妖艶幽玄絵巻

樹々

文字の大きさ
上 下
9 / 114
第一巻

巻ノ九『迷いの坊主』

しおりを挟む


 私に助けを求めてきた娘の話では、村から更に二日、掛かる山奥だった。山の麓の村で一晩、泊めてもらい、いざ山を目指して登っていく。竹林が続く山だった。 

 麓の村の話では、一ヶ月ほど前から山がざわめき、その度に村人が一人、居なくなると言う。すでに十三人の犠牲が出ていた。 

「何故、紫藤様に話が来なかったのでございましょうか」 

「霊媒師は私だけではない。娘もその山に飲まれた一人であった。年老いた霊媒師が坊主と共に山に来たらしいが、その霊媒師、山そのものを封鎖しおったようだ」 

「……はて。理解できませぬ。申し訳ございませぬが、分かるようお教え下さい」 

「つまりだな」 

 話を続けようとした私は、石に足を取られて滑った。忌々しい。 

「ええい、ぬかるんだ大地よ!」 

「仕方がございませぬ。昨晩、雨が降りましたからな」 

「気に入った着物であったのだぞ!」 

「帰りましたらすぐに洗って差し上げますから。さ、お立ちを」 

 道があれば良いものを。竹林は鬱蒼と茂り、人の手が全く加えられていない。 

 清次郎に支えられながらひたすら登っていく。体力に全く自信の無い私は、三十分ほど登った所でしゃがみ込んでしまった。 

 私を気遣うように背中を撫でた清次郎は、一休みだと言って布を敷いてくれた。その上に座り、竹筒から水を貰って飲んでいく。村人から買い取った饅頭も出され、食らいつきながら白髪を掻き上げた。 

「もう少しなのだがな」 

「左様ですか。先ほどの話の続きをお聞きしても宜しいでしょうか」 

「うむ。つまりだな、私の社に貼ってある結界と似たものを、この山に貼っておるのだ」 

 片膝を立ててしゃがんだ清次郎は、逞しい足を惜しげもなく出している。眩しく見つめながら、あれと一緒に寝られるのだからと、苦手な肉体労働を頑張っている。 

 彼にも水を与えながら、娘から聞いた内容を説明してやる。

「札を貼ると霊の動きを制限できる。だが、問題は、悪霊と共に、その辺を漂っていた霊も閉じ込められておるのだ」 

「何ですと」 

「無茶なことをしたものよ。その様なことをすれば霊を喰らった悪霊の力が増すだけだ。村人が誘われたように山へ入ってしまうのは、その悪霊が力を増した証拠。いずれ結界を破り、麓の村を襲うであろうな」 

「何故、その様な事を」 

「さて。それは残っておる坊主に聞くしかなかろう。娘はその坊主に助けてもらったらしい。あの娘の願いは、これ以上村人に犠牲を出さぬようにとの事だった」 

 立ち上がった私は、わなわなと震える足を動かし、竹を掴みながら登っていく。普段、社でゴロゴロするだけの生活をしている私にとって、山を登るのは相当な体力を消費する。 

 いざ、悪霊に出会った時、体力が無い、では話にならないが。清次郎のため、彼との添い寝のため、ひたすら登っていく。 

 呼吸困難に陥ったかのように、激しく息を切らす私を見かねた清次郎が、荷物を体にくくりつけ、背を差し出した。 

「お乗りを」 

「しかし……荷物だけでも重たかろう」 

「悪霊を退治してもらわねばなりませんので。このままでは登っただけで倒れてしまいそうです」 

「……いや、無理はするでない」 

 彼の肩を叩き、立たせようとした。けれど、そんな私の肩を叩いた者が居る。 

「某が背負おう」 

「何奴!」 

 私を引き寄せた清次郎が、殺気を剥き出しにして刀に手を当てた。 

「待て待て。坊主相手に刀を抜くのか?」 

 清次郎の背から見上げれば、確かに坊主の姿をしている。袈裟を身に付け、高い身長を折り曲げながら私達を観察するように見ている。 

 大柄な男は、頭髪を剃り上げてはいなかった。豪快に笑い、武器を持っていない事を示すように両手を上げている。

「気配を感じさせぬとは。お主、元は侍だな」 

「いかにも。今は仏の道に入ったがね」 

 男は私を見つめ、顎を一撫でしている。 

「どんな霊媒師かと思えば、これは見事な。今まで見たことがないぞ、この様な美しい者を」 

「清次郎、聞いたか? やはり私は美しい。この様な私に求められるお主はほんに幸せ者ぞ」 

「……紫藤様、その様な事をおっしゃっている場合ではございませぬ」 

 警戒を解かないまま、縛り付けていた荷物を解き、清次郎はスッと立ち上がった。坊主はやれやれ、と肩を竦め、私に向かって大きな手を差し出して見せる。 

「頭の固い男は放って置いて。我らで楽しまぬか、紫藤蘭丸殿」 

「主をご存じなのか」 

「知っておるから行かせたのだ。このままでは山が崩壊するのでな」 

 男の手を見つめ、何か嫌なものを感じた私は清次郎の着物を引っ張った。 

「清次郎、手を貸せ」 

「承知」 

 清次郎も感じたのだろう。私の手を引き、距離を取るように男から離れていく。盛大な溜息をついた男は、清次郎が置いた荷物を背負っている。 

「今少し登った場所で娘が待っておる。某がそなたを抱き上げたかったが、こたびは譲ろう。時間が無い故な」 

「先に登って頂こう。まだ、そなたを信用した訳ではござらぬ」 

「いかにも通り」 

 坊主の男は先に歩き始める。清次郎が素速く私を背負った。逞しい首に抱き付きながら、小声で囁く。 

「あの者、半分取り込まれておる」 

「何ですと」 

「しっ。清次郎、力を注ぐ故、唇を貸せ」 

「……またでございますか」 

「下心は無い。この山、想像以上にまずいようだ。お主が心配だ。連れて来るのではなかった」 

 人間を取り込む悪霊。生きたまま、魂を喰らい始めている。 

 このままでは清次郎も危ないかも知れない。坊主に気配が無かったのは、生きた精気を感じられなかったからだ。

 一歩進むごとに、淀んだ空気を感じる。顔を振り向かせた清次郎に、身を乗り出しながら口付けた。 



 守ってくれよ。 



 これは私のだ。 



 愛しいのだ。 



 取り込む事は許さぬ。 



 昨晩よりも多くの力を注ぎ込む。舌を絡ませ、隅々まで行き渡るように。 

 一日は持つであろうと思われる力を注ぎ込んだ私は、息を乱した清次郎の硬い頬を撫でてやる。 

「少し余計な物も見えるかもしれぬが、私と繋がった故、多少の事なら大丈夫であろう」 

「紫藤様……」 

「また体が疼くかもしれぬが、許せよ。お主の魂を喰らわせはせぬ」 

 黒髪を撫でさすり、愛しい頬に口付ける。しかと頷き、前を向いた清次郎は再び山を登っていく。 

「……良いね。某も頼みたいのだが」 

「清次郎のためだけのものだ、諦めよ。私の体は全て清次郎の物だ」 

「熱いね~」 

 冷やかす坊主にニヤリと笑ってみせる。 

「これが終われば清次郎と添い寝で夜を明かせるのだ! 羨ましいであろう!」 

 私の言葉にずるりと足を滑らせた清次郎。先を行っていた坊主が振り返り、まじまじと私達を見比べる。 

 その口元が震え、大きな唇に似合うだけの大口を開けた。 

「……あっはっはっ! そうか、そうか!」 

「何がおかしい!!」 

「いや、そうか! 添い寝か! それは羨ましいの!」 

 坊主の声が山に響く。ムッと口を尖らせた私に、清次郎が小声で囁いた。 

「恥ずかしい事を叫びませぬよう」 

「何が恥ずかしい。愛しいお主との添い寝だぞ。自慢して歩きたいくらいだ」 

「お止め下さい!」 

「あっはっはっ!! ひーっひっひっひっ!」 

 腹を抱えた坊主は、体勢を崩して尻餅をついている。何と失礼な坊主だろうか。

 涙目になって笑う坊主を無視して、清次郎を急がせる。笑い続ける彼を追い抜き、結界が貼ってある場所まで急いだ。

 下から聞こえる笑い声に頬を膨らませる私に、坊主が声を掛けてくる。 

「お前さん、初物か」 

「お主には関係なかろう」 

「すまんすまん。その姿でよくもまあ、無事であったな」 

 ようやっと笑いから脱出した坊主は、荷物を背負い直し追い掛けてくる。 

 清次郎が距離を取るように道を空けた。坊主は通り過ぎざまに私を見つめ、片目を瞑ってみせる。 

「某なら、一目見て抱くがね」 

「私がご免被る。清次郎でない者に、触れさせはせぬ」 

「怖い怖い」 

 肩を竦め、坊主が先に行く。一歩遅れて清次郎がついて歩いた。 

「紫藤様」 

「何だ」 

「お気を付けを」 

「わかっておる。この身はお主の物だ!」 

「そうではなく……」 

 嫉妬とは可愛い奴め。硬い頬に吸い付いた私に呆れた溜息を零した清次郎は、気を引き締めるように前を向いている。 

 彼にも見えているはずだ。 

 坊主の背中に張り付いた、黒い影を。 

 少しずつ、少しずつ、彼の体を蝕んでいる。 

 緊張した肩を解すように撫でてやった私は、もう一度だけ頬に口付けた。苦笑しながら受け止めた清次郎は、青い瞳を力強く輝かせた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

成り行き番の溺愛生活

アオ
BL
タイトルそのままです 成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です 始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください オメガバースで独自の設定があるかもです 27歳×16歳のカップルです この小説の世界では法律上大丈夫です  オメガバの世界だからね それでもよければ読んでくださるとうれしいです

もう一度、貴方に出会えたなら。今度こそ、共に生きてもらえませんか。

天海みつき
BL
 何気なく母が買ってきた、安物のペットボトルの紅茶。何故か湧き上がる嫌悪感に疑問を持ちつつもグラスに注がれる琥珀色の液体を眺め、安っぽい香りに違和感を覚えて、それでも抑えきれない好奇心に負けて口に含んで人工的な甘みを感じた瞬間。大量に流れ込んできた、人ひとり分の短くも壮絶な人生の記憶に押しつぶされて意識を失うなんて、思いもしなかった――。  自作「貴方の事を心から愛していました。ありがとう。」のIFストーリー、もしも二人が生まれ変わったらという設定。平和になった世界で、戸惑う僕と、それでも僕を求める彼の出会いから手を取り合うまでの穏やかなお話。

当たって砕けていたら彼氏ができました

ちとせあき
BL
毎月24日は覚悟の日だ。 学校で少し浮いてる三倉莉緒は王子様のような同級生、寺田紘に恋をしている。 教室で意図せず公開告白をしてしまって以来、欠かさずしている月に1度の告白だが、19回目の告白でやっと心が砕けた。 諦めようとする莉緒に突っかかってくるのはあれ程告白を拒否してきた紘で…。 寺田絋 自分と同じくらいモテる莉緒がムカついたのでちょっかいをかけたら好かれた残念男子 × 三倉莉緒 クールイケメン男子と思われているただの陰キャ そういうシーンはありませんが一応R15にしておきました。 お気に入り登録ありがとうございます。なんだか嬉しいので載せるか迷った紘視点を追加で投稿します。ただ紘は残念な子過ぎるので莉緒視点と印象が変わると思います。ご注意ください。 お気に入り登録100ありがとうございます。お付き合いに浮かれている二人の小話投稿しました。

壁穴奴隷No.19 麻袋の男

猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。 麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は? シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。 前編・後編+後日談の全3話 SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。 ※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。 ※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

婚約破棄と言われても・・・

相沢京
BL
「ルークお前とは婚約破棄する!」 と、学園の卒業パーティーで男爵に絡まれた。 しかも、シャルルという奴を嫉んで虐めたとか、記憶にないんだけど・・ よくある婚約破棄の話ですが、楽しんで頂けたら嬉しいです。 *********************************************** 誹謗中傷のコメントは却下させていただきます。

【完結】薄幸文官志望は嘘をつく

七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。 忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。 学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。 しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー… 認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。 全17話 2/28 番外編を更新しました

処理中です...