妖艶幽玄絵巻

樹々

文字の大きさ
上 下
52 / 114
第三巻

巻ノ十『生きてなお 死してなお』

しおりを挟む


 体内から溢れる力が、私の世界に輝きを取り戻した。

 闇に捕らわれていた意識が急速に上昇し、否応なしに瞼を開いていた。

 見慣れた天井。

 床の間として使っている、寝床だった。

「……清次郎!!」

 すぐに呼び、跳ね起きようとしたけれど。

 重たい体が私に覆い被さっていた。

 私と、体を繋がれたまま。

 清次郎の体が。



 動かない。



「…………ぉ……ぉ……なんたる……ことだ……」

 背中に刺さった刀。仏字を描かれた刀は、私が与えた物とは違う物。

 魂を無理矢理私の中へ送り込まれた体は、呼吸を止めてしまっている。

「……せいじ……ろう……」

 呼び掛けても、返事は無かった。

 肩を揺さぶっても、動かない。

「……上手く行ったようですな」

 清次郎とは違う声に、視線を向ける。

 松田真之介が清次郎の背中に刺さっていた刀を抜いている。

 だらりと動かない清次郎の体を抱きかかえ、私の隣に寝かせている。

 それを見つめることしかできなかった。



 何故、私と清次郎が繋がれていたのか。



 ここに松田が居るのは何故なのか。



 横たえられた清次郎の顔を見つめた。真っ暗な闇に飲み込まれていた私の所まで来てくれた清次郎。

 その彼に、札が被さり、連れて行かれた。

 そして私は目覚めた。

 珠の一つ、失ったはずの封印の力を微かだが感じる。



 珠が再び活動を始めたのは、何故なのか。



「……お主か……松田……」

 呼吸をしない清次郎の頬を撫でた。目を瞑ったまま、動かない体。

「お主が……清次郎を送り込んだのか……?」

 愛しい顔を胸に抱いた。闇に飲まれ、泣いていた私を強く抱き締めてくれた清次郎。

 彼が居るのならば、闇の中でももう、怖くはないと思った。ずっとあの世界に居たとしても、構わないとさえ思った。

 それなのに。

 私一人が、戻って来ている。

 清次郎の命を犠牲にして。

「お主かと聞いておるのだ、松田!!」

 私の白髪が広がった。破壊の力が漲ってくる。

 松田の側には、山之内七乃助も居た。松田を庇うように出てくる。

 小柄な七乃助の体を押し退けた松田は、畳に手を合わせ、頭を下げた。

「全て俺が望んだこと。今、この世界に必要なのは紫藤蘭丸殿のお力。そう判断した故に」

「……許さぬ!!」

 力が弾けていた。障子ごと吹き飛ばされた松田の体。庭に転がる松田を追って立ち上がる。七乃助に助け起こされた彼を睨み付けた。

「私の力が必要だと……? 抜かすな! この世界など、どうなろうと構わぬ」

 廊下に出た私は、七乃助を押し退けながら立ち上がった松田を見つめた。

「清次郎がおらぬ世に、何の意味がある?」

「それでも、その力、貸して頂かなければなりませぬ」

「知らぬわ……もう……生きる意味すら無くなった……!」

 切った口を腕で拭う松田を冷ややかに見つめながら、自分の両手を広げた。

「化け物ぞ……ほんに私は化け物ぞ……! 愛する者の魂を喰らうなど……!」

「望んだのは清次郎殿にございます!」

 庭に正座した七乃助が、両手を合わせ、頭を垂れている。

「いずれ先に逝くくらいなら、紫藤殿の側にずっとおりたいと……」

「黙れ!!」

 右手から扇子を取り出した。破壊の力を込めていく。

 一振りすれば、二人が吹き飛んだ。いつも以上に力が漲ってくる。

 それは清次郎の魂を喰らったからだろうか。

 思うと胸が苦しくて、こみ上げた涙が零れ落ちていく。

「殺してくれ……もう耐えられぬ……! 人に戻れたと思うたのは錯覚であった……!」

「紫藤殿……」

「この様な力、お主等にくれてやるわ!!」

 抑えきれない力の波動を右手に構えた扇子に全て注いだ。

 清次郎と共に過ごしたこの屋敷を見ていると、息が苦しくて耐えられない。

 あれほどに私を受け入れ、人に戻してくれた者を喰らうなどと。

 あってはならないことを、私はしてしまった。

 力という力を全て注ぎ、私の体ごと消してしまいたい。治癒の力が及ばぬほど、体を刻んで死にたい。

 破壊の力を注ぎ込んだ右手が赤く腫れ上がり、熱を込め始める。黙って見ていた松田は、目を閉じた。

 死を覚悟した松田に、七乃助が駆け寄る。その体を、松田は強く押し戻した。

「死はもとより覚悟しておる。離れておれ」

「しかし……!」

「俺の死で償う。お主は何としてでも紫藤殿を連れて行け。良いな?」

「松田殿……!」

 尻餅をついた七乃助は眼中にない。

 清次郎を送り込んだ松田の方へと歩いていく。庭に降り、ゆっくりと近付きながら、なおも破壊の力を込めていく。

 着物が音もなく蒸発していく。右の袖が全て溶けた頃、胡座を掻いた松田の前に立っていた。

「……お主は良いの……簡単に死ねる」

「俺もそう思います」

「死ぬことができぬ私に、ようも清次郎の魂を喰らわせおったな……!」

「申し訳ございませぬ」

 頭を垂れた松田に、右手を振り上げた。真っ赤になった私の右手が、熱を上げている。

 松田を殺したところで、清次郎は戻らない。

 それは分かっている。

 だが、この感情をどうすれば良い?

 体と心が離れてしまいそうだ。



 死ねない。



 私は死ねないのに。



 清次郎を喰らった罪をずっと背負って生きるのか。



「……許さぬ……!!」

 破壊の力を解放し、松田の顔面目がけて右手を振り下ろそうとした時だった。


*なりませぬ、紫藤様!!


 私が止めた訳ではないのに、体が止まる。注ぎ込んでいた破壊の力が、何かに吸い込まれるように消えていく。

 なおも、私の体が勝手に動いた。目を瞑っていた松田の側にしゃがみ込み、ひたひたと頬を打っている。


*大事ありませぬか、松田殿。


「……清次郎……なのか?」

 目を開けた松田が、私の顔を間近に見て、驚いたように目を見開いている。

「お主……まるで清次郎殿のようだぞ」

 松田のその言葉に、首を傾げてしまう。大きな手が頬に添えられ、目の下を引っ張った。

「瞳が青くなっておる」

「……何だと?」

 自分で確かめようにも、鏡は無い。そんな私の体が、また勝手に動く。松田に手を差し伸べ、立たせようとしている。


*さ、お手を。


 確かに清次郎の声が聞こえているのに、松田の反応はいまいちだった。戸惑い、私の目と手を交互に見ている。

「……清次郎の声がしておる。お主等には聞こえぬのか?」

「清次郎殿の声が? ならば、今、紫藤殿を動かしておるのは」

「清次郎だ。手を取れと言うておる」

 なおも松田を助けようとしている清次郎。手に掴まった松田を引っ張り起こしている。

 にこりと笑っているのは、私の意志ではない。


*紫藤様。松田殿は全て話して下さったのです。その上で、俺が願ったことなのです。


「しかし! 奪われた封印の力の代わりに、お主の魂が入るなどと……!」

 私と清次郎のみで会話をしているためか、松田と七乃助は見守るように待っている。

 ウロウロしながら清次郎と話した。

 清次郎の声が聞こえるのは嬉しい。

 だが、これでは本当に、彼の魂が私の中に入っていると感じずにはいられない。

「戻ってこい、清次郎! お主が犠牲になることなど無いのだ……!」


*犠牲になったとは思うておりませぬ。むしろ、これで良かったのだと思うております。


「何故だ!? お主は……死んだのだぞ……」

 魂が抜けてしまった清次郎の体。二度と動くことはない。

 私に触れることも、愛してくれることもなくなった。

 いずれ別れの時が来るとは分かっていても、まだそれは先のはずだった。

 今の時だけでも共に居たかった。

「もっと……もっと……お主と共に居たい……! 私に触れて欲しい……!」


*紫藤様……。確かに体は失いましたが、こうしてあなた様と共に居られます。話しもできます。先に死に、あなた様を残して逝くくらいなら、魂だけでもお側に居る今が幸せにございます。


「清次郎……」


*封印の珠より、他の二つの力を操ることもできるようです。紫藤様の体も、お借りできます。これなら紫藤様をお守りできましょう。真本望にございまする。


 笑っている清次郎の声が聞こえる。


*生きてなお、死してなお、あなた様のお側に。清次郎はただそれだけで、幸せにございます。


「……馬鹿者が……!」

 我が身をかき寄せた。清次郎を抱き締めるように。

 溢れた涙が大地に染みる。崩れ落ちた体は、へたりこんでしまった。



 生きてなお、死してなお、側に。



 清次郎の言葉は、私を生かしてくれる。

 体を失い、死んでもなお、私の側に居てくれる。


*愛しております、紫藤様。どうか松田殿をお助け下され。


「…………お主が願うのなら、そうしよう」

 腕で涙を拭った私は、そっと自分の胸に手を当てた。

 奏でられる鼓動が、清次郎の鼓動に聞こえて。

 少しだけ安心する。



 共にある。



 震える体を宥めるように、二人分の胸の鼓動をしばし聞いた。



***



 山の上での騒ぎに、村人が心配して様子を見に来てくれた。結界を貼るには封印の力を使わなければならず、そのため破られた結界は修復せずにいる。

 村人がご飯を作ってくれたけれど。私はそれを受け入れることができなかった。

 床の間に寝転び、動かない清次郎の体に寄り添っている。

 夜が来た屋敷は、松明を焚いて明かりを確保している。いつまた、海淵が来るか分からなかったから。

 心配してくれた村人は丁寧に帰している。紅葉の木が守る村に居た方が、彼らは安全なはずだ。ここは今、松田が見張っている。


*紫藤様。飯は食って下さい。

*食わずとも、死なぬ。

*されど……皆、心配しておりますよ。

*分かっておる……。


 明日の朝は、きっと食べよう。

 今だけは、清次郎の側に居させて欲しい。明日になれば、彼の体は焼くことになっているから。

 硬い男の頬を撫で、薄い唇に触れる。筋肉質な体は張りを残し、太股の内側だけが少し柔らかい。ここに口付けると、清次郎が感じいったように切なく喘いだものだ。

 着物を着せた体は、ただ眠っているように見える。呼吸をしていないだけで、まるで人形のように人の体を残している。

「清次郎……」

 覆い被さり、目を瞑った。彼の体に抱き付いたまま、眠ろう。

「……愛しいぞ……清次郎」


*紫藤様……。


 睡魔に襲われた私は、深く眠った。

 確かな最後の温もりを感じながら。

 深く、深く、眠った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

諦めようとした話。

みつば
BL
もう限界だった。僕がどうしても君に与えられない幸せに目を背けているのは。 どうか幸せになって 溺愛攻め(微執着)×ネガティブ受け(めんどくさい)

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

もう一度、貴方に出会えたなら。今度こそ、共に生きてもらえませんか。

天海みつき
BL
 何気なく母が買ってきた、安物のペットボトルの紅茶。何故か湧き上がる嫌悪感に疑問を持ちつつもグラスに注がれる琥珀色の液体を眺め、安っぽい香りに違和感を覚えて、それでも抑えきれない好奇心に負けて口に含んで人工的な甘みを感じた瞬間。大量に流れ込んできた、人ひとり分の短くも壮絶な人生の記憶に押しつぶされて意識を失うなんて、思いもしなかった――。  自作「貴方の事を心から愛していました。ありがとう。」のIFストーリー、もしも二人が生まれ変わったらという設定。平和になった世界で、戸惑う僕と、それでも僕を求める彼の出会いから手を取り合うまでの穏やかなお話。

当たって砕けていたら彼氏ができました

ちとせあき
BL
毎月24日は覚悟の日だ。 学校で少し浮いてる三倉莉緒は王子様のような同級生、寺田紘に恋をしている。 教室で意図せず公開告白をしてしまって以来、欠かさずしている月に1度の告白だが、19回目の告白でやっと心が砕けた。 諦めようとする莉緒に突っかかってくるのはあれ程告白を拒否してきた紘で…。 寺田絋 自分と同じくらいモテる莉緒がムカついたのでちょっかいをかけたら好かれた残念男子 × 三倉莉緒 クールイケメン男子と思われているただの陰キャ そういうシーンはありませんが一応R15にしておきました。 お気に入り登録ありがとうございます。なんだか嬉しいので載せるか迷った紘視点を追加で投稿します。ただ紘は残念な子過ぎるので莉緒視点と印象が変わると思います。ご注意ください。 お気に入り登録100ありがとうございます。お付き合いに浮かれている二人の小話投稿しました。

壁穴奴隷No.19 麻袋の男

猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。 麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は? シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。 前編・後編+後日談の全3話 SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。 ※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。 ※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

処理中です...