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第二十九節「静乱の跡 懐かしき場所 苦悩少女前日譚」

~その拠り所 恋心~

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「―――僕は……君が好きだから!!」

「乾君……」



 太陽が頭上に輝き、暖かい日差しを燦々と大地へ注ぎ込む時間帯。
 自然に人が行き交うその場所で、少年は一人の少女に想いを打ち明けた。

 陽気を伴うその中では、彼の一言はとても情熱的に見えて。

 きっと彼女が汚れていなければ、最高の場面だっただろう。

 でもきっと彼女はそんな事など気にしないから……。



 少女にとっては……最高だった事に間違いは無かった。



「乾……君……」

 途端にナターシャの頬が赤く染まり、気になる竜星へと視線が向けられる。
 覚悟を決めて告白した時の彼の素顔がとても凛々しく見えたから……。
 彼女もまた、惹かれずにはいられなかった。
 気付けば二人は……静かに見つめ合っていた。

「あ……えっと……」

 するとナターシャはチラリチラリと恥ずかしそうに視線を背け、何かを言いたそうに唇をパクパクと小さく動かす仕草を見せる。
 「返事をしなきゃ」……そんな想いが彼女の中一杯に広がっていたから。
 その時、チラリと向けた視線が竜星の視線と重なり……二人の視線が再び合う。

 それに気付いた時……ナターシャは自然と、声を上げていた。

「えっとね……ボク、そんな事言われたの初めてかも……凄く嬉しい……」

 彼女の言い放った声は震えていた。
 悲しい事があったから?
 それは違う。

 そこに生まれた感情は喜び。
 哀しかった事も、苦しかった事も……全てが彼の一言で、嬉しさに変わっていたから。

 その一言が皮切りとなって、ナターシャの感情が声と成ってとめどなく噴出し始める。



 喜びに打ち震えていたから……。
 彼女は思わず……大粒の涙を流していた。



「嬉しい……嬉しいよぉ……好きって、言われたの、初めてだよぉ……」

「ナターシャちゃん……」

「ウッ、ウッ……うああッ……嬉しぃよォ……ッ!!」

 零れ出た涙が止まらない程に嬉しくて。
 堪らない程に感情が溢れ出して。

 彼女は大きな声を上げて泣いていた。

 思わず竜星の腰に抱き着いて。
 全身でその喜びを体現するかの様に。

 竜星も、そんな彼女の後頭部を撫でる様にそっと手を回し……優しく励ましていた。





 ナターシャとアンディ。
 二人の幼少期は単に言って……地獄だった。
 
 気性の荒かったアンディが孤児院などに縛られる訳も無く。
 例えそんな所に入れられても、大人の管理から逃げ出しては二人だけで生活を続ける時間が長かった。
 盗みや恐喝、ゴミ漁りもやって飢えを凌ぐ事など日常茶飯事だ。
 気付けば二人は多くの人々から忌避され、嫌われていった。

 汚れたまま生活する事などいつもの事だった。
 人から嫌われる事なんて気にしなかった。

 アンディアニキが居てくれればそれだけで。
 ナターシャはそれで十分だった。

 でももうアンディアニキは一緒には居てくれない。
 マチレンネィも彼のもの。

 自分は独りぼっち。



 でも、もう……独りじゃなくなったから……。



 好きだって言ってくれる人が居てくれるから。



「ボク……ボクも……乾君が好きぃ!!」





 彼女は心から、そう想う事が出来た。










 僅かな時間、ナターシャは竜星の胸で泣き続けた。
 感情を露わにする彼女がとても愛おしくて。
 竜星も、想いが通じた事と相まって笑顔で彼女の感情を受け止め続けた。
 互いの体が密着し、体が火照る。
 日差しがそれを助長するが……今の二人には、それすらも心地良く感じていた。



 気持ちが落ち着き始めた頃、二人はようやく体を離し……互いに見つめ合う。
 涙でクシャクシャになった顔も、湿り気を帯びれば頬の赤を目立たせる。
 幸いどちらも同じ状態。
 互いに見つめ、その顔に気付いたら……自然と笑顔が零れていた。
 
「乾君顔真っ赤だよ!」
「君もね」

 そして二人が笑いを上げれば、そこにはもう喜びしか残ってはいなかった。

 しかし、幸せであっても彼女が汚れているという現実は変わらない。
 それを思い出した竜星が考えを巡らせる。

「とりあえず、そのままじゃマズいし……洗わなきゃ」

「ボクこのままでも平気だよ」

「そういう訳にもいかないよ……家に連れて帰ると母さんが煩そうだし、どうしようかな……」

 親としては息子が彼女を連れて来れば嬉しいものだろうが、子供側としては頂けない。
 そもそもどこか恥ずかしさも相まって、その選択肢は彼の中では選ばれる事は無かった。

「確かこの近くにシャワー付きのネットカフェがあったハズ……一旦そこに行こう」

「うんっ」

 汚れた服装のままではあるが、脱ぐ事が出来る訳も無く。
 ナターシャは竜星に連れられるままに最寄りのネットカフェへと足を踏み入れた。

 余計な詮索をされぬ様にと店員に軽い事情を伝えた上で契約を交わす。
 店員が女性だったのと、気さくだったおかげか……料金は一人分でいいという事で二人は個室へと通された。
 そこはシャワーも個室。
 列挙数こそ少ないが、事情も事情とあって暫く居座る様にと、竜星はナターシャに言い聞かせた。

 それと言うのも……ナターシャがシャワーを浴びている間に竜星が服を調達しようとしていたからだ。

 さすがに下着までは確認出来なかったが、上着は上下共に汚れている。
 新しい衣服を用意せねばならないと踏んでの行動であった。

 こうなった時の竜星の行動は速かった。
 最寄りのディスカウントストアで簡単な服を選び、念のためにと下着も手に取る。
 恥ずかしさはあったが、彼女の為と思えは苦は無い。
 なけなしの小遣いでそれらを購入すると、一目散にネットカフェへと舞い戻ったのだった。

 ネットカフェへ戻り、店員のお姉さんの手を借りて彼女へ服を受け渡す。
 服のセンスは言わずもがなでお姉さんも苦笑だったが、ファインプレイが功を奏して褒められていた。

「乾君、ブラジャー大きくて付けられないよォ」

 竜星にナターシャのバストサイズまでわかる訳も無く。
 そんな声が扉越しに聞こえてくると、思わず赤面する竜星なのであった。





「毎度有難うございました~、またお二人でよろしくぅ~」

「あはは、また来ますね」

「バイバイ」

 全てを無事に終えた二人がネットカフェから出てくる。
 日の下に晒したナターシャの姿は……アニメ柄のTシャツにジーパンと簡素なものだった。
 それだけでもおおよそ三千円……バイトもせずにお小遣いを切り詰めている竜星には大きな買い物だ。

「乾君の服のセンスびみょー」

「酷いなぁ……これでも選んだんだけどなぁ」

 急いだからご愛敬ではあるが、ファッション雑誌を網羅するナターシャとしてはいささかご不満な様で。

「それじゃ、いこ!」

「え、どこに?」

「デート!!」

「ええっ!?」

 こうなれば彼女も止まらない。
 半ば強引に竜星の手を引くと、ナターシャは笑顔で街を駆け抜けたのだった。


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