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旧稿(2012Ver.)
第二十三話 送火
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「本当にいいのか?」
「私が決めたことだもの。みんな、元気でね」
アスナの言葉に、僕はうつむいてしまった。ここで、アスナとお別れなんだ。彼女がかつて治めていたケルト公国の町フィオで、僕がたくさんの人を殺したと知ったとき、それでも僕のせいじゃないと言ってくれたことは絶対に忘れられない。そんなアスナと別れなければならないなんて。
「おおげさねえ、また会えるから」
そうはいっても……アスナは、帝都総領事を失ったティアリカを助けるために、ティアリカの首都リマノティオに残る事を決めた。彼女に責任があったわけではないのに、アスナは、ティアリカの人たちを助けてあげたい、と言ってくれた。僕らが安心して出発できるように。メアルがアスナに言った。
「……レイジェント嬢、後は頼みましたよ」
「ええ、任せておいて」
そういったきり、アスナは僕らに背を向け、帝都総理事官邸の方に向かって、駆け出していってしまった。その背中に向けて、大きく手を振る。
どうか、ティアリカの人々に、幸運を届けてほしいと。そして、きっといつかの再会を願って。
……
「ちょっと……」
アスナを送り出してから首都からの出発を決め、ついに今出発しよう……と思った僕らを、小さな声が引きとめた。僕の服のすそを握ったのは、これまた小さな薄汚れた手。
「これ、渡してほしいって……」
その声の主、やせ細った男の子が、小さな紙を僕らに差し出していた。
「えっ? これ……」
受け取って開くと、汚れてはいたものの、きれいな字で『ティアリカ、トゥエレア基地へ』と書いてあるのが分かる。誰がこんな事を?
ふと男の子の方を見ると、着ているものもぼろで、だいぶ貧しい生活をしているのではないかと思われる姿だった。だけどおかしなことに、手紙を差し出したのと反対の手には、1万ベル札が何十枚も握られている。
「それ、どこからだ」
僕が尋ねると、男の子はあわててその場から逃げ出そうとした。ジェイスがその手首をつかむ。子供はなおも抵抗しながらこう言った。
「もらったんだよ! 僕のだ! これがないと……」
「もらった? 誰から」
「片目に包帯巻いた人に、紙渡してほしいって言われて、それやったらお金くれるって! ……だから」
ジェイスは、男の子の手をぱっと離した。男の子は驚いたようだったが、気がついたようにどこかに逃げていってしまった。
「どうやら手紙の主は、彼のようですね」
秘密を守ってくれる情報屋とかじゃなくて、貧しい子供に依頼するところがあいつらしいな。手紙の主は、間違いなく、トゥエレア海軍総司令官、キリクだった。まあ、優しすぎるみたいに見えても、ただの甘ちゃんじゃないってのはこれまでのことで知ってるけど。
リッセがため息をつきながら、不満そうにぶつぶつ言った。
「それにしても、またトゥエレア基地ぃ? 前のでこりたぜ?」
ヴェールマルクでトゥエレア基地に侵入したとき、ひどい目にあったからな。僕だって出来れば行きたくないさ。皆も気が乗らなさそうな表情で手紙を見つめている。
「でも、キリクがこうして伝えるって事は、何か知ってほしい事があるんじゃないの?」
「知ってほしいこと?」
ほら、トゥエレアの軍事機密がなんとかみたいな……キリクがこうしてまで伝えるって事は、重要な事に違いない。それに、危険だと分かっているのだから、行かせるほどの価値があるもののはずだ。
そこまできてシェムが、今までの会話全てをひっくり返すようなことを言い出した。
「っていうか、キリクって、信用して大丈夫なの?」
「え?」
彼女は口を尖らせて続ける。
「いろいろ言ってたけど、敵は敵でしょ。呼び出して袋叩きにする気かもしれないじゃない」
シェムの言葉に、メアルが考え込む。おいおい、そこまで戻っちゃうのかよ! だけど、心のそこでは、キリクを信じきってしまっている僕がいるのも確かだ。なぜ疑いもしなかったんだろう?
「そうですねえ、信用しきってしまうのも……」
そうだ、キリクは敵なんだ。だけど、悪い奴じゃないって言うのだけはわかる。疑いたくないし、彼の思いを無視するようなこともしたくない。話を聞いているうちに、気がついたらこう言っていた。
「だったらどうする?」
「?」
「だったらどうするんだ? 無視するのか?」
みんなが黙り込んだ。しばらくして、パトラがこう提案した。
「信用するかどうかは別として、とりあえず行ってみた方がいいのではないか」
「攻撃されたらどうしますか」
メアルがパトラに尋ねる。パトラは、当たり前のことを、とでも言うように答えた。
「戦うまでだ」
皆がにやっと笑ったのがわかった。単純な話だ。味方なら情報が手に入り、敵なら基地内で戦う事で戦力をそげる。損はないはずだ、危険は承知だけど。
「なら決まりだな」
……
ティアリカのトゥエレア軍基地は、首都リマノティオの南東の町、アパスのさらに南に位置している。キリクからの伝言を受けた僕らは、アスナと別れを告げ、リマノティオを出発した。そして今、第一目標として、そのアパスという町を目指している真っ最中だ。
「イオもリッセも、体調は万全なようで安心しました。一時はどうなるかと……」
スピカに乗ったメアルが、ほっとした顔で声をかけてきた。そうか、メアルは僕らを助けようと力を尽くしてくれたんだ。ずいぶん心配していたに違いない。
「ごめん、心配かけて」
「そんなことないですよ……でも良かった」
僕が謝ると、むしろメアルが申し訳なさそうに言った。そんな僕とメアルを見て、リッセがにやにやしている。……何なんだよ、もう。
「そういや、今向かってるとこ……アパスだっけ? そろそろじゃねえの? ……あ、ほら。あれか?」
にやにやしたまま、リッセが言う。彼の指した先を見ると、さほど遠くない先に、小さく町のようなものが見えてきているのが分かる。
「えーん、シェムおなかすいたー! 早く行きましょ? レディはお腹の音なんか聞かせちゃいけないんだから」
そういえば、最近落ち着いて食事もしてなかったな。アパスに着いたら、きちんとしたレストランで、名物料理でも食べられるかな? おっと、ジェイスが小さくうなずいた。表には出さないけど、ずいぶん楽しみにしてるみたいだな。パトラも呆れたように微笑んだ。
「腹減ってるだろうけど、あとちょっとだからな! いけ、ナイトスター!」
景気付けもかねてリッセが馬を激励する。各自それに合わせて馬の速度を上げていく。だんだんと、ぼんやりしていた町がはっきりと見えてきた。あれ、ちょっとおかしくないか?
「町のほうが、ずいぶん騒がしいな……何かあったのかもしれない」
目をこらすと、火柱のようなものが上がっていることに気付いた。それぞれの表情が一気に険しくなる。見覚えのある情景……考えたくないけど。
「……急げ!」
……また、ゆっくり食事はできなさそうだ。
近づくにつれ、町の騒乱が飛んでくる。あたりに蔓延する、火薬と血のにおい。ミナタのときと違うのは、静けさに満ちていないことだけだ。まだ間に合う!
馬をとめ、アパスの門をくぐると、思わず目を覆いたくなる光景が広がっていた。兵士らしき人影が、無抵抗の住人たちを虐殺し、無数の屍がほったらかしにされている。しかも、どれも顔を潰されていたり、体の一部が失われていたりと、むごたらしい殺され方のものばかりだ。先程まで明るかったシェムは口を押さえて顔をそらし、ジェイスでさえも眉をしかめている。
不意に視界の中に、数人の兵士に追い詰められた住人の姿が映る。
「お願いします、この子だけは……」
幼い子供を抱えた女性だった。地面を這いながら、必死に命乞いをしている姿が痛々しい。声を聞いたシェムが、その場から駆け出した。
常に背中にしょっている大剣に手をかけ、振りぬきざまに兵士の一人を切り下ろした。バックが鮮血に染まる。
シェムは一息ついてから、怯んだ兵士達を睨みつけて怒りのにじんだ声でこう言った。
「……シェムは、あんたたちみたいなの、大っ嫌いなのよ」
僕らは何も言えず、その姿を見ていた。硬直がとけた兵士数人が、シェムに切りかかる。彼女は剣の大きさなどものともしない速さでそれをあしらい、あろうことか大の大人数人を一発で吹き飛ばした。うめき声の少しあと、積み重なった兵士達の下に血だまりが広がる。彼らはぴくりともしなかった。
「シェム……」
「急ぎましょ。まだまだ序の口のはずだわ。救える命も救えなくなる」
何の感情も持たない声で言ってから、シェムは奥へと姿を消した。それに続いて、ジェイスとパトラもかけていく。
残った僕ら3人は、倒れた兵士の軍服の階級章に刻まれたマークにため息をついた。
「トゥエレア軍、だな」
「リマノティオの腹いせに、ということでしょう。一体どれだけの犠牲を出せば気が済むんだ」
メアルの声が、珍しく怒りを帯びていた。僕らはうなずき、シェムのあとを追う。
……
トゥエレア軍の兵士が精鋭ぞろいだというのは嘘じゃないらしい。シェムは息を切らして負傷した肩を押さえ……それ以外にもたくさんけがを負ってはいたが……、パトラはつい先程折れてしまった槍を横にたらし、ジェイスもそれなりに傷を負っている。僕とメアルは魔法で援護するも、敵味方入り混じっているため、頑張ってもファイヤーボールが関の山だ。しかも、そのほとんどが相手にかわされてしまう。それだけで訓練されているということがよく伝わってくるな、今はありがたくないけれども。
ありがたいといえば、銃を持った兵士が極端に少ないのはありがたかった。もともと訓練された兵士が、それもたくさん銃火器を持っていたら、戦いにもならなかったに違いない。
それでも、相手が多すぎる。リッセは再び、敵が上から切り下ろしてきたのを横にかわし、開いた腹に蹴りを叩き込んだ。人と戦うのとモンスターと戦うのでは、勝手が違いすぎる。同じ人間を切り捨てる彼の表情は、苦渋に満ちていた。僕だって、人が火だるまになって転がっていくのを見ると、皇帝を放り投げて泣き叫びたくなる。相手の肩を切りつけて血を浴びたリッセは、泣き出しそうな顔をしていた。
「このままじゃ埒が明きません。この場にいるトップを狙いましょう。この場は私が援護します、イオはリッセとともに奥に向かってください!」
ファイヤーボールを出しながら、メアルが叫んだ。皆のほうに目をやると、皆ちらっとこちらを見てうなずいてくれた。その姿を見て、決心がついた。
「リッセ! 来い!」
転がるようにしてかけてきたリッセと合流し、町の広場へと向かう。僕ら2人だけで、大丈夫だろうか? ……考えている暇もなかった。
「……向こうだ!」
普段なら楽しそうな声であふれているはずの広場が、今は悲鳴と怒号で満ちていた。たくさんの人々が、僕らをすり抜けて町の外へ逃げようとあふれ出す。人をかき分け、広場の中心に向かうと、そこらじゅうに、無数の死体が広がっているのが目に入った。異様な光景……どれも、体のどこかがきれいに切断されて散らばっている。
ちょうど、僕らのすぐ前のほうで悲鳴が上がる。外に向かって駆け出そうとしていた男性が、恐怖の表情を浮かべたまま、腹から2つに分かれて地面に転がる。まさか、そんな。地面に落ちた2つの肉塊から、遅れたように血があふれ出す。それを見下ろして笑っていたのは。
「ソーマ……」
生きているのか疑いたくなるほど真っ白な肌。切りそろえられた紫の髪。針金のようなものを手に微笑むその姿は、ぞくぞくするするほどだった。
「どうしてこんなことを……」
リッセが歯軋りしながら漏らした。ソーマは淡々と、聞き方によっては柔らかい口調で答える。
「準備だよ。トゥエレアが支配する世界のための」
僕らは絶句した。準備だって? 人をむごたらしく殺すことが、準備だと? そんな風にしか考えていないっていうのか?
「ふざけるな! トゥエレアが世界を支配することは絶対に……」
「お前には口出しをする権利がないのだよ、まだわからないのかね。しつこいのなら容赦はしないが」
ソーマの、この、ふてぶてしいともいえる態度。総統への信頼は、もはや崇拝の域に達しているに違いない。唇を噛んだ。
後ろのほうから、人ごみに少し遅れて、幼い女の子が泣きながら逃げ出してきた。母親とはぐれたようだ。僕らとソーマの横を通り過ぎようとした時、彼女は泣くのをやめた。いや、泣くことができなくなった。
呆然とする僕らの前に、少女の首が転がる。母親を探して泣く表情のまま。頬に涙のあとを残して。
怒りに燃えたリッセの手が、すばやく動いた。キィン!
「おや。あんなふうになりたくなければ帰ればいいものを。今回の任務はお前達の相手をすることではないから、特別に見逃してやろうと思っていたのに」
リッセは目に映らないくらいの速さで刀を抜き、その勢いのままソーマに斬りかかった。ソーマは、しゃべりながらも、リッセ渾身の一撃を軽くあしらう。さらに、リッセがどこから斬りつけようと、ソーマには全て弾き返されてしまう。攻撃をしてこないところを見ると、完全に遊ばれているようだが……リッセは悔しそうにうめいた。
「くそっ! なんで攻撃しない!」
「……してほしいのかね。変わった趣味をお持ちだな」
リッセの言葉を聞いたソーマの口調はなおも軽い。だけど、奴が少し目を細めたのが分かった。瞬間、奴の指先が空をすべる。……危ない!
ぴっ、と、リッセの頬に切り傷が走る。続いて、肩、脇腹。リッセの舌打ちが響く。
ソーマの手で、あの針金のような道具が閃いた。あれで体の一部を切断していたに違いない。
奴の動きはどこか優雅さを漂わせる滑らかさを持っていたため、はたから見ていればゆっくりに見えるが、速く不規則な動きは、確実にリッセの体力を削っていった。
ついにリッセがひざをつく。それを見て、僕は無意識のうちに走り出していた。よく考えれば、僕なんかが手助けできるはずもないのだが、リッセの元にたどり着く直前、嘲笑うようなソーマの声が聞こえた。
「危ないのは、どちらだね?」
光の線がきらめくと同時に、脇腹と左肩に熱が走った。鮮血が散る。
「イオっ!」
リッセが叫んだ。と、ほぼ同じに、僕は地面に倒れこんだ。リッセのところに行かなきゃならないのに。視界がかすむ。体が思い通りに動かない……皇帝、皇帝は……血に濡れた革表紙がわずかに見える。もう少し、もう少しで手が届く……皇帝に手が触れる寸前、僕の手は、力を失って地面に落ちた。
「リッセとやら……いや、ティエ。お前のせいで、この少年は息絶えようとしている……どう思う?」
リッセの表情は見えない。リッセのせいじゃない、と言ってやりたかったけど、声が出ない。ソーマは淡々と続ける。
「我が君のじゃまばかりして、全く迷惑も甚だしかった。だがこれから、それらが全て無駄だったことに気付くだろう。もっとも、皇帝の片翼には見られない世界だが」
意識がかすんでいく。僕らのしてきたことは、無駄だったのか? 結局、犠牲は止められないのか? 総統は、こんな形でしか生きていくことができないのか? これからも? 誰が総統を救う? 総統の目的は、混血の差別されない世の中を作ることだったはずだ。誰が、総統とは別の手段で、同じ目的を果たせる? 一体。
僕以外の、誰が?
血の気を失った指先に熱が宿り、皇帝が光を放つ。急に、あたりが真っ白になった。
「私が決めたことだもの。みんな、元気でね」
アスナの言葉に、僕はうつむいてしまった。ここで、アスナとお別れなんだ。彼女がかつて治めていたケルト公国の町フィオで、僕がたくさんの人を殺したと知ったとき、それでも僕のせいじゃないと言ってくれたことは絶対に忘れられない。そんなアスナと別れなければならないなんて。
「おおげさねえ、また会えるから」
そうはいっても……アスナは、帝都総領事を失ったティアリカを助けるために、ティアリカの首都リマノティオに残る事を決めた。彼女に責任があったわけではないのに、アスナは、ティアリカの人たちを助けてあげたい、と言ってくれた。僕らが安心して出発できるように。メアルがアスナに言った。
「……レイジェント嬢、後は頼みましたよ」
「ええ、任せておいて」
そういったきり、アスナは僕らに背を向け、帝都総理事官邸の方に向かって、駆け出していってしまった。その背中に向けて、大きく手を振る。
どうか、ティアリカの人々に、幸運を届けてほしいと。そして、きっといつかの再会を願って。
……
「ちょっと……」
アスナを送り出してから首都からの出発を決め、ついに今出発しよう……と思った僕らを、小さな声が引きとめた。僕の服のすそを握ったのは、これまた小さな薄汚れた手。
「これ、渡してほしいって……」
その声の主、やせ細った男の子が、小さな紙を僕らに差し出していた。
「えっ? これ……」
受け取って開くと、汚れてはいたものの、きれいな字で『ティアリカ、トゥエレア基地へ』と書いてあるのが分かる。誰がこんな事を?
ふと男の子の方を見ると、着ているものもぼろで、だいぶ貧しい生活をしているのではないかと思われる姿だった。だけどおかしなことに、手紙を差し出したのと反対の手には、1万ベル札が何十枚も握られている。
「それ、どこからだ」
僕が尋ねると、男の子はあわててその場から逃げ出そうとした。ジェイスがその手首をつかむ。子供はなおも抵抗しながらこう言った。
「もらったんだよ! 僕のだ! これがないと……」
「もらった? 誰から」
「片目に包帯巻いた人に、紙渡してほしいって言われて、それやったらお金くれるって! ……だから」
ジェイスは、男の子の手をぱっと離した。男の子は驚いたようだったが、気がついたようにどこかに逃げていってしまった。
「どうやら手紙の主は、彼のようですね」
秘密を守ってくれる情報屋とかじゃなくて、貧しい子供に依頼するところがあいつらしいな。手紙の主は、間違いなく、トゥエレア海軍総司令官、キリクだった。まあ、優しすぎるみたいに見えても、ただの甘ちゃんじゃないってのはこれまでのことで知ってるけど。
リッセがため息をつきながら、不満そうにぶつぶつ言った。
「それにしても、またトゥエレア基地ぃ? 前のでこりたぜ?」
ヴェールマルクでトゥエレア基地に侵入したとき、ひどい目にあったからな。僕だって出来れば行きたくないさ。皆も気が乗らなさそうな表情で手紙を見つめている。
「でも、キリクがこうして伝えるって事は、何か知ってほしい事があるんじゃないの?」
「知ってほしいこと?」
ほら、トゥエレアの軍事機密がなんとかみたいな……キリクがこうしてまで伝えるって事は、重要な事に違いない。それに、危険だと分かっているのだから、行かせるほどの価値があるもののはずだ。
そこまできてシェムが、今までの会話全てをひっくり返すようなことを言い出した。
「っていうか、キリクって、信用して大丈夫なの?」
「え?」
彼女は口を尖らせて続ける。
「いろいろ言ってたけど、敵は敵でしょ。呼び出して袋叩きにする気かもしれないじゃない」
シェムの言葉に、メアルが考え込む。おいおい、そこまで戻っちゃうのかよ! だけど、心のそこでは、キリクを信じきってしまっている僕がいるのも確かだ。なぜ疑いもしなかったんだろう?
「そうですねえ、信用しきってしまうのも……」
そうだ、キリクは敵なんだ。だけど、悪い奴じゃないって言うのだけはわかる。疑いたくないし、彼の思いを無視するようなこともしたくない。話を聞いているうちに、気がついたらこう言っていた。
「だったらどうする?」
「?」
「だったらどうするんだ? 無視するのか?」
みんなが黙り込んだ。しばらくして、パトラがこう提案した。
「信用するかどうかは別として、とりあえず行ってみた方がいいのではないか」
「攻撃されたらどうしますか」
メアルがパトラに尋ねる。パトラは、当たり前のことを、とでも言うように答えた。
「戦うまでだ」
皆がにやっと笑ったのがわかった。単純な話だ。味方なら情報が手に入り、敵なら基地内で戦う事で戦力をそげる。損はないはずだ、危険は承知だけど。
「なら決まりだな」
……
ティアリカのトゥエレア軍基地は、首都リマノティオの南東の町、アパスのさらに南に位置している。キリクからの伝言を受けた僕らは、アスナと別れを告げ、リマノティオを出発した。そして今、第一目標として、そのアパスという町を目指している真っ最中だ。
「イオもリッセも、体調は万全なようで安心しました。一時はどうなるかと……」
スピカに乗ったメアルが、ほっとした顔で声をかけてきた。そうか、メアルは僕らを助けようと力を尽くしてくれたんだ。ずいぶん心配していたに違いない。
「ごめん、心配かけて」
「そんなことないですよ……でも良かった」
僕が謝ると、むしろメアルが申し訳なさそうに言った。そんな僕とメアルを見て、リッセがにやにやしている。……何なんだよ、もう。
「そういや、今向かってるとこ……アパスだっけ? そろそろじゃねえの? ……あ、ほら。あれか?」
にやにやしたまま、リッセが言う。彼の指した先を見ると、さほど遠くない先に、小さく町のようなものが見えてきているのが分かる。
「えーん、シェムおなかすいたー! 早く行きましょ? レディはお腹の音なんか聞かせちゃいけないんだから」
そういえば、最近落ち着いて食事もしてなかったな。アパスに着いたら、きちんとしたレストランで、名物料理でも食べられるかな? おっと、ジェイスが小さくうなずいた。表には出さないけど、ずいぶん楽しみにしてるみたいだな。パトラも呆れたように微笑んだ。
「腹減ってるだろうけど、あとちょっとだからな! いけ、ナイトスター!」
景気付けもかねてリッセが馬を激励する。各自それに合わせて馬の速度を上げていく。だんだんと、ぼんやりしていた町がはっきりと見えてきた。あれ、ちょっとおかしくないか?
「町のほうが、ずいぶん騒がしいな……何かあったのかもしれない」
目をこらすと、火柱のようなものが上がっていることに気付いた。それぞれの表情が一気に険しくなる。見覚えのある情景……考えたくないけど。
「……急げ!」
……また、ゆっくり食事はできなさそうだ。
近づくにつれ、町の騒乱が飛んでくる。あたりに蔓延する、火薬と血のにおい。ミナタのときと違うのは、静けさに満ちていないことだけだ。まだ間に合う!
馬をとめ、アパスの門をくぐると、思わず目を覆いたくなる光景が広がっていた。兵士らしき人影が、無抵抗の住人たちを虐殺し、無数の屍がほったらかしにされている。しかも、どれも顔を潰されていたり、体の一部が失われていたりと、むごたらしい殺され方のものばかりだ。先程まで明るかったシェムは口を押さえて顔をそらし、ジェイスでさえも眉をしかめている。
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「……シェムは、あんたたちみたいなの、大っ嫌いなのよ」
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「シェム……」
「急ぎましょ。まだまだ序の口のはずだわ。救える命も救えなくなる」
何の感情も持たない声で言ってから、シェムは奥へと姿を消した。それに続いて、ジェイスとパトラもかけていく。
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「トゥエレア軍、だな」
「リマノティオの腹いせに、ということでしょう。一体どれだけの犠牲を出せば気が済むんだ」
メアルの声が、珍しく怒りを帯びていた。僕らはうなずき、シェムのあとを追う。
……
トゥエレア軍の兵士が精鋭ぞろいだというのは嘘じゃないらしい。シェムは息を切らして負傷した肩を押さえ……それ以外にもたくさんけがを負ってはいたが……、パトラはつい先程折れてしまった槍を横にたらし、ジェイスもそれなりに傷を負っている。僕とメアルは魔法で援護するも、敵味方入り混じっているため、頑張ってもファイヤーボールが関の山だ。しかも、そのほとんどが相手にかわされてしまう。それだけで訓練されているということがよく伝わってくるな、今はありがたくないけれども。
ありがたいといえば、銃を持った兵士が極端に少ないのはありがたかった。もともと訓練された兵士が、それもたくさん銃火器を持っていたら、戦いにもならなかったに違いない。
それでも、相手が多すぎる。リッセは再び、敵が上から切り下ろしてきたのを横にかわし、開いた腹に蹴りを叩き込んだ。人と戦うのとモンスターと戦うのでは、勝手が違いすぎる。同じ人間を切り捨てる彼の表情は、苦渋に満ちていた。僕だって、人が火だるまになって転がっていくのを見ると、皇帝を放り投げて泣き叫びたくなる。相手の肩を切りつけて血を浴びたリッセは、泣き出しそうな顔をしていた。
「このままじゃ埒が明きません。この場にいるトップを狙いましょう。この場は私が援護します、イオはリッセとともに奥に向かってください!」
ファイヤーボールを出しながら、メアルが叫んだ。皆のほうに目をやると、皆ちらっとこちらを見てうなずいてくれた。その姿を見て、決心がついた。
「リッセ! 来い!」
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「……向こうだ!」
普段なら楽しそうな声であふれているはずの広場が、今は悲鳴と怒号で満ちていた。たくさんの人々が、僕らをすり抜けて町の外へ逃げようとあふれ出す。人をかき分け、広場の中心に向かうと、そこらじゅうに、無数の死体が広がっているのが目に入った。異様な光景……どれも、体のどこかがきれいに切断されて散らばっている。
ちょうど、僕らのすぐ前のほうで悲鳴が上がる。外に向かって駆け出そうとしていた男性が、恐怖の表情を浮かべたまま、腹から2つに分かれて地面に転がる。まさか、そんな。地面に落ちた2つの肉塊から、遅れたように血があふれ出す。それを見下ろして笑っていたのは。
「ソーマ……」
生きているのか疑いたくなるほど真っ白な肌。切りそろえられた紫の髪。針金のようなものを手に微笑むその姿は、ぞくぞくするするほどだった。
「どうしてこんなことを……」
リッセが歯軋りしながら漏らした。ソーマは淡々と、聞き方によっては柔らかい口調で答える。
「準備だよ。トゥエレアが支配する世界のための」
僕らは絶句した。準備だって? 人をむごたらしく殺すことが、準備だと? そんな風にしか考えていないっていうのか?
「ふざけるな! トゥエレアが世界を支配することは絶対に……」
「お前には口出しをする権利がないのだよ、まだわからないのかね。しつこいのなら容赦はしないが」
ソーマの、この、ふてぶてしいともいえる態度。総統への信頼は、もはや崇拝の域に達しているに違いない。唇を噛んだ。
後ろのほうから、人ごみに少し遅れて、幼い女の子が泣きながら逃げ出してきた。母親とはぐれたようだ。僕らとソーマの横を通り過ぎようとした時、彼女は泣くのをやめた。いや、泣くことができなくなった。
呆然とする僕らの前に、少女の首が転がる。母親を探して泣く表情のまま。頬に涙のあとを残して。
怒りに燃えたリッセの手が、すばやく動いた。キィン!
「おや。あんなふうになりたくなければ帰ればいいものを。今回の任務はお前達の相手をすることではないから、特別に見逃してやろうと思っていたのに」
リッセは目に映らないくらいの速さで刀を抜き、その勢いのままソーマに斬りかかった。ソーマは、しゃべりながらも、リッセ渾身の一撃を軽くあしらう。さらに、リッセがどこから斬りつけようと、ソーマには全て弾き返されてしまう。攻撃をしてこないところを見ると、完全に遊ばれているようだが……リッセは悔しそうにうめいた。
「くそっ! なんで攻撃しない!」
「……してほしいのかね。変わった趣味をお持ちだな」
リッセの言葉を聞いたソーマの口調はなおも軽い。だけど、奴が少し目を細めたのが分かった。瞬間、奴の指先が空をすべる。……危ない!
ぴっ、と、リッセの頬に切り傷が走る。続いて、肩、脇腹。リッセの舌打ちが響く。
ソーマの手で、あの針金のような道具が閃いた。あれで体の一部を切断していたに違いない。
奴の動きはどこか優雅さを漂わせる滑らかさを持っていたため、はたから見ていればゆっくりに見えるが、速く不規則な動きは、確実にリッセの体力を削っていった。
ついにリッセがひざをつく。それを見て、僕は無意識のうちに走り出していた。よく考えれば、僕なんかが手助けできるはずもないのだが、リッセの元にたどり着く直前、嘲笑うようなソーマの声が聞こえた。
「危ないのは、どちらだね?」
光の線がきらめくと同時に、脇腹と左肩に熱が走った。鮮血が散る。
「イオっ!」
リッセが叫んだ。と、ほぼ同じに、僕は地面に倒れこんだ。リッセのところに行かなきゃならないのに。視界がかすむ。体が思い通りに動かない……皇帝、皇帝は……血に濡れた革表紙がわずかに見える。もう少し、もう少しで手が届く……皇帝に手が触れる寸前、僕の手は、力を失って地面に落ちた。
「リッセとやら……いや、ティエ。お前のせいで、この少年は息絶えようとしている……どう思う?」
リッセの表情は見えない。リッセのせいじゃない、と言ってやりたかったけど、声が出ない。ソーマは淡々と続ける。
「我が君のじゃまばかりして、全く迷惑も甚だしかった。だがこれから、それらが全て無駄だったことに気付くだろう。もっとも、皇帝の片翼には見られない世界だが」
意識がかすんでいく。僕らのしてきたことは、無駄だったのか? 結局、犠牲は止められないのか? 総統は、こんな形でしか生きていくことができないのか? これからも? 誰が総統を救う? 総統の目的は、混血の差別されない世の中を作ることだったはずだ。誰が、総統とは別の手段で、同じ目的を果たせる? 一体。
僕以外の、誰が?
血の気を失った指先に熱が宿り、皇帝が光を放つ。急に、あたりが真っ白になった。
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「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
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