紋章という名の物語

彩城あやと

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 髪を優しく梳かれ、唇が震えると、重なり合った唇から唾液が溢れだした。
 喉元までつたう唾液。アルヴィンの熱い舌が絡めとるように這う。
 ひくりと身体がしなった。

「ふ……ぁ……」

 首筋に感じる熱い吐息。ちりりとした小さな痛み。ねっとりと蠢く舌。それらが痺れるように甘くて、唇の端から吐息が漏れた。
 身体の芯が壊れたかのように熱い。意識が朦朧とする。
 身体に覆いかぶさるアルヴィンの胸板を弱々しく押すと、それが笑った。

「無駄ですよ」

 弄ばれ赤く腫れてしまった唇にまたアルヴィンの唇が落ちてくる。
 ついばむように。いたぶるように。深く、甘美な快楽を運んでくる。
 意識が朦朧とする。

「抗えないでしょう? 魔法使いの性交渉は子孫を生み出すためだけにありません。こうしてお互いの魔力を注ぎ合う行為にもあたります。
 それが相性のいい伴侶となら……その愉悦もさながら」

 アルヴィンがシャツを捲り上げ、乳首をねっとりと舐める。
 ゆっくりと、ゆっくりと、いたぶるように、焦らすように、その舌を這わせる。

「はっ……それ、やめ……」

「嫌です。今後私と別れようなど思わないよう。じっくりと、この身体に教え込むまでは」

 身体をひねると熱いアルヴィンの唇と吐息がまた唇に落ちてくる。
 唇をわり、熱い舌がねっとりと舌に絡まり、熱を与えるように蹂躙する。
 唾液は魔力なのか。
 口内に蹂躙するアルヴィンの熱い舌は身体に愉悦を注ぎ込み、身体と思考の自由を奪っていく。
 
「は……っ」

 定まらない視界にアルヴィンの熱にうるんだ蒼い瞳が映り込む。官能的で、背筋がぞくぞくと震える。
 アルヴィンの喉元がこくりと上下した。

「……すがりつくようなその目……私の嗜虐心を煽っていることを御存知で?」

「知ら、な」

「初めて、でしょう。こうして男に触れられるのは」

 ぼんやりとした頭で頷いた。
 
「誰にも、触られた、こと……なんか、ない。離せ」

 アルヴィンが瞠目したのも一瞬。ひどく淫らな笑みを浮かべた。
 ぞくぞくとした甘い痺れが背中を突き抜ける。
 唇にアルヴィンの長い指がゆっくりと這う。唇から漏れる吐息と絡まり合う。

「信じられない……こんな顔していながら、今まで、誰とも?」

 アルヴィンの指先が唇を割り、舌先をくちゅりと弄んだ。

「それなら魔力は少しづつ、こうしてゆっくりと与えることにしましょう。伴侶との魔力交換はより強烈なものと聞き及びますから。
 旦那様はもうキスだけで、もうここがどこであるか、自分が何をしているのかでさえ、定かになっておられない……ああ、ここもうこんなにさせて」

 アルヴィンがいそいそと俺の下履き――ホーズをずり下ろした。
 ホーズを跳ね上げ、そそり勃った俺の性器がひやりとした風にさらされる。
 それが妙に心地よかった。
 注がれた熱が風にさらされ、身体に小さな冷静さを呼び戻してくる。
 そう、飛び戻してくる。
 肉食獣のように獰猛な蒼い瞳で俺を見上げるアルヴィンが俺の性器を掴んでいる。
 赤く卑猥な舌。ねっとりと絡まる。
 ――――何故こんなことに。
 そう思ったのも一瞬。

「ん…………く、ぅ…………」

 世界が白い愉悦で弾け飛んだ。 
 あまりの気持ちよさに涙がひとすじ頬を伝う。

「ああ、泣かないで旦那様。まだ直接粘膜の接触は早すぎましたか?」

 俺の髪を優しく撫でながら、綺麗な蒼い瞳が気遣うように覗き込んでいる。唇が薄く開いている。熱い呼吸を逃している。
 アルヴィンの作り物のように綺麗な顔がひどく官能的で、俺は、俺は…………。
 ――――一体、何をやっっているんだ?

 一度精を出したからだろうか、思考が少しクリアになっていた。
 自分を見下ろせば少し気崩れてはいるものの、着衣したまま……いや、下半身だけがむきだしにされてるという、とんでもなく変態好みの格好をしていた。
 じかもアルヴィンの白いマントは敷かれているものの、地べたに転がされている。
 右を見れば、草。左を見れば、石。
 青姦だ。どうやらただいま青姦真っ最中というとこらしい。

「汚れないように服を全部脱いでしまいましょうね」

 アルヴィンの長い指先がシャツのボタンをいそいそと、それはもうもどかしげに、せわしなく動かした。
 その手を弾こうとすると、アルヴィンの熱い舌が素肌に滑る。同時に甘い痺れが走る。

「ぁ………っ!」

 ……そうか。こんな調子で俺はここまでアルヴィンにいいように弄ばれていたわけか。
 ボタンを外し終わり、やけに満たされた綺麗な顔したアルヴィンとふと目が合った瞬間。
 血の気が引いた。
 俺の肩には『王の紋章』がある。
 アルヴィンは魔法使いだ。
 見つかる訳にはいかない。俺はナサニエルの国王になるわけにはいかない。

「フィシア! この、変態を、弾け!」

「え? へんた……?」

『……フィシア……』

 風がごうと、唸る。
 それは勢いよく、これでもかと言う勢いで唸る。
 これは俺の怒りを含んでいるのか。それともフィシアの意志なのか。はたまたアルヴィンが強制的に俺に魔力を注ぎ込んだせいなのか。
 アルヴィンは華麗に、優雅に、その金の髪をたなびかせ、森の奥まで吹っ飛んで行った。
 ……地面を確認する。
 アルヴィンの剣は転がっていない。
 アルヴィンは腰に剣を携えたままだ。

 ならば、危険はない。よし!


 

 ☆




 アルヴィンの暴挙にはなんと言っていいのか分からないが、それでもこのアルヴィンにこの『王の紋章』が見られなかっただけ良しとして。
 いつ何時この『王の紋章』がひと目にさらされないように注意しなければいかないことに気が付いた。
 アルヴィンによって乱された服を整える前にハンカチを取り出し、『王の紋章』にフィシアの風の力を使って貼り付ける。

「フィシア、このハンカチ、いつ何があっても剥さないようにしてくれ」

『……フィシア……』
 
 フィシアの機転か、暑くも寒くもない風がハンカチを押し付け肌にぴたりと張り付いてくる。
 そこでアルヴィンによって乱された服を整えた。
 ……恐ろしいな。魔法使いは。性交渉によって魔力の交換とか。
 だから男同士でも当たり前のように夫婦になるのかもしれないが。
 同性愛がマイノリティーにならないというのが、すごい。

 乱れた髪を手ぐしで整えていると、アルヴィンが猛然とした勢いで戻ってきた。

「旦那様!」

 戻って来たのか……それにしてもアルヴィンは魔法使いとは思えない身体能力だ。
 かなり遠くまで飛んでいったように見えたのに、精霊たちの攻撃をさけてよくもここまで素早く戻ってこれたものだ。
 この驚く身体能力の高さ。
 アルヴィンは魔力の低い魔法使いなのかもしれない。だから身体能力が卓越しているんだろう。

「あの、旦那様?」

 精霊たちの呪い顔をフルに駆使して、悠然とアルヴィンに頬笑みかける。
 アルヴィンがその場で顔を真っ赤にしながら、固まった。
 おそるべし。精霊たちの呪い。いや、今は感謝をするべきか。

「そこに正座しろ」
 
 何も知らない俺を押し倒し、いいように俺の身体を弄んだ償いとして、土下座させて謝らせても良かったのだが、アルヴィンの身なりを考えれば、それはためらわれる。
 身なりからしてまず間違いなく、アルヴィン上流階級の魔法使いだ。
 そんな上流階級の魔法使いに土下座をさせることなんか出来ない。流石に、それは無理だ。

 正座したアルヴィンは反省しているようでいて、心なしか浮かれているような気もしないではないが、そこは変態。あまり気にしないでおこう。
 さて、どうするか。
 アルヴィンはこの『迷える森』で魔法は使えないと言っていた。
 それなのに俺はさっきフィシアを使って、アルヴィンを吹き飛ばしてしまった。
 アルヴィンは俺にはこの森で魔法が使えるということを知ってしまっただろう。
 どう誤魔化すべきか。
 考え込んでいると、アルヴィンは何故か期待に満ち溢れているような目で俺を見上げていた。
 そうだな……強い衝撃をアルヴィンに与えてみるか。

「いいか、アルヴィン。今後、俺に性的な意味で触れたら離婚だ」

 考えられる限りの魅惑的で悪魔的な冷たい笑みを浮かべると、アルヴィンは雷にでも打たれたかのように身体をビクリと揺らし、呆然と俺を見上げた。
 その姿は卓越した芸術家が彫りあげた彫刻のようで、思わず見蕩れてしまうほど、美しい。
 だがどこか残念な気分になるのは、俺の中でアルヴィンの中身が残念だと断定してしまってるからだろう。

「だ、旦那様」

 正座を崩し、おそらく求愛の姿勢か。
 地面に片方の膝を折り、祈りを捧げるかのようにアルヴィンは俺をうやうやしく見つめた。
 その仕草も。姿勢も。顔も。全てが『一応』美しい。

「旦那様、それはいくらなんでも、ご無体です」

「無体でもなんでもない」
 
 むしろこの場で別れるという選択肢を切り捨てての譲歩だ。ま、十中八九、この変態は追いかけてくるだろうと踏んでの諦めだが。

「し、しかし私は……私は……あなたと……あなたと……生涯を共に……」

 アルヴィンの整った眉毛がひどい痛みに耐えるかのように深い皺を刻んだ。
 顔色は真っ青で、次の言葉を考えてそれでも生み出せない形のいい唇が震えている。
 何故。
 そこまでアルヴィンは俺と夫婦でいることにこだわるのか。
 アルヴィンは俺が『王の紋章』を持つ者だと知らない。
 知り合ったのは昨日のことで、お互いのこともよく知らない。
 何故。
 アルヴィンを見つめると、アルヴィンは俺の冷酷非道顔にも怯えず、真摯な瞳で見返してくる。
 狼狽えた。
 ここまで……俺の冷徹非道顔に怯えることもなく、長時間見つめてくる者がいただろうか。
 いや、ない。
 オヤジでさえ「3秒ルール」と言って、俺の顔を3秒以上見つめてきた試しがない。
 それほど俺は人から避けられるほどの顔をしているというのに。

「旦那様……?」

 するりとアルヴィンが立ち上がり、俺の顔をマジマジと見つめてくる。
 何故か俺のほうがいたたまれずに、視線をそらした。
 頬にアルヴィンの大きな手が触れる。

「…………!!」

 驚愕に目を見開いた。

「どうされました? 旦那様?」
 
「俺は、言った……はずだ。『俺に触れれば離婚だ』と」
 
 視界が霞んで、声が、かすれた。
 そう、俺は言った。
 触れれば離婚だと。
 それなのに、アルヴィンは簡単に俺に触れてきた。
 そのことに、ひどく動揺していた。
 自惚れていた。
 この綺麗な魔法使いが、絶対に俺から離れたがらないどろうと、どこかで鷹をくくっていた。
 だが、後悔しても、もう、遅い。
 
「譲歩は、しない」

「……分かりました。それが旦那様の望みであれば受け入れましょう……ああ、でも旦那様、唇をそんなに強く噛まないで。怪我してしまいます」

「うるさい、もう俺のことを旦那様と呼ぶな!」

 ふいっと視線を逸らすと、アルヴィンがその視線に合わせてひょいと覗き込んでくる。
 ああ、やっぱり綺麗な顔をしているなと、意識せず見蕩れてしまっていると、アルヴィンがふんわりと綺麗に笑った。
 
「性的な意味で触れると離婚されるんですね? ですが裏を返せば性的な意味でなければ触れて離婚されないということになりますから。旦那様はまだ私の旦那様です」

 おそるおそる伸びてきたアルヴィンの腕が俺の背中にまわり、こわばる俺の身体を、きゅっと抱き寄せてきた。
 鍛えられ、引き締まったアルヴィンの広い胸の中にあるのは――優しいぬくもり。
 どうしてアルヴィンはこんなにあたたかいんだろう。
 ほうっとため息がこぼれると、アルヴィンがすりすりと俺の頭に頬ずりしてきた。

「離婚なんてしません。無理ですよ。ああ、可愛い」

 可愛い? 怖い、の聞き間違いか? 怖いのがいいのかアルヴィンは? 変わっているな。いや、変態だから変わっていて当然なのか。
 アルヴィンの顔を何気なく見ようと、身体を動かすと、ふと。アルヴィンの昂ぶりが腰に触れた。

「アルヴィン?」
 
 アルヴィンが慌てたように腰を引き、俺からぱっと身体を離した。
 
「いえ、私は性的な意味で旦那様に触れていません。旦那様の様子がどこかおかしかったのでお慰めしようとしただけで。結果、身体が本能に抗えず、反応を示しただけで」

 いいですか? 理解しましたか?

 いや、そんな風に真面目な顔で見つめられても。

「ああっ、旦那様! そんな困った顔をなさらないで下さい。いいですか私は生涯共にすることをこの名にかけて誓いました。私はただあなたのそばにいられればそれで幸せなのです」

「……アルヴィン」

「はい?」

「友達では駄目なのか?」

 俺もアルヴィンのそばに居たいか居たくないかと聞かれれば、居たいと答える……ような気がする。
 アルヴィンのそばは理由も理屈もなく、自然体でいられる。
 というか、隣にアルヴィンがいることが何故だか自然な感じがする。
 だが、そこは男同士。夫婦でいる理由がはたしてあるのかどうか。

「夫婦でなければ、駄目なのです! いいですか!」

 アルヴィンの剣幕に押されて思わず一歩下がった。
 そんな俺の腕をアルヴィンが強く握りしめる。何故か触れられた部分が熱い。いや、アルヴィンが熱いのか。

「私たちはまだ中途半端な段階で、アレやらコレやらしていません! 何も知らなかったころならともかく、先ほどのアノ途中、乱れた旦那様のお姿を見せられた上での離婚とか! 
 旦那様は私を悶死させる気ですか!? ……あ、すみません。旦那様引いています? 
 つい口がすべって……あの、これはう、う、嘘です。嘘。旦那様のお望み通り、性的な意味で私は旦那様に触れるつもりはありませんから! ね?」

 ね? じゃない。何をどう信じたらいいのか分からない。
 それにしても。
 アルヴィンが俺と離婚したがらない理由はそれだったのか!? それだけだったのか!?

「アルヴィン、後学のために教えてくれ。アレやらコレやらをいたしたあとは、どうする気なんだ?」

「もちろん! ソレやらドレやらをしましょう!!」

 力強く力説するアルヴィンは高貴な気品をまとい、美しいのだが。
 やはり。
 中身が残念だ。

「アルヴィン、俺が思うにこのブレスレッドを引きちぎれば離婚できる、違うか?」

「え? いえ、物質的に引きちぎるのは無理です。あ、旦那様、風の精霊を呼ぶのはやめて下さい! 何をなさるおつもりですか!?」

「切る」

「魔法を使っても切れませんから、おやめ下さいっ! ああっ、旦那様の手が……! 手が……! 怪我したらどうなさるおつもりですか!? 私はこの森で回復魔法が使えないんですよ!?」

 アルヴィンに羽交い締めにされ、行動を取り押さえられた。
 それまでにそうとう暴れたのでお互いに息が切れている。

「アルヴィン。このブレスレッドは、物質的にも、魔法を使っても、切れない。つまりは、離婚できない、ということか?」

「はい。死が、ふたりの間を、裂くまで、離婚は、できません。もちろん、重婚も、できません。輪が、ふたりの、永遠を、つなぎます」

「なるほど。なら別居だ」

「旦那様ー! まだ新居にも案内できておりませんが」

「うるさい。離婚できないことを知っていて、俺をからかったな」

「からかっていません。現実的な問題はさておき、メンタル的な部分で私は傷ついたんですよ! あ、ちょっと、私を置いて行かないで下さい、旦那様!」

 俺が魔法を使ったことを自然と受け入れているアルヴィンを放置して神殿を探し、黙々と歩き出した。
 不思議と森は行く手を阻んでこない。
 不思議だな。と感じた瞬間。
『迷える森』から抜け出していた。
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