掛ける前は普通のリビングだったのだが、今はほんのばかし様相を変えている。
端に避けられたダイニングテーブルには色んな種類のハサミなどの道具が並び。
椅子に座ったちゃなが微動だにする事無く中央に佇んでいて。
彼女の首下全てが白いビニールシートで椅子ごと覆われており、椅子の下には新聞紙が広げられている。
もちろん今はヘアピンで結ってはいない、出会った時と同じ様な乱雑なストレートヘアだ。
そんな格好がどこか気恥ずかしかったのだろう、ちゃなが頬を赤く染めながら目を反らしていた。
とはいえ、勇にとってこの様な光景は見慣れたもので。
「あぁ、田中さんの髪切るの?」
「そうよ~。 ちゃなちゃんの髪、整えてあげようかなぁって!」
いつも以上にウキウキとした母親を前に、勇の口元が苦笑で歪む。
勇の母親は美容師で、彼女が父親と勇の髪を整える事も多い。
それ故に、こんな格好を見せられれば大抵察しが付く。
丁度本日は月曜日、母親の職場は休みである。
ちゃなの髪を整えるにはこれ以上に無い絶好のチャンスだという訳だ。
「しばらくうちに居るんだし、折角だからちょっといじらせて貰おうかなぁってねぇ」
嬉しそうに櫛にハサミを滑らせてを「シャキン」と鳴らす。
その姿が様になっているのはさすがプロ美容師と言った所か。
「あの、私……美容院とか行った事なくて……」
「えっ、田中さん今までどうやって髪を整えていたの?」
「えと……自分で髪を切ったりしてました」
「そ、そうなんだ」
実際の所、自分で髪を切るのはかなり難しい。
手馴れてしまえば良いのだが。
それまでは切り間違えたり、最悪の場合は怪我にも繋がる事も。
そもそも切るだけならさほどお金も掛からない昨今で、何故自分で切らねばならないのか。
それ程貧乏なのか、それとも別の理由があったのか。
しかし多くを語りたがらないちゃなを前に訊く事も憚れて。
勇は出て来た疑問を心中へと押し込める。
たちまち会話は途切れ、無為な静寂がただ過ぎ去るばかり。
するとそんな二人の心境を知ってか知らずか、勇の母親が明るい声を振り撒いて静寂を払う。
「大丈夫大丈夫、ちゃなちゃんは座ってればいいだけだから!」
この持ち前の明るさは、コミュニケーション能力が大事な美容師ならではといった所か。
普段はうざったい程なのだが、今の勇にとってはこれ以上に無い救いと言えるだろう。
「ま、オカンはこんなんだけど腕だけは確かだから安心していいよ」
「ちょっと勇くーん、それ褒めてるの? けなしてるの?」
おかげで生まれた会話の流れは雰囲気を和らげ笑いを呼び込み。
そんな二人の楽し気なやり取りを前に、気付けばちゃなの口元にも柔らかな微笑みが滲む。
そんな話を交わしながらも、勇の母親がちゃなの髪に触れ始めていて。
長い髪の一端までその指で感触を確かめながらやさしく手に取り、流す様に櫛ですく。
その扱い方は男衆である家人にはした事が無い程に丁寧で鮮やか。
きっとこれが職人としての本来の姿なのだろう。
だが、明るい話題や丁寧な櫛捌きとは裏腹に。
母親の顔には目尻の下がった浮かない表情が浮かんでいた。
「……さぁて、早速やりましょうか。 ちゃなちゃんを可愛く変身させちゃいましょう!」
「え、あ……はい、お、お願いします!」
今の準備作業が余程心地良かったのだろう、ちゃなの顔は「ぽやぁ」としていて。
その途端に改められると、思わず慌ててその身を「シャキン」と正す。
そんな仕草が妙に可笑しくて、勇の母親も「クスクス」と笑って愉快そうだ。
「まずはどこまで切ろうかしらねぇ~」
解かれた髪に櫛を充てれば、その先が髪の中に吸い込まれ。
ボリュームはそれなりにあるのだろう、自重では落ちない程に深々と埋まっていく。
やりがいのある相手は彼女の意欲をふんだんに掻き立ててならない。
そんな時、階上から唸る様な野太い声が鳴り響いた。
「おぉい!!」
それは剣聖の声。
勇が帰って来た事に気が付いたのだろう。
勇もちゃな達に気を取られて剣聖の事をすっかり忘れていた様だ。
声を聴いた途端に「あ、やべ」と声を漏らし、階上に視線を向ける。
「じゃあ、俺上に行くわ。 田中さんの事よろしく」
「はいはーい」
勇はちゃなの行く末が気になるものの、剣聖の呼び声に逆らえる訳もなく。
事を始めた二人を跡目に、しぶしぶ階段を登っていくのだった。
勇が家に辿り着く頃には、時刻は既に朝の九時台を回っていた。
駐車場に車は無く、父親が出勤済みであるという事を物語る。
どうやら勇の父親が働く企業もまた、変容事件に左右される事無く社会の流れに則っている様だ。
「ただいまー」
さりげない挨拶で帰宅を知らせる勇。
しかし間も無く、朝の時とは異なったリビングの光景に目を奪われる事となる。
「あ、勇君おかえり~遅かったわね~」
そう返す母親の手に―――ハサミと櫛が握られていたのだ。
出掛ける前は普通のリビングだったのだが、今はほんのばかし様相を変えている。
端に避けられたダイニングテーブルには色んな種類のハサミなどの道具が並び。
椅子に座ったちゃなが微動だにする事無く中央に佇んでいて。
彼女の首下全てが白いビニールシートで椅子ごと覆われており、椅子の下には新聞紙が広げられている。
もちろん今はヘアピンで結ってはいない、出会った時と同じ様な乱雑なストレートヘアだ。
そんな格好がどこか気恥ずかしかったのだろう、ちゃなが頬を赤く染めながら目を反らしていた。
とはいえ、勇にとってこの様な光景は見慣れたもので。
「あぁ、田中さんの髪切るの?」
「そうよ~。 ちゃなちゃんの髪、整えてあげようかなぁって!」
いつも以上にウキウキとした母親を前に、勇の口元が苦笑で歪む。
勇の母親は美容師で、彼女が父親と勇の髪を整える事も多い。
それ故に、こんな格好を見せられれば大抵察しが付く。
丁度本日は月曜日、母親の職場は休みである。
ちゃなの髪を整えるにはこれ以上に無い絶好のチャンスだという訳だ。
「しばらくうちに居るんだし、折角だからちょっといじらせて貰おうかなぁってねぇ」
嬉しそうに櫛にハサミを滑らせてを「シャキン」と鳴らす。
その姿が様になっているのはさすがプロ美容師と言った所か。
「あの、私……美容院とか行った事なくて……」
「えっ、田中さん今までどうやって髪を整えていたの?」
「えと……自分で髪を切ったりしてました」
「そ、そうなんだ」
実際の所、自分で髪を切るのはかなり難しい。
手馴れてしまえば良いのだが。
それまでは切り間違えたり、最悪の場合は怪我にも繋がる事も。
そもそも切るだけならさほどお金も掛からない昨今で、何故自分で切らねばならないのか。
それ程貧乏なのか、それとも別の理由があったのか。
しかし多くを語りたがらないちゃなを前に訊く事も憚れて。
勇は出て来た疑問を心中へと押し込める。
たちまち会話は途切れ、無為な静寂がただ過ぎ去るばかり。
するとそんな二人の心境を知ってか知らずか、勇の母親が明るい声を振り撒いて静寂を払う。
「大丈夫大丈夫、ちゃなちゃんは座ってればいいだけだから!」
この持ち前の明るさは、コミュニケーション能力が大事な美容師ならではといった所か。
普段はうざったい程なのだが、今の勇にとってはこれ以上に無い救いと言えるだろう。
「ま、オカンはこんなんだけど腕だけは確かだから安心していいよ」
「ちょっと勇くーん、それ褒めてるの? けなしてるの?」
おかげで生まれた会話の流れは雰囲気を和らげ笑いを呼び込み。
そんな二人の楽し気なやり取りを前に、気付けばちゃなの口元にも柔らかな微笑みが滲む。
そんな話を交わしながらも、勇の母親がちゃなの髪に触れ始めていて。
長い髪の一端までその指で感触を確かめながらやさしく手に取り、流す様に櫛ですく。
その扱い方は男衆である家人にはした事が無い程に丁寧で鮮やか。
きっとこれが職人としての本来の姿なのだろう。
だが、明るい話題や丁寧な櫛捌きとは裏腹に。
母親の顔には目尻の下がった浮かない表情が浮かんでいた。
「……さぁて、早速やりましょうか。 ちゃなちゃんを可愛く変身させちゃいましょう!」
「え、あ……はい、お、お願いします!」
今の準備作業が余程心地良かったのだろう、ちゃなの顔は「ぽやぁ」としていて。
その途端に改められると、思わず慌ててその身を「シャキン」と正す。
そんな仕草が妙に可笑しくて、勇の母親も「クスクス」と笑って愉快そうだ。
「まずはどこまで切ろうかしらねぇ~」
解かれた髪に櫛を充てれば、その先が髪の中に吸い込まれ。
ボリュームはそれなりにあるのだろう、自重では落ちない程に深々と埋まっていく。
やりがいのある相手は彼女の意欲をふんだんに掻き立ててならない。
そんな時、階上から唸る様な野太い声が鳴り響いた。
「おぉい!!」
それは剣聖の声。
勇が帰って来た事に気が付いたのだろう。
勇もちゃな達に気を取られて剣聖の事をすっかり忘れていた様だ。
声を聴いた途端に「あ、やべ」と声を漏らし、階上に視線を向ける。
「じゃあ、俺上に行くわ。 田中さんの事よろしく」
「はいはーい」
勇はちゃなの行く末が気になるものの、剣聖の呼び声に逆らえる訳もなく。
事を始めた二人を跡目に、しぶしぶ階段を登っていくのだった。
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