98 / 114
妖艶幽玄小巻
巻ノ九『男達の生き様』
しおりを挟む「本当に、やるのかい?」
心配そうな声に、笑顔で頷いた。
「はい。僕も早く、一人前になりたいですから」
「……あんまり賛成はできないんだけどね。あんたの力は、まだ上がってる途中だから」
細い腕を組み合わせた桂美祢は、綺麗に剃った眉を潜めている。にこにこと笑っている僕に溜息をついて見せた。
「三郎。あんたの気持ちも分かるけど……」
「美祢様。お願いです。早く追いつきたいんです」
「……喜一に付いて行くためかい?」
探るような視線に、笑顔は崩さない。
「はい」
「……はぁ~。でもねぇ~」
「お師匠様は亡くなられていますし。封印の珠を内に持つ、美祢様しか頼れなくて……」
「あたしだって、勢いで飲んじまって、こっぴどく怒られたんだよ。幸い、体に馴染んでくれたから良かったようなものの……」
「お願いです、美祢様」
渋る美祢を真っ直ぐに見つめた。ほとんど変わらない高さにある目を見つめた。
「……そんなに惚れてるのかい」
にこりと、笑おうとして止めた。美祢に、嘘の笑顔は通じないと、勘で分かったから。
「……はい」
正直に応えた僕に、彼女の細い手が僕の頭を撫で回した。結んでいた長い髪が少し乱れてしまう。
「あんなすっとぼけた奴のどこが良いんだかね」
「そこが良いんですよ」
「……分かったよ。危ないようだったら、すぐに吐き出させるからね」
「はい!」
僕は数珠に繋いでいた封印の珠を外した。小さな、小さな、緑色の珠。
早く、一人前になりたい。
僕は願うように、封印の珠を唇に当てた。
~*~
皆で紫藤と清次郎の屋敷に遊びに行った時の事だった。江戸も少し落ち着いたので、霊媒師仲間で遊びに行った日のこと。
僕はたまらなく胸が苦しかった。
皆、お酒を飲んで楽しんでいる中で、美祢は紫藤蘭丸と清次郎の二人と一緒に談笑し。
松田真之介はずっと、山之内七乃助を膝に抱いていた。
そんな二人に、東条喜一は、笑顔の面を貼り付かせたまま絡んでいた。
僕は村娘達にお酒を飲まされ、酔った振りをしながら周りを見ていた。陰間に居る頃から飲まされているせいか、それほど酔わなくても、酔っていると思わせるのは上手くなった。娘達に笑顔を振りまきながら、酔った振りして喜一を見つめていた。
松田はずっと、江戸復旧の間、喜一を影として、側に置いていた。その間、七乃助は少し遠い距離に置いていたのだけれど。
こうして江戸を離れられるまでになったのなら。
もう、影としての喜一は、外される。
喜一もそれが分かっているのだろう、殊更分厚い面が顔を覆っていた。松田と七乃助をからかい、今までの距離を埋めさせるかのように、二人を接近させてやっている。
憎らしい。
もっと、喜一の事も見て欲しい。
眠たい振りをしながら、畳を握り締めていた。あんなに松田を想っているのに、どうして分厚い面に気付かないのだろう? 主なのに。
娘達に肩を揺すられながら、喜一が紫藤達の方へ行く姿を見つめた。背中が、とても寂しそうに見えた。
僕じゃ、駄目ですか?
背中を見せている喜一に、胸が苦しくて。
声が聞こえる度に、体が震えた。
影として松田の側に居る間は、僕にはどうしてあげることもできなかったけれど。
そろりと立ち上がり、寂しい背中に抱き付いた。酔った振りを続け、甘えた。二人切りになりたいと、甘えた。
皆の前で、松田の前で、喜一に口付けた。久しぶりに感じた熱い舌は、ほんの僅かに、震えていた。
抱き上げてくれた腕に支えられて、少し離れた部屋に入った。僕と、喜一の、二人だけだった。
「ほら、ここの部屋が空いてる」
「喜一さまぁ~」
「暴れんなって。おっことしちまうよ」
暗い部屋の中に入った喜一は、僕を降ろすと障子を閉めた。側に座り、ペシッとおでこを叩いてくる。
「で、酔った振りした訳はなんだい?」
「…………酔ってますよ~」
「嘘だね。三郎ちゃん、俺と同じくらい、強いだろう?」
見破られた僕は、観念して体を起こした。喜一に僕の面は通じない。
暗い中で、喜一の顔に手を伸ばす。結んでいた髪を解いてあげた。サラリと、綺麗な黒髪が流れ落ちる。結び目さえ付かないほど、綺麗な髪質だった。
「三郎ちゃん?」
髪が顔に掛かると、綺麗な男になる。吸い込まれそうなほどに。顔に貼り付けた、憎らしい男の面が無ければ、女達が放っておかないほど良い男だ。
作り上げた分厚い面に生きる男。
面を外すように、両手で顔を覆った。
「……お苦しそうだったから」
誰にも聞かれないよう、小さな小さな声で囁いた。
ピクリと、喜一の頬が揺れた。
分厚い、とても分厚い面が、ゆっくりと剥がれ落ちていく。僕しか知らない、彼の素顔が出てくる。
綺麗な顔をくしゃくしゃにした喜一が、僕に負けないくらい、とても小さな声で囁いた。
「……そりゃ……辛いさねぇ~」
崩れ落ちた体を抱き締めた。そのまま膝に頭を乗せてやる。顔が見えないよう、僕の方へ体を向けた喜一は、お腹に顔を押し付けた。
長い髪を梳くように撫で続けた。震えている体が静まるまで。
影としての役割は終わる。
それはつまり、また、松田のもとを離れる事を意味していた。
「……喜一様……喜一様」
サラサラしている髪を梳きながら、何度も喜一の名を呼んだ。
僕のお腹に顔を埋めた喜一は、静かに震えていた。
~*~
「……どうだい? 苦しくないかい?」
喜一の事を思い出しながら、封印の珠を飲み込んだ僕は、美祢が見守る中で珠の存在を確認するよう意識を集中させた。
じわりと、温かい部分がある。そっとそこに手を当てた。胸とお腹の間が、温かい。
「ここから、熱を感じます」
「取りあえず、拒絶反応はないみたいだね。霊力は充分だし、いけそうだ」
「本当ですか?」
「ああ。でも封印の珠は、破壊の珠とは違って、内に封じたりするからね。無茶はできない。暫くはあたしと組んでいくよ。絶対に、一人で行動するんじゃないよ?」
「はい!」
「そのうち、外に封じる仕方も……」
説明を続けようとした美祢を、部屋の外から呼ぶ声がする。七乃助のようだった。
「今行くよ! ……良いかい、苦しくなったらすぐ言うんだよ?」
「はい、大丈夫です。さ、行って下さい」
「約束だからね!」
姉のように心配してくれる美祢が、七乃助に呼ばれて駆け出して行った。その後ろ姿を見送り、スッと一度大きく呼吸をすると、僕も部屋を出た。江戸はずいぶん落ち着いているし、危険も減っている。見回りくらいはできるだろうと思って。
活気を取り戻しつつある江戸の中は、崩れた建物も少なくなった。城を復旧させることが第一となり、余所から大工がたくさん入ってきている。筋肉逞しい男達が、汗水垂らして働いている。
その大工達に、僕はかなり色目を向けられていた。陰間の名残を示していた短い着物は止めて、喜一が着ているような、質素な着物に変えたけれど。
美祢が言うには、立っているだけで男を誘ってしまうらしい。僕が霊媒師だと知らない、ここへ来たばかりの大工達に、良く物陰に連れ込まれていたけれど。
そう言った時、必ずと言って良いほど喜一が来てくれた。働き手が減ってしまうからと、あまり手荒な事はしないで良いと僕が止めるほど、彼は僕を襲った大工を許さなかった。
ついでに僕も怒られた。
もう、陰間ではないのだから、と。
生きるために身を売ることは、何も言わないけれど。
そうでないのなら、自分を売るなと言われた。
霊媒師である僕を襲う事は、幕府にたてつく事になる。そのことを、大工の棟梁に隅々まで言い聞かせた喜一のおかげで、僕を知らない大工は居なくなった。鼻息は荒いけれど、襲われることは無くなった。
僕は守られてばかりだ。喜一にとって、まだまだ子供なのかもしれない。身長が少し伸びたくらいで、顔が童顔だから成長したように見えないし。
だから早く、一人前の霊媒師になりたかった。封印の珠を体の中に入れることが、危険なことは分かっている。体の中に、外に、封じる力を使うためだ。封じた力が暴走すれば、体が壊れてしまうこともあると言う。
それでも、僕は一人前になりたい。少しくらい危険でも構わない。
紫藤の屋敷から江戸に戻って一月が過ぎている。そろそろ、喜一が旅に出てしまいそうで。その時には僕も、一緒に行きたい。連れて行ってもらえるように。
黙々と町の中を歩きながら、喜一の姿を探した。彼が旅立つ素振りを見せたら、すぐに追い掛けなければ。
何とか中に入れた珠も落ち着いているし、美祢から力の使い方を急いで学ぼう。
そう思っていた僕は、ざわりと震えた気配に、足を止めた。町の人々は、威勢の良い声を張り上げながら働いている。
でも、何だか、嫌な気配がする。
緊張しながら、お腹に手を当てた。皆、気付いていない。こんなに嫌な気配がしているのに。
どこからするのか、探るように視線を走らせた。立て直されている長屋敷の屋根、大通りに面した店では野菜が売られている。僕に買ってもらおうと、熱心に呼び込んでいる。
何処だ、何処からする?
気配を探っていた僕は、ぞくりと背筋が凍った気がした。咄嗟に上を見る。
青い空が、一部だけ黒く淀んで見えた。黒い塊が降ってくる。前に駆け出し、黒い影の落下から逃れた僕は、声の限りに叫んでいた。
「逃げて!!」
「旦那? どうしたんでい?」
「早く逃げて!! 悪霊が居る!!」
場所を示すため、懐から出した札を飛ばした。悪霊は僕の四、五倍はあった。数十枚の札が貼り付き、ようやく異変に気付いた町人が顔色を変えている。
「早く!!」
怒鳴った僕の声に押されるように皆が走り出す。人々が逃げる様を悪霊が顔の様な所を巡らせている。追い掛けようというのか、札を弾き飛ばして向かおうとしている。
「させない!」
札に力を込めるため、胸とお腹の間にある、封印の珠に手を乗せた。力を込めたけれど。
出なかった。
貼り付かせた札が、ハラリハラリと落ちていく。
悪霊の顔が、僕を見つけた。
巨大な手の様な物が振り上げられる。
体が硬直してしまった。
力が、出てくれない。
振り下ろされる巨大な手をただ、見ている事しかできなくて。
自分の体が吹き飛んでいくのを感じた。頭がミシミシ、軋んでいる。
地面に擦れた体は、赤い血を地面に染み込ませていた。
一番酷いのは、頭から噴き出す血だと、ぼんやり思った。
死ぬのかな……?
黒い影が体に掛かる。悪霊がなおも手を振り上げていた。
動かない体で、赤い血を見つめていた。
その血の中に、喜一の顔が見えた気がして。
ああ、やっぱり僕は死ぬんだ、と覚悟を決めた時、冷たい風を感じた。
僕の血も、血が染み込んだ大地も、周りの建物も、凍っていく。
周り全てが氷に包まれていった。
重たい体を何とか仰向けにした僕は、巨大な悪霊が凍り、粉々に崩れていく姿をぼうっと見つめた。その側に、会いたかった喜一が立っていて。
無意識に手を伸ばしていた。振り返った喜一が駆け寄ってきてくれる。
「三郎!!」
冷たい手が、握ってくれた。
やっぽり、冷たい人だ。
笑おうとしたら、血がいっぱい溢れてきた。
「三郎!! 三郎!!」
視界が掠れていく。喜一の顔が見えなくなってきた。
「喜一!! 力を出しすぎだ!! 早く解け……」
「煩い!!」
松田の声が聞こえたけれど。喜一が松田に逆らうなんてあり得ないだろう。ぼんやりしながら思っていた。
「お願いだ、三郎……! 死ぬな……!」
「喜一、落ち着け! 頼むから落ち着いてくれ! 江戸が凍ってしまう!」
「三郎……三郎……!」
何度も僕の名前を呼ぶ喜一に、大丈夫だと言いたいのに、瞼が勝手に降りていた。
冷たい手の感触だけが、ずっとしていた。
10
お気に入りに追加
130
あなたにおすすめの小説
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
完結・虐げられオメガ妃なので敵国に売られたら、激甘ボイスのイケメン王に溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
僕の番
結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが――
※他サイトにも掲載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる