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第一巻
巻ノ九『迷いの坊主』
しおりを挟む私に助けを求めてきた娘の話では、村から更に二日、掛かる山奥だった。山の麓の村で一晩、泊めてもらい、いざ山を目指して登っていく。竹林が続く山だった。
麓の村の話では、一ヶ月ほど前から山がざわめき、その度に村人が一人、居なくなると言う。すでに十三人の犠牲が出ていた。
「何故、紫藤様に話が来なかったのでございましょうか」
「霊媒師は私だけではない。娘もその山に飲まれた一人であった。年老いた霊媒師が坊主と共に山に来たらしいが、その霊媒師、山そのものを封鎖しおったようだ」
「……はて。理解できませぬ。申し訳ございませぬが、分かるようお教え下さい」
「つまりだな」
話を続けようとした私は、石に足を取られて滑った。忌々しい。
「ええい、ぬかるんだ大地よ!」
「仕方がございませぬ。昨晩、雨が降りましたからな」
「気に入った着物であったのだぞ!」
「帰りましたらすぐに洗って差し上げますから。さ、お立ちを」
道があれば良いものを。竹林は鬱蒼と茂り、人の手が全く加えられていない。
清次郎に支えられながらひたすら登っていく。体力に全く自信の無い私は、三十分ほど登った所でしゃがみ込んでしまった。
私を気遣うように背中を撫でた清次郎は、一休みだと言って布を敷いてくれた。その上に座り、竹筒から水を貰って飲んでいく。村人から買い取った饅頭も出され、食らいつきながら白髪を掻き上げた。
「もう少しなのだがな」
「左様ですか。先ほどの話の続きをお聞きしても宜しいでしょうか」
「うむ。つまりだな、私の社に貼ってある結界と似たものを、この山に貼っておるのだ」
片膝を立ててしゃがんだ清次郎は、逞しい足を惜しげもなく出している。眩しく見つめながら、あれと一緒に寝られるのだからと、苦手な肉体労働を頑張っている。
彼にも水を与えながら、娘から聞いた内容を説明してやる。
「札を貼ると霊の動きを制限できる。だが、問題は、悪霊と共に、その辺を漂っていた霊も閉じ込められておるのだ」
「何ですと」
「無茶なことをしたものよ。その様なことをすれば霊を喰らった悪霊の力が増すだけだ。村人が誘われたように山へ入ってしまうのは、その悪霊が力を増した証拠。いずれ結界を破り、麓の村を襲うであろうな」
「何故、その様な事を」
「さて。それは残っておる坊主に聞くしかなかろう。娘はその坊主に助けてもらったらしい。あの娘の願いは、これ以上村人に犠牲を出さぬようにとの事だった」
立ち上がった私は、わなわなと震える足を動かし、竹を掴みながら登っていく。普段、社でゴロゴロするだけの生活をしている私にとって、山を登るのは相当な体力を消費する。
いざ、悪霊に出会った時、体力が無い、では話にならないが。清次郎のため、彼との添い寝のため、ひたすら登っていく。
呼吸困難に陥ったかのように、激しく息を切らす私を見かねた清次郎が、荷物を体にくくりつけ、背を差し出した。
「お乗りを」
「しかし……荷物だけでも重たかろう」
「悪霊を退治してもらわねばなりませんので。このままでは登っただけで倒れてしまいそうです」
「……いや、無理はするでない」
彼の肩を叩き、立たせようとした。けれど、そんな私の肩を叩いた者が居る。
「某が背負おう」
「何奴!」
私を引き寄せた清次郎が、殺気を剥き出しにして刀に手を当てた。
「待て待て。坊主相手に刀を抜くのか?」
清次郎の背から見上げれば、確かに坊主の姿をしている。袈裟を身に付け、高い身長を折り曲げながら私達を観察するように見ている。
大柄な男は、頭髪を剃り上げてはいなかった。豪快に笑い、武器を持っていない事を示すように両手を上げている。
「気配を感じさせぬとは。お主、元は侍だな」
「いかにも。今は仏の道に入ったがね」
男は私を見つめ、顎を一撫でしている。
「どんな霊媒師かと思えば、これは見事な。今まで見たことがないぞ、この様な美しい者を」
「清次郎、聞いたか? やはり私は美しい。この様な私に求められるお主はほんに幸せ者ぞ」
「……紫藤様、その様な事をおっしゃっている場合ではございませぬ」
警戒を解かないまま、縛り付けていた荷物を解き、清次郎はスッと立ち上がった。坊主はやれやれ、と肩を竦め、私に向かって大きな手を差し出して見せる。
「頭の固い男は放って置いて。我らで楽しまぬか、紫藤蘭丸殿」
「主をご存じなのか」
「知っておるから行かせたのだ。このままでは山が崩壊するのでな」
男の手を見つめ、何か嫌なものを感じた私は清次郎の着物を引っ張った。
「清次郎、手を貸せ」
「承知」
清次郎も感じたのだろう。私の手を引き、距離を取るように男から離れていく。盛大な溜息をついた男は、清次郎が置いた荷物を背負っている。
「今少し登った場所で娘が待っておる。某がそなたを抱き上げたかったが、こたびは譲ろう。時間が無い故な」
「先に登って頂こう。まだ、そなたを信用した訳ではござらぬ」
「いかにも通り」
坊主の男は先に歩き始める。清次郎が素速く私を背負った。逞しい首に抱き付きながら、小声で囁く。
「あの者、半分取り込まれておる」
「何ですと」
「しっ。清次郎、力を注ぐ故、唇を貸せ」
「……またでございますか」
「下心は無い。この山、想像以上にまずいようだ。お主が心配だ。連れて来るのではなかった」
人間を取り込む悪霊。生きたまま、魂を喰らい始めている。
このままでは清次郎も危ないかも知れない。坊主に気配が無かったのは、生きた精気を感じられなかったからだ。
一歩進むごとに、淀んだ空気を感じる。顔を振り向かせた清次郎に、身を乗り出しながら口付けた。
守ってくれよ。
これは私のだ。
愛しいのだ。
取り込む事は許さぬ。
昨晩よりも多くの力を注ぎ込む。舌を絡ませ、隅々まで行き渡るように。
一日は持つであろうと思われる力を注ぎ込んだ私は、息を乱した清次郎の硬い頬を撫でてやる。
「少し余計な物も見えるかもしれぬが、私と繋がった故、多少の事なら大丈夫であろう」
「紫藤様……」
「また体が疼くかもしれぬが、許せよ。お主の魂を喰らわせはせぬ」
黒髪を撫でさすり、愛しい頬に口付ける。しかと頷き、前を向いた清次郎は再び山を登っていく。
「……良いね。某も頼みたいのだが」
「清次郎のためだけのものだ、諦めよ。私の体は全て清次郎の物だ」
「熱いね~」
冷やかす坊主にニヤリと笑ってみせる。
「これが終われば清次郎と添い寝で夜を明かせるのだ! 羨ましいであろう!」
私の言葉にずるりと足を滑らせた清次郎。先を行っていた坊主が振り返り、まじまじと私達を見比べる。
その口元が震え、大きな唇に似合うだけの大口を開けた。
「……あっはっはっ! そうか、そうか!」
「何がおかしい!!」
「いや、そうか! 添い寝か! それは羨ましいの!」
坊主の声が山に響く。ムッと口を尖らせた私に、清次郎が小声で囁いた。
「恥ずかしい事を叫びませぬよう」
「何が恥ずかしい。愛しいお主との添い寝だぞ。自慢して歩きたいくらいだ」
「お止め下さい!」
「あっはっはっ!! ひーっひっひっひっ!」
腹を抱えた坊主は、体勢を崩して尻餅をついている。何と失礼な坊主だろうか。
涙目になって笑う坊主を無視して、清次郎を急がせる。笑い続ける彼を追い抜き、結界が貼ってある場所まで急いだ。
下から聞こえる笑い声に頬を膨らませる私に、坊主が声を掛けてくる。
「お前さん、初物か」
「お主には関係なかろう」
「すまんすまん。その姿でよくもまあ、無事であったな」
ようやっと笑いから脱出した坊主は、荷物を背負い直し追い掛けてくる。
清次郎が距離を取るように道を空けた。坊主は通り過ぎざまに私を見つめ、片目を瞑ってみせる。
「某なら、一目見て抱くがね」
「私がご免被る。清次郎でない者に、触れさせはせぬ」
「怖い怖い」
肩を竦め、坊主が先に行く。一歩遅れて清次郎がついて歩いた。
「紫藤様」
「何だ」
「お気を付けを」
「わかっておる。この身はお主の物だ!」
「そうではなく……」
嫉妬とは可愛い奴め。硬い頬に吸い付いた私に呆れた溜息を零した清次郎は、気を引き締めるように前を向いている。
彼にも見えているはずだ。
坊主の背中に張り付いた、黒い影を。
少しずつ、少しずつ、彼の体を蝕んでいる。
緊張した肩を解すように撫でてやった私は、もう一度だけ頬に口付けた。苦笑しながら受け止めた清次郎は、青い瞳を力強く輝かせた。
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