妖艶幽玄絵巻

樹々

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妖艶幽玄小巻

巻ノ九『男達の生き様』

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「本当に、やるのかい?」

 心配そうな声に、笑顔で頷いた。

「はい。僕も早く、一人前になりたいですから」

「……あんまり賛成はできないんだけどね。あんたの力は、まだ上がってる途中だから」

 細い腕を組み合わせた桂美祢は、綺麗に剃った眉を潜めている。にこにこと笑っている僕に溜息をついて見せた。

「三郎。あんたの気持ちも分かるけど……」

「美祢様。お願いです。早く追いつきたいんです」

「……喜一に付いて行くためかい?」

 探るような視線に、笑顔は崩さない。

「はい」

「……はぁ~。でもねぇ~」

「お師匠様は亡くなられていますし。封印の珠を内に持つ、美祢様しか頼れなくて……」

「あたしだって、勢いで飲んじまって、こっぴどく怒られたんだよ。幸い、体に馴染んでくれたから良かったようなものの……」

「お願いです、美祢様」

 渋る美祢を真っ直ぐに見つめた。ほとんど変わらない高さにある目を見つめた。

「……そんなに惚れてるのかい」

 にこりと、笑おうとして止めた。美祢に、嘘の笑顔は通じないと、勘で分かったから。

「……はい」

 正直に応えた僕に、彼女の細い手が僕の頭を撫で回した。結んでいた長い髪が少し乱れてしまう。

「あんなすっとぼけた奴のどこが良いんだかね」

「そこが良いんですよ」

「……分かったよ。危ないようだったら、すぐに吐き出させるからね」

「はい!」

 僕は数珠に繋いでいた封印の珠を外した。小さな、小さな、緑色の珠。



 早く、一人前になりたい。



 僕は願うように、封印の珠を唇に当てた。



~*~



 皆で紫藤と清次郎の屋敷に遊びに行った時の事だった。江戸も少し落ち着いたので、霊媒師仲間で遊びに行った日のこと。

 僕はたまらなく胸が苦しかった。

 皆、お酒を飲んで楽しんでいる中で、美祢は紫藤蘭丸と清次郎の二人と一緒に談笑し。

 松田真之介はずっと、山之内七乃助を膝に抱いていた。

 そんな二人に、東条喜一は、笑顔の面を貼り付かせたまま絡んでいた。

 僕は村娘達にお酒を飲まされ、酔った振りをしながら周りを見ていた。陰間に居る頃から飲まされているせいか、それほど酔わなくても、酔っていると思わせるのは上手くなった。娘達に笑顔を振りまきながら、酔った振りして喜一を見つめていた。

 松田はずっと、江戸復旧の間、喜一を影として、側に置いていた。その間、七乃助は少し遠い距離に置いていたのだけれど。

 こうして江戸を離れられるまでになったのなら。

 もう、影としての喜一は、外される。

 喜一もそれが分かっているのだろう、殊更分厚い面が顔を覆っていた。松田と七乃助をからかい、今までの距離を埋めさせるかのように、二人を接近させてやっている。



 憎らしい。



 もっと、喜一の事も見て欲しい。

 眠たい振りをしながら、畳を握り締めていた。あんなに松田を想っているのに、どうして分厚い面に気付かないのだろう? 主なのに。

 娘達に肩を揺すられながら、喜一が紫藤達の方へ行く姿を見つめた。背中が、とても寂しそうに見えた。



 僕じゃ、駄目ですか?



 背中を見せている喜一に、胸が苦しくて。

 声が聞こえる度に、体が震えた。

 影として松田の側に居る間は、僕にはどうしてあげることもできなかったけれど。

 そろりと立ち上がり、寂しい背中に抱き付いた。酔った振りを続け、甘えた。二人切りになりたいと、甘えた。

 皆の前で、松田の前で、喜一に口付けた。久しぶりに感じた熱い舌は、ほんの僅かに、震えていた。

 抱き上げてくれた腕に支えられて、少し離れた部屋に入った。僕と、喜一の、二人だけだった。

「ほら、ここの部屋が空いてる」

「喜一さまぁ~」

「暴れんなって。おっことしちまうよ」

 暗い部屋の中に入った喜一は、僕を降ろすと障子を閉めた。側に座り、ペシッとおでこを叩いてくる。

「で、酔った振りした訳はなんだい?」

「…………酔ってますよ~」

「嘘だね。三郎ちゃん、俺と同じくらい、強いだろう?」

 見破られた僕は、観念して体を起こした。喜一に僕の面は通じない。

 暗い中で、喜一の顔に手を伸ばす。結んでいた髪を解いてあげた。サラリと、綺麗な黒髪が流れ落ちる。結び目さえ付かないほど、綺麗な髪質だった。

「三郎ちゃん?」

 髪が顔に掛かると、綺麗な男になる。吸い込まれそうなほどに。顔に貼り付けた、憎らしい男の面が無ければ、女達が放っておかないほど良い男だ。

 作り上げた分厚い面に生きる男。

 面を外すように、両手で顔を覆った。

「……お苦しそうだったから」

 誰にも聞かれないよう、小さな小さな声で囁いた。

 ピクリと、喜一の頬が揺れた。

 分厚い、とても分厚い面が、ゆっくりと剥がれ落ちていく。僕しか知らない、彼の素顔が出てくる。

 綺麗な顔をくしゃくしゃにした喜一が、僕に負けないくらい、とても小さな声で囁いた。

「……そりゃ……辛いさねぇ~」

 崩れ落ちた体を抱き締めた。そのまま膝に頭を乗せてやる。顔が見えないよう、僕の方へ体を向けた喜一は、お腹に顔を押し付けた。

 長い髪を梳くように撫で続けた。震えている体が静まるまで。

 影としての役割は終わる。

 それはつまり、また、松田のもとを離れる事を意味していた。

「……喜一様……喜一様」

 サラサラしている髪を梳きながら、何度も喜一の名を呼んだ。

 僕のお腹に顔を埋めた喜一は、静かに震えていた。



~*~



「……どうだい? 苦しくないかい?」

 喜一の事を思い出しながら、封印の珠を飲み込んだ僕は、美祢が見守る中で珠の存在を確認するよう意識を集中させた。

 じわりと、温かい部分がある。そっとそこに手を当てた。胸とお腹の間が、温かい。

「ここから、熱を感じます」

「取りあえず、拒絶反応はないみたいだね。霊力は充分だし、いけそうだ」

「本当ですか?」

「ああ。でも封印の珠は、破壊の珠とは違って、内に封じたりするからね。無茶はできない。暫くはあたしと組んでいくよ。絶対に、一人で行動するんじゃないよ?」

「はい!」

「そのうち、外に封じる仕方も……」

 説明を続けようとした美祢を、部屋の外から呼ぶ声がする。七乃助のようだった。

「今行くよ! ……良いかい、苦しくなったらすぐ言うんだよ?」

「はい、大丈夫です。さ、行って下さい」

「約束だからね!」

 姉のように心配してくれる美祢が、七乃助に呼ばれて駆け出して行った。その後ろ姿を見送り、スッと一度大きく呼吸をすると、僕も部屋を出た。江戸はずいぶん落ち着いているし、危険も減っている。見回りくらいはできるだろうと思って。

 活気を取り戻しつつある江戸の中は、崩れた建物も少なくなった。城を復旧させることが第一となり、余所から大工がたくさん入ってきている。筋肉逞しい男達が、汗水垂らして働いている。

 その大工達に、僕はかなり色目を向けられていた。陰間の名残を示していた短い着物は止めて、喜一が着ているような、質素な着物に変えたけれど。

 美祢が言うには、立っているだけで男を誘ってしまうらしい。僕が霊媒師だと知らない、ここへ来たばかりの大工達に、良く物陰に連れ込まれていたけれど。

 そう言った時、必ずと言って良いほど喜一が来てくれた。働き手が減ってしまうからと、あまり手荒な事はしないで良いと僕が止めるほど、彼は僕を襲った大工を許さなかった。

 ついでに僕も怒られた。

 もう、陰間ではないのだから、と。

 生きるために身を売ることは、何も言わないけれど。

 そうでないのなら、自分を売るなと言われた。

 霊媒師である僕を襲う事は、幕府にたてつく事になる。そのことを、大工の棟梁に隅々まで言い聞かせた喜一のおかげで、僕を知らない大工は居なくなった。鼻息は荒いけれど、襲われることは無くなった。

 僕は守られてばかりだ。喜一にとって、まだまだ子供なのかもしれない。身長が少し伸びたくらいで、顔が童顔だから成長したように見えないし。

 だから早く、一人前の霊媒師になりたかった。封印の珠を体の中に入れることが、危険なことは分かっている。体の中に、外に、封じる力を使うためだ。封じた力が暴走すれば、体が壊れてしまうこともあると言う。

 それでも、僕は一人前になりたい。少しくらい危険でも構わない。

 紫藤の屋敷から江戸に戻って一月が過ぎている。そろそろ、喜一が旅に出てしまいそうで。その時には僕も、一緒に行きたい。連れて行ってもらえるように。

 黙々と町の中を歩きながら、喜一の姿を探した。彼が旅立つ素振りを見せたら、すぐに追い掛けなければ。

 何とか中に入れた珠も落ち着いているし、美祢から力の使い方を急いで学ぼう。

 そう思っていた僕は、ざわりと震えた気配に、足を止めた。町の人々は、威勢の良い声を張り上げながら働いている。

 でも、何だか、嫌な気配がする。

 緊張しながら、お腹に手を当てた。皆、気付いていない。こんなに嫌な気配がしているのに。

 どこからするのか、探るように視線を走らせた。立て直されている長屋敷の屋根、大通りに面した店では野菜が売られている。僕に買ってもらおうと、熱心に呼び込んでいる。

 何処だ、何処からする?

 気配を探っていた僕は、ぞくりと背筋が凍った気がした。咄嗟に上を見る。

 青い空が、一部だけ黒く淀んで見えた。黒い塊が降ってくる。前に駆け出し、黒い影の落下から逃れた僕は、声の限りに叫んでいた。

「逃げて!!」

「旦那? どうしたんでい?」

「早く逃げて!! 悪霊が居る!!」

 場所を示すため、懐から出した札を飛ばした。悪霊は僕の四、五倍はあった。数十枚の札が貼り付き、ようやく異変に気付いた町人が顔色を変えている。

「早く!!」

 怒鳴った僕の声に押されるように皆が走り出す。人々が逃げる様を悪霊が顔の様な所を巡らせている。追い掛けようというのか、札を弾き飛ばして向かおうとしている。

「させない!」

 札に力を込めるため、胸とお腹の間にある、封印の珠に手を乗せた。力を込めたけれど。



 出なかった。



 貼り付かせた札が、ハラリハラリと落ちていく。

 悪霊の顔が、僕を見つけた。

 巨大な手の様な物が振り上げられる。

 体が硬直してしまった。

 力が、出てくれない。

 振り下ろされる巨大な手をただ、見ている事しかできなくて。

 自分の体が吹き飛んでいくのを感じた。頭がミシミシ、軋んでいる。

 地面に擦れた体は、赤い血を地面に染み込ませていた。

 一番酷いのは、頭から噴き出す血だと、ぼんやり思った。



 死ぬのかな……?



 黒い影が体に掛かる。悪霊がなおも手を振り上げていた。

 動かない体で、赤い血を見つめていた。

 その血の中に、喜一の顔が見えた気がして。

 ああ、やっぱり僕は死ぬんだ、と覚悟を決めた時、冷たい風を感じた。

 僕の血も、血が染み込んだ大地も、周りの建物も、凍っていく。

 周り全てが氷に包まれていった。

 重たい体を何とか仰向けにした僕は、巨大な悪霊が凍り、粉々に崩れていく姿をぼうっと見つめた。その側に、会いたかった喜一が立っていて。

 無意識に手を伸ばしていた。振り返った喜一が駆け寄ってきてくれる。

「三郎!!」

 冷たい手が、握ってくれた。

 やっぽり、冷たい人だ。

 笑おうとしたら、血がいっぱい溢れてきた。

「三郎!! 三郎!!」

 視界が掠れていく。喜一の顔が見えなくなってきた。

「喜一!! 力を出しすぎだ!! 早く解け……」

「煩い!!」

 松田の声が聞こえたけれど。喜一が松田に逆らうなんてあり得ないだろう。ぼんやりしながら思っていた。

「お願いだ、三郎……! 死ぬな……!」

「喜一、落ち着け! 頼むから落ち着いてくれ! 江戸が凍ってしまう!」

「三郎……三郎……!」

 何度も僕の名前を呼ぶ喜一に、大丈夫だと言いたいのに、瞼が勝手に降りていた。

 冷たい手の感触だけが、ずっとしていた。

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