上 下
8 / 17
1、【再出発】

しおりを挟む
 鞄からノートとペンを取り出し、【ルール】と大きく見出しを部長は書いた。

「ルールその1、家に誰も招かない」
「そうですね。そこは徹底しましょう!」
「ルールその2、会社で家の話はしない」
「これもやめましょう!」
「ルールその3、互いに距離を取る」
「上司・部下の関係ですから。当然ですね!」

 「……こんなところか」ノートを書き終えた部長は私に視線を移した。

「一つ、頼みがあるんだが……」
「なんでしょう?」
「お前──料理は得意か?」
「まぁ、それなりには作れますよ」
「そうか。実は……炊事が苦手でな」
「でしたら、私が担当します! 食費代、半々にしましょう」
「いや、手間賃込みで食費は俺が全額負担する」
「そんな! 私も食べますし、全額負担なんて」
「作ってもらうんだ。当たり前だろ」
「でも──」
「わかった」

 手にしていたボールペンの先を部長は私に向けた。「わかった」と部長は言ったが、私の言い分を聞き入れたわけではなさそうだ。一人納得したように頷いている。一体、何について「わかった」のだろうか。

「木浪。お前、【お人よし】だろ?」
「は?」

 私の拍子抜けな声が静かなリビングに響いた。【お人よし】? よくやさしいとは言われるが、【お人よし】と人から言われたことはない。

「なんですか、突然」
「お前、誰かに騙されたことあるだろ?」
「うっ……」
「否定しないところを見ると図星か」
「ど、どうして、そんなことが部長に分かるんですか!?」
「俺が今まで会った女はみんな、金を出すと言えば『ありがとう』と素直に喜んでいた。しかし、お前はそれを断った。その上、自分の負担まで増やそうとした。彼氏でもない男に飯まで作らされて、その上、食費も折半。お人よしにも程がある。お前は、もう少しずる賢く生きたほうがいい。世の中にはお前みたいな奴を食い物にする輩も多いからな」


 言い返す言葉もない。的を得た部長の意見に耳が痛かった。つい悪いと思い、一歩引いてしまう。そこを元カレに付け込まれた。「木浪」と部長に呼ばれ、顔を上げると強面の顔は破顔していた。

「……だが、俺はお前みたいな奴のほうが信用できて好きだ」

 息の仕方を忘れた。それほどの衝撃だった。【冷徹】の言葉が似合うほど、いつもの部長は無表情に近い。そんな部長の笑顔は、陽だまりのように穏やかで爽やか。普段とのギャップがありすぎて、反応に困る。おまけに、職場で絶対聞くことのない「好きだ」までプラスされ、心が落ち着かない。距離の近さまで意識してしまう始末。

「ん? どうかしたか?」

 誤魔化すようにマグカップを手に取り、「別に」とコーヒーを口にした。しばらく部長と目を合わせられる自信がない。部長は自分の笑顔を鏡で見たことがあるのだろうか。部長を知る人物にとって、彼がもたらす笑顔の破壊力は危険だ。女性社員はみな彼の虜になるだろう。男性社員も頬を赤らめるかもしれない。

 部長の微笑みを見られることは嬉しいが、その度に赤面するほどドキドキしていたら心臓が持たない。

 その他にも細かいルールを二人で決めた。食事はなるべく一緒に摂るようにする、お風呂は部長が先に入る、部長が先に出勤し、出勤時間をずらす、など。


「他に何かありますか?」
「今は思い付かないが、生活していく内に決めていこう」
「そうですね!」

 やっぱり部長は私生活でも頼りになる。こんなに出来る人の彼女は、どんな人なんだろう。気にはなるけど、聞けない。

「木浪」
「はい?」
「お前、彼氏いないのか?」
「へ?」

 まさか、部長から恋愛に関する質問が飛んでくるとは思わなかった。先に聞いてきたのは部長だし、私も聞いてみよう。

「いませんよ。部長はいらっしゃるんですか?」
「……俺に女が寄ってくるように見えるか?」
「モテそうですけどね、部長」
「お前の目は節穴だな。お世辞も要らん」
「お世辞なんて言ってませんよ。ありのままをお伝えしただけなのに」
「俺のどこをどう見たら、モテると思うんだ?」
「そりゃ、口が過ぎることもありますけど……。根はやさしいですし、仕事はバリバリこなすし。何より、頼りがいがあります!」
「……ま、お前とは出会って日も浅い。俺について知らなさすぎる」
「部長が思ってるほど、部長は嫌な人じゃないですよ! 私は好きですよ、部長のこと」

 沈黙が流れていく。「好きだと言ったけど、恋愛感情ではなくて……人として尊敬しているという意味で」そう伝えたが、部長は「今日はもう寝る」と自室へ行ってしまった。

 この先、大丈夫だろうか。部長と一つ屋根の下、うまくやっていかなくちゃ……。

 二人分のマグカップを洗いながら、先の未来に不安を感じていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】エリートビジネスマンの裏の顔

白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます​─​──​。 私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。 同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが…… この生活に果たして救いはあるのか。 ※完結済み、手直ししながら随時upしていきます ※サムネにAI生成画像を使用しています

My Doctor

west forest
恋愛
#病気#医者#喘息#心臓病#高校生 病気系ですので、苦手な方は引き返してください。 初めて書くので読みにくい部分、誤字脱字等あると思いますが、ささやかな目で見ていただけると嬉しいです! 主人公:篠崎 奈々 (しのざき なな) 妹:篠崎 夏愛(しのざき なつめ) 医者:斎藤 拓海 (さいとう たくみ)

ニューハーフな生活

フロイライン
恋愛
東京で浪人生活を送るユキこと西村幸洋は、ニューハーフの店でアルバイトを始めるが

【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜

湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」 30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。 一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。 「ねぇ。酔っちゃったの……… ………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」 一夜のアバンチュールの筈だった。 運命とは時に残酷で甘い……… 羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。 覗いて行きませんか? ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ・R18の話には※をつけます。 ・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。 ・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。

【R18】スパダリ幼馴染みは溺愛ストーカー

湊未来
恋愛
大学生の安城美咲には忘れたい人がいる……… 年の離れた幼馴染みと三年ぶりに再会して回り出す恋心。 果たして美咲は過保護なスパダリ幼馴染みの魔の手から逃げる事が出来るのか? それとも囚われてしまうのか? 二人の切なくて甘いジレジレの恋…始まり始まり……… R18の話にはタグを付けます。 2020.7.9 話の内容から読者様の受け取り方によりハッピーエンドにならない可能性が出て参りましたのでタグを変更致します。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

助けてください!エリート年下上司が、地味な私への溺愛を隠してくれません

和泉杏咲
恋愛
両片思いの2人。「年下上司なんてありえない!」 「できない年上部下なんてまっぴらだ」そんな2人は、どうやって結ばれる? 「年下上司なんてありえない!」 「こっちこそ、できない年上の部下なんてまっぴらだ」 思えば、私とあいつは初対面から相性最悪だった! 人材業界へと転職した高井綾香。 そこで彼女を待ち受けていたのは、エリート街道まっしぐらの上司、加藤涼介からの厳しい言葉の数々。 綾香は年下の涼介に対し、常に反発を繰り返していた。 ところが、ある時自分のミスを助けてくれた涼介が気になるように……? 「あの……私なんで、壁ドンされてるんですか?」 「ほら、やってみなよ、体で俺を誘惑するんだよね?」 「はあ!?誘惑!?」 「取引先を陥落させた技、僕にやってみなよ」

これ以上ヤったら●っちゃう!

ヘロディア
恋愛
彼氏が変態である主人公。 いつも自分の部屋に呼んで戯れていたが、とうとう彼の部屋に呼ばれてしまい…

処理中です...