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第一巻
第一巻小話『初めての添い寝』
しおりを挟む「はぁ……」
廊下でたたずむこと、暫く。
どうしても、障子を開けることができない。
「……約束は、約束だ」
そう、自分に言い聞かせてみても、足は動こうとはしなかった。
悪霊退治の後、疲れた紫藤の体力が戻るのを待って、ようやく今日、社のある屋敷まで戻ってこられた。戻ってからの紫藤はずっと寝ていて。
その間に俺は、数日空けて埃のかぶっていた、棚や廊下を掃いたり拭いたりして回ったのだが。
とうとう、夜が来てしまった。
月明かりに照らされながら、また、溜息をこぼしてしまう。紫藤が先に入っている床の間に、明かりは灯されていない。
どうか、どうか紫藤がぐっすり眠っていますように。
願いながら、意を決して障子をそっと開けてみた。
「遅いではないか、清次郎! 待ちくたびれたぞ!」
「…………も、申し訳ありませぬ」
「さ、はよう来い!」
先に入っていた布団の中から、自分の隣をバンバン叩いている紫藤。一組しかない布団は、男二人で寝るには非常に狭そうだ。
「……失礼致します」
逃げ出したくなるのを堪え、室内へ足を踏み入れた。障子を閉めると、月明かりさえ無くなり、室内は薄暗くなる。とりあえず、布団の横で正座した。
『 毎夜、一つの布団で共に寝る』
自分で言い出した約束だ。霊となった少女の頼みを聞くために。
あの時はまだ、自分が紫藤とそういった仲になるとは想像もしていなかった。困った主を宥めながら眠る毎日が来る、その程度にしか考えていなかった。
それが……。
「……もう、我慢ならぬぞ、清次郎!!」
「し、紫藤様……!!」
一呼吸おき、とにかく冷静さを保ちたい俺とは違い、紫藤はもう、興奮していた。腕を引かれ、布団の上に転がされてしまう。迫ってくる顔をわし掴み、どうにか口付けを止めてはみたものの、暗闇でもわかるほど紫藤の鼻息は荒かった。
「ど、どうかご冷静に!」
「拒むでない! この時をどれほど待ったと思うておるのだ!」
「そ、添い寝だけと申したはずです!」
「契りを交わした仲で何をわっぱなことを申しておるのだ! お主とて、私の体を熱く求めたではないか!」
「そ、それは……!」
「社に戻るまで待てとお主が言うから我慢したのだぞ! これ以上は待てぬ!! 今すぐ私を抱け!!」
顔が赤くなっていくのを感じる。紫藤と共に過ごした夜を思い出すと、男としての自分が騒ぎ出してしまう。一瞬、俺の手の力が抜けてしまった。
素早く紫藤が顔を寄せてくる。乱れてしまった寝装束を広げられ、肩に口付けを落とされると体の芯がますます熱くなってくる。
このままでは流されてしまう。紫藤を引き離そうと彼の肩に手をかけようとした。
「のう、清次郎……体が熱いのだ……」
ピタリと寄り添う艶やかな体に、引き離そうとした手が止まってしまう。震える手で、彼の背中を撫でてしまう。
長い白髪が、俺の体を覆うように散った。
もう、これ以上は拒めそうにない。
覚悟を決め、紫藤の腰を支えると反転する。腕で我が身を支えながら、紫藤の唇を覆おうとして気が付いた。
「……紫藤様?」
「……ぅん……清次郎……」
細くしなやかな両腕は、だらりと布団の上に置かれたままだ。むにゃむにゃと、俺の名を呼びながら、瞼はしっかりと閉じている。
あれほど興奮していた鼻息も、穏やかな寝息に変わっている。まるで子供のような寝つきの良さだった。
「……はぁ~~~~」
どっと疲れが押し寄せた。紫藤に折重ならないよう、隣に避難する。数秒で眠ってしまった紫藤の首筋に、指先で触れた。
「やはり……」
紫藤の体は熱かった。興奮のために熱いのではなく、本当に熱がある。強い悪霊と戦い、疲労していた体は素直に眠りを欲しているのだろう、少しゆすったくらいでは起きそうにない。
「今宵は助かったが……明日はどうしたものか……」
いずれ紫藤の体力が完全に戻れば、また鼻息を荒くすることだろう。
かといって、毎夜毎夜、この攻防を繰り返すことはできない。
俺は侍だ。
紫藤蘭丸は俺の主だ。
静かな呼吸を繰り返す紫藤を暫く見守った俺は、跳ね飛ばされていた掛布団をかけてやった。隣の空いた隙間に俺も横たわると目を閉じた。
「お休みなさいませ、紫藤様」
心底安心したように眠る紫藤の呼吸に、合わせるように俺も眠った。
右隣から感じる仄かな熱を感じながら。
***
「これ、清次郎! 清次郎はおらぬか!」
庭で洗濯物を干していた俺は、廊下から叫ぶ紫藤に振り返る。干したふんどしがはたはたと風によく靡いている。
「ここに!」
ただならぬ様子に、残りの洗濯物をそのままに、廊下で顔を真っ赤にしている紫藤のもとへ走った。庭に片膝をついて控えた俺を、睨み下ろしている。
「あの……?」
「お主……約束を違えるとはそれでも侍か!」
「……紫藤様?」
約束を破った覚えはない。だが紫藤はずいぶん怒っているようだ。
「何か忘れているようならおっしゃって下さい」
「添い寝だ!」
「……え?」
「添い寝をしてくれると言うたではないか!」
廊下から飛び降りた紫藤が、俺の肩を掴み揺すってくる。揺すられながら首を傾げてしまう。
「昨晩、ずっと共に眠っておりましたが……」
「覚えておらぬ!」
間近で怒鳴られ、困ってしまった。悔しげに唇を噛みしめている紫藤に、頭を掻いてしまう。
「そうおっしゃられましても、俺はずっと、隣で寝ておりました。紫藤様はすぐに眠られてしまったので、覚えておらぬかもしれませぬが」
「何故起こさぬ!」
「起こしては添い寝になりますまい」
片膝をつくのも疲れたので、立ち上がった俺の胸元に紫藤が飛び込んでくる。肩に顔を埋めながら右足を何度も踏み鳴らしている。
「今から寝るぞ、清次郎!」
「なりませぬ。洗濯物がまだですので」
「昼寝でも良いではないか!」
「今宵も共に眠るのです。そのように焦らずともよろしゅうございましょう」
腰に巻き付いた腕をそのままに、彼の背中を撫でてやる。噛みしめた唇が切れてしまわないか、心配になって顔を上げさせた。
紫藤は、眉間に皺を寄せたまま、どうしてか少し泣きそうな顔をしている。
「紫藤様……?」
「……そうだな……まだ、今宵は大丈夫であろう」
「どういう意味でしょうか?」
「……何でもない」
ふいっと顔を背けた紫藤は、俺の腰に回していた腕を解いた。とぼとぼと歩いて部屋に戻っていく。
追いかけようとして、止めた。まだ太陽が天高く昇り切っていないというのに、誘われるわけにはいかない。
残りの洗濯物を急いで干した俺は、紫藤の膳の支度をするため台所へ向かった。
紫藤が見せた悲しそうな顔が、少しだけ気になりながら。
***
「さ、今宵こそ、共に眠るぞ、清次郎!」
「……昨晩も共に眠っておりますが」
紫藤が先に入った布団の中で、隣をバンバン叩いて見せている。昨晩と同じ光景に、溜息をつきながら床の間に入った俺は、布団の中ではなく、紫藤の傍らに正座した。
「紫藤様」
「ほれ、はよう入らぬか! 焦らすでない!」
「添い寝をする前に、約束して頂きたいことがあります」
鼻息荒く俺の腕を掴もうとした紫藤の手を、素早くとると握りしめた。力勝負なら負けない。なんとか俺を布団に引き込もうと暴れる紫藤の頬に、左手をそっと当てた。
「紫藤様」
囁けば、大人しくなった。薄暗い室内の中で、紫藤がそろりと体を寄せてくる。
「清次郎……」
甘えるように抱き付いてくる紫藤を受け止めながら、ポンッと背中を叩いた。
「契りを交わすのは、七日に一度に致しましょう」
「………………何だと!?」
裏返る声に、怯まずたたみかけた。
「俺は侍です。主である紫藤様をお守りするのが、俺の役目なのです」
「そ、それと床と何の関係があるのだ!」
「あなた様を、主と思えなくなりそうで怖いのです」
正座した俺の膝に、飛び乗った紫藤の顔を両手で包み込んだ。泣き出しそうな漆黒の瞳を見つめる。
「侍として、仕えさせて下さい」
「意味が……分からぬ。私に触れるのが嫌なら、そう言えばよかろう!」
包み込んでいた俺の手を弾いた紫藤は、布団の上に丸まった。膝を抱えて寝転がる姿に、胸が締め付けられる。
泣いているかもしれない。
そう思うと、胸の奥がざわついてしまう。
もっと深く、紫藤の懐に入り込みたい気持ちが沸き起こりそうになる。
だがそれは、できない。今の距離を、保ちたい。
そうでなければきっと、紫藤をも傷つけてしまうだろう。
申し訳ありませぬ、紫藤様。
いずれ俺は……。
「……今宵が一日目になりますが、どうなさいますか?」
ふて腐れている紫藤の背中に寄り添うように寝ころんだ。膝を抱えている手に、俺の手を重ねてみる。
フルフル、フルフル、手が震えている。けれど意地を張っているのか、なかなか俺の方を見ようとしない。
「今宵はお疲れのご様子なので、次の七日が来るまでお待ちしましょう。お休みなさいませ、紫藤様」
重ねていた手を外せば、慌てて振り返っている。
「おおおおお主!! 私に触れておきながら、我慢できると申すのか!」
「侍ですから」
「……くっ! 侍とはなんと強情なのだ! この私が! これほど誘っておるというのに平静な顔をしおって! 七日に一度など……んっ」
喚く唇を自分の唇で塞いだ。そっと仰向けに押し倒していく。軽い口付けを幾つか落とすと、紫藤の肌はほんのりと熱を上げている。紫藤の寝装束を解きながらも、彼の体調は気になった。
「まだ、体がだるいのではありませぬか?」
「次を七日後と言われて、我慢などできるわけがなかろう……!」
俺の頬に吸い付きながら、寝装束を脱がせてくる。ハラリとはだけると、彼の鼻息が一気に荒くなる。血走った目に見つめられると、少し冷めそうだ。
紫藤がふんっと、鼻息を吹き出している。
「さあ、来い、清次郎!」
両腕を投げ出し、構える紫藤に、思わず吹き出した。
「な、何故笑うのだ!」
「い、いえ……! 何でもありませぬ!」
「これ、清次郎……!」
「ほんに……」
手のかかる、愛しい人だ。
できることなら、ずっと傍に居させてほしいと思うほどに。
紫藤の綺麗な白髪を撫でながら、また何か叫ぼうとした唇を塞いだ。潤いを持つ唇に、眩暈がしそうになる。
耳元へ唇を寄せながら囁いた。
「お許しを頂いたので、今宵を一日目と致します」
「……う、うむ」
「紫藤様……」
「…………!!」
体を寄せた俺に、紫藤の体が緊張したように強張っていく。肌と肌が触れると、高い彼の体温を直接感じた。
「清次郎……」
切なく見つめられ、求められ。
もう一度、熱い唇に口づけた。
第一巻小話 完
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