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妖艶幽玄小巻
6-2
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苛立ちは、日を追うごとに重くなっていく。
俺にまとわりつく半透明なモノが、そうさせているのだろうか。
「では、今宵はこれにて」
「……ああ」
渋い顔をした真之介が、腕を組んで頷いた。引っかかりはしたけれど、気にする余裕はない。
早く女を抱きたい。
抱いて紛らわしたい。
足早に自室に戻ると、時が過ぎるのをじりじりと待った。皆が寝静まる頃に抜けだし、起き出す頃に戻ってくる。
俺の腕なら何の問題もない。
敷いていた布団の上で時を待っていた俺は、スッと障子の前に立った仲間に体を起こした。
「旦那様がお呼びだ。急ぎ支度せよ」
「……旦那様が?」
何の用だろうか。仕方がなく、部屋に行く。
いつもならもう、就寝しているはずなのに。布団も敷かれておらず、蝋燭の明かりが室内を照らしている。それに廊下で別の影が二人、見張っているはずなのに。引かせているのか、誰も居なかった。
「……こちらに来て座れ」
命じられ、障子を閉めると真之介の側に寄って座った。
「両腕を出せ」
「……?」
言われた通りに差し出した。
「違う、後ろにだ」
「……後ろ……でございますか?」
「そうだ。命令だ、はよう」
促され、訳が分からず両腕を後ろに回した。立ち上がった真之介が、俺の背後に回る。正直、落ち着かない。背後を取られることは、死を握られているのと同じだから。
主とはいえ、簡単に影の後ろに立ってほしくはなかった。
「動くでないぞ」
そう命じられ、じっとしていた俺の腕を縄で縛り上げてくる。さすがに戸惑い、顔を向けたけれど。グルグル巻きにされた両腕は固定されてしまった。用意に外れそうにない。
「旦那様……?」
俺の問い掛けを無視した真之介は、いきなり俯せに倒してきた。受け身も取れず、顔を強打してしまう。
何を、口を開き掛けた時、腰に回った大きな手が俺の影の装束を解き始めた。足首まで引き下ろされ、狭い中へ無理矢理突っ込まれていた。
背中を走る激痛に呻いた。叫ぶなんて、みっともない真似はできない。影の意地がある。
けれど好き勝手に中を行き来され、潤いもないままに広げられた場所が切れていた。
「だ、旦那様……! 何をなさるのです……!」
顔を向けようとしても、痛みが全身に広がって動けない。腰を打ち付けられ、体が軋んでいる。
こんな事をされたのは初めてだ。
一番優秀な影として生きてきた俺に、なんという侮辱だろう。
主の性処理を請け負わされるなんて。
「お……おなごが抱きたいのであれば……ご、ご用意……致します……故! お止め……ぅああ!!」
押し付けてきた。根元まで入れ込み、奥を何度も押し付けられている。
たまらない痛みだった。腕を斬られるより痛む。
なにより屈辱で、怒りが沸いてきた。
何で俺が?
一番の影だぞ!
真之介を守ると、産まれた時から定められていたのに……!
「……殺して……やる」
好き勝手に出入りする彼が、憎らしい。
憎くて、憎くて、たまらない。
「絶対……殺してやる! 殺してやる! 殺して…………あ……ああ! あああ!」
中で、出されていた。気持ちが悪い。
男に出されるなんて。何もできないままに。
怒りに噛み締めた唇が切れていた。滲んだ血の味に、正気を保とうとしたけれど。
装束の下が完全に取り払われていた。下半身が露わになっている。広げられなかった足が、膝を折り曲げるようにして広げられていく。
そうすると、あそこが開いていた。未だ入れられたままの真之介のモノが、ヒクついている。
無言だった。彼はずっと無言のまま、再び腰を振り始める。中で出された物が、ぐちゃぐちゃと俺の耳に不快な音をさせ、僅かに不安を感じた。
体が震えた。
分からない何かに、怯えている。
この俺が、怯えている?
そんな馬鹿な。
俺は影だ。
今更感じる恐怖など、何もないはずなのに。
グッと押し込まれた奥が痛み、違う何かを感じた気がして。打たれている尻に力が入る。
敏感に感じ取った真之介が、俺の左足を持ち上げ、繋がったまま仰向けに返してきた。
顔を寄せてきたら喉を噛み切ってやろう。松田家など知ったことではない。
俺以上の影が居ないのだ、いくらでも逃げおおせる。
この男を殺して、俺は……。
「…………ひっ」
喉が鳴ってしまった。
見上げた先に、幾つもの人の顔が浮かんでいた。
顔を寄せてくる半透明のモノを振り払おうとしたけれど、縛られた両腕は背中の下敷きになっている。
足も封じられ、男に掘られ。
身を守ることができない。
両腕を使えない恐怖が、大きく圧し掛かってくる。
振り払えない。
闘えない。
何もできない……!
それが分かっているのか、ヒタヒタと顔に手を当てるように触れてくる。感触はなくても、寄せられた顔に、身を守れない不安が大きく膨らんだ。
体が震えた。
「……くる……な!」
尻を打つ痛みなど、忘れてしまうほどに。
「……いやだ……くる……な!」
寄せられた顔。
顔。
顔。
俺を恨む、何百という顔。
「……ぁ……ぁ……っ!」
喉がヒクヒクと動くばかりで、まともな言葉は出てこなくなる。
息が苦しくなる。
半透明なモノ達に囲まれ。
真之介に中を犯され。
逃げるように瞼を閉じた。
もう、そうすることしかできなかった。
震えた俺を、真之介は一言も話さず、抱いていた。
***
縛られた両腕は、ずっと背中の下敷きにされていたせいで、痺れて動こうとはしなかった。
尻からは受けきれなかった白濁が溢れ、畳を汚している。
下半身剥きだしのまま、大の字で放置された俺を、ずっと半透明なモノ達は見下ろしていて。
声を出すことも、震えることも、できなくなっていた。体はピクリとも動かない。
「お前がしたことは、これと同じ事だ」
夜が明けたのか、白けた障子の光を背に浴びながら、真之介がようやく口を開いた。ぼうっと半透明なモノを見上げている俺に、膝一つ分だけ、近付いてくる。
「闇の中で襲われたおなご達の気持ちが、少しは分かったか?」
偉そうな、口を動かそうとして失敗した。カサカサに乾燥している。
「お前のやりようは目に余る。身をもって感じてもらうため、俺がお前を襲った」
大きな手が、俺の頭を撫でている。
体に力が戻ったら、すぐに殺してやる。こんな男、腕さえ自由だったなら、すぐにやれたのに。
見上げた俺を、真之介も見つめていた。ゆったりと、撫で続けている。
「痛かったであろう……だがの、喜一。お前が襲ったおなごの一人が身籠もり、それを苦に身投げをしたのだぞ」
彼の言葉に、僅かばかり鼓動が跳ねる。頭から頬へ手を移した彼は、俺の頬を包み込んだ。
「夫に申し訳がないと、な……。そこにおるおなごだ。お前が襲ったおなごの一人だ」
そこ、と真之介が指差している。半透明のモノの中に、見知らぬ女が居た。女を襲う時、顔まで確認してはいないから。
夜這いをしかけた内の一人。顔さえ覚えていない自分に、胸が苦しくなってくる。
「夜な夜な俺の所に出てくるのでな。調べさせた。影達に言うても、お前を止められる者がおらぬと言うた。故に、俺が仕置きをせねばと思うたのだが……」
真之介が顔を寄せてくる。俺の頬を、まるで愛しむように撫でてくる。
「お前も辛かったのだな……」
彼の一言に、体が震えてしまう。
「見えておるのだろう?」
抱き上げられ、膝に乗せられた。
「この世に残る者達が……」
大きな手が、俺の頭や背中を撫でてくる。
誰にも、そんなことをされたことは無かった。
生き残るためには、相手をやるしかない。
たとえ仲間でも、俺が生きるために、相手を葬るしかなくて。
「……お前の気持ちも、俺には分かる……辛かったな、喜一」
抱き込まれると、目頭が熱くなっていた。熱い雫の塊が溢れてくる。
とっくに枯れたと思っていた涙が、次々に溢れてくる。
「影として生きるには辛かろう。俺から皆に話してやる故、影を抜けよ」
半透明のモノ達が見つめている。隠すように大きな体が抱き込んでくれた。
俺があやめた者達。
生き残るためにあやめた者達。
俺のせいで、命を絶ったおんな。
皆、皆……俺が生きるために……!
何かがこみ上げてくる。
押し込んでいた何かが、影として生きるために捨てたはずの何かが。
こみ上げてきて仕方がない。
「……ごめ……な……さ……!」
「喜一……」
「ごめ……なさい……! ごめんなさい……ごめんなさい……!!」
抱き込まれた体に何度も謝っていた。
溢れた涙は、真之介が受け止めてくれた。
取り囲んでいた半透明のモノ達は、ずっと側に居た。
***
精も根も尽き果て、寝かされた布団の中でずっと夢の中に居た。
俺の夢はいつも決まって黒い。黒くて、溶け込んでしまいそうなほどに。
その黒い夢の中に、淡い白い光が混ざっていた。僅かに混ざるその白い物は何だろうと、ぼんやり見つめていた俺は、震えた瞼を開いていた。
光が大きくなったのかと思った。数度瞬きを繰り返した俺を覗き込むように、顔が寄せられる。
「気が付いたか?」
「……旦那様……?」
「体は拭いてやったが……まだだるかろう。寝ていて良いぞ」
そう言って、顔に手拭いが当てられる。見下ろせば、裸にされていて。すでに拭き終わった後だった。
跳ね起きようとしたら腰が痛くてできなかった。政務に出たはずの真之介がどうしてここに居るのだろう?
「これ、動くでない」
「し、しかし……! 私のことなど構いなさいますな! 影が庇われるなどと……!」
「もう終わらせてきた! 案ずるな!」
簡単に抱え上げられていた。布団に戻される。
昨晩、あれほど激しく抱いておきながら、打って変わって優しい態度に、戸惑わずにはいられない。まして俺は影なのに。体調が悪くなろうが、主が構うことではないのに。
相変わらず俺を見ている半透明の者達も、部屋に集まっていた。日が昇っているとはいえ、見えるモノは見えている。俺達の様子をじっと窺っている。
「今、粥を作らせておる」
「俺のことはどうか……」
「のう、喜一」
主を見上げる俺に、にこりと笑っている。
「ようやく、本当のお前が見えた気がしたよ」
「……本当の……俺?」
「あやめた命い対する償いは必要だ。良いな?」
諭すような言葉に、知らず頷いていた。真之介も頷き、外から掛かる声に答えている。
運ばれてきた粥を自ら引き寄せ、俺の体を抱き起こしてくる。自分で食えるからと、突っぱねても無駄だった。
匙を差し出され、仕方が無く口に入れていく。
どうして、俺の世話などするのだろう? 俺は家臣で、影で、守る側なのに。
放り込まれる粥を食べながら、そう言えばと半透明のモノ達を見つめた。俺に、詰め寄ってこない。
この部屋には居るけれど、真之介の側近くに寄り添っている。静かに、見守るように、浮かんでいる。
「……どうした?」
問われ、慌てた。
また、涙がこみ上げていて。
「な、何でも……ありませぬ!」
腕で擦った俺を、真之介の逞しい腕が抱き締めてくる。そうされると、何て心地良いのだろう。
そろりと、手を伸ばしてみた。広い背中に抱き付いた。
「泣くな、喜一。泣いている暇はないぞ」
「……はい」
「俺も一緒に、見送ろう」
大きな手に背中を撫でられ、見つめている半透明のモノ達を思い切って見つめ返す。
今まで押し隠していた謝罪の念に押し潰されそうな俺の体を、真之介はずっと支えてくれた。
俺が潰れてしまわないように。
逃げないように。
ずっと、ずっと、側で諭してくれた。
***
俺が俺になれるように。
旦那はそう言った。
松田家を去ることになった旦那を、俺も当然追い掛けた。
初めてだった。この人の影になりたいと、心底願ったのは。影を辞めても良いと言ってくれたけれど、俺は影であり続けたのに。
旦那を守る影でありたかったのに。
『俺の影である限り、お前は影を捨てきれまい。捜せ、お前の中のお前を、な』
ついて行くことを許してくれなかった。
旦那は寺に入り、俺は後を継いだ松田幸之助の影になったけれど。あの男、俺を抱こうとしやがった。
股間を握り潰してやろうかと思ったけれど、そうすればまた、旦那が引き戻されてしまう。松田の家を嫌っていた旦那を引き戻すようなことはできない。
仕方が無く、一発喰らわせて気絶させ、影を抜けた。
追い掛けてきた奴は殺す、そう脅せば誰も追っては来なかった。一人旅に出て、暫くは自分を捜した。
俺はどうしたい?
俺はどうなりたい?
陽気な面を被って生きてみた。強い霊感を買われ、霊媒師にもなってみた。
だが、俺はどこに居るのか。
本当の俺とは?
分からないまま時は過ぎ、出来上がった分厚い面を被って旦那に再会した。
『ずいぶん変わったな』
そう言って笑った旦那に、抱き付きたかったけれど。
俺が変わったように、旦那も変わっていた。
旦那の心にはもう、小さな七乃助が住んでいた。俺が離れている間に、心を奪われた存在。
大事な存在を見つけた旦那の目は、どこか穏やかで。俺には見せなかった心を、七乃助には見せていた。
側に居てはいけないと、俺は霊媒師としての仕事を続け、時々、旦那と七乃助の様子を見守っていた。
分厚い面は被り続けた。陽気な俺であり続けた。
それが旦那を安心させる俺の姿だったから。
三郎に見抜かれるまで、誰にも気付かせたことはなかったのに。
「……喜一」
名を呼ばれただけで、体中が震えた。しがみ付くように俺の袖を握っていた三郎の手をそっと外す。一歩、足が踏み出していた。
解いていた髪を風が吹き上げている。背中から風を受けている人を見つめる。
「暫くの間、俺に仕えてくれ」
この人の影になりたいと、願った人が、俺を求めてくれている。
「……はい、旦那様」
震える声を押し隠し、忠誠を誓った。
一時の間であろう。混乱している江戸を復興させる間、その間だけ、俺を影として求めてくれている。
側に仕える者として。
七乃助よりも、一歩近い位置に、置いてくれる。
胸が張り裂けてしまいそうなほど、鼓動が高鳴った。
ごめん、三郎ちゃん。
俺はやっぱり。
旦那の側で死にたい。
歩き出す旦那の背を追い掛ける。上に立つと、宣言した彼を支えるために。
後ろから聞こえた微かな泣き声は、俺には届かず、風の音に掻き消えた。
小巻六 完
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