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第六節「人と獣 明と暗が 合間むる世にて」

~生きてもらいたくて~

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「あれ、おかしいな……」

 ゆっくりと歩を進め続けていた勇達。
 しかしそこで違和感に気付き、思わずその足を止めさせる。

「どうしたんだ?」

「足跡が無い……俺達が進んで来た時の足跡が」

 そう、勇の視界には既に無かったのだ。
 頼りにしていたはずの、帰路へと続く足跡が。
 恐らく話に夢中で目を離してしまったのだろう。

 でもこうして気付いて振り返って見ても後の祭りで。
 周囲を見渡しても、それらしい跡は見られない。

 それどころか森の中はどんどんと薄暗くなっていくばかりで先行きすら見通せない。
 少し離れた所に居るレンネィすらぼやけて見えてしまう程に。

「クソッ、どうすれば……一旦戻るしかないか」

 ただ、勇が刻んだ道程もそれ程速くはない。
 今から戻れば正規の道に戻る事も可能だろう。

 しかし―――

「ウッ!?」

 その時、上げようとしていた勇の足に違和感が纏わり付く。

 それは泥。

 強い水気が山の柔らかな表土をドロドロに溶かしていて。
 更に振れた物へ容赦なく絡みつく強い粘性を生み出していたのだ。

 そんな泥の中に足を踏み入れていた事など露知らず立ち止まってしまって。
 踏み出していた勇の足をズブリと深く飲み込んでいたのである。
 【命力機動】で動かしても引き抜けない程に。
 それ程までに命力が消耗していたから。

 だからといって地力で引き抜こうにも、魔者の体重が掛かって思う様に足が上がらず。
 泥はそれ程までに強く絡みつき、勇を離そうとしない。
 無理に引き抜こうとすれば靴どころか足までもが持っていかれそうだ。

「クソッ、クッソぉぉぉ!!! こんな所で!!」

 言い得ない束縛感がたちまち勇の体と心に襲い掛かる。
 どうしようもない状況と、それでも魔者を降ろしたくない心境と。
 諦めきれない気持ちがただひたすら体を震わせていて。

 でもそうして起こした抵抗がむしろ足を深みへと更に沈み込ませ。
 勇の焦りを、葛藤を、際限無く容赦無く掻き毟る。

「うあああーーーーーーッッッ!!!!」





 だがその時、突如として勇の体を浮遊感が包み込んだ。





「えっ?」

 それはまるで全てのしがらみや重みが無くなったかの様に。
 体に羽根が生えたかの様に軽く。
 いや、実際は……元に戻っただけに過ぎない。

 その事実に気付いた勇が咄嗟に振り向いて見れば―――



 そこにはなんと、魔者を抱え上げるレンネィの姿が。



「随分消耗しているみたいだし、ここからは代わるわよ」

 しかも「フフッ」と得意気に笑い、ウインクまで飛ばす始末である。

 ただ勇には彼女の突然の行為が不思議でならなくて。
 足を引き抜く事も無いまま驚きを見せるばかりだ。

「レンネィさん、なんで……」

「だってこのまま歩いてたら帰るのがいつになるかわからないもの。 なら荷物は後で回収するとして、私がこの魔者を担いでいけば走って帰る事だって出来るでしょう? そうすればまだ早い段階で帰還する事も可能だわ」

 確かに宣言通り、先程まで担いでいた荷物はいつの間にか地面に置かれている。
 腰に下げた魔剣と魔者だけが今の彼女の荷物だ。
 それに加えて、魔者を背負う彼女の様子はまるで余裕そのもの。
 やはり命力自体は人並み以上とあって、持久力は存分にあるのだろう。

「で、でもあんなに嫌がっていたのに……」

 とはいえ勇の言う通り、レンネィは先程まであれだけ魔者の事を忌避していた。
 なのにも拘らず、突然こうして触れるまでに至ったのが不思議でならなくて。
 「このまま魔者を殺してしまったら」などという不安すら過ってならない。

 でもそのレンネィはと言えば、余裕一杯の笑顔を浮かべていて。
 勇が顔を覗き込んだ時にはもう既に。
 まるでそう言われる事がわかっていたかの如く。
 
「まぁ色々しがらみがあるのは確かね。 けど貴方の言った通り、この世界にはこの世界なりの考え方があるのでしょう。 なら私は貴方を通してその考え方を学ぶつもり。 何せまだまだ知らない事ばかりだもの。 それに言ったでしょう? 魔剣使いは深く考えないおバカさんって」

 しかも勇の視線に合わせて「んべっ」と舌を延ばさせて。
 更には明後日の方向に丸い目を向け、これでもかという程の間抜け面を見せつける。
 もはやそこに恥もへったくれも無い。

 その自身を卑下した物言いも、あられもない間抜け面もとても酷い有様で。
 でもそれはきっと勇に納得させる為に道化を演じただけなのだろう。

 だとしても、彼女の宣った事はとても理知的だった。
 そんな馬鹿さ加減などもはや目にも映らない程に。

 そしてそれだけでも気持ちは十分に伝わったから。

「わかりました! それじゃあ遅くならない内に合流地点に帰りましょうっ!」

 勇はこうして、笑顔で返す事が出来たのだ。



 こうなった以上、二人を引き留める足枷はもう何も無い。
 体も、心も、今までよりもずっと軽くなったから。

 泥なんて目も暮れない程の力で大地を蹴る事が出来る。

 勇がスマートフォンを頼りに先陣を切り。
 レンネィが魔者を担いで林間を跳ねる。
 そうして生まれた速度も進む時よりずっとずっと軽やかで。

 二人はあっという間に隠れ里の入り口へと辿り着く事が出来たのだった。





 本来、魔剣使いと魔者は相容れぬ存在であろう。

 だが。

 混ざり合った世界と成った今、その様なことわりなど必要無い。
 少なくとも、勇という存在はそんなしがらみになど縛られるつもりは無いのだから。

 そんな想いを胸に、彼はひた走る。



 ただ、生きて貰う為に。





◇◇◇





 一方その頃、フェノーダラ城では―――



「えぇ、はい。 ふむふむ、それはそれは」

 スマートフォンを片手に、電話先の相手と通話をする福留の姿が。

 彼が立つのは城内、エウリィの部屋前。
 若い者同士の楽しい時間を邪魔せぬ様にと配慮して、部屋の外にて待機中。
 そこに電話が掛かって来たという訳である。

 電話の相手は自衛隊員。
 彼等では対処出来ない事があり、急遽福留に連絡してきたのだ。

「わかりました。 早急に救護ヘリを手配いたしますので、予定ピックアップ地点に連れ出しておいてください」

 そう返して間も無く通話を切り、空かさず別の連絡先を探り出す。
 スマートフォンを素早く操る様はとても老人とは思えぬ程の達者ぶり。
 ものの数秒で無数の連絡先から探し物を拾い上げていて。

「しかし魔者を『保護』とは。 彼のやる事はいつも我々の想像の斜め上に行きますねぇ……」

 しかもそんな独り言まで零しながら。

 とはいえ、福留の顔には依然笑顔が浮かび。
 それどころかいつもより口角が上がっていて、妙に嬉しそうだ。
 よほど勇達の持ち帰った成果に満足した様子。

 彼の背後から、この世の終わりと言わんばかりの凄惨な叫び声が上がり続けているというのに。

「これはとても楽しみで仕方ありませんねぇ。 ではこちらもそろそろ終わりに致しましょうか」

 やはり福留も噂の魔者が気になる様で。
 その好奇心は予定すら早める事さえ厭わない。

 ただ、そんな想いで部屋をチラリと覗いてみるが―――



「……もう少し、待った方が良さそうですねぇ」



 この時、福留は果たしてどの様な地獄を見届けたのだろうか。
 垣間見えた光景は先程までの笑顔が委縮する程に凄まじく。

 堪らず、覗かせた頭をそっと引き戻していく福留の姿がそこにあった。





 こうして遥か遠くの地から連絡を受けたヘリコプターが今、空へと飛び立つ。
 誰にも邪魔されぬ茜色の空を突き抜けて。

 目的地は勇達が居るであろう福島の山林。

 思いも寄らぬ連絡はまるで今を彩る夕暮れが如く、事の終わりを告げた様だ。


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