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妖艶幽玄小巻
巻ノ五『器』
しおりを挟む俺は身分という物が面倒で、人の絆を壊す物だと思っている。
武家社会に身を置いていればずっと、その身分に振り回される。
だから、家を出た。
坊主になり、質素でも自由な生活を望んだ。
「……お師匠様。何度も申し上げておりますが、俺はもう、力は要らぬのです」
「儂も何度も言うておろう。破壊の珠はお前に譲ると」
「ですから。要らぬのです」
「じゃから受け取らぬか、馬鹿弟子」
身を寄せた寺で、向かい合った俺と師匠。頭髪の薄くなった師匠は、破壊の珠と封印の珠を二つ持つ、稀な霊媒師だった。
破壊の珠を内に宿し、封印の珠は左腕にはめた数珠に繋がっている。その数珠で、悪鬼と呼ばれる古の魍魎を封じているそうだ。
短く切った髪を撫で回した俺は、ほとほと困っている。生やした無精髭を一撫でしながら師匠の顔を見つめた。
名門家から出家し、こうして坊主になれたのは、師匠のおかげだとは思っている。俺の霊感を高く評価し、必ず優秀な霊媒師になるからと引き抜いてくれたおかげで、坊主になれた。
それは感謝している。でも、俺は坊主で良い。
「侍を捨て、ようやく質素な暮らしになれたのです。また俺に身分を背負えと?」
「そうじゃ」
「嫌ですな」
「嫌だと言うても継がせるぞ」
「……何故、俺なのです」
坊主になって間もない俺だ。念仏を覚え、その辺を漂っている霊くらいなら、送ってやれるまでになった。これ以上の力は欲しくない。
霊媒師など、なりたくない。
「お前こそ、どうしてそう身分を嫌う? 名門松田家に産まれておきながら……。のう、真之介」
「……さて、俺は自由になりたいだけです」
腕を組み、師匠から視線を逸らした。
松田家。
この名を捨て、自由に生きる。その日その日を気ままに生きたい。
ただそれだけだ。
「とにかく。俺は霊媒師など、なりとうありませんので。ご免」
早々に立ち上がり、師匠の前から退座した。唸った師匠は、追い掛けてはこなかった。
いずれ諦めるだろう。
頭を掻いた俺は、大きな欠伸を一つした。
***
それから月日が経ち。
師匠は未だ、俺に継げと言い続けている。俺も意地になって断り続けていた。師匠が悪霊退治に行く時は付いていかされたけれど。その他は坊主として、質素にやっていた。
そんなある日、いつものように師匠が訪ねて来た。その傍らに、大柄な男が立っていて。
歳も体格も、俺とあまり差が無いように見える。
「さあ、そろそろ決意を固めたか、真之介」
「お師匠様も諦めが悪いですな。俺は坊主として一生を終えるつもりだと申し上げておりましょうに」
「この様な事を言うのだぞ、お前の兄弟子は」
「……ほう、弟子を取られたのですか」
ニヤリと、笑ってしまう。
もう一人弟子を取ったということは、俺を諦めたということだ。
「……あからさまに嬉しそうな顔をしおって。憎らしい奴よの!」
「これで俺は用済み。坊主として生涯を終えましょう」
「そうはいかぬ」
男を連れてきた師匠は、俺と並べてみせている。
やはり体格が似ている。ボサボサの髪を整えれば、顔立ちも少し似ているだろうか。鏡を見ているように、まじまじと相手を見てしまう。彼もまた、俺をじっと見ていた。
ずいぶん着古した着物を着ていた。体も汚れている。髭も好き勝手に生えていた。
「どうしても弟子にしてくれと頼みこまれてな」
「良いではないですか。連れて行けば」
「……まあ、後で話す。平井宗二郎だ。この馬鹿弟子が、松田真之介」
俺を指差し、紹介している。
「……松田……様」
一瞬、眼孔が鋭くなった気がする。髪に隠れた強い瞳に、頭を掻いた。
「その名は捨てたと申したはずです」
「捨てても付きまとうものだ」
「故に坊主になり、質素に生きたいのです。どうか俺の事はお諦め下さいませ」
二人に背を向けた俺の背中を掴んでくる。坊主の装束が思い切り引っ張られた。
「暫くの間、宗二郎をお前に任せる」
「……何ですと?」
「では頼んだぞ」
そう言って、宗二郎の背中を叩くと踵を返して帰っていく。
「お師匠様! 任せると申されても……」
「頼んだぞ!」
手を振り、さっさと寺を立ち去ってしまった。
さて、どうしたものかと宗二郎を見れば、彼は静かに俺を待っているようだ。袖に手を通しながら、大きな溜息をついてしまう。
「……何にせよ、着替えようか」
「はい、松田様」
「よしてくれ」
虫ずが走る呼び名に肩を竦めた。
「真之介で良い」
「……しかし」
「呼びにくいなら……そうだな、兄と呼んでくれ」
「……兄?」
聞き返す宗二郎に笑った。
「弟子になったのであろう? ならば俺は兄弟子になる」
「……何故、松田を嫌いまする?」
鋭い目を見つめながら、ポンッと彼の肩を叩いた。
「人のしがらみに、縛られたくない故な」
千切れ掛けた草履を脱がせ、寺に上げた。ここは師匠の知り合いの坊主が住職だ。師匠が置いていったと言えば置かせてもらえるだろう。
大人しく付いてくる宗二郎は、何かを考えるように大きな手を握り込んでいた。
突き刺さる殺気に似た視線に、そっと溜息をついて気付かない振りをした。
***
宗二郎を置いて師匠が去ること五日。坊主の装束に身を包んだ宗二郎は、ボサボサして髪を一度ツルツルに剃っていた。少し生えた髪が青さを出している。
早朝から朝のお勤めをし、托鉢に出かけ、静かな中で修行を続ける。時折見かけた霊を見つけては、送り出してやっていた。
そんな俺に、付かず離れず、宗二郎が寄り添っていた。住職にも、似ていると言われ苦笑した。
ここに入門した時には、一度髪を切り揃えた俺だ。その時の姿に似ていると皆が冷やかした。本来なら剃るべきところなのだが、どうにもいかつい顔になるので止めておけ、と周りが止めた。
その奥には、いつでも松田家に戻れるようにとの配慮があることは分かっている。一度出家した者が戻ることなど許されないというのに。
何故、皆は俺を松田家に戻そうとするのだろう。
俺が居なくても、あの人が居れば……。
「……兄じゃ。何を迷うておられるのですか?」
座禅を組み、瞑想していた俺の背後から声が掛かる。閉じていた瞼を開くと、宗二郎を振り返る。
「迷う? 俺が?」
「はい」
「さてな。迷うておるつもりはないが……」
「某ならば、松田家を捨てたりはしませぬ。家を守り、家臣を守ったでしょう」
俺の目を見てそう言い放った宗二郎は立ち上がっている。拳を突き出し、身構えた。
「勝負です、兄じゃ」
「……待て。何故そうなるのだ?」
「問答無用!」
飛び掛かってきた宗二郎を横に飛ぶようにして転がりながら避けた。その勢いを使って起き上がる。突き出された蹴りを腕で受け止め、弾き返しながら、体格の良い宗二郎に体当たりを喰らわせた。
だが、やはり体格が良いせいか、倒れなかった。よろめきながらも下から拳を突き上げてくる。腹部に受ければ強烈だろう。一歩後ろへ飛んで交わした。
「……何と憎らしい……!」
「おいおい! 坊主がこの様な喧嘩を……!」
説得する間は無かった。がむしゃらに拳を突き込んでくる。一発でも喰らえば意識が飛ぶかもしれない。
仕方がない。両手に拳を作り、腰を落とすと、突進してきた宗二郎の突き出された拳に突き合わせ、痛みに怯んだ彼を背負い投げた。
背中から叩き落とした宗二郎が呻いている。そのまま腕を掴み、締め上げた。
「さて、兄に刃向かうとは何事だ、弟よ」
「……くそ!!」
「何とまあ、坊主の心得のない男よの」
笑いながら体を起こした。跳ね起きた宗二郎の背後に周り、太い首に腕を回した。
「どうした。何を苛立っておる?」
「…………煩い!」
「嫌われたものだな」
俺の腕を掴む宗二郎が引っ掻いてくる。やれやれだ、思いながら解放してやった。
振り返る瞳があまりに俺を憎むので、顎に手を当てながら肩を竦めた。
「ここは寺だ。喧嘩がしたいなら出て行け」
「…………」
「宗二郎。聞こえなかったか? 出て行けと言ったのだ。お前に坊主は似合わぬ」
「某がなりたいのは坊主ではない。兄じゃが嫌がる霊媒師だ」
燃えるような瞳が睨んでくる。ドサリと尻を落とした俺は、腕を組んだ。
「ならば落ち着け。どうせ俺は霊媒師になる気はない。いずれお前が継ぐだろうよ」
「…………それが憎らしいのです!!」
両の拳を震わせた宗二郎は、背を向けると足音荒く出ていった。
何が何だか、俺にはさっぱりだった。
会ってまだ数日だというのに、ずいぶん嫌われてしまった。
溜息をつきながら、座禅を組み直す。
俺はこのままで良い。
静かな生活の中に身を置き、静かに死ぬ。
それだけで良かった。
***
師匠は戻っては来なかった。相変わらず宗二郎に睨まれる日々。
半月が過ぎた頃、俺も限界を迎えた。常に背中から睨まれる身にもなって欲しいものだ。
托鉢が終わり、寺へと帰る道で宗二郎を振り返る。先輩坊主達には先に戻ってもらいながら、被っていた笠を持ち上げた。
「頼むから。そう睨んでくれるな」
「…………ふん」
「可愛くない弟だの。何が不満なのだ。侍を捨て、坊主の道に入った仲間ではないか」
「……何故某が侍だと分かった?」
「農民や商人にあの様な喧嘩はできぬ」
一瞬でも気を抜けば喰らっていただろう拳。刀が無くて良かったと思ったものだ。
俺はもう、命のやりとりはしたくない。
命を送ってやる役目に回りたい。
どうして皆、それを分かってくれないのだろう?
松田家にはあの人が居る。
霊媒師になりたがっている宗二郎も居る。
俺でなくても良いはずだ。
「なあ、宗二郎。何度も何度も言うておるが、俺は霊媒師になどならぬ。お前が敵対意識を持つ必要はないのだ」
「……ほんに腹の立つお人だ……!」
被っていた笠の紐を解き、投げ捨てた宗二郎が飛び掛かってくる。一瞬、反応に遅れながら持っていた荷物で受け止めた。せっかく托鉢で集めた米が散らばってしまう。
さすがに俺も頭にきた。質素な暮らしをして良く分かったことがある。この時代、食べ物が当たり前にあると思ってはいけないのに。
「食い物を粗末にするな!」
「…………!」
掴み掛かってきた宗二郎の手を思い切り弾き、落ちてしまった米を一粒一粒集めていく。
皆、坊主を信じ、少ない食料を分けてくれている。松田家に居た頃は、知らなかった民の生活が、今では身近に感じられる。
生きていると、実感していた。
俺はこのままで良い。
土と混ざり合った米を袋に詰め直し、立ち上がると宗二郎を抜いて歩いた。
黙ったままついて来る。もう、殴り掛かってはこなかった。
日が暮れかかる中、俺達は長い道を戻っていく。重苦しい空気が背中を覆い、溜息しか出なかった。
最後に寺に戻った俺達は、夕飯を抜かされた。寄り道した罰として、本堂の掃除まで命じられる。
雑巾を手に、床を拭く俺を宗二郎はやはり睨んでいて。
「……なあ、いい加減にしてくれないか」
床を拭きながらそう言えば、分厚そうな唇を噛み締めている。
「某は……兄じゃの家柄が欲しかった」
絞り出す彼の声に、手を止めた。先輩坊主は居ないし、胡座をかいて座った俺は、宗二郎を手招きしてやる。少し間を空けて座った彼は、きっちり正座した。
「某の家は、幕府の命によりお取り潰しになり申した……」
「……そうか。それでお前、浪人になった訳か」
俺の言葉に両手が震えている。
「謂われのない反逆の罪を被せられ、家長であった父上と、兄上は死罪になり申した。某は辛うじて外のお役目にて、家を出ており難を逃れましたが……」
握り締めた彼の手から血が溢れてきた。爪が掌に食い込んでいる。痛みを堪えているのか、記憶に苦しんでいるのか、肩が震え始めた。
「来る日も来る日も……追われる日々。髷を切り落とし、髪が伸び、人相書きから姿を変え、ようやっと落ち着きましたが……今でもさらし首になった父上と兄上の姿を忘れることができませぬ……!!」
苦しげに叫んだ宗二郎の肩を抱き寄せた。同じ体格の男を胸に抱くのは難しい。せめてもと、握り締めて血を流す手を解いてやった。
「……某には、兄じゃの気持ちは分かりませぬ……! 何故家を出られたのです!」
安泰な家に居ながら、そう続けた宗二郎を間近に見つめた。
下級の武家に産まれた彼にしてみれば、幕府との繋がりが強い松田家を出た俺の気持ちは分からないだろう。よほどの事件を起こさない限り、家が潰されることはない。
故に、俺はあの家が嫌いだった。
家を継ぐことが、あまりに堪えられなかった。
「……俺には兄が居る」
ポンッと宗二郎の頭を叩いた俺は、膝を突き合わせて座った。正座をしている宗二郎の方が、少し視線が上になっている。熱心に見つめてくる視線に、乾いた笑みが漏れた。
「母は違うがな。側室の子として兄が先に産まれた。名を幸之助と言う」
血を流す宗二郎の手を取り、懐に入れていたさらしを取り出した。半分に切り裂き、両手に巻いてやる。
大きな侍の手を見つめながら、握る力を強くした。
「五年後に俺が産まれた。正室の子としてな」
「正室の子が跡目を継ぐのは至極通り。何を迷われるのです」
宗二郎の言葉にまた、乾いた笑みが漏れる。
「そうだ。父上は早い段階から、俺を跡目にすると周りに触れ回っていた。兄は俺の家臣であり、兄ではないと、な」
「それが武家です」
当然のように頷く宗二郎を抱き寄せた。倒れ込んできた大きな体を抱き締める。戸惑う彼の背中を撫でてやった。
「俺は兄を兄と呼びたかった」
「……意味が分かりませぬ」
「正室であろうが、側室であろうが、おなごはおなごではないか。同じ子として産まれながら、先に産まれた兄を何故兄と呼べぬ」
俺の問い掛けに、宗二郎は答えなかった。無意識に頭を撫でてしまう。
「幼い俺が兄に話し掛ければ、皆が兄に跪けと言う。その度に兄は俺を憎らしげに見上げておった。俺が産まれるまでは、兄が後継者として決まっておったからな」
正室であった母は、体が弱く、子は無理であろうと言われていた。そのために取った側室であったから。
側室に出来た子で、跡目は安泰だと皆が喜び、兄も正しくあろうと真面目に武道も勉学にも励んでいた。
ところが俺が産まれてしまった。兄の立場はすぐに逆転してしまう。
盛り立てていた周りも、すぐに俺に寝返った。
俺はただ、兄と親しくなりたかっただけなのに、周りは俺と兄を兄弟としてではなく、主と家臣として扱った。
「……俺が正式に家を継いだ時、兄の目は俺を射抜き殺そうとしていたよ」
膝に埋まった宗二郎の頭を撫でながら、押し隠していた記憶を語ってやった。
家を欲している宗二郎と。
家を捨てたい俺。
皮肉なものだ。武家社会に生きたい宗二郎に、くれてやれるものならくれてやりたい。
「俺の側には松田家随一の影が就いた。だが、兄の側に影が就けられることはない。……あの家には憎しみが溢れていた。二度と戻りたいとは思わぬ」
俺が家を出れば、兄が跡目を継ぐ。現に、今の松田家は兄が継いだ。
これで良い。
俺は自由になるし、兄は望んでいた家長になれた。
きっとこれで良いはずだ。
「……何も分かっておらぬお方だ」
ゆらりと、俺の膝に埋もれていた宗二郎が顔を上げている。不意をつかれ、押し倒されていた。肩を押さえつけられ、ぎりぎりと軋んでいる。
「その態度故に、腹立たしいと何故分かりませぬ!」
「……どういう意味だ」
「……ほんに……ほんに……!」
苛立ちを隠せないまま、宗二郎が覆い被さってくる。分厚い唇が重なった。割って入ってくる舌に目が見開いてしまう。
「そうじ……ろ……!」
馬鹿力だ。腕を固定されて動けない。熱い舌が口内を掻き回してくる。装束を引っ張ってもビクともしなかった。
なおも口付けは続いた。寺の中で何ということを。
どうにか外そうともがいていた俺は、下に当たる大きな手に驚いた。揉みしだくように動いている。
宗二郎は俺を抱く気なのだろうか?
眉を吊り上げ、彼の首に、自由になった俺の左親指を突き立てた。
「……ぐっ!」
痛みに拘束力が緩む。その隙に彼の首を両手で締め上げ、体から離させた。苦しむ彼の腹部に、自由になった右足を思い切り叩き込んでやった。
転がっていく体を見つめながら起き上がる。喉と腹を押さえた宗二郎を見つめながら、濡れた口元を拭った。
「噛み付くくらいなら許してやろう。だが、俺を抱こうなどと思わぬことだ。俺は抱く側なのでな」
「…………くそっ!」
「お前が男を趣味にしていたとはな」
はだけてしまった装束を整える。未だ呻く彼の前で胡座を掻いて座り直した。
さあ、今度はどう出る?
飛び掛かってくるなら叩き伏せてやる。
静かに身構えていた俺は、咳き込みながら悔しげに唇を噛み締めた宗二郎を見守った。項垂れたまま、静かに涙を流している。
さすがに戸惑った。泣くほど痛くしてしまっただろうか。
「おい、宗二郎……」
「兄じゃは何も分かっていない……!」
腹を押さえ、泣き続ける宗二郎に、伸ばし掛けた手を止めた。
「幸之助殿も、覚悟はしていたはず。武家社会に生まれた以上、そのしきたりは身に染みて分かっておったはずです……!」
涙に濡れた顔が上がった。俺を見上げる瞳が濡れていて。
ずんっと、重い何かが胸にこみ上げた。じりじりと宗二郎が近付いてくる。
「兄じゃが家長として、堂々とした態度をお取りであれば、幸之助殿とて支えとなったでしょう」
宗二郎の顔が近付いた。
あの日の。
俺が家督を継いだ日の。
兄の目に。
似ていた。
「その様になりたくない物にさせられたと、思うておる者に仕える者の気持ちがお分かりか!? なりたくともなれぬ者の気持ちが、兄じゃにお分かりか!!」
押し倒されていた。怒りに溢れてくる宗二郎の涙が俺の頬に落ちてくる。
再び重なった唇を受け入れた。俺の好みから全く外れている宗二郎の口付けは、激しいだけだった。絡めてくるのに合わせ、教えるように、感じるように、反対に押し入っていく。
俺から仕掛けられるとは思わなかったのだろう、咄嗟に離れようとした体を捕まえた。体を抱き寄せ、激しいだけの口付けを甘いものに変えてやる。感じるように、彼の口内を探ってやった。
次第に力が抜けている。俺の体に、とうとう巨体が重なった。音をたてて唇を離してやれば、真っ赤になった耳が見えた。
「……ぁ……あに……じゃ……!」
「痺れたか?」
「何を……!」
「なあ、宗二郎」
飛び起きようとする体を抱き締める。こんな所を他の坊主に見られたら、かなりまずいだろう。
「俺が……俺がもしもだ。兄を兄としてではなく、家臣として扱えば、丸く収まったのか?」
痺れたように震えている体を抱き締め、問い掛けた。なんとか起き上がろうとしている彼を逃がさないよう、腕に力を込める。
「宗二郎、答えてくれ」
チクチクする短い髪に手を乗せた。そっぽを向いた宗二郎は、ぶっきらぼうに呟いた。
「兄じゃしかいないと思えるほど、立派な主になれば良かったのです!」
「……立派な主ね~。俺には無理だと思うが……」
「その態度がほんに腹立たしい!!」
ゴッ、と俺の頭が鳴った。握り込んだ彼の両の拳が、俺の頭を挟むように打っていた。
「痛いではないか!」
「主の器は!」
怒鳴った俺に、更に怒鳴ってくる。
体を起こした宗二郎は、腹に跨りながら睨み付けてくる。
「持って産まれた物なのです! 兄じゃにはそれがある! だがその器を磨こうとなさらない!」
「……器など、俺には……」
「あなたが正真正銘の馬鹿であれば、家臣も自ずと幸之助殿を立てましょう! あなたが出家したいと望めば喜びましょう! ですが、ほんに憎らしいことに!」
強引に引き起こしてくる。間近で睨まれた俺は、強い瞳と見つめ合っていた。
「人は兄じゃに惹き付けられるのです……!」
「……宗二郎」
「まったくもって腹立たしい!」
憎々しげに叫んだ宗二郎は、また口付けてくる。ぼんやりしながら受け取った。
覆い被さるように押し倒されてしまう。荒々しく合わせてくる唇に感じながら、そっと宗二郎を抱き締めた。
「……お前も俺に、上に立てと言うのか……」
唇を離して問い掛けた。答えることを嫌うように、唇が合わさる。分厚い舌を好きにさせ、力を抜いて任せた。
荒い息づかいを聞きながら、目を閉じた。
産まれた時から、運命が決まっていた。
家臣を背負い、兄ですら家臣とし、松田家の長になる。
同じ歳の子供と遊ぶことは許されず、毎日毎日、勉学と武術を叩き込まれた。
食事に毒が盛られ、夜に襲われ。
誰を信用すれば良いのかと、孤独の中に居た。
松田家を呪う霊が屋敷を取り囲み、その呪いの視線にも耐え難かった。
唯一、心を許せたのは、長となった俺の影として就いた喜一だけ。
彼もまた、産まれた時から影としての運命を背負い、苦しんでいた。
どうすれば良い?
上に立てと言われても……俺は。
「……兄じゃ?」
戸惑う声に、瞼を開いた。濡れた目元が宗二郎の顔を歪ませている。
まだ、涙を流せる体だったのか。
幼い頃、どれだけ泣いても枯れないものらしい。
「……ほんに……俺はなりとうなかった……」
「……兄じゃ」
「家など要らぬ……俺が欲しいのは、ただ共にわろうてくれる者だ……。身分など気にせず、俺と対等に向き合ってくれる者が欲しい……!」
たったそれだけを得ることが、あまりに難しかった。松田家の名が知られたら、皆が俺に遠慮する。出家した今でさえ、他の坊主とは違う一室を与えられ、一線を置かれていた。
どこに居ても、松田家の名が俺を追った。
本当の自由はどこにあるのだろう?
「俺は……お前になりたいよ……」
浪人になって、フラリとした旅を続けてみたかった。日々の暮らしが貧しくても構わない。用心棒にでもなって、稼いで食ってみせる。
自由が欲しい。
望む事は罪だろうか?
「…………興が冷め申した。失礼致します」
宗二郎が起き上がっている。立ち上がって俺を見下ろした。
「俺は兄じゃになりとうございます。あなたを追い抜き、必ず上に立ってみせまする!」
一礼した宗二郎が足早に去っていく。本堂の掃除が終わっていないのに。
声も出せずに見送っていた俺は、高い天井を見上げ、本堂に置かれている菩薩を見つめた。
「……自由にして下され」
願いながら目を閉じた。冷たい板張りが、火照っていた体を程良く冷やしてくれた。
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