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第二十六節「白日の下へ 信念と現実 黒き爪痕は深く遠く」

~君に逢いたい~

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 遂に勇の膝が崩れた。
 その光景を前にして、世界は驚愕の渦を巻き起こす事となる。

 反応は様々だ。
 勇を世界の敵とした者はただ称賛し。
 事情を考察していた者は顎を抱えて悩み。

 そして良く知る者は嘆き悲しむ。
 絶望さえもその心に宿して。

「ダメ、もう見てられない!!」

「すまない、すまない勇ッ、お前に才能を与えられなくて……うぅぅ」

 その絶望は勇の両親こそが最も深いと言えるだろう。
 信じる息子がいたぶられ、蔑まされ、追い詰められる。
 そんな凄惨な様を見せつけられて喜ぶ親など居るものか。

 だからこそ現実を前にして嘆きの叫びと涙が止まらない。
 自分達のあまりの不甲斐なさに。
 〝どうして勇にもっと才能を与える事が出来なかったのか〟と。

 凡人である事がこれ程憎くて悔しいと思った事は無いくらいに。

「お願いだから、生きて帰って来て……!!」

「勇、頼む……!!」

 それでも祈らずにはいられない。
 今まで苦難を乗り越えて来た息子がこの窮地をも乗り越える事を。

 二人の祈る声は届かない。
 想いも届かないのだろう。

 それでもひたすら請う。
 息子の無事を。

 勝たなくてもいい、負けても構わない。
 ただ生きていればそれだけでいい、と。

 そう、強く願いを込めて。





◇◇◇





「勇さん……なんで、負けちゃあダメだよおッ!!」

 愛希がテレビの前で目を、声を震わせる。
 最も信頼する人が膝を付く瞬間を目前にして。

 嘆きが届く訳など無い。
 結末を変えるなど出来る訳が無い。
 そんな事などわかりきっているのに。

 悔しさが溢れ、握られた拳が堪らず机を叩く。
 そうせずには居られなかったのだ。
 気丈な愛希だからこそ、何かせずにはいられなくて。

「大丈夫……!! 勇さんは負けない。 あの人は絶対にッ!!」

 そしてきっとその想いは愛希だけに限らなかったのだろう。
 たちまちスマートフォンが振動し、音無き声を伝えてくれる。
 追い詰められつつある心を解す一言を添えて。

『風香:勇さんならきっと大丈夫だよ』
『藍:あの人強いもんね』

 風香も藍も、信じているのだ。
 勇ならきっとこの苦難を乗り越えてくれると。
 いつもの笑顔をまた見せてくれるのだと。

「そうだね、そうだよね……勇さんなら大丈夫!!」

 愛希達の想いは届かない。
 けれどそんな事など関係無い。

 それでもひたすら請う。
 勇の勝利を。

 世界なんてどうでもいい。
 信じる人が諦めて、地に伏せる所だけは観たくないから。

 そう、強く願いを込めて。





◇◇◇





「もうダメかもしれんな」

 勇の崩れた姿を前にして、倉持が溜息を付く。

 元々倉持は勇と接点が殆ど無いと言っても過言ではない。
 だからそれ程感情移入もしていないし、肩入れもしていない。
 故に負けたとしても、きっと「仕方ないか」と済ませてしまう事だろう。

 ただ、どこかで期待していた所はあったのかもしれない。
 もしかしたらデュゼローを倒せるのではないか、という淡い期待が。
 あれだけの戦いを見せつけられてしまえば当然だ。

 その熱意が拳に籠り、握り込んでしまう程なのだから。
 
 とはいえ、同様の期待を今でもなお持ち続けてる男がその隣に居る。
 いつの間にか池上が特訓そっちのけでテレビに食い入っていたのだ。

「藤咲ィ、負けるんじゃねぇぞ!! じゃねぇと、俺の練習相手が居なくなっちまう!!」

「コウ、それでいいのかお前は」

 勇と特訓を重ねてからというものの、その入れ込み具合は度を増している。
 他の相手では話にならないと宣う程に。

 だから今、己の為に叫ぶのだ。

「ああ、それでいいんだよ。 だからよぉ~帰ってきやがれ藤咲ィ!!」

 自己中心的でも、利己的でも想いは変わらない。
 勇を待ち望む声には変わりない。

 そんな池上の応援は届かない。
 言葉の裏に隠れた想いも届かないのだろう。

 それでもひたすら請う。
 勇の不屈を。

 再び相まみえて拳を交わしたいから。
 お前の敵はそいつじゃないのだと。

 そう、強く願いを込めて。





◇◇◇





 勇の両親が、愛希が、池上が。
 その他、勇の事を知る者達が皆願う。
 無事を、勝利を、不屈を。

 声も想いも届かなくとも関係無く、ただひたすらに。

 そんな期待に応えるかの如く、勇が再び立ち上がる。
 デュゼローが魔剣を突き付ける中でも構う事無く。
 
「俺は託されたんだ……未来を頼むって、託されたんだッ!! 剣聖さんが、ラクアンツェさんが頑張ってるから。 俺は今を任せられるんだ……ッ!!」

 遂には背を向け、【翠星剣】へと重い足を踏み出していく。
 デュゼローがただ静かに眺め続ける中で。

 今の勇は一突きするだけで絶命しそうな程に弱っているはずだ。
 なのにトドメを刺すどころか、剣を振ろうともしない。

 まるで何かを待っているかの様に。

キンッ……

 そんな中、勇が再び魔剣を掴み抜く。
 僅かに残った命力を淡く輝かせながら。

 もう魔装に命力は残っていない。
 魔甲も砕かれ、力は失われている。
 残るのは【翠星剣】と、ほんの僅かな自身の命力のみ。
 逆転の余地など全く無いと言えるだろう。

 それでも勇は可能性を諦めない。
 命力という可能性が残り続けている限り。

 こうして最後まで抗う事さえも躊躇う事は―――無い。

ヒュゥゥン!!

 再び魔剣に光が灯る。
 己の意思に、想いに殉じて煌々と。
 例え弱い輝きであろうとも臆する事無く。

「だから俺は、未来を……諦めないッ!! 諦める も の かあーーーッッッ!!!!」

 故に今、力の限りにその身を跳ねさせる。

 その速度は今までと遜色無い程に瞬足。
 その力は全盛期を彷彿とさせる程に強靭。

 たちまち上空からの斬り降ろしが空を裂き、デュゼローへと振り下ろされる。

キュオンッ!!

ギャインッ!!

 そうして生まれた威力はもはや先程の斬撃にも劣らない。
 デュゼローが二刀で防いでいなし、避ける事を強いられる程に。
 周囲を明るく照らす程の火花まで散らして。

 更には残光が流れる様に刻まれ、揺らめきながら相手を追う。
 ただ一心に、ただひたすらに。

「おおおッ!!」

 流れを刻むままに、その翡翠の剣がまたしても振り抜かれる。
 力の限りの横薙ぎ一閃が。

ガキャァンッ!!

 またしても火花を散らせ、命燐光をも弾き飛ばして。
 それもデュゼローの防御二刀を跳ね上げながら。

「チィ!!」

 それだけの力が籠められていたのだ。
 トドメを差さなかったデュゼローが滑稽と見える程に。

「未来は渡さないッ!! 皆と手を取り合える未来をッ!! 俺はあッ!!」

 そんなデュゼローへと向け、返し刃が鋭角軌道を刻む。
 余波だけで床を抉らんばかりの斬り上げとして。



 だがその時、デュゼローが手首をぐるりと捻る。
 両手に掴んでいた魔剣を瞬時に逆手へと持ち替えさせたのだ。



ガキィィィンッ!!

 しかもその逆手刃が勇の渾身の斬り上げを抑え込む。
 十字に重ね、力のままに押し付けた事によって。

「ううッ!?」

 抑え付けた力は凄まじく、デュゼローの両拳から命燐光が弾け飛ぶ程だ。
 まるでロケット噴出口から噴き出す炎の如く。
 余りの力故に、互いの剣が床へと突き刺さる。

「だがッ!! もう明日を掴む力さえ、今のお前には残されていないだろうッ!!」

 確かに勇の一撃は凄まじかっただろう。
 でもそれは初撃のみに過ぎない。
 二撃目、そして今の攻撃に至っては、明らかに威力が落ちていた。

 その減衰をデュゼローが見切れないはずもなかったのだ。
 今の三連撃が勇に出来る精一杯なのだと。

ギャリリッ!! ッギャァーーーーーーンッ!!

 そうなればもうデュゼローのされるがままだった。
 二刀で重ね捻じっては【翠星剣】を押し退け、そのまま刀身をも弾き飛ばし。
 空かさずその拳が体勢を崩した勇の顔へと、鋭い軌跡を刻んで突き刺さる。

ドガガァッ!!

 しかも、それを二発。
 魔剣の重量を乗せた高速両拳が打ち込まれたのである。

「がはっ!?」

 その威力は勇の体を跳ね上げる程に強烈。
 間も無くその背から床へと倒れ込む事となる。

 そう、勇にはもう受け身を取る力も残されていない。
 すぐに起き上がる事さえも出来ない程に。

「う、うぅ……」

 【翠星剣】の命力珠ももう輝きを失っている。
 命力が完全に尽きたのだ。
 そして勇自身が命力をほぼ持たないからこそ供給される事も無いだろう。

 故に、この剣はもう魔剣ではない。
 今の勇には持ち上げる事さえ困難な、ただの金属の棒と化したのだ。

 もう戦う力なんて残されていない。
 それでも体を動かさせる。
 揺れて、震えて、定まらなくても。
 意識を朦朧とさせようともなお諦めず。

 最後の最後まで足掻く為に。
 震えた腕を意思の赴くままに伸ばして。

「剣聖さんが世界を、分けてくれる、はずなんだ……! きっと【創世の鍵】を手に入れて……」

 勇にはまだ一縷の希望が残されているから。
 剣聖達が探し求めてやまない【創世の鍵】という希望があるから。

 いつか必ず見つけて、世界を分断してくれる。
 そうすれば、憎しみ合う事も殺し合う事も必要無くなるのだと。

「だから俺は……その為にも、負ける訳には―――」
「お前は本気でそれを信じているのか?」
「―――ッ!?」

 そう、思っていた。
 何の心配も無いのだと。
 希望が覆される事は無いのだと。

 しかし今、その希望に亀裂が走る。
 デュゼローの鋭い一言がキッカケとなって。

「剣聖も、ラクアンツェも知らないだけだ。 【創世の鍵】など、見つけても何の意味も無い事を」

「なっ……」

 更にはみしりと軋み、裂けて広がっていく。
 核心が、真実が呼び水となって、傷痕をこじ開けていく。

「例え得られたとしても、人間に扱う事が出来ると思うか? 世界を創りし神の―――天士の遺物を」

「そ、それは……」

 無数の相裂をも伴って、崩れていく。

 請い願ってやまなかった最後の希望が。

「ならば誰が使う? お前か? 剣聖か? ラクアンツェか? 私か? いいや、誰にも扱えん。 人知を超えた世界という〝概念〟を分断する力など、扱える訳が無いッ!! ならば天士に頼むか? それも出来る訳が無い!! 何故なら―――」

 現実は、儚くも残酷なのだ。
 そんな希望さえ遺す事も叶わない程に。



「―――この世界に、もはや天士は居ない」



 そして今、遂にその希望が崩れ去る。
 心を象る意思と共に、音を立ててガラガラと。

 それだけ、この一言が勇の心を深く深く突き刺したが為に。



 【創世の鍵】。
 それはいわば、世界を生み出した天士の遺物である。
 世界の概念をも分断したという力は、人知を遥かに凌駕しよう。

 それをいつから、人が扱えると信じていたのだろうか。
 見つけたら解決するなどと思い込んでいたのだろうか。

 儚い夢だと気付いても、もう何もかもが遅かった。
 叶わぬ夢だと悟っても、現実は変わらない。

 もう、世界に神は居ないのだ。
 遥か昔に、『あちら側』とサヨナラしてからずっと。



 その事実が勇の心を黒く塗り潰す。
 空色の心が夜闇よりも深く暗い漆黒へと染まっていく。

 後悔と、無知と、非力が織り成す絶望に蝕まれて。

 もう腕さえも上がらなかった。
 絶望に身を落とし、ただ静かに床へと倒れ込んだまま。
 剣聖との約束も、仲間との誓いも果たせず、嘆きで目尻を濡らして。

 デュゼローを前にしても、もう何も出来る事は無い。
 その漆黒の剣が運ぶであろう死を受け入れる事しか。

 ただ静かに絶望を受け入れる事しか、出来はしなかったのだ。





◇◇◇





 勇が絶望に堕ちたその頃。
 東京大学付属病院、魔特隊用フロア。

 そこに、自室のテレビを前にして愕然とするレンネィの姿があった。
 事実上の勇の敗北、それをすぐに信じる事が出来なくて。

 信じられる訳も無い。
 実力を認め、あの剣聖にまで一目置かれた勇が負けるなどとは。
 あの勇がこうして地に伏すなど、想像もしていなかったからこそ。

「そんな、勇……くっ!!」

 でも事実は事実だ。
 ならばもう、レンネィは思い付いた事を成す他無い。
 たちまち車椅子の車輪を力一杯に回し、部屋から廊下へと飛び出していく。

 想い人が討たれる所を見せたくはないから。

 それがどれだけ残酷な事か、レンネィはよく知っている。
 いや、きっと彼女以上に知る者は居ないだろう。

 だからこそ、その手に力が籠る。
 例え車輪と擦って焼けようとも。
 自分の様に後悔させたくないからこそ。



 だがこの時、レンネィは再び驚愕する事となる。
 無人となっていた亜月の部屋を前にして。



 テレビが虚しく淡い光を放ち続け。
 窓のカーテンが靡くその奥に、こじ開けられたフェンスがちらりと覗く。

 なのにここまでされて気付けなかった。
 それがただただ驚くしかなくて。

 恐らく、それだけ静かに出て行ったのだろう。
 それもまたレンネィに向けた一つの優しさなのかもしれない。
 
「そんな、あの子は……」

 しかしそれもレンネィにとっては余計な気遣いで。
 たちまち不甲斐無さで体を震わせ、車輪をガンガンと叩き付ける姿が。

 相当悔しかったのだろう。
 勇との約束を守れなかった事が。
 己の非力さも合わせて。

 間も無く項垂れ、膝を抱えて泣き喚く。
 誰も居ないこの場だからこそ、感情に従うままに。

 こうなった以上、レンネィに出来る事はもう何も無いのだから。





 同刻。
 とあるビルの屋上に、都庁を眺める人影が一人。
 静かに息を吸い込むと、闇夜へとその身を投げ出させる。
 恐れる事も無く、想いに殉じるまま。

 その両手に、二対の魔剣を輝かせながら。


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