妖艶幽玄絵巻

樹々

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第三巻

巻ノ十八『絆』

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「決めておった。母上が決めた娘がどんな娘であろうと、嫁いできた者を心から愛そうと」

 廊下を歩きながら兄は話してくれた。紫藤はそのまま、俺に体を貸してくれた。兄との話に割って入らず、大人しくしている。

 感謝しつつ、通された客間に入っていく。座るよう勧めてくれた。皆が座ると、障子をピッタリ閉めている。

「それで何があった。詳しく話してくれ。松田殿もご一緒ということは、何ぞ困ったことでもあったのだろう? 遠慮するでないぞ」

【「忝のうございます。暫しの間、身を寄せて頂ければと思い、まかり越しました」】

 兄の姿を見上げ、穏やかになった顔を見つめると安堵した。奈津を失い、周りを見る目を失っていた兄が、昔の優しい兄の眼差しを取り戻している。

 顔立ちは俺と似ていると言われている。彼の方が少し細いけれど、主としての風格も備わってきた。

「それは構わぬが。そちらの方々は?」

【「皆、霊媒師の方々にございます。江戸で起こっている流行病についてはご存じでしょうか?」】

「うむ。江戸城近くに入ると、皆ぼうっとしたように蹲ってしまうとか。将軍も危ういと言う噂だが……まさか霊の仕業なのか?」

 兄の言葉に声を潜めた。

【「悪鬼と呼ばれる、古の悪霊が江戸を覆っておりまする。決して近付いてはなりませぬぞ」】

「悪鬼とな? 聞いたことがないの」

【「ずっと封じられていたのです。それが放たれ、力を蓄えておるのです」】

「そうだったのか」

「他言は無用に願います」

 松田が割って入ってくる。彼を見た兄は、深く頷いた。

「承知した。おお、そうだ! 腹が減ってはおらぬか? すぐに何か用意させよう!」

【「忝のうございます」】

「お主の体も寝かせてやらねばの」

 兄は立ち上がり、手伝いの者を呼んでいる。松田が俺の体を抱き上げ、兄に続いて部屋を出ていった。

 そこでようやく、紫藤に体を返した。正座した足が痛かったのか、すぐに胡座をかいている。 

「ふむ、武家とは堅苦しいものよの」


*ありがとうございました。ほんに、ありがとうございまする。


「構わぬ。お主が喜ぶ声は、私も嬉しい」

 胸に手を当てた紫藤が嬉しそうに笑っている。

 俺もそうだ。紫藤が嬉しそうに笑っている声は好きだった。

「いや~、あんた、偉い武家の子だったんだね」

「僕、初めてお武家様のお屋敷に入りましたよ」

 喜一と三郎が、兄が居なくなった事で早速膝を崩し、辺りを見回している。廊下まで這って出ていった喜一は、広い庭を見て口笛を一つ吹いた。見事に剪定された庭は、素人目で見ても美しい。まるで光輝いているかのようだ。

「こりゃ期待できるな」

「お腹空きましたよね」

「食ったらまたやろうな」

「それは構いませんが、力はもう、注がないで下さいね。癖になりそうで」

「なったらちゃんと、責任取るさね」

 三郎の尻を一撫でした喜一は、ニヤリと笑っている。その顔を見たくないのか、紫藤が急いでそっぽを向いた。

 その視線の先に、一人佇む美祢が居る。正座をしたまま、俯いている。

 声を掛けようとした時、兄が戻ってきた。隣の部屋に俺の体を寝かせていると教えてくれる。

「松田殿にお聞きし、部屋は全部で三つご用意させて頂きました。紫藤殿は清次郎の体の側で宜しいか?」

「うむ。無論だ」

「他の皆様は、この並びの部屋を好きにお使い下され」

 にこにこと笑った兄は、慌ただしく廊下に顔を出している。

「こっちだ、お菊!」

 手招きしている兄を見て、紫藤がまた、体を貸してくれた。感謝しつつ、居住まいを整える。正座した俺は、廊下からゆっくりと現れた女性を見上げた。

「文に書いたお菊だ。もうすぐ子が産まれる」

「お初にお目に掛かります。菊と申します。清次郎様のお話は常々、孝明様よりお聞きしております」

 大きなお腹を庇うように座った菊は、丁寧に手を突き、頭を下げた。それに合わせて俺も頭を垂れる。 

【「すでに家を出された身なれど、兄上様のご厚情により、こうしてご挨拶申し上げることが出来まする。清次郎と申しまする」】

「今は何ぞ複雑な事情で、体は霊媒師の紫藤殿のものだそうだ。清次郎は魂だけになっておるらしい」

「まあ。そのような事があるのですか?」

「世の中とは真、不思議な事があるものよの」

 兄は労るように菊の肩を抱いた。そんな兄を微笑むように見つめた菊。

 少し垂れている瞳も、上品に笑う口元も。かつて兄が愛した奈津とは似ていない。

 けれど、兄は菊を大事にすると決め、愛している。幸せそうな菊を見て、この二人の間に産まれる子はきっと、愛されるであろうと思った。

 仲睦まじい二人を、俺もまた微笑みながら見つめてしまう。良い方に巡り会えた、弟として、嬉しかった。

【「昌子様もさぞ、お喜びでございましょう」】

 俺の言葉に、二人は顔を見合わせる。その様子が気になった。

【「兄上様?」】

「母上は先日、亡くなられた。お主にも文を送ったのだが、まだ届いていなかったか」

【「昌子様が……」】

「産まれる子を楽しみにしておいでであったが……間に合わなんだ。ずっと病にふせっておいででな。この屋敷に越したのも、少しでも良い空気を吸わせて差し上げたくてな」

 兄は少し唇を震わせている。涙を堪えるようにしゃんと胸を張った。

「奈津の事を思えば憎く思うこともあった。だが、お主に言われた言葉がよう染みた。せめて余生は独りにするまいと、三人で過ごしておった」

【「そうでしたか……。さぞ、お喜びだったことでしょう」】

「そう感じてくれておったら良いがの」

 菊の手を取った兄は立ち上がっている。丁寧に頭を下げた菊は、養生のため自室へ戻ることになった。

「どうぞごゆるりと! 間もなく、料理が来ますので」

【「忝のうございます、兄上様」】

 見送った後、すぐに紫藤に体を返した。やはり足が痺れるのか、胡座に戻る。首を鳴らした紫藤は、はふーと溜息をついた。

「堅苦しいの~」


*申し訳ありませぬ。


 苦笑しつつ、優しい主を誇りに思った。 



***



 兄は豪勢な夕食を用意してくれた。湯も沸かしてくれたおかげで、体を綺麗に洗い流すことができた。

 子が無事産まれるまでは酒を断つと決めているらしく、それに習って俺も酒は控えた。なにより、紫藤の体では酒に負けてしまう。

 松田や喜一は豪快に飲み、陽気に歌っては踊った。特に喜一は酒の宴が好きなのか、ますます饒舌になり若いお手伝いの娘の尻を撫で回してしまう。その度に、松田が酔った目をしながらも控えるように注意していた。

 兄との積もる話は絶えなかった。ずっと、紫藤は俺に話をさせてくれた。本当に、優しい主だった。

 一度は兄と決別してしまった人生だったけれど、こうして再び話せるようになって良かった。

 名残惜しかったけれど、紫藤の体を休めなければならない。兄もまた、先に休んだ菊のもとへと戻った。

 夜も更け、先に酒に潰れた喜一達が部屋に入った後、俺と紫藤も部屋に入った。


*今日はほんに、ありがとうございました。兄上とまた、こうして話ができるとは。

*良かったの。あ奴め、ああいう顔で笑えたのか。

*お優しい方なのですよ。ただ、奈津殿の事は、ほんに残念で。

*うむ。私としては、お主を信じなんだあ奴が憎らしくてたまらなかったが……まあ良い。清次郎が話したいと願うのであれば、いつでも貸してやる。


 笑った紫藤が、俺の体の隣に敷かれていた布団ではなく、体の隣に滑り込んでいる。しがみ付くように寝転ぶと、瞼を閉じた。

 紫藤が中へと入ってくる気配がする。意識を眠らせ、体を休めた彼は、俺を捜すように声を上げた。 


*どうにか、姿を見ることはできぬかの。

*珠から動くことはできませぬからな。

*……そうか。


 紫藤は寂しそうに呟いた。気になってどうしたのかと問えば、暫くして返ってくる。


*松田が七乃助を抱いたであろう? 羨ましくなっての。

*……紫藤様。

*江戸城へ向かえば、暫くお主の体に触れることもできぬ。そう思うと、な。触れて欲しい……少し、寂しい。


 まるで蹲っている紫藤が見えるかのようだ。想像すると、封印の力を抱きながら俺も寂しくなる。淡い緑の光はゆらゆら揺れている。封印の珠を通して、紫藤に会うことはできるのだろうか。

 迂闊に力を使って、珠の均衡が崩れてしまえば、紫藤の体に影響が出る。手探りで使っている力加減、あまり無理なことはできなかった。


*今日は、大事ございませぬか?


 話をそっと逸らした。


*うむ。それほど力を使ってはおらぬからな。三郎と喜一の営みに驚いて、すっかり引いてしまった。

*左様にございますか。


 昼間の事を思いだし、俺も少し笑った。あの二人は肌を重ねることにためらいが無い。求める喜一に、受け止める三郎。良い相方を見つけたものだ。

 松田には、とうとう七乃助が付いた。仕方が無かったとはいえ、同じ悩みを抱えながら、先に抱かれた七乃助はどんな思いだったのだろう? 侍として、男として、抱かれた彼は、今、どうしているのか。

 そんな事を思いながら、紫藤と話をした。とにかく話した。紫藤が少しでも寂しくないようにと。

 どれほど話していただろうか。夜が明けるにはまだまだ先であるのに、襖が開いている。紫藤は気付かず話し続けていたので、俺が目となり確認した。 


*紫藤様。桂様がいらっしゃったようです。

*……あのおなごが? 何用だ。

*何やら思い詰めたご様子。どうぞ、話して差し上げて下され。


 嫌だとごねるかと思いつつも促せば、渋々ながら意識を浮上させている。

 意外だった。二、三度は説得しなければと思ったけれど。体を起こした紫藤が顔を上げた。

「何用だ」

「……い、いきなり起きるんじゃないよ! 驚くだろう!」

「勝手に人の部屋に忍び込んでおいて偉そうな。用が無いなら出て行け」

 美祢は襖の前に立っていた。白い寝装束のまま、じりじりと部屋を移動していく。そうして廊下側の障子の前に立った。

「さっさと寝よ。明日から動かねばならぬのだぞ」

「わ、分かってるよ! あいつ等が終わったら帰ってやるさ!」

 美祢はふんっとそっぽを向いて座り込んでしまった。結い上げていた髪は下ろしている。紫藤に背を向けた彼女は、引き寄せた足を抱くように蹲った。

「終わる? 何をしておるのだ?」

 紫藤の問いには応えずに、耳を塞いでいる。全てを拒絶している姿が、出会った頃の紫藤に重なって見えた。


*紫藤様。桂様の隣は松田殿と山之内殿だったかと。

*つまり、抱きおうておる声が聞こえるのか。それは難儀だの。

*松田殿は……わざと桂様に冷たく当たっているように感じます。

*居ると知っていて抱いておるのか……。


 襖一枚隔てたくらいでは、声は漏れてくる。どうしてそこまでして、美祢を離そうとしているのだろう。気になった俺は、スッと立ち上がった視界に思わず声を上げようとして止めた。

 紫藤は自ら美祢の側に寄った。背中を見せる彼女の後ろに座っている。

「ま、まあ、なんだ。あまり気にするな。あれは手の早い男故、同じ部屋の七乃助を抱いているだけのことだろう」

「……煩いよ」

「お主も美人だと思うぞ。たぶん、うん。おなごの基準は分からぬが……私の次くらいには……」

「煩いって言ってるだろう! 構わないどくれ!」

 振り返った美祢が紫藤を押した。仰向けに倒れた紫藤の腹に馬乗りになっている。

「あんたに何が分かるのさ!? 真ちゃんだけだったんだ……!」

「これ、重たいぞ!」

「何であたしじゃ駄目なのさ! あんなに……あんなに……優しかったのに……!」

「……な、泣いておるのか?」

 戸惑うように見上げた紫藤の頬に、冷たい涙が落ちてきた。唇を噛み締めた美祢は、立ち上がりながら寝装束を解き始めている。呆然と見上げた紫藤の目の前で、スルリと脱いだ寝装束を落とした。

「……せ、清次郎!! 見てはならぬぞ!?」


*承知しております。


 自分も手で目を覆った紫藤。俺が見えていることは秘密にしておいた。紫藤が幾ら目を瞑っても、感覚的に見えてしまう俺には意味がない。見えていると言えば喚き出すことが分かっているので、敢えて見えないことにしておいた。

 美祢は寝装束の下に着ていた物も全て脱いでいる。その姿に、俺は息を飲んだ。


*これは……。


「清次郎!! お主見ておるな!?」


*紫藤様! 目をお開け下され!


「お主が助兵衛だったとは……! 私の体の何が不満だ!? これほど美しい体を毎夜抱いておきながら、おなごの裸を見たいと願うとは……!」


*ああ、もう! ご免!


 俺は無理矢理紫藤の体を動かした。瞼を押し開き、手をどける。しかと、見せてやった。

 裸になった、美祢の体を。 

「乳か!? お主も乳が好きなのか!!」

【「そうではありませぬ! ようご覧なされ!」】

 視線を下げさせた。立ったまま、紫藤を見下ろしている美祢の体の下半身を。薄暗い中でも、違いは良く分かった。

「…………お主、男だったのか」

「あたしは女だ!」

「しかし、付いておるぞ」

 まじまじと見つめた紫藤は、自分と同じものに心底不思議そうに首を傾げた。ようやく分かってくれたようなので、体は返しておいた。

 興味に惹かれた紫藤が見つめている中で、美祢は唇を噛み締めながら足を開いて見せた。そこには、確かに女性にしかないものもある。

「産まれた時からこんな体だ。でもあたしは女だ!」

「ほう、おなごにも付いておる者が居るのだな」

「そんな訳ないだろう!」

「お主、自分で見せておきながら何を怒っておる?」

 紫藤の反応がいまいちなのが気にくわなかったのか、美祢が飛び掛かってきた。裸のまま押し倒してくるので、焦った紫藤が何度も俺に見るなと言っている。

 美祢の豊かな胸が紫藤に重なっているというのに、彼はまるで無頓着だ。俺が見ていることの方が大変らしい。

「これ、清次郎がおなごに目覚めたらどうしてくれる! はよう着ぬか!」

「あんた何でもっと気味悪がらないのさ! 女に付いてんだよ!」

「別に気味の悪いものでもあるまいに。男なら皆付いておるぞ!」

「女に付いてんのがおかしいだろう!」

「しかし産まれた時から付いておるものは仕方があるまい。取れるものでもなかろう!」

 必死になった紫藤は無理矢理、美祢の寝装束を肩から掛けている。胸だけはと思ったのか、押し付けるように被せた。

 ほうっと安堵の息をついている。よほど俺が胸に興味があると思っているらしい。噴き出しそうになるのをなんとか堪えた。 

「……何で……化け物って言わないんだい」

「は? お主が化け物? 何故だ」

「だって……皆……あたしは人間の道を外れた奴だって……」

「たまたまそういう体で産まれただけであろう? 聞いたことがあるぞ。稀に手足の無いまま産まれる者も居ると言う。お主もそうなのだろう? 別段、お主に何かが憑いている気配はない。悪霊ではない故、安心して子を産め」

 紫藤なりに慰めているつもりなのか、遠慮がちに美祢の肩に手を乗せている。

 ストンと、美祢が惚けたように腰を落とした。呆然と紫藤を見つめている。肩から掛けた寝装束からは、豊かな胸が見え隠れし、女には付いていないはずのものも見えている。

 女であり、男の体も持っている美祢。

 長い髪に隠れるように俯いた彼女は、紫藤の手を握り締めている。

「……ぅぅ……」

 ギリギリと、痛いほど紫藤の手を握っては嗚咽を漏らしている。

「……ぅぅ……うぅ……」

「どうした? 気分でも悪いのか?」

 握られている手を、紫藤は振り解かなかった。俺がそうしろとは、言わなくても。遠慮がちに美祢の黒髪を撫でてやっている。

 まるで俺が紫藤にそうしてきたように、彼は美祢を慰めた。ポンポン、ポンポン、頭を撫でるように叩いている。

「のう、どうしたのだ。唸ってばかりでは分からぬぞ」

「……っぅ……ひっく……ぅぅ……!」

「ほれ、その様な格好では風邪をひくぞ。きちんと着てだな……」

「……ぅぅ……ぅあ……うあああぁぁ~~~~!!」

「…………!?」

 大声で泣き崩れた美祢が紫藤の膝に倒れ込んできた。心底驚いたのか、紫藤の目がまん丸になっている。自分の膝で泣いている美祢に硬直してしまった。


*な、何だ!? 何が起こったのだ!? 私が悪いのか!?

*いいえ。ただ今は、泣かせて差し上げて下さい。


 見守りながら言えば、ぎこちなく美祢の頭に手を乗せている。恐る恐る撫でてやっている。

 しゃくりあげる背中を見つめた紫藤は、手繰り寄せた掛け布団を彼女の背中に掛けてやった。

 美祢の泣き声は、静かな夜に鳴り響いた。 



***



「真ちゃんは……あたしの初めての男だったんだ……」

 泣き腫らした目をした美祢は、ポツリポツリと話し始めた。寝装束だけは着せている。紫藤のために用意されていた布団の上で、膝を抱えた彼女は時折鼻をすすった。

「こいつならって……思って信じた相手でもさ、いざ床に入ると気味悪がってさ……。騙してたのかって言う奴もいたよ」

「そんなに気になるものかの?」

「どいつもこいつも、肝の小さい男ばっかり! でも、真ちゃんは違ったんだ」

 滲んだ涙を擦った彼女は、ギュッと自分の腕を握っている。

「もう、どうでも良いやって思ってさ。森の中で会った真ちゃんが、一晩相手してくれって言ってきた時、受けたんだ。どうせこいつも、逃げるだろうって思ってさ」

「松田がそれしきの事で逃げるものか。むしろ楽しむであろうな」


*紫藤様。黙って聞いて差し上げて下さい。


 俺が注意を促せば、分かっている、と返してくる。本当に分かっているのだろうか。ハラハラしながら見守った。

「あんたの言う通りさ。最初は驚いてたけど、これはこれで面白い、って言ってさ。初めてだって言ったら、なお良いって……! 信じられないくらい優しく抱いてくれたんだ……!」

「ほう……」

「ちゃんとこっちも触ってくれたし、女として扱ってくれたんだ。……分かってるんだ、ちゃんと。真ちゃんはあたし一人のものじゃないってことくらい」

 美祢は膝に顔を埋めてしまった。紫藤がそうっと、背中を撫でてやっている。不器用なその手が、なんとも愛しい。彼なりになんとかしてやりたいのかもしれない。

 俺は黙って見守り続けた。紫藤の手が撫でる度に、美祢の背中が震えている。

「一緒になってくれなんて一度も言ってない! ただ、子供が欲しいって……! そう言ったら急に真ちゃんが離れて……!」

「子供……? 一人で育てる気なのか?」

「真ちゃんは自由な人だから。束縛する気なんか本当にないんだ! 何度も言ったんだよ! でも……子供を作っちゃくれなかった……」

 震えが大きくなる。また泣き出してしまった美祢をどうしたものかと悩んだ紫藤は、布団に寝かせることにしたようだ。美祢を自分の布団に押し込んでいる。

「とにかく眠るが良い。なに、松田のような者が気に入った体なら、もっとましな奴が必ず現れるはずだぞ!」

「……そうかな」

「ああ。たかだかそれしきの事で離れてしまうような男を選んだお主も悪い! もっと良い男を探せ! 手から札を出しても、扇子を出しても、鳥になったとしても、変わらぬ男も居たからの」

 ポフポフ、ポフポフ、布団の上から叩いた紫藤は、見上げている美祢に笑っている。

「化け物とは私のような者の事を言うのだ。お主など、化け物の卵にもなれぬぞ」

 自分では上手いことを言ったと思ったのか、満足そうに頷いている。顔半分を布団の中に入れ込んだ美祢は、小さな声で囁いた。

「……ごめんよ」

「ん? 何だ? 何を謝る?」

「ほんとに……ごめんよ」

 布団を引っ張り上げた美祢は隠れてしまった。首を傾げた紫藤は、腑に落ちないまでも俺の体に寄り添うように横になった。少しの間、美祢を観察していたけれど、やがて瞼を閉じて戻ってきた。


*何を謝っておるのだろう?

*恐らく、化け物と言うたことに対してでございましょうな。

*そうか……。何だ、可愛いところもあるではないか。

*ほんに。

*とはいえ、乳に心を奪われてはならぬぞ!


 鼻息まで聞こえるほど、気合いを入れて言い放った紫藤にとうとう噴き出してしまった。笑ってしまった俺に何か喚いている。 

 紫藤に会う前なら、女の体に興味はあった。

 だが今は、膨らみのない紫藤が愛しい。美祢の胸の膨らみは、俺の興味対象外だ。

 乳は駄目だ、乳は許さぬ、と叫ぶ紫藤の声を笑いながら聞いていた俺は、美祢の部屋から開いた襖に意識を持っていく。

「清次郎殿、紫藤殿には内密に願いたい」

 囁くように声が掛けられた。紫藤の声を聞きながら、跪いた人影を意識で捕らえる。

「俺はおなごに子を産ませたくはない。子を産めば、必ず家の者が嗅ぎ付ける。故に、美祢を愛してはやれぬ」

 人影は眠っている美祢の姿を見つめている。紫藤は気付かずに、女の乳は何故柔らかいのか、という話をしている。

「真勝手な話だが、支えになってやって下され」

 眠っている紫藤の体に深々と頭を下げたのは、松田真之介だった。音も無く立ち上がり、帰っていく。


*清次郎? これ、清次郎! 聞いておるのか!

*聞いておりますよ。おなごの乳が柔らかいのは、子を産むためです。

*何故、子を産むのに乳が膨らみ柔らかくなるのだ?

*それは赤子は母の乳を飲み、育つからです。俺達のように平たくては吸えますまい。

*おお! なるほど!


 妙に納得した紫藤は、ポンッと手を打ったようだ。

 そんな彼の姿を想像し、隣に眠る美祢を見つめ、一人微笑んだ。 

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