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第十三節「想い遠く 心の信 彼方へ放て」

~狂気、その根源~

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 日が落ち始め、白い光が徐々に赤くなってきた時間……窓から射し込む光が部屋を赤く染め、掃除機で吸えていない埃が今だ舞っているのが見える。
 そんな時、勇の母親が元気な声を上げて帰宅を果たした。

「ただいまぁ……あ、勇君掃除してくれたんだ、ありがとうね」
「……ああ」

 勇は今だ先ほどの位置から寸分変わらぬ場所に立っていた。
 反応も意思ここに在らずといった声で返る。

「それじゃ晩御飯作らないとね……勇君何が食べたい?」

 だが答えは返らない。
 母親はリビングの中央で佇んだままの勇に気付くと、奇妙な物を見る様に眉間にシワを寄せた顔を覗かせた。

「ゆ、勇君どうしたの……?」

 明らかに何か様子がおかしいと感じ、勇の側へと歩み寄る。
 すると……視線の合わない勇の口からぼそりと声が上がった。

「今日はさ……掃除済ませたから……あとはオカンが……好きに料理すればいいと思うよ……」
「そ、そう……なんか調子悪そうね……大丈夫?」

 勇の母親が心配そうな面持ちで勇の額に手を添えようと手を伸ばす。



 すると突然、勇の両手が彼女の首を締める様に掴み取った。



「がっ!?」

 徐々に両手が締められていく。
 「グググ」と締め付けていくその両手には命力が籠っており……勇の母親が咄嗟にそれを外そうと勇の手を掴むが、常人の力ではビクともしない。

「これからオカンを殺さなきゃいけないんだ……ちょっと待ってて、これが終わったら料理していい・・・・・・・・・からさ……」
「アッ……ガッ……!!」

 ギリギリと締め付けられ、その首が僅かに細くなっていく。
 勇の虚ろな目は、まるで自分の意思が無いかの様だった。

「ア……アア……」

 勇の母親の口から泡が含まれたよだれが流れ落ち、その苦しさを物語る。

「ごめんよオカン、もうちょっと時間くれないか……」

 上がる声もまた彼女の状態に気兼ねなど一切感じさせない、意思の無い棒の様な声色。
 締め付けが彼女の呼吸を止め、その顔が血の気を失っていく。

 その時、玄関から「バタン」という音が聞こえ、玄関からちゃなが入ってきた。

「ただい……な、何をしているんですか勇さん!!」

 ちゃながリビングの異様さに気付き飛び入ってくる。
 直ぐに彼女が勇の手を引き離そうと彼の腕を掴むが、堅く動かない腕を見た途端ちゃなは思いがけない行動に出た。



「止めてください、勇さんッ!!」



 そう叫び、ちゃなは命力を込めた拳で勇の腹側部を思いっきり殴りつけたのだ。



ドッゴォ!!



 たちまち勇の体がリビングの奥へ吹き飛び、その余りの衝撃で彼の両手が母親の首を離す。
 リビングの奥の壁へ突き当たった勇の体はリビングを突き抜けて外へ。
 そのまま駐車場の壁へと激突すると……殴られた勇の体はようやく勢いを止め、駐車場へと落下していったのだった。

 一方で母親はその場に崩れ落ち……「ゲホッゲホッ」と咳込みながらも不足した酸素を取り込む様に肩を揺り動かして大きな呼吸を繰り返していた。

 バラバラと音を立てて崩れるリビングの壁。
 その先に倒れる勇の顔は未だ虚空を見つめたまま、微動だにもしない。

「だ、大丈夫ですかお母さん!?」

 勇の母親を気遣い、ちゃなが屈み込んでその手を彼女の肩へ添える。
 しかし、母親は苦しみながらも……ちゃなを手で制止し、勇の方を指差した。
 彼女もまた勇が何かおかしい事に気が付いたのだろう……自分よりも勇を心配していたのだ。

 ちゃなはそれに従い頷くと、リビングの壁に開いた穴へと恐る恐る近づいていく。

 その見下ろす先に居るのは、倒れたままの勇。

「勇さん、なんでこんな事を……!?」

 だが返事は返らない。
 虚ろな瞳を向けたまま微動だにもしない彼……ちゃなの脳裏に不安が過る。

 すると、急に勇の目の焦点が整い始め……突然うめき声を発し始めた。

「う、うう……? な、なんだ……? なんでこんな事になってるんだ……」
「ゆ、勇さん……?」
「あ、あれ……田中さんおかえり……?」

 勇がゆっくり痛む腹側部を抑えながら立ち上がる。
 何故自分がそこにいるのか、何故家に穴が開いているのか……勇には全く理解出来ていない様であった。

「イテテ……なんだ……何が起きたのか……教えてくれないか?」
「な……何って……勇さん……自分が何してたのか判らないんですか……?」
「え……?」

 ちゃなの見下ろした顔が今にも泣きそうな悲しい様な表情を見せ、勇がそれを見て不安に駆られる。
 そんな中、彼女の震えた声が小さく発せられた。

「お母さんを……貴方のお母さんを殺しそうになっていたんですよ!?」
「えっ……!?」

 するとリビングに膝を付いている勇の母親が目に入り、たちまち勇の体が震えだす。

「わ、判らない……俺は……なんでそんな事……」
「そんな……判らないなんてそんな事無い筈ですよ!?」
「判らない……本当に判らないんだ……!! 原因は……あ……」

 いつから気を失っていたのだろう。
 いつからその意識が繋がったのだろう。

 それに気付いた時……勇は思わずその原因の素であろう人物の名を口にした。

「まさか……獅堂……!!」

 彼が何かをしたのか……それが何かは判らない。
 だが勇は確信した……彼が何かをした・・・・・のだと。

「……ごめん田中さん……俺……どうやらしくじったみたいだ……」
「え……?」

 悟った勇は肩をがっくり落としぽつりと呟く。

「何をされたか判らないけど……やった奴は検討が付いた。 俺はどうやら、そいつに何かされたんだと思う」
「勇さん……」

 勇はリビングに上がり、勇の母親を気遣う様に彼女の肩を取る。
 途端「ビクン」と肩を震わせる勇の母親であったが……優しく振れたその手に安心したのか、ゆっくりと顔を上げた。

「ごめんオカン……本当にごめん……俺……!!」
「エホッエホッ……いいのよ勇君、きっと今のは悪い夢みたいなものだったんだから……」

 彼女の顔に浮かぶのは笑顔……責める事も、咎める事も無く、ただ彼のした事を許したくて。

 苦しかっただろう。
 だがそれでも彼女は母親だった。
 自分が愛する息子の懇願にただ応えたかったのだ。

 そんな彼女の優しさに打たれ、勇の目元に熱い雫が溢れ出す。
 涙を流し懇願し続けながら……互いに励ます様にその肩を摩り合っていた。

「良かった……無事で……」

 その様子をちゃなが涙目で見つめる。
 彼女もまた互いに大事に思う人達……二人の寄り添う姿に、自分の想いを重ねていた。
 そこに映るのは「仲の良い家族」……彼女の憧れる姿そのものだったのだ。



 ようやく場が落ち着き、気付けば3人揃って肩を寄せ合っていた。
 母親の呼吸が整い始め、勇達の心のざわつきも収まっていく。

 すると突然、机の上に置いてあった勇のスマートフォンが振動し、机に当たって「ヴヴヴ」と音を立てた。

 勇はそれに驚きながらも、ゆっくりと近づきスマートフォンを手に取る。
 咄嗟に覗いた画面には、登録されていない番号が表示されていた。

 恐る恐る通話ボタンを押して耳に充てる。

『やぁ勇君……おめでとう、どうやらお母さんは殺さずに済んだようだねぇ?』

 それは紛れも無い獅堂の声……しかもその声色は勇の感情を逆撫でするよう。
 その言葉を耳にした途端、勇の顔が憤怒の表情へと見る見るうちに変わっていく。


「貴様……獅堂しどォーーーッ!!」

 まるで全てが見えていたかの様なタイミングの電話。
 勇の激昂の声も、吐かれる事が判っていたかの様に軽くいなされた。

『ハハハ、落ち着けって勇君……これはほんのゲームさ。 良かったね、今回は君の勝ち』
「ゲームだと……ゲームだとォ!?」

 挑発にも聞こえる獅堂の言葉に、勇の怒りがとめどなく溢れて出る。

『そうさ、ゲームだ……殺し合いっていうのは大抵ゲームみたいに始まるものさ……落ち着きを失った奴が大抵負ける……』
「クッ……獅堂ッ!! なんでこんな事をするんだッ!!」
『なぁに、言ったじゃないか……あれ聞こえてなかったかな? 僕は君の様な、人を助けるヒーロー像ってのが好きでさ……だから君にヒーローに成って貰うのさ』
「意味の判らない事をッ!!」
『ヒーローってのはさぁ……悲しみや苦しみを乗り越えて強くなるんだ……だから僕は君に試練を与える……君がもっと強くなる為に……ヒヒッ!!』

 電話の向こうから聞こえてくる声……獅堂は既に自分の悦に入りながら会話をしていた。

『……もうすぐ君の父親が帰ってくる。 そうしたら君は父親に頼んで『フェノーダラへ連れて行って』と懇願するんだ……そうだな……1時間くらいかな』
「何をっ……!!」
『君の父親が家に入ってきてからキッカリ1時間後までに君がフェノーダラに着かなかったら……ゲームオーバー……分かるよね?』
「ふっざっけっ……!!」
『まあ君の活躍を期待しているよ』

 突然「ブチ」という音が耳元で鳴る。
 向こうから電話をいきなり切られてしまった様だ。

「獅堂!!ふざけんなおい!!」

 勇は咄嗟に掛かってきた電話番号へ掛け直すが、「電波の届かないところに~」といったメッセージが流れるだけであった。

「クソォ!!」

 途端、勇がやり場のない怒りを机にぶつける。
 拳で叩いた音が「ドンッ」とリビングに鳴り響き……打ち付けられた拳は小刻みに震える様を見せつけていた。
 その様子を母親とちゃなが心配そうな目付きで見つめる。
 ただならぬ事態を感じ、二人の掴み合っていた手が強く握りしめられていた。

 すると……聞き慣れた音と共に、勇の父親の乗る車が家の前に徐行して現れる。
 それに気付いた勇が立ち上がり、リビングの窓を開けて大声で叫んだ。

「親父ッ!! 今すぐフェノーダラに連れて行ってくれ!! 今すぐ!!」
「えっ!?」

 怒号にも聞こえるその叫びは、父親に事の深刻さを気付かせるには十分過ぎる程大きなものだった。


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