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第三巻
巻ノ三十二『残された物』
しおりを挟む喜一の着物は、彼が発した破壊の力と、私の涙で濡れていた。あれほど毛嫌いしていた彼の手が背を撫でる度に、抑えていた感情が噴き出してくる。
すぐに探したかった。
清次郎の魂を追い掛けたかった。
でもそれは、彼が望んだ事ではなかった。皆を私に託すために、封印の力を自ら戻したのだから。
分かっていても、あの時追い掛けられなかった自分が許せなかった。せめて清次郎の魂がどうなっていたのかだけでも確かめておくべきだった。
「……清次郎……清次郎……!」
濡れた喜一の着物にしがみ付いていた私は、そろりと撫でられた頭に顔を上げた。
「蘭々……何で泣いてんだい? 悪鬼はどうなったんだい?」
「姉さん、動いて大丈夫かい?」
「こんなの、かすり傷だよ」
美祢の頭にはさらしが巻かれていた。三郎が手当したのだろう。涙に濡れた私の目を見つめた美祢は、辺りを見回すと、また目を見つめてくる。
「終わったんだね? あたし、何もできなかったね」
「そんなことは無いさ。姉さんの体使って、なんかすげーことが起こったさね」
「……あたしが寝てる間に、何かしたんじゃないだろうね?」
「俺じゃないさ。舞姫って人さね」
喜一が私の肩を押した。引き離され、美祢の胸に顔を押し付けられる。豊かな胸に埋まった私は、そのまま彼女にしがみ付いた。
「姉さんの方が安心だろう?」
「……どうなってんだい。蘭々は泣いてるし、真ちゃんは死にかけてるし」
「勝手に殺すでない」
松田が苦笑しながら起き上がり、すぐに顔を引き締めた。
私の頭を撫でた美祢は、子供をあやすように背中も撫でてくれる。止まらない涙に眉を潜めた彼女は、中に呼び掛けてきた。
「清ちゃん、何か言っておやりよ」
ヒクッと揺れた私の肩に、美祢の手が強張った。泣いている私の顔を掴み、無理矢理上を向かせてくる。
「……まさか……清ちゃんの魂が抜け出たってんじゃないだろうね!?」
「そのまさかさね」
喜一の言葉に肩を揺さぶられる。
「だって、清ちゃん戻してからじゃなきゃ、封印の力は戻さないって、あれほど言ってたじゃないか!」
「戻したのは清次郎殿だ」
私の代わりに松田が答えた。七乃助が腹にきつくさらしを巻いてやっている。痛みを堪えながら、彼は続けた。
「紫藤殿の力は獣に変わった時、更に膨れ上がる。それを良く知っていたのは清次郎殿だ。獣に変わるには封印の力も要る」
「……だって……それじゃあ……!」
「清次郎殿は三つの珠の均衡を保つために入っていただけだ。封印の力とは異質の物。……我らを守るため、自ら力を戻したのだ」
巻き終えたさらしの上から手を当てている。美祢が私を強く抱き締めた。
「……そんなのって……ないよ!」
「清次郎殿の魂が弾き出されたのは見えた。だがすぐに消えてしまった故、後を追えなかった。すまぬ」
私に頭を垂れた松田は、何でもする覚悟だ、と続けた。
何をしてもらっても、清次郎は戻らない。
私がただ一つ望んでいることは、清次郎と共にあることだけだ。
死んでもなお、側に居ると言ったのに。魂は何処にもいない。
姿も見えない。
側に居てくれない。
美祢の胸で泣いた私は、抱かれた背中が軋むほど腕に巻き付かれている。
「……そんなはず……ないよ」
私の顔を掴んだ美祢は、涙に濡れた頬を擦ってくる。
「清ちゃんが蘭々置いて逝くわけない!! 絶対、どっかに居るよ!!」
「美祢……清次郎殿の魂は体から切り離されておる。そんな状態で通常の魂が持つはずが……」
「探すよ、蘭々!! もしかしたら体に戻ってるかもしれない! ……ううん、絶対戻ってる!! 清ちゃんだもん!!」
ゆさゆさ、ゆさゆさ、肩を揺すられた。
「泣いてる暇なんかないよ! 清ちゃんが待ってるよ!」
「美祢……」
「ね! 探すんだよ!」
手を引かれ、立ち上がった。私の頬を痛いほど擦った美祢を見つめ、震えながら頷いた。
清次郎の体に、戻っているかもしれない。
体に入れなくても、その側で待っているかもしれない。
「……清次郎は……居るかの?」
「居るさ! 消えたなんてあたしは信じない! 清ちゃんは絶対、蘭々の側に居る!」
「…………うむ!」
羽織っていた着物を落とし、三つの珠を共鳴させた。落とした着物を手にした美祢は、鳥に変わった私の背中に飛び乗ってくる。
「先戻ってるから!」
「……ああ。紫藤殿を頼む。こちらは俺達でやっておく」
悪鬼に魂を奪われなかった人々が起き出している。様変わりした江戸の様子に、各所で悲鳴が上がっている。
この場は混乱するだろう。霊媒師として、収めてから行くべきなのかもしれない。
「さ、お早く」
【すまぬ……!】
「それはこちらの台詞です。本来なら我らの仕事。紫藤殿にはほんに世話になった」
頭を下げた松田に合わせて、喜一と三郎も頭を下げている。
「あなたはこの時代に生きてはおらぬはずでしたからな。もしも我らだけであったならば、今頃悪鬼の世になっておったでしょう」
松田の言葉に俯いた。生きてはいないはずの私は、未だ時を彷徨っている。
本来ならとっくに、死んでいる体。三つの珠が私を生かし続けている。
「よう、生きて下さった」
彼の言葉に顔を上げる。美祢がふさふさと毛を撫でてくれた。
「蘭々が居てくれて良かった」
【……私が居て?】
「そうだよ。蘭々が居て、清ちゃんが居て。だから悪鬼をやれたんだ。そうだろう?」
優しく撫でる美祢の手に、震えながら頷いた。
【……私も……皆に会えて良かった】
「嫌だよ。これで最後みたいな言い方しないどくれ!」
【そうだな……!】
羽ばたき、空に舞う。私の姿に、町人が恐れおののくように指さし、ひれ伏していく。石を投げようとした一人の男を松田が怒声で止めた。
「止めよ!! 我らを守って下さった方ぞ!」
上昇し、戸惑う皆を残して清次郎の体がある土井家の方へ向けて飛んだ。幾つもの人々の目が私を追っている。気にするなと、美祢に毛を撫でられた。
【落ちるでないぞ】
「うん!」
速度を上げていく。悪鬼が覆っていた青い空には、傾いた太陽が輝いている。そろそろ日が暮れ始めるのか、少し色が淡い橙色へと変化しつつあった。
羽を動かしながら、清次郎の言葉を思い出した。美祢達と合流し、最初は彼女と取っ組み合いの喧嘩ばかりしていたのがとても懐かしく感じる。
その姿に、清次郎はよく、中で笑っていた。
『紫藤様が取っ組み合いの喧嘩をなさる姿は、初めて見ました』
『あのおなごが生意気なのだ!』
『されど、どことなく楽しそうにも見えましたぞ』
『楽しいだと?』
『ええ。気兼ねのう、喧嘩できるというのは、初めてではありませぬか?』
『……まあ、そうだの』
宥めすかしながらも、喧嘩を止めはせず、私がやりたいようにやらせていた。美祢が私との距離を保たず、踏み込んで喧嘩していたせいだろう。化け物扱いされたが、彼女はそれを心から謝った。故に、私は彼女を友と認めた。
江戸には辛い記憶ばかりだったけれど、美祢という友ができ、ふてぶてしいながらも私を立てる松田も、心を改めた七乃助も居る。嫌らしい視線ばかり送ってくる喜一も、私に泣く場所を与えてくれたし、可愛いだけでなく芯のしっかりした三郎も居る。
いつの間にか、私の周りには仲間ができていた。
毛嫌いしていた霊媒師の仲間が。
それを一番喜んでいたのは、清次郎だった。私が皆と同じ立場で話し、輪に加わっていると、そっと中から見守っていた。私に話をさせ、私に考えさせた。
『皆、良き友になりましたな』
『喜一は好かぬ! 色目ばかり使いおって!』
『それはあのお方なりの接し方なのでしょうな。自分に正直なのでしょう』
『あれに触られても良いと申すか!?』
『いいえ。しかとお止めしますのでご安心を』
『尻ばかり触りおって。松田の尻でも撫でておれば良いのだ!』
『……それは、少々面白うございますな』
松田の尻を撫でる喜一を想像し、噴き出した清次郎の声は楽しそうだった。
清次郎は皆を私の仲間とし、大事にしていた。気配りし、皆が見えない背後を常に見ていた。
だからだろう。
悪鬼の力に、人のままの私では及ばず、皆が倒れた中で一人空を見ていた清次郎。
その時にもう、決意を固めていたのかもしれない。
私と、皆を、守るために。
自分の命を投げ捨て、封印の力を戻した。
【……のう、美祢】
空を飛びながら、清次郎と交わしたたわいもない会話を思い出しては目が潤む。友の声が聞きたくて呼び掛けた。
「何だい、蘭々」
【清次郎は……私に多くの物を与えてくれたのだ。村の皆は私が年老いず、ずっとこの姿を保っていたのを気味悪がっておったというのに……。清次郎が私を人として扱い、愛してくれたおかげで仲良くなれた】
「うん……」
【鳥に変わった私を見捨てなんだ。人だと言うてくれた……! 珠が私を生かし続けるのを呪ったが……この時代で、清次郎に出会えた事が、長い時を生きてきた私の唯一の救いなのだ……!】
「蘭々……!」
美祢の細い腕が私の首に巻き付いた。慰めるように毛を撫でてくれる。震えていた私を抱き締めている。
「見つけるよ……絶対見つけるんだ!」
【うむ……】
「あたしら皆、あんたの味方なんだからね!」
【うむ……!】
赤い目から零れた涙が空に散っていく。濡れた毛を見つめた美祢は、もう一度優しく撫でてくれた。
バサリと大きく羽ばたいた私は、見えてきた土井家の屋敷を凝視した。清次郎の魂がどこかに漂っていないかと目を凝らす。
見逃してはならない。魂の気配を全身で探る。
「蘭々、ゆっくり降りて」
【うむ】
二人で辺りの気配を探りながら舞い降りた。鳥の姿になっていたせいか、土井家の家来が駆け出してくる。刀を抜いて身構えた侍達に、清次郎の兄孝明が降ろすよう指示を出している。
「紫藤殿だ! 刀を控えよ!」
抜刀していた侍達を下がらせた孝明の側に舞い降りた。人に戻る私に、美祢が着物を被せてくれる。帯が無いため、前を簡単に合わせて孝明に詰め寄った。
「清次郎はどうなっておる!?」
「清次郎に何かあったのですか!?」
逆に聞かれ、首を横へ振ると駆け出した。清次郎の体が寝かされている部屋まで急ぐ。付いてくる美祢の気配を感じながら、障子を開け放った。
静かに寝かされている体。急いで息を確かめる。
息も、心臓も、動いていなかった。
「……戻って……来ておらぬ……」
「あたし、屋敷の周りを探ってくる!」
美祢が飛び出し、探しに出てくれる。私も部屋の中を見渡した。ここへ戻って来ているのなら、魂となっているのなら、見えるはずだと思って。
姿も、声も、なかった。
側に座った孝明に肩を揺さぶられる。
「清次郎に何かあったのですか? どうなのです!」
「……清次郎が私の中から弾き出された。戻って来ておるとすれば、ここのはずなのだが……おらぬのだ……!」
「そんな……!」
「……結界は……結界は反応せなんだか!」
屋敷に悪霊避けの結界が張ってある。通常の魂なら問題なく通れるはずだが、もしかしたら弾き出された可能性があるかもしれない。
その場合、何かしらの反応があったはずだ。孝明の肩を掴み返す。
「何もありませなんだ。江戸城の空が黒く淀み、皆が外に出て警戒しておりました。結界に何かあったのならば、誰かが気付いたはずです!」
孝明の言葉に項垂れた。
認めたくない事実が、肩にのし掛かってくる。
封印の力の代理を務めていた魂だ。通常の魂のように、死んでなお、この世に残ることはできなかった。
魂そのものが、消滅している可能性もある。そうなれば、あの世へ逝くこともできず、生まれ変わることもできなくなる。
「清次郎……」
魂を戻せなかった体に寄り添った。硬い頬に手を当てる。
これほど生きた体をしていながら、魂が抜けてしまっている。清次郎の決断が、私を、仲間を、人々を、守ったことは良く分かっている。
それでも、どうして清次郎が死ななければならないのか。
もっと生きて、笑っているはずだった。
『生きてなお、死してなお、あなた様のお側に』
誓いの言葉を思い出す。生きてなお、死してなお、側に居ると言ってくれたのに。
「おらぬぞ……お主がおらぬのだ……! のう、清次郎……!! 私の側に居てくれると……誓ってくれたではないか……!!」
魂がどこにも居ない。姿さえ、見えない。
心の片隅では、分かっていた事実でも。それを認めたくはなかった。
認めたくはないのに。
清次郎に覆い被さった私の側に美祢が戻る。
「……ごめんよ」
震えた声に、押し出された涙が重なった。私の背中に、彼女の重みが加わる。
「ごめんよ……! ごめんよ……!」
私の着物を握り締めた美祢が泣きながら何度も謝っている。
「……清次郎は……死んだのですか……?」
どさりと、尻を落とした孝明は、眠る清次郎の体を呆然と見つめた。
清次郎が、死んだ。
死んでしまった。
「…………私も……死にたい……!! お主のもとへ……逝かせてくれ……!!」
零れ落ちた涙が、清次郎の硬い頬に流れ落ちた。
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