妖艶幽玄奇譚

樹々

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読切『紫藤家のとある日常』

その6『侍の休息日を作り隊』

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 紫藤家では、朝一番に清次郎が目覚め、朝食準備を始める。朝に弱い紫藤蘭丸、月影達也、土井七海は、起こされるまでなかなか目覚めない。



「いや、俺だって一人暮らしの時はちゃんと起きてたんだぜ? でもさ、清兄が起こしてくれると思うとダメだな」
「僕も。甘えちゃうね」
 俺と七海は、紫藤と清次郎がお風呂に入っている間に話し合う。起きてからは家事を手伝っているけれど、清次郎の手際の良さは圧巻で、俺たちの倍はこなしてしまう。
「たまにはさ、清兄にも休んでもらいたいな」
「うん。色々教えてもらったし、明日、任務は入っていないみたいだし」
「よし、じゃ、朝飯から頑張るぞ!」
「うん!」
 清次郎より早く起きて朝食を作る。それから洗濯と掃除も二人でやろう、そう決めた。

***

「ほら、もう朝だぞ。顔を洗っておいで」
「……あれ?」
「七海も起きなさい」
「……ぁ」
「紫藤様。布団にしがみ付かないで下さい」
 布団に潜り込もうとした紫藤を起こしに行く清次郎。慌てて自分の携帯を確認する。音が出ないようマナーモードでセットしていた目覚ましは、鳴った後のようだった。どうやら自分で切ってしまったのだろう。
「失敗した…!」
「達也君、急ごう!」
 紫藤を起こすのに苦戦している間に、せめて朝食のセッティングからでも二人でやらなければ。駆け足で階段を降り、顔を洗ってキッチンへ行くと、もう、清次郎は戻ってきている。ご飯をよそっているところだった。
「せ、清兄! 俺たちがやるから!」
「ああ、頼む」
 爽やかな笑顔を見せながらも手は止まらない。味噌汁もさっと注いでしまう。俺と七海が加勢に入る頃には大半が終わっていた。
「……やべぇ。はぇーよ」
「間に入れないね」
 手伝ってはいる。だが、俺たちは清次郎に休んでもらいたい。
 七海と決意すると、朝食後の食器洗いは俺たちだけでやろうと視線を交し合う。そのためには早く食べ終わり、清次郎より先に席を立たなければ。
 四人席に着き、頂きます、と挨拶をしてからすぐにご飯を口に詰め込んだ。七海も一生懸命食べている。
 だが、どんなに頑張っても駄目だった。
 清次郎の一口は大きく、ちゃんと噛んでいるのに早い。
 そして、いつものように先に食べ終わり、キッチンへ向かうと洗い物を始めてしまう。数分遅れて俺が隣に立つ頃にはほとんど洗い終わっている。
「俺がやるし」
「ああ、ありがとう」
 そう言いながらも手は止まらない。結局、食器も鍋も清次郎がほとんど洗ってしまう。七海が紫藤の食器も一緒に持ってきたので、せめてそれだけはと洗っていると清次郎がふと消えた。
「あっ! 七海、こっち頼む!」
 きっと洗濯だ。風呂場に駆け込んだ時には遅かった。すでに洗濯機が動き出している。そして浴槽を洗っている清次郎。もう、洗い終わろうとしている。
「せ、清兄! 言ってくれたら俺達がやるって」
「ん? ああ、ついでに今日は壁も洗って乾かしておきたくてな」
 俺と話しながらも手は止まらない。浴槽を洗い終え、壁に取り掛かっていく。見ているだけではいけない。予備のスポンジを手に取ると一緒になって壁を擦っていく。
「溝は丁寧にな」
「オッケー」
 タイルの溝を念入りに擦り、シャワーで流すと完了した。このまま乾かすらしい。朝から元気な清次郎はすでに次の家事を思い浮かべているのか、その足取りは力強い。
「あのさ、清兄。今日はさ、俺と七海がやるよ」
「ありがとう。勉強の前に終わらせよう」
 そうじゃない、とツッコミを入れる間もなく、清次郎は庭に出ていった。紫藤にお茶を淹れていた七海とも合流し、庭に出てみると草刈り機を出してきている。
「俺が刈るから、草を集めてくれないか?」
「分かった!」
 草刈り機は俺達では扱えない。ここは清次郎にしてもらうしかないだろう。伸びていた雑草を手際よく刈っていく清次郎の後について、刈られた草を集めていく。
 刈り終わった清次郎は、太陽の位置を確認するかのように空を見上げ、俺と七海に笑っている。
「さ、勉強の時間だ」
「もう、そんな時間?」
「汗を掻いただろう? 一度、顔を洗ってきなさい」
 そう言っている清次郎の額にも汗が浮かんでいる。
 そうだ、麦茶を入れてあげよう。先に家に上がっている清次郎を追いかける。だが、俺が思いつくことなど清次郎が気づかない訳がない。手早く手を洗い、さっと開けた冷蔵庫から麦茶を取り出すと、コップに三人分注いでしまった。
「……ダメだ、勝てねぇ」
「清兄さん、凄い」
 大人しく顔を洗いに行く俺と七海だった。

***

 何とか奮闘した。清次郎より先に家事をこなそうと必死だった。
 だが、洗濯物を干していても、取り込む時も、清次郎は先を行く。俺達でやるかと言っても笑ってありがとうと言いつつ一緒にやってしまう。
 休ませてあげたいのに、止まらない清次郎。
 夕食後の片づけこそはと、大きなハンバーグを睨んでいた。味わって食べたいけれど、それだと清次郎の噛み速度に負けてしまう。七海も真剣な顔をしている。
 頂きますの挨拶を合図に、口いっぱいに詰め込んだ。七海も喉に詰まらせながらも急いでいる。
「どうした、二人とも? きちんと噛んで食べなさい」
「噛んで……んぐっ!」
 喉に詰まったご飯をお茶で流しこむ。怪訝な顔をしている清次郎の茶わんの中身は確実に減っている。
 慌てている俺と七海に首を傾げながら、いつも通り大きな一口で食べている清次郎。なぜ、その量で噛めるのか。
 やはり清次郎が最初に食べ終わってしまう。ご馳走様でした、と声を掛け、片づけに行こうと席を立つ。
 残すしかない、いや、でももったいない。残り五分の一ほどのハンバーグを口に詰め込もうとした俺の前で、紫藤が清次郎の手を取った。
「清次郎、暫し待て」
「はい」
 のんびり食べていた紫藤が呼び止めると、清次郎は席に戻った。
「紫藤様?」
「まあ、待て」
 ゆっくり食べる紫藤が俺と七海を見てくる。
「そのように慌てて食べていては味が分かるまい」
 諭され、七海と顔を見合わせる。残りのご飯はしっかり噛んで食べた。
「うむ。清次郎、少し良いかの?」
「はい」
 最後に食べ終えた紫藤が清次郎をソファーへと連れて行く。いつもの、紫藤の特等席である真ん中のソファーに座り、隣に清次郎を座らせている。
 その肩を、紫藤が引いた。背もたれに隠れるように清次郎が消える。
「……紫藤様?」
「まあ、待て」
 どうやら膝枕をしているようだった。紫藤が俺達を振り返る。
 ハッとなり、急いで茶わんを片付けた。紫藤と清次郎の分も持っていく。フライパンや食器を、俺と七海だけで洗った。
 風呂も入れよう。掃除は終わっている。今日は二人に先に入ってもらおう。
 お湯を溜めている間に、紫藤と清次郎の着替えも用意した。二階に駆け上がり、布団も敷いてしまう。その間、清次郎は紫藤の膝枕に捕まっていた。
「蘭兄にバレてたな」
「後でお礼言わないとね」
 風呂上りの熱燗も用意してやろう。つまみはチーズをカリカリに焼いたやつにしよう。
 侍の休息日だ。
「つか、最初から蘭兄に協力してもらえば良かったぜ。休んでくれって」
「そうだね」
 七海と笑ってしまう。先にこなそうとしたけれど、清次郎の人生経験は多すぎる。俺達子供が太刀打ちできるものではなかった。
「蘭兄、清兄、風呂沸いたぞー!」
「うむ。では行くとするか、清次郎」
「……はい」
 紫藤の膝から起き上がった清次郎は、俺達を見ると青い瞳を細めて笑ってくれる。
「ありがとう、二人とも」
「次は一日、休んでくれよな!」
「僕達、ちゃんとできるから」
「ああ、頼む」
 大きな手が頭に乗せられる。その手は優しくて温かかった。





その6

おわり
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