妖艶幽玄奇譚

樹々

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読切『紫藤家のとある日常』

その3『清々しい朝』

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 規則正しい生活は、体にも心にも良い。
 特別機関からの依頼が無い限り、決まった時間に眠り、決まった時間に起きる。
 もう、ずいぶん前からの習慣になっているので、目覚まし時計が鳴る前に目が覚める。
 今日も時間が来たのか、体が自然と目覚めていく。押し開いた瞼で時計を確認すると、セットした目覚ましが鳴る五分前だった。音が鳴らないよう切ってしまう。
 起き上がろうとした体は、何かにしがみつかれている。浴衣の中に両腕が巻き付いていた。
 子供のように眠っている主・紫藤蘭丸は、俺を離すまいと抱きついている。
「……おはようございます、紫藤様」
 安心させるように、長い白髪を撫でてやる。もつれを知らない綺麗な髪は、俺の指の間をサラサラ流れていく。
 窓の外はまだ暗い。淡いオレンジの光が灯す室内には、預かっている月影達也と土井七海も居る。二人とも、元いた布団からずいぶん動いていた。
 紫藤の腕をそっと外し、布団に抱きつかせると浴衣をなおした。まずは七海を元の布団に戻してやり、ドアまで転がっていた達也を抱き上げると布団に寝かせた。少し肌寒くなってきている。風邪を引かないよう、三人とも掛け布団をかけておいた。
 音をたてずに部屋を出ると一階まで降りていく。空気の入れ換えも兼ねて大きな窓を開けると庭に降り立った。
「おはようございます」
 紫藤の力が無いので見えないけれど、たいてい一人、二人は庭に居る霊たち。挨拶を済ませると、日課になっている素振りを始めた。
 晴れている日は毎日やっている。木刀を力を込めて振り下ろす。紫藤を守るため、できるだけ体を鍛えておきたい。いつでも、どんな時でも、守れるように。
 無心で素振りをしていると、東の空が少し明るくなってきた。体には汗が流れている。庭に向かって一礼すると、足早に風呂場へ向かった。シャワーで簡単に汗を流してしまう。
 髪も乾かし、アイロンを掛けたシャツとジーンズに着替えると、朝食の準備に取り掛かる。育ち盛りの子供二人がいるため、以前よりも気合を入れて作っている。子供二人を引き取ってからは、主の紫藤もつられて良く食べるようになったからだ。
 朝食は一日の始まり。
 炊きあがったご飯を混ぜ、味噌汁もできあがり、卵焼きも焼いた。キャベツをザク切にして、一旦、台所を離れると二階へ上がっていく。
 寝室のドアを開ければ、三人はまだ眠っていた。電気を点けるとまずは紫藤の体を揺さぶった。
「紫藤様、朝ですぞ。起きて下され」
「……うむ」
「紫藤様」
 返事はするが、起きる気配がない。意識がまだ沈み込んでいるようだ。首の後ろに腕を回し、体から先に目覚めてもらう。
「紫藤様」
 揺さぶれば、ぼんやり目を開けている。
「…………おはよう、せいじろー……」
「瞼が閉じておりますよ。さ、しゃきっとして下され」
 開いた瞼が閉じてしまう。ゆさゆさ、ゆさゆさ、揺さぶればようやく目が覚めたようだ。瞼を擦っている。
 達也と七海の体も揺さぶった。なかなか起きない二人を起こすのは少々てこずる。
「達也! 七海!」
「……あとごふん……」
「もうすこしだけ……」
「朝だぞ。さ、早く」
 布団にしがみついた達也を起こすため、布団ごと引き起こした。ユラユラ、ユラユラ、頭が揺れている。背中をやや強めに叩くと、観念したのか瞼を開いた。
「おはよー、清兄」
「おはよう。さ、七海も」
 達也が起きると、七海も起きる。やや髪を跳ねさせたまま起きた七海は、小さな欠伸をしながらもきちんと挨拶をした。
「さ、三人とも顔を洗ってきて下され」
「うむ」
「「はーい」」
 重なった声に満足し、足早に一階へ戻った。今日はハムエッグにしようと思っている。三人が顔を洗っている間に、手早く作っていると子供二人が元気に駆け込んでくる。
「清兄! ご飯もうオッケー?」
「ああ、頼む」
「僕、お味噌汁注ぐね」
「頼んだ」
 顔を洗った子供二人は、言わずとも手伝ってくれる。ゆっくりリビングに入ってきた紫藤は、テーブルに置いていた新聞を広げ読み始める。心得ている七海が、すぐにお茶を淹れて運んでくれる。
「ありがとう、七海」
「蘭兄さん、可愛い動物番組があったら教えてね」
「うむ」
 七海に頼まれ、テレビ欄を確認している。紫藤自身も、動物を見るだけなら好きなので熱心に探しているようだ。
「……ふっ」
「どうしたんだよ、清兄?」
「いや、昔を思い出してな」
「なになに、蘭兄のオモシロエピソード?」
「そんなところだ」
「気になるじゃん!」
 達也が顔を寄せてくると七海も入ってくる。二人に挟まれながらも、紫藤の名誉を守るため笑ってごまかしておいた。
「さ、運んでくれ」
「ちぇっ。清兄が隠す時って、ぜってー笑える話のはずなんだけどな」
「蘭兄さん、可愛いからね」
 ぶつくさ言いながらも、腹が減っているのだろう、できあがったハムエッグを運んでいる。俺もお茶を淹れなおして、紫藤が待っているテーブルに皆で座った。
「うむ。では頂くとしよう」
「「「頂きます」」」
 四人、手を合わせ食べていく。すぐに育ち盛りの二人は口いっぱいにご飯を詰め込んでいる。見ているだけで楽しくなる。
 紫藤もまた、にこにこしながら食べている。賑やかな食卓が楽しいようだ。

 ずっと、二人で生きてきた。

 俺たちに子は生せない。生きていく中で仲間はできたけれど、彼らは皆、先に逝く。子供たちもいつか、俺たちよりも先に逝くのだろう。
 大人になって、誰かを愛して。
 この世を去る時が来る。
「清兄! お代わり!」
 差し出された茶わんにご飯をよそってやると、また口いっぱいに詰め込んでいる。
「七海は?」
「僕は大丈夫。卵焼き美味しい!」
「清次郎の卵焼きは絶品ぞ!」
「知ってる」
 笑って応えた達也は、俺に片目を瞑って見せた。笑って返してやる。
「そうだ、七海。おもしろ動物番組なるものがあったぞ」
「見たい!」
「私も見たいぞ、清次郎」
「ではそれまでに今日の勉強を終わらせておこうな。紫藤様は明日、任務がありますゆえ、あまり遅うまで起きてはなりませぬぞ」
 明日、地方まで飛ばなければならない。夜更かしをさせないようにしなければ。
「俺、ゲームしたいんだけど」
「勉強が終わったら良いぞ」
「今日は何やんの?」
「数学を中心にいくからな」
「……マジかー」
 天井を仰いだ達也は大げさに落ち込んで見せる。最近、数学に躓いている達也は、なかなか苦手意識が消えない。七海が励ますように背中をポンっと叩いた。

 たわいのない日常が今日も始まる。

「午前中の勉強が終わったら、買い物に出かけよう。明日から数日、空けるからな。作り置きを幾つかしておこう」
「頼む! 俺と七海じゃ、まだまだ美味い飯作れないからさ」
「一緒に教えてね」
 悪鬼が落ち着き、二人を置いていくことにもあまり不安は無くなった。特別機関も見張っている。
 何より達也を救いたいと、七海が強くなった気がする。言霊を恐れていた七海が、言霊の力で達也を守っている。
 二人は出会うべくして出会ったのではないか、そう、思うこともある。過去に惹かれあった二人は、現代でもまた親友として出会った。
「さ、片づけたら午前中の勉強に入るからな。早く終わったら遊んで良いぞ」
「よし! 七海頑張れ!」
「達也君もだよ」
 笑いあっている二人を見ると俺も楽しくなる。紫藤を見れば一緒になって笑っている。

『は、はようどけてくれ! 生き物は苦手だ!』

 先ほど思い出した、紫藤に出会った頃のことを再び思い出してしまった。生きている物は苦手だと、逃げた鶏に腰を抜かし木にしがみついていた姿を。
「ぶふっ……!」
「な、何だ? どうした清次郎?」
「い、いえ……! なんでも……!」
「あっ! 蘭兄のおもしろエピソードだろ!」
「私の……おも? 何だ?」
「何でもありませぬ故! さ、行くぞ、達也、七海!」
 これ以上、紫藤の顔を見ていると、もっと思い出してしまいそうだ。子供二人を促し立ち上がる。不思議そうに首を傾げる主を残し、食器を片付けるため台所へ逃げ込んだ。
「清兄! 思わせぶりな態度はダメだって! 気になるじゃん!」
「もう、ずいぶん前のことだ。愛らしい姿を思い出して……ふふっ」
「いや、ぜってー面白い方だって!」
 達也はどうにかして聞き出そうとしている。笑っている七海は食器を水に浸けている。俺が話すことはないと分かっているからだろう。達也も頬を膨らませながらも諦めた。
 片づけを済ませると勉強部屋へと向かう。紫藤は大人しく本を読み始めている。子供たちが勉強している間は待っていてくれる。

 生きている物が苦手だと。

 それは人も含めてのことだった。

 その紫藤が、子供たちと共に生活し、笑いあっている。できることならこの生活が、ずっと、一秒でも長く、続いてほしい。
「では、始めるぞ」
「「はい」」
 続いてほしいと願う一方で、彼らを大きな世界へ送り出したいとも思っている。大人になり、働いて、生きて、死ぬ。
 当たり前の、ささやかな日常へ戻してやりたい。
 シャープペンシルを手に唸る二人を見守りながら、その時が来るまではと、今は目の前のことに全力を注ぐ。
「清兄、ヒント!」
「では、ここを見てみてくれ。公式は?」
「公式、公式―」
 勉強を頑張る二人のために、今日のおやつはケーキにしよう。四人で外に出て買って帰ろう。
 まだまだ細い二人の背中をポンっと叩いて励ました。





その3

おわり
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