妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ六十二『その手の先に』

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 重苦しい空気が、空を覆っている。
 海を渡った紫藤と俺は、息をするのも苦しくなっていた。
【これは……】
 まるで雨雲が降りてきているかのようだった。霊感が無ければ見えないけれど、重い空気は一般の人でも感じているかもしれない。
 紫藤にもらった力のおかげで、渦巻く黒い影を見ることができる反面、体にのしかかるような空気の重さをより感じてしまう。
【清次郎、大事ないか?】
「はい。ですが、これほどの力を解放しているとなると」
【ああ、おそらく悪霊も多数、発生するであろうな】
 空を飛ぶ紫藤は、赤い目を細めている。隼人の中に眠る悪鬼は、完全に目を覚ましている。隼人の意識をのっとり、力を自由に使えるようになっていると推測された。
 慎重に空を飛んだ紫藤は、東へ、東へと移動していく。空を覆う重い空気の層は、いっそう濃くなっていく。
 どれほど移動しただろう。再び大陸が見えてくる。力が濃い方へと移動していた紫藤は、羽ばたく速度を緩めた。
 黒く淀む世界の先に、男性が一人、空に佇んでいる。シャツとジーンズを着ていた大場隼人は、紫藤の姿に気付くと目を見開いた。
「これは……そうか、そうでありましたな。その姿、一度見ています」
【悪鬼よ、その体、返してもらうぞ】
 隼人の体を中心に、悪鬼の気が溢れ出ている。吹き上げる風の中、隼人の姿をした悪鬼は静かに首を横へ振っている。
「行かねばならぬのです。兄様が待っています」
【あいにく、松田はもうおらぬ。今は達也として、生きておる】
「松田……?」
 紫藤の言葉に、悪鬼は不思議そうに首を傾げた。体勢を整えるように、一度大きく翼を広げた紫藤の背中に掴まりながら、彼の言葉に違和感を覚えた。
 達也を松田だと思い、会いに行こうとしているのではないのか。紫藤もそう、思っているのだろう、慎重に言葉を選んでいる。
【海淵よ、お主は何が目的なのだ?】
「……海淵?」
 悪鬼はまたしても、不思議そうな声を出す。紫藤も俺も、彼の態度にどう反応して良いのか分からなかった。
 達也の側に初めて体現した姿は、海淵であった。「兄じゃ」と呼び、達也を通して松田へ手を伸ばしていたというのに。
 そうだ、「兄じゃ」と呼んでいた。
 だが彼は今、達也に憑いた悪鬼を「兄様」と呼んでいる。
「紫藤様……」
【どういうことだ? あやつは何者なのだ?】
 距離を詰めることもできず、吹き上げる風に揺られている悪鬼を見つめるしかない。
 海淵ではない。では一体?
 隼人の中に居る悪鬼は、誰なのだろう?
「ああ、そう、そうでしたな」
 悪鬼は自分の胸に手を添えている。隼人の顔が忌々しそうに歪んでいく。
「その名は真、忌まわしい。あやつのせいで、兄様と離れてしまった……!」
 悪鬼の体から気が溢れてくる。その気圧に押されるように紫藤の体が浮き上がる。羽を広げ、バランスを取った紫藤は、風の流れを読みながら負けじと羽で風を作り出す。うねりをあげた風が悪鬼へと迫る。
【海淵でないなら、お主は何者ぞ!】
 紫藤の作り出した風の渦を右手で払った悪鬼は、素早く両手を広げている。吹き出す黒い影が、次々に地上へと降りていく。
「さて、名前はとうに忘れました! 我らが望みはただ一つ!」
 濃い影は、もともと霊力の溜まっていた霊場を刺激した。大人しかった霊達がその力を浴び、苦しみながら浮かび上がってくる。
【止めよ! その者達は静かに暮らしておるのだ! 霊気を与えるでない!】
「あなたが諦めて下さるならそうしましょう!」
 浮かび上がった霊達の目は虚ろに代わり、やがて生きていた姿を失っていく。人の姿から影のような物に姿を変え、霊力の高い紫藤目がけて向かってくる。
「私はここで兄様を待ちます。ここなら、私でも力を使える」
 悪霊に守られた悪鬼。遠ざけられた紫藤は、旋回しながら追ってくる悪霊に舌打ちした。
【清次郎、振り落とされるでないぞ!】
「承知」
 俺は紫藤の羽毛の中にしっかりと体を埋めた。風が舞う中、紫藤が羽ばたくのを止め、頭を下へ向けている。
 急速に落下していく巨大な紫藤の体。悪霊に変わった霊達もまた、追うようについてくる。速度で勝った紫藤は、大地にぶつかる前に羽ばたき、ふわりと舞い降りた。
 そこは木々が茂る森の中だった。見上げても、悪鬼に憑かれた隼人の姿は見えないほど、視界が狭い場所だった。
【源を絶つ】
 巨大な鳥の姿のまま、羽をたたんだ紫藤は額を大地に触れさせる。背中から見守っていた俺は、じわりとする熱のような物を感じた。
 大地に眠る、霊力。それを封印の珠で吸っている。
 大地から力が抜けるほどに、悪霊へと変わった霊達の活動が鈍くなっていく。封印の珠の緑色の光に近づくことができない悪霊達は、元の霊の姿へと戻ろうとしていた。彼らは強制的に悪霊にされてしまったばかり。今なら彼らを変えてしまった力を絶つことで、元に戻してやれるのだろう。
 俺ですら力が消えていくのを感じたのだ、悪鬼が気付かないはずがない。黒い、大量の影が降り注いでくる。
 咄嗟によけた紫藤は、負けじと風を吹き上げた。
「やっかいな方だ。あの坊やも、あなたも」
 地上へと降りてきた悪鬼。屈託無く笑う姿が本来の隼人であるはずが、今は憎しみに満ちた瞳になっている。
「会わせて下さるなら、他に危害を加える気はありません。私たちはずっと、互いに側に居られればそれで良いのです」
【それはならぬ。隼人の体も、達也の体も、お主らのものではない】
「……そう、させたのはあなた方ではありませんか!」
 右手を振り抜いた悪鬼。黒い、塊のようなものが紫藤の体を襲う。避けきれずに右翼に受けた紫藤の体がよろめいた。
 咄嗟に背中から飛び降りた俺は、二撃目を構えた悪鬼の右手に向かって、背中に帯びていた刀を抜き放ちながら暫撃を飛ばす。紫藤からもらった、破壊の力だ。
 暫撃は悪鬼の右手を僅かに掠っていく。一瞬、気を取られた悪鬼の懐深く入り込むと、刀を逆手に持ち、切れない方で胴を打つ。生身である隼人の体をなるべく傷つけたくはない。くぐもった声を出す彼の背後に素早く回り、膝裏をさらに打つ。大地に膝をついた彼の背後から、両腕を取り封じようとしたけれど。
 彼の方が一歩、早かった。肘が突き出され、俺の腹部にめり込んでくる。一秒、動きを止めたその間に前転し、距離を取ってきた。
 構えた姿に、目を細めた。俺が知っている悪鬼は、江戸の頃。それほど知識があるようには見えず、ただ、突進してくるだけだった。
 それが、静かな殺気を放ち、柔道選手のように構えている。近づけば、こちらが捕まるだろう。
 大場隼人は警察官。試験に合格するため、体を鍛えていた。柔道も、空手も、有段者だった。
 知識が、あるのか。
 隼人が培ってきた知識と、戦うための経験が。
 刀を握る手に力を込める。人間としての体を持ち、悪鬼としての力も持つ。
 せめて、人間の方の動きを封じられれば、後は紫藤が悪鬼の力を絶てるだろう。
 姿勢を低くすると、刀を水平に構えながら距離を詰めた。昔使っていた物より刀身が短い分、より相手に近づく必要がある。空を飛ばれたら追いつけない。その前になんとしても捕まえる。
 彼も俺の考えを読んだのだろう。体から吹き出した悪鬼の力を利用し、高く飛んだ。その飛翔の先へ、力を込めて暫撃を飛ばす。避けるように動いた悪鬼の先には、同じく空を飛んだ紫藤が待ち構えている。大きな嘴を広げ、緑色の封印の力を凝縮させた球体を悪鬼の背中に浴びせた。
「ぐっ……!!」
 力を削がれた悪鬼の体がふらつきながら落ちてくる。大地に激突すれば隼人の体が危うくなる。落下地点に回り込むと、抱き留め、そのまま大地に押し倒す。
 四肢を押さえた俺を睨むように見上げる隼人の目は、憎悪そのものだった。
「どうして! 邪魔をするのです!」
「その体は隼人様のもの。危害を加えないと言ったが、ここにいる霊を悪霊にしている。苦しませている!」
「あなた方が邪魔をするから!」
「だから! ここに居る霊を盾にしても良いと?」
「それは……!」
 続く言葉を、飲み込んだ悪鬼。唇を噛みしめながら俺の目を避けるように横を向いている。
「悪いと、思っています。私も、兄様も、意図せずとも霊に干渉してしまう」
 悪いと、思う?
 俺は悪鬼に憑かれた隼人の表情を読もうとした。嘘を言っているようには見えない。本当に、霊達に対して済まないと思っているようだが。
 そんなことがあるのだろうか?
 俺が知っている悪鬼に、こんな感情のようなものがあっただろうか?
 空から降りてきた紫藤を見上げた。赤い瞳が悪鬼に注がれる。彼もまた、悪鬼らしからぬ彼に対して、少し困惑しているようだ。
【のう、お主。兄と呼んでいるが、真の兄弟なのか?】
 会話はしながらも、紫藤は封印の珠を共鳴させている。隼人の中に眠る封印の珠を紫藤が直接、操るようだ。悪鬼の顔が苦しそうに歪んでいる。
「兄様は……兄様です! 唯一、血を分けた……兄弟!」
【だが、お主達の魂は、もはや形をなしてはおらぬ。故に、お主は隼人の魂に、兄と呼ぶ者は達也の魂に、憑いておるのだろう?】
 隼人の胸と腹の間から、眩しい緑色の光が溢れてくる。それにともない、悪鬼から溢れていた気が封じられていく。
「それも……あなた方のせいではありませんか! 私と兄様、一つになっていた魂をあの時、別ったのは……!!」
 悪鬼が叫んだ時だった。封印の珠の光がかき消える。代わりに隼人の体に封じられようとしていた悪鬼の気が、勢いよく吹き出してくる。
【いかん! 清次郎、離れよ!】
 悪鬼の気に包まれ掛けた俺は、紫藤の言葉に反射的に離れていた。押さえ込んでいた隼人の体が操られた人形のように起き上がる。
 その顔が空を向いた。両手を伸ばし、微笑んでいる。
「兄様……! ここです! 私はここに居ます!」
 森を覆うほどの悪鬼の気が吹き出された。静かに佇んでいた霊達が、一気に悪霊へと変えられていく。もがき苦しむ悪霊達は、紫藤と俺の方へ向いている。
 悪鬼は大地を蹴ると、空高く舞い上がる。追いかけようとした紫藤は、囲まれた悪霊達を放っていくことができなかった。
 彼らはまだ、悪霊になる霊達ではなかった。
 急な変化にもがいている霊も居る。
 助けられるのは紫藤しか居ない。
【清次郎!】
「承知!」
 完全な悪霊に変わってしまった者に、俺は刀を滑らせた。霊の力を削ぐための、破壊の力を込めて。長引けばもっと苦しませてしまう。
 変化の途中である霊達には、紫藤が封印の珠で注がれている悪鬼の気を吸っていく。鳥の姿に変わっている紫藤の力は、人間の姿の時よりも数段、力が増している。
 悪霊になりかけている霊達の力と、霊場に宿る力とを封印の珠に吸い込んでいく。
【動きのみを封じる!】
 悪鬼は離れたのか、森を覆っていた禍々しい気が薄れていく。濃度が薄くなってくると、もがくように苦しんでいた霊達が落ち着きを取り戻し始めた。悪霊から人間の姿へと戻っていく。
 一度、完全な悪霊に変わってしまった者達だけを、紫藤は先にあの世へと導いてやった。置いて行けばまた、悪霊になってしまうかもしれないからだ。
 どれほど時間に追われていただろう、早く追いかけたい気持ちと、彼らをこのままにしておけない気持ちとで焦りが募る。何が起こったのかと、震えている霊達を宥めながら、周りを確認した。霊場の力を吸ったおかげか、不安定な霊はもう、居ないようだ。
【騒がせたの。皆、ここから西へ離れよ。できるだけ遠くだ】
 残っている霊達をなるべく悪鬼から離そうと、紫藤は西へと誘導した。悪鬼が向かっているのは達也の方角、東京方面になる。霊場の強い場所に居てはまた、悪鬼の影響を受けるかもしれないと懸念してのことだった。
【乗れ、清次郎! 達也の悪鬼と繋がったやもしれぬ!】
 急に、隼人に憑いている悪鬼の気が増している。それはつまり、別っていた魂が繋がったということか。
 特別機関に託した達也は無事なのか? 隊長・剣はどうしている?
 紫藤の背に飛び乗り、舞い上がる体にしがみつく。紫藤はすぐに森の頭上まで羽ばたくと、悪鬼が向かった方角を確かめようと首を巡らせている。
 薄い、黒い影が漂っている。
 その影は、まるで道標のように、東京方面へと真っすぐに繋がっていた。



***



 細い、悪鬼と悪鬼を繋ぐ線。
 空を通して繋がる道標を紫藤も追っていく。
 悪鬼の気配はずいぶん離れてしまっている。月の無い闇夜に紫藤の体が白く浮かび上がる。
 霊場のある場所でしか、思うような力が出せなかった隼人の悪鬼が霊場から離れている。離れてもなお、人としての体に空を飛ばせることができるのは。
「完全に繋がってしまったのでしょうか?」
【分からぬ。達也の状況を聞くことはできるかの?】
 東京の方でも悪霊が多数発生していると心路が言っていた。電話を掛けて繋がるかどうか分からないけれど、鞄に入れていた携帯電話を取り出した。
 特別機関へと連絡を入れてみる。だが、回線が塞がっているのか繋がらない。達也の悪鬼もまた呼応して暴れているとしたら、剣では抑えるのは難しいかもしれない。
【断ち切るしかない】
 大きな羽を広げ、風に乗りながら悪鬼を追っていく。姿は見えなくても、向かう場所は分かっている。残された道筋、東京の方へと急ぐ紫藤の背から目を凝らしていた俺は、遠く、小さな人影を捕らえることができた。
「居ました!」
【ああ、しかと掴まっておれよ!】
 羽ばたきを強くした紫藤の背に、腕の力も使ってしがみ付く。向かい風に変わる中、紫藤は破壊の珠に呼びかけた。
 紫藤の破壊の珠は風に変わる。自分の体に吹き付ける風をかき消し、羽に風の力を乗せている。今までに無い速度で空を飛んだ紫藤は、逃げる悪鬼の背を捕らえようとしたけれど。
 吹き出す悪鬼の気に近づけない。気の質が変わったのか、溢れる気に触れると体が重く、思うように飛べなくなる。
 態勢を崩した紫藤に一度、離れるよう促した。隼人の体で少し振り返った悪鬼は、もう、紫藤を敵とは見ていないのか、まるで誰かに導かれているかのように、空を流れるように飛んでいく。
 その背を追いかけながら、紫藤が唸る。
【このままでは会わせてしまう! 二人が危ない!】
 二人が会えば、何が起こるのか。どうにか繋がりを絶つ方法を見つけようとしていた紫藤と俺は、悪鬼とは違う影が、こちらへ向かってきているのに気がついた。
 まさか達也だろうか? 目を凝らした俺の耳に、機械音が聞こえてくる。
 闇夜の中、一機のヘリが高速でこちらへ向かってきている。悪鬼も気付いたようだが、進路は変えなかった。導かれるままに空を飛び続ける。
 ヘリは悪鬼と一定の距離を取り、空中で静止した。時折、風に流されそうになりながら水平を保っている。この暗闇と強風の中、ヘリを飛ばす技術と、水平に保たせられる技術を持つ人物は、一人しか思い浮かばない。彼がここに居るということは。
 ドアが開く。そこに、弓道の弓を構えた女性が一人、立っていた。巫女の姿をしている。その足下を特別機関の副隊長、北条一希が支えている。やはり、特別機関から派遣されたヘリだった。運転しているのは松尾勤だろう。彼は夜間にも飛ばせるよう、訓練を受けていた。
 ヘリのドアを開けたことで、女性の結んでいる長い黒髪が激しく靡いた。普通なら風圧に耐えられず、バランスを崩してしまうだろうに、それを一希を信頼し、身を任せることで揺らがずに立っている。
 引き絞られた弓。悪鬼が彼女に気づき、目を見開いた。
 放たれた弓が弧を描き、悪鬼の胸の中央に突き刺さる。矢の勢いに押された悪鬼の体から、大量の黒い影が吹き出した。
「な……に……!?」
 矢の刺さった場所からは、血は噴き出していない。吹き出させているのは悪鬼の気のみだった。
 第二撃を構えた女性。悪鬼が逃げるように進路を変えている。ヘリの上空へと逃れようとしている。
 紫藤はその方向へ回り込む。悪鬼の進路を塞ぎ、ヘリが安定するよう、風を操った。
 二矢目が右腕に突き刺さる。そこから力が抜かれたように悪鬼の右腕がだらりと下がる。更に三矢目が左肩を射貫く。更に力が漏れ出てくる。
「隼人様の体は大事ないのでしょうか?」
【あれは白崎が使っておる鞭と似ておる】
 紫藤は悪鬼の動きから目を離さず、力を削がれていく様子を見守っている。溢れる悪鬼の気で風が変わる度に紫藤がヘリを安定させている。
【あやつの鞭は、悪霊の力に向かって作用する。あの娘の弓もそうなのだろう。この風の中、悪鬼目がけて飛んでおる故な。生きた人間の体に影響はない故、案ずるな】
 矢に仏字を描き、彼女の力を加えることで、悪鬼にのみ力を加えているということか。四撃目を構える彼女の姿は凜として迷いがない。
「……何故なのです……どうしてなのです……」
 悪鬼の体から力が抜けていく。空を飛ぶことも難しくなってきたようだ。フラリと上体を傾かせる。受け止めなければ隼人の体が危ない。紫藤がタイミングを見計らうように少し距離を詰めている。
「会いたいのです……」
 懇願する声。
 焦がれる想いを乗せるかのように、その瞳から涙を溢れさせた。
「会いたい……会いたい……! 兄様――――!!」
 叫んだ悪鬼の体から、最後の力を振り絞ったかのような重い気が溢れる。紫藤もヘリもその圧に押されて空を流されていく。
 両腕の力を失っていた悪鬼は、空を見上げながら依り代である隼人の体に悪鬼の気を集め出した。黒く、濃い気が体を包み込んでいく。
【ならぬ! 隼人の体が保たぬ!】
「紫藤様!?」
【こやつ、体を飛ばす気ぞ!】
 達也の側に影だけを飛ばしたように、隼人の体ごと飛ばす気だと言う。それをすることは紫藤でもできない。まして、隼人に憑いた悪鬼の能力でそれを行うことは、隼人の体の死を意味する。
 吹き飛ばされてしまったヘリから矢を射ることはできないだろう。紫藤は大きな嘴を開け、凝縮した風の塊を作り出す。隼人の体を傷つけてしまうかもしれないけれど、今は動きを封じることが先決だった。
 隼人の体が闇に消えようとしている。意を決したように紫藤が風を放とうとした。

《ツナガリヲタテ!》

 不快な機械音とともに、七海の声が響く。強い耳鳴りに、紫藤の風が四散する。
 消えかけていた隼人の体が、どうしてか戻ってくる。掻き集めた悪鬼の気が、一瞬にして消えた。
「あに……さま?」
 呆然と立ちすくむ悪鬼。その瞳が遙か遠くを見つめた。

《キレロ!!》

 なおも七海の言霊が放たれた。ヘリの無線を通じて言霊の力がこの場を支配した。繋がっていた悪鬼の道筋が途切れたのだろう。
「紫藤様!」
【しかと受け止めよ、清次郎!】
 操られていた糸が切れたかのように、隼人の体が空に投げ出される。無防備に落下していく体を紫藤が追いかける。下に回り込んだ紫藤に合わせ、両腕を広げると隼人の体を受け止めた。落ちないよう、紫藤の羽毛にしっかり掴まりながら、気を失っている隼人の息を確かめる。
 呼吸は正常だ。心臓も力強く動いている。刺さっている矢は、決して肉体を傷つけてはいなかった。抜いてやろうとしたけれど、この矢が悪鬼を抑えている。まだ抜かない方が良いと紫藤が言う。
 態勢を立て直したヘリがこちらへ飛んでくると、開けたドアから一希が手を振っていた。携帯電話を耳に当てている。俺も携帯電話を取り出すと、一希からのコールに答えた。
[先に別荘へ戻っていて下さい。ここは私と轟さんで対処します]
「悪霊に変わる霊が出るかもしれませせんが」
[霊場が落ち着けば、どうにかできると思います。達也君の方は隊長が必ず守ると、紫藤様にお伝え下さい]
「……無事、でしょうか?」
[きっと無事です。守っているのは隊長ですから]
 だからどうか隼人の方を頼むと、一希に念を押されてしまう。達也の様子を詳しく聞きたかったけれど、今は隼人の方に集中してほしいのだろう、聞き出すことができなかった。
「紫藤様、達也も無事な様子。別荘へ先に戻っていてほしいそうです」
【……うむ。隼人になんぞ変化があればすぐに言うのだぞ】
 大きく羽ばたいた紫藤は、別荘へと急ぐ。その背後に、産まれたばかりの悪霊が空へと昇ってくるのが見えた。
 ヘリは紫藤とは反対の方へと移動していく。本来なら、霊力の高い紫藤の方へ吸い寄せられるはずの悪霊がヘリを追っていく。おそらくヘリに紫藤の札を貼り、誘導しているのだろう。人目の付かないところまで連れていくようだ。
 一希をこちらへ送ったということは、隼人の悪鬼も動くと予想したのだろうか。紫藤が側に居たというのに。
 紫藤の力をも超えた時の対処、といったところだろうか。一希から聞いていた話では、西日本の霊場の力がずいぶん落ち着いていたそうだ。霊場は強くなったり弱くなったりするはずが、一定の力を保って落ち着いていた。
 その現象が悪鬼の影響なのかもしれない、と剣が話していたらしい。極端に霊場の力が上がるよりは、落ち着いていた方がこの世に残っている霊にとっては良いけれど。
 落ち着きすぎた、静かな現象に、剣は小さな違和感を覚えて警戒していたらしい。誰かに霊場の力を吸われているのではないかと。その勘は当たっていた。
 本当に、性に関しての難さえなければ、紫藤の良いパートナーになれるのに。
 落ちないよう、隼人の体を支えながら、空を飛ぶ紫藤の羽をそっと優しく撫でた。ふさふさした羽は、少しだけ俺の心を落ち着かせてくれた。
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