妖艶幽玄絵巻

樹々

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第一巻

巻ノ六『見えざる敵』

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 白いきめ細やかな肌は、さすがに男である俺でもグラリとくる時がある。紫藤蘭丸は、無頓着に色気を振りまく男だった。

 目指す村は、社から歩いて二日かかる所にあった。途中、一泊するため宿場町に寄り、宿を取ったのだが。

 俺は一睡もする事ができなかった。紫藤が言うとおり、夜這いが酷くて。とはいえ、紫藤そのものはぐっすり眠っていた。俺が見張っているからと、どこまでも深く。

 なるべく刀は使わずに、侵入した男共を片っ端から捻り上げていった。幸い、紫藤の美しさに惹かれた単純な男ばかりであったため、それほど強い相手は居なかった。

 いつも一人で旅をする時は野宿だと言っていた紫藤。宿の中に結界を張ると迷惑がかかるため、外で結界を張り、眠るのだと言う。

 お金はあるのに、使い方を知らない紫藤は、俺から見れば変わっている。懐に大金を持ち歩いていても、その価値を知らないのだから。

 何度も襲われながら辿り着いた村は、遠くから見ても錆び付いている。どことなく重たい空気を運ぶ風を感じながら、主の背中を追い掛けた。

「……居るな」

「では」

「ああ。霊の仕業だ。それも悪霊に成り下がっておる」

 着物の袖に手を通し、唸った紫藤は、とにかくと村に入っていく。錆びられた村に、紫藤の鮮やかな白い着物は、まるで幽霊を思わせる。彼の目立つ姿を見つけた村人の一人が、よろめきながら駆け寄ってきた。

「お医者様だか?」

「医者ではない。霊媒師の紫藤蘭丸だ。村長はどこだ。幕府より命を受けて来てやったぞ」

 ふんぞり返る主を見つめ、そっと溜息をついた。この人はいつも偉そうだ。そのくせ、寂しそうな目で俺を見たりする。

 だからだろうか。金銭感覚の無い彼に、一週間ごとに給金だと言われ、もらった金が二月分ほどの金になっても出ていけないのは。

 村人に案内されて村長の家に行くまでに、俺達を物珍しそうに見つめている何人もの村人を見ることになった。俺達ではなく、正確には紫藤を物珍しそうに見ている村人だった。

 男なのか、女なのかとヒソヒソ話している。その村人の腕や首に、黒い痣が浮かんでいた。

 村の近くには田畑もある。自給自足で生活している村人達にとって、紫藤のように煌びやかな男は珍しいのだろう。実際の彼は胡座はかくし、腹を出して寝るし、俺に襲いかかってくる変態なのだが。見掛けが良いと、そういう悪いところは消えてしまうらしい。

 俺がそんな事を思っている間に、村長の家に着いていた。俺も貧しい生活を送っていたからわかる。立て付けの悪い戸をガタガタ言わせながら開けた村人に、紫藤はポツリと呟いた。

「立て替えれば良いものを」

「それができる者とできぬ者がおります。あまり民の生活に関して口を挟みませぬように」

「わかっておる」

 ムッとしたように俺を見た紫藤は、そっぽを向いたまま入ろうとした。

「あいたっ!」

 戸に顔をぶつけ、もがいた彼は、びっくりした村人に見られ顔を赤くした。

 彼が照れたように顔を赤くすると、ほんの少しだけ可愛くなる。

 だが、口を開くとその幻想は脆くも崩れ落ちる。

「見るでないわ! 向こうへ行っておれ!」

「八つ当たりはいけまんぞ」

「煩い!」

 足を踏み鳴らす主に、やれやれと肩を竦めて俺も入った。出迎えた村長は足を引きずり、土間まで降りてくる。四十歳ほどの村長は、頭髪は薄く、肉付きも薄い。

「お役人様からお話は伺っておりますだ。こんな辺鄙な村まで来て頂いて、まっことありがとうございますだ」

「礼は良い。話も要らぬ。空いた小屋は無いか? そこで一泊させよ。それで全て終わる」

「……どういう事でございましょうか?」

 戸惑う村長と同じく、俺も戸惑った。

「紫藤様?」

「なるべく皆から離れた場所が良い。空いておるなら何でも良い。準備ができるまで茶でも出せ」

 ドサリと腰を下ろした紫藤は、ふんぞり返って腕を組んでいる。先ほど打った額がほんのりと赤くなっていたので、竹筒に入れていた水を手拭いに浸して当ててやった。

「すまんな」

「いえ。それより、説明して頂かぬ事には、村人も安心できぬかと」

「面倒だ」

 一言で断ち切った紫藤は、茶はまだかと村人を見ている。仕方なく、彼らに言われた通りにするよう告げるのは、俺の役目になっていた。

 入れてもらった薄い茶に、文句を言おうとした彼の口を咄嗟に手で塞ぎながら、もう一度だけ問い掛ける。

「何をなさるおつもりで?」

「もちろん悪霊退治だ」

「どのように?」

「……ふむ。お主が口付けをくれるのなら、面倒だが説明してやろう!」

「夜になればわかりますか」

 俺もお茶を頂き、問いただすのを止めた。不服そうに口を尖らせた紫藤は、小屋の準備ができたと呼びに来た村人に案内されて外へ出る。

「村人に伝えておけ。太陽が沈んで後、外に出ることはならぬとな」

「承知しました」

「それと清次郎」

「はっ」

「村娘に手を出す事は許さぬからな!」

 形の良い鼻を膨らませて何を言うかと思えば。

「はぁ、承知致しました」

「なんだ、その気の抜けた返事は!」

「その様なことをご心配せずとも、今はあなた様のお世話で手がいっぱいでございます」

「うむ、良いことだ」

「俺としては華が無く、寂しい気がしますが」

「華なら常に側におるだろう」

 自分を指さし、自慢げに胸を反らす主に苦笑した。確かに華だけはある。

 が、しかし。

 男だ。

「はいはい。夜からの作業になるのでしょう? ならばしかと眠って下さい」

「お主もな。少し手伝ってもらいたい」

「もとより承知しております」

 案内された小さな小屋は、ずっと使われていなかったのか、埃臭かった。それでも人が座る場所だけでも掃除してくれたのか、掃いた後がある。

 俺としてはもう少し、綺麗にしたいところだけれど。俺が来るまで蜘蛛の巣だらけの家の中に居た紫藤は、意に介さず居間に上がり、腰を下ろしてしまった。

 本当に、良く分からない主だ。

 荷物を下ろした俺は、せめてもと、天井の蜘蛛の巣を払うことにした。横になった紫藤は、そんな俺を眩しそうに見上げていた。



*** 



 村人にもらった質素な夕飯は、文句一つ言わずに食べた紫藤。彼の判断基準が、いまいち掴めなかった。まあ、野菜が煮込まれているだけでも、彼としては凄いと思ってしまうのだろう。俺でも野菜の生かじりだけで生活はできない。

「よし、行くぞ、清次郎」

「はっ。して、俺はどうすれば?」

「熱い口付けをするぞ!」

「……はっ……は? ご冗談を。何をおっしゃって」

「冗談などではない! いたって真面目だ!」

「口付けなんぞする暇がありましたら、早々に片付けて下さい。村人の痣は、悪霊とやらが原因なのでしょう?」

 昼間聞いた話では、あの黒い痣が浮かんだ者は、徐々に体を蝕まれ、死に至ると言う。医者に診てもらっても、何が原因かわからず、そのため霊媒師である紫藤が派遣されたというのに。

 俺が村人の話し相手をしている間、紫藤は札を村の各所に貼り付けていたのを知っている。さすがに霊媒師として、真面目に仕事をしているかと思えばこんな冗談を言う。

 呆れた俺は、肺の中の空気を全て吐き出すように溜息をついた。

「俺はここでお待ちしております。どのみち、俺には霊は見えませぬ故」

「時間が無い。拒まずさっさと受けよ!」

「その手には……」

 ガタガタ、ガタガタ、戸が激しく鳴り始める。咄嗟に紫藤を庇うように背にしたけれど。吹き飛ばされた戸の向こうには、誰も居なかった。

「……ちっ。思ったより速い。どけ、清次郎!」

「それは……」

 刀だ。俺が持つ刀より、僅かに長い。荷物の中に紛れ込ませていたのだろう、鞘から放った刀身には、分からない文字が描かれている。

 それを不器用に振った紫藤は、何度も舌打ちをしている。がむしゃらに振り回し、何かと闘っているようだが。 

「伏せておれ!」

 俺を押し倒した紫藤が、見えない何かに吹き飛ばされた。刀を振り、切った口元を拭っている。

「すばしっこい奴め!」

 彼の視線が、右へ左へ、流れていく。その度に、僅かながら風の動きを感じる。彼の視線が右へ逸れた時、背後から風が吹く。

 飛び出した俺は、彼の持つ刀を上から握り、後ろを斬りつけさせた。

 手応えがある。紫藤を抱き寄せながら、風を感じるように耳を澄ます。

「お主……見えるのか?」

「いいえ、全く。ですが風を感じます」

「なんと痺れる男だ……!」

「口付けを」

 風が来る。彼を抱きかかえ、飛びすさりながら見下ろした。

「それであれが見えるのですね?」

「うむ……」

「ならば仕方がありませぬ。ご免」

「……ぅん」

 素早く彼に口付けたけれど。相変わらず何も見えない。どういうことだ、この期に及んでまだ冗談を言うのか。見下ろせば、真っ赤になった彼が俺の着物を握り締めながら照れている。

「何と大胆な……いや、私はいつでも心の準備を整えておるが……雰囲気は大事にせぬと」

「紫藤様! 急いで下さい!」

「お主が男前な事をする故、力を注ぐのを忘れたのだ!」

「お早く……!」

 来る、ざわりと感じて横へ飛ぶ。彼を下にし、庇った俺の背中を何かが通過した。着ていた着物が破れていく。僅かながら、背中を傷付けられている。

「私の清次郎に何をする!!」

 斜め前の空間に怒鳴る彼を宥め、急がせた。

「紫藤様! はっきりと姿が見えぬことには追えませぬ!」

「逃げるなよ、清次郎」

 俺の顔をわし掴んだ紫藤は、荒々しく唇を重ねた。舌を差し込まれ、眉を潜めたものの、黙って受け入れる。

 その傍ら、俺の着物を脱がそうと手を差し込んできたので、それは抓っておいた。

 数秒の口付け後、俺の中で何かが変わった。何、とは説明できない何かが。



 感じる。



 はっきりと。



 起き上がり、室内を見渡した。蝋燭の明かりに揺れる、黒い影を。



 人のようで、人ではない。



 顔があるようで、顔ではない。



 まるで蛇のように長く伸びた黒い影は、天井や壁を伝い、警戒するように這いずり回っている。

 紫藤の刀を静かに構える。

「あれですな」

「そうだ」

「斬れば宜しいので?」

「うむ。弱るまで斬れ。後は私がやる」

「承知」

 すうっと呼吸を整える。足を開き、身構えた。

 影は蠢きながら、吼えるように向かってきた。



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