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第四節「慢心 先立つ思い 力の拠り所」

~公言し事実~

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 ちゃなの家を探索した日の翌日。
 この日は二日間続いた休校が解除される、変容事件後初となる就学日。
 そういう事もあって、勇達の住む街中では学校へ向けて道を行く生徒達の姿がちらほらと見られた。

 勇達も既に制服を身に纏い、登校準備は万端。
 家が近いとあってその様子はとてもゆったりしていて。
 とはいえ、今日からはちゃなも居るという事もあって準備は念入りだ。

「ちゃなちゃんの事よろしくね」

「ああ、わかってるよ」

 ちゃなの制服はこの日の為に洗濯とアイロン掛けで整えられ、初日の惨状と比べて見違える程の清潔感が漂っている。

 藤咲家にやって来た時は泥や汗、魔者の返り血等で汚れ、所々が擦れて痛んでいて。
 それを勇の母親が休みの間に「暇だから」と補修し、念入りに整えたのである。

 新品とまでは言い難いが、ちゃなが感動する程に見事な出来栄えであった事には間違いない。

「じゃあ、行ってきます」
「い、行ってきます……」
「はぁい、行ってらっしゃい~気を付けてねぇ」

 勇とちゃなが挨拶を交わし、玄関を出ていく。
 ちゃなの手にはお古ではあるが簡易的な手提げ鞄が握られていて。
 ここまでしてもらえた事への嬉しさが緊張を払い、喜びの小さな微笑みを呼び込んでいた。

 それが見えたのか否か、見送った母親の口元にもいつもながらの笑窪が浮かびっぱなし。
 そんな彼女が屋内から見守る中、二人はそのまま学校の方角へと向けて歩いていったのだった。





◇◇◇





 勇達の通う白代高校は勇の家から歩いて三十分も掛からない程の距離。
 例え体力の無いちゃなが同伴でも、これだけ近ければ余裕はあるもので。
 見た事の無い道に戸惑っても、勇が前を歩いていたから不安は無かった様だ。

 そうして歩き続け、校舎の影が見える頃には彼女の知った風景が周囲を覆っていて。
 ここまでやってくれば、「勇さんの家はこっちの方なんだ」という関心が浮かび上がっていた。

 そんな気の緩みが歩をも浮かせ、足取りは自然と勇の横を通り過ぎる程に軽く。
 この数日が非日常的で、とても過酷だったから。
 通学という日常が戻って来た事で、そのギャップから安堵を憶えたのだろう。

 するとその時、勇達の背後から大声が響き渡る。

「勇ぅー!!」

 勇が思わず「おっ?」と振り向いてみれば、背後の道に立つのは例の三人組。
 心輝の相変わらずのハイテンションぶりに、勇が堪らず苦笑を返し。

 しかしそんな事などお構いなく、三人が立ち止まった勇の下へと速足で近づいてきた。

「いよぉーっす!」
「勇君おっはよー!」
「おはよ」

 勇も手軽く挨拶を返し、四人が並んで再び歩みを戻す。
 とはいえこうして勇が混じる事も珍しく、三人はどこか懐疑的だ。
 ふと心輝が首をぐるりと回し、下から覗き込む様に勇へと視線を向けていて。

「こんな時間に珍しいなお前、今日は朝練しないのかよ?」

 勇が朝練ついでに登校を済ます事を心輝達もよく知っている。
 対して三人はそれほど部活に熱心でもなく、そんな日課を続ける勇に「よくやるなぁ」と呆れを向けたものだ。
 それがこうして自分達と歩いているのが不思議でならなかった様子。

 もちろん、勇がこうやって普通に通学しているのには理由があるからで。
 
「あぁ、今日はあの子を送って行かないといけなくてさ」

 勇がそっと前へ視線を向け、手を小さく振って見せる。
 そんな仕草を向けた先に居たのは当然、ちゃな当人。
 勇の名が打ち上がった事で彼女も気付き、ちょっとした先で立ち止まって待っていた様だ。

「田中です……お、おはようございます……」

 初対面という事もあって抵抗があるのだろう、挨拶する様はたどたどしくて。
 小さく会釈を見せると、そっと視線を外していた。

 突如としたちゃなの登場に、三人は驚きを隠せない。
 揃って目を丸くし、パックリと顎を落とす。

「彼女は田中ちゃなさんで……えっと、色々あって今うちに居候してるんだ」
「「「ええー!!」」」

 ―――からの衝撃の告白に、その身を引かせんばかりの驚愕を見せつけた。
 この反応には勇もちゃなもさすがに大袈裟だと感じた様で。
 勇は表情を強張らせ、ちゃなに至っては汗が蒸発してしまいかねない程に頬を朱に染め上げる。

 にしてもこの三人……兄妹で幼馴染ともあり、息がぴったりである。

「つ、つまりあれか! 一つ屋根の下んづほぐれつ……うおおおおお!!」

 一体どこで覚えた言葉なのか、そんな事を宣いつつ。
 掲げた両手指が大興奮の余りに「ワシャワシャ」と厭らしく蠢かせて、己の妄想力を爆発させる。
 ちゃながドン引きしてようがお構いなしに。

パコォン!!

 そんな中、軽快な音が周囲に響き渡る。
 同時に心輝が目を飛び出させんばかりに跳ね上げられていて。
 その背後には握り締めた拳を掲げる瀬玲の姿が。

「イッてェ!! 俺の大事なニューロンが壊れるッ!!」
「もう、バカッ!」

 心輝がこんな性格ともあり、扱い方は手馴れたもので。 
 深い幼馴染ともあり、瀬玲はこんな時こそ容赦無しだ。
 相当痛かったのだろう、心輝は堪らず蹲りながら頭を摩っていて。

 だがそんな兄などに脇目も振らず、今度はあずーが興奮の余りに涙目で飛び掛かる。

「私も勇君の家に泊まるーッ!!」

 しかしそれももはや瀬玲の手中の内。
 気付けばあずーの首裏にもその手が伸びていて。
 たちまちあずーの喉元が制服の襟首に締めあげられ、「どゥえッ!?」という呻き声を吐き出させた。

「ギャワーーーーーー!!」

 気付けば兄妹揃って地面に蹲っていて。
 二人を見下す様な視線を向けた瀬玲が「はぁ~」と深い溜息を漏らす。
 万全な状態であれば瀬玲の方が断然上手なのだ、こうなるのは必然と言えるだろう。

 二人の扱いを完全に心得ている瀬玲に隙は無い。

「お前、いつの間にその子と知り合ったんだよ……」

 関係無い周囲の人々から視線を浴びる中、心輝がそっと立ち上がり。
 痛みも和らぎ余裕が出来たのか、苦悶の顔を浮かべながらも人差し指を勇に向ける。

 余計な事を言えば追撃が来かねないともあって、足を一歩引かせながらではあるが。

「土曜に偶然な。 実は変容事件に巻き込まれてさ。 その時に知り合ったんだ」
「なっ、マジかよ……」

 変容事件という名を挙げれば、もはや誰しもがそんな反応を見せてもおかしくはない。
 街が突如として姿を変え、何千人という人間が一瞬にして行方不明になった未曽有の大事件……という事になっているからだ。



 そう、世間では未だ『魔者』の公表に至ってはいない。

 精々「恐ろしい怪物が現れた」、「人食いの化け物が出た」程度である。
 もちろん被害も出ている以上誤魔化す事は出来ないが、正体不明の存在である事は変わらない。
 おまけに東京に出現した魔者は姿を消したままという事から、立証も叶わず。
 政府は魔者というキーワードを伏せる事を決めたのである。

 政府からの情報―――それはもちろん福留からの情報によるもの。

 そういった事情があり、勇とちゃなは堅く口止めをされていた。
 「魔者という存在及びそのキーワードを一切口外しない様に」、と。
 
 もし迂闊に語ってしまい、事情を知らぬ誰かが聴いてしまえば。
 そこからのたちまち情報のほころびが生まれる。
 情報というものは脆く儚いもので、そうなってしまえばあっという間に虚像が暴かれてしまう。
 情報社会という現実がそれに拍車を掛け、要らぬ批判を生みかねない。
 更に世間はそれを歪んで受け取り、更に歪めて発信してしまうだろう。

 それがインターネット社会の悪循環とも言うべき弊害。

 それが生まれる事で世論が、政治が、世界が停滞を生む。
 その先に待つのは更なる停滞のスパイラル。
 幾度と無く世界がそれの為に混乱し、軋轢を生み続けた。
 政治側として立つ福留はその苦しみを良く知っているからこそ、勇達にそうしたのである。



 とはいえ、隠し事が苦手な勇がそれ以上語れる訳も無く。
 迂闊に零してしまう可能性もあったから、そう語った声は意識する余りどこか頑なだ。

「なんつか、お前には悪いんだけどよ。 土曜呼ばれなくて良かったわ」

「ああ、構わないよ。 正直シンが来なくて良かったって俺も思ってたから」

 ようやくそこで先日の勇の沈んでいた理由を把握したのだろう。
 心輝だけでなく、瀬玲もまた同様にして気落ちを見せる。

「だから一昨日あんなだったんだ。 ごめん気付けなくて」

「いや、セリには感謝してるよ。 気遣ってくれたみたいだしさ?」

 無事な姿を見せた勇が変容事件に巻き込まれていたとは思ってもみなくて。
 想像を超えた事実に、いつも冷静な瀬玲も思わず「ホッ」とした安堵の溜息を漏らす。

 その間にも落ち込んでいたあずーが気を取り直して立ち上がり。
 五人が再び歩み始めようと一歩を踏み出した。

 しかしそんな時、ふと心輝の足が留まりを見せる。
 そして何を思ったのかその身を振り返らせ、周囲を見回し始めたのだ。

「どったの?」

 挙動不審とも言える心輝の動きにあずーが反応を見せる。
 それに気付き、勇達もまたその足を止め始めていて。



「そういや統也がいねぇなって。 一緒に来てねぇのかよ?」

 

 その言葉を耳にした瞬間、勇が強張りを見せる。

 出来る事なら伏せたかった。
 それとなく話せる機会を待ちたかった。
 でもそんな意図など構う事無く、突然この時が訪れてしまったから。

 たちまち勇の体が震えを呼ぶ。 
 ちゃなも同様にして固まり、声一つ上げられはしない。
 息が詰まり、胸の奥だけが酸素を求めて収縮し。
 呼吸の仕方を忘れてしまったかの様に、意思が何もかも動きを止めさせていて。

 そのまま意識を失ってしまった方がどれだけ楽だっただろうか。

 でも現実は残酷で。
 ハッキリした意識が目の前の出来事を視界として脳裏に映す。
 心輝が、瀬玲が、あずーが……気になる余りに視線を向けた光景が。

 勇はその残酷な現実を乗り越えた。

 この数日で起きた出来事が、そう出来てしまう程に心を成長させたから。
 だから彼等の顔が見えた時、勇は再び心に意識を取り戻す。

 たった一言の伝えたい言葉と共に。



 

「統也は―――死んだんだ。 変容区域で俺達を守る為にさ……」





 その一言は、未だ世界を知らない子供の三人には酷過ぎた。
 どういう事かも理解出来なくて。
 余りにも非現実的な事で。
 受け入れたくなくて。

 たちまち五人の中で周囲の声を拾えてしまう程の沈黙が訪れる。

 そしてじわじわと実感だけが滲み出て。
 三人の顔に震えを呼び込んでいた。

「マ、マジかよ……あいつ―――」

 衝撃の告白は、煩かった心輝の声を詰まらせる。
 あずーに至っては声すら出ない。

 しかし瀬玲だけは、一人様子が違っていた。
 「フルフル」と震えて立ち尽くし、見開いた眼にはジワリと潤いが滲み始めていて。

 勇も彼女がそんな姿を見せる事を予想出来ていたから、無念の余りに顔を背けさせた。

「セリ、お前の気持ちは察するよ。 すぐに言い出せなくてごめん……」

「そ、そっか……統也、し、死んじゃったんだ……」

 たちまち目尻に浮かんだ涙が頬を伝って一粒、二粒と流れ落ちる。
 それを手で拭うも、溢れ続ける涙は留まる事を知らず。

 拭っても、拭っても、雫を呼ぶ感情は拭いきれはしない。

 悲しみと、拭えない焦燥感が心を支配し、たちまち冷静だった彼女の顔を酷い程に歪ませて。
 「ううぅ」という呻き声をもたらし、その身を蹲らせる。

 悲しみの余り……彼女はただただ号泣するしかなかった。
 それ程までに統也の死は彼女にとって絶望そのものだったから。


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