妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ六十一『闇夜』

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 雲が広がる夜だった。
 街の灯りが届かない、比較的森の奥に建てられた別荘に、主・紫藤蘭丸、大場隼人と幸人の兄弟、俺を含む四人が一ヶ月、過ごすことになった。
 建物の周りには、木々が生い茂っている。食料の買い出しは幸人が担当し、車で一時間ほどかけ山を降りていくしかない。
 元々の持ち主は、政治家だったそうだ。たまに休養しにきていたくらいで、あまり使われていた形跡は無かった。それを特別機関が借り受け、秘密の任務に使っている。
 主には悪霊退治のためだった。この辺りは霊力が溜まりやすく、特別機関の言葉で表現するなら霊場と呼ばれる場所が点在している。彷徨う霊達にも影響があり、大人しい霊でも悪霊になりやすいので、特別機関が見張っている。
 霊場があり、霊力が強いためか、一般の人はなかなかこの辺に建物を建てようとはしなかった。おかげで紫藤も隼人も、封印の珠の修行に専念できている。万が一、隼人の悪鬼が暴走したとしても、紫藤は人の目を気にせずに力を使える。
 認めたくはないが、隊長・白崎剣の状況判断と、指示能力は高かった。性に関して、もう少し遠慮してもらえたならきっと、紫藤も素直に任せることができるだろうに。紫藤が真っ赤になって怒る姿を楽しむ剣に、俺も苦手意識を持たざるを得ない。
 三人の炊事洗濯をこなしながら、隼人の中に眠る悪鬼を封じようとしている紫藤を見守った。隼人にはすでに封印の珠を入れている。内側から直接、封じるためだ。
 紫藤によれば、隼人はなかなか筋が良いらしい。真面目に取り組む姿勢も気に入っているようだった。霊力は達也ほどではないにしても、封印の珠を扱うには充分らしい。
 順調に進んでいる。予定している一ヶ月で、達也達のもとへ戻れそうだ。
 今日も、紫藤によるつきっきりの修行が終わった。
 風呂上がりの紫藤の髪をドライヤーで乾かしながら、達也と七海へのお土産は何が良いだろうかと考える。特別機関の皆にも買って帰ろう。
「のう、清次郎」
「はい」
 長い白髪を丁寧に櫛で梳かしていく。サラサラと、指の間を滑るように流れていく白髪は美しい。この髪は、時がどれほど流れようと美しいままだ。
「白崎は、私が離れている間に、悪鬼が動くかもしれぬと警戒しておったが」
「そのようで。北条様からもお聞きしております」
「達也の方も問題はないのであろう?」
「ええ。二人とも勉強を頑張っているそうです」
 剣にちょっかいを出されては、頬を膨らませているそうだ。一希によれば、その反応が可愛いので、剣も政宗もついつい構ってしまうのだろうと言っている。
 政宗の方は、達也と七海と、一緒に可愛がってくれているので安心しているけれど。剣に関しては、できればあまり構ってほしくはなかった。
 彼が達也にしたことは許せるものではない。悪鬼のことが無ければ決して預けたりはしなかった。
「早う、帰らねばの」
 乾かしたばかりの白髪を掻き上げた紫藤は、寝室として使っている二階の部屋に置かれていたベッドに腰掛けている。この部屋の隣が、大場兄弟の寝室になる。
 そのため、あまり大きな声は出せない。時々、紫藤の鼻息が荒くなり、色仕掛けを仕掛けてくるけれど、どうにか受け流している。破壊の力を使っている訳では無いので、抱き合わなくても発散はさせてやれる。
「ほれ、清次郎も早う」
「はい」
 水気を残す髪に簡単にドライヤーをかけて乾かした俺は、部屋の明かりを消すと紫藤の隣に滑り込んだ。すかさず抱きついてくる体を受け止める。
 いつもならそのまま眠るのに。仰向けにされると天井を見上げることになった。
「今宵は、のう……?」
「いけません」
 迫ってくる顔を両手で受け止める。鼻息を荒くした紫藤が口を尖らせている。
「良いではないか! もう、何日肌を重ねておらぬと思うておるのだ!」
「先ほど、熱は発散させました故」
「あれで足りる訳ないではないか! むしろ高ぶっておる!」
 ふんっ、と気合を入れ、俺の両手を外すと首筋に顔を埋めてくる。重なった体に、僅かながら動揺してしまうけれど、隣の部屋には大場兄弟が居る。それも修行の途中だ。二人に何かあった時、対応が遅れてはいけない。
 風呂上がりで火照っている体をそっと引き離す。嫌だとすり寄る体に愛しさを感じながらも、彼の誘いは辞退した。
「紫藤様。どうか」
「……うぬぅ。この私の体に触れておきながら、何故我慢できるのだ」
「紫藤様が愛しい故」
 長い白髪を撫でてやる。腰に巻き付いていた彼の両腕から力が抜けた。
「……ずるいぞ、清次郎」
「左様で」
「修行が終わったら、拒むでないぞ」
「承知」
 紫藤を抱き込むと、覆い被さっていた体を隣に寝かせた。せめてもと、瞼を閉じ、唇を寄せてくる彼を受け止める。軽い口付けだけを交わした。
「お休みなさいませ、紫藤様」
「うむ、お休み、清次郎」
 大人しく俺の腕に抱かれた紫藤は、すぐに寝息を立て始める。その心地良い音を聞きながら俺も瞼を閉じて眠った。


***


 都会の騒音から離れ、虫の心地良い声が響く夜。木々が風に吹かれ、葉を鳴らしている。
 枕元に感じる、僅かな振動。
 ふっと意識を覚醒させると、振動している携帯電話を手に取った。相手は特別機関からだった。
「はい、土井です」
 紫藤を起こさないよう小声で話すけれど、携帯電話を通して聞こえてくる警報音に思わず上半身を起こした。
「悪霊でしょうか?」
[うん。東京を中心に、悪霊になりかけている霊が多数、発生してる。たぶん、何体かは防げないと思う]
 電話の相手は沢田心路だった。警報に負けないよう、言葉を続けている。
[隊長から、悪鬼に警戒してほしい、って]
「分かりました」
 心路は用件だけ伝えるとすぐに電話を切っている。彼は白崎剣の指示を受けながら、情報分析、収集、伝達をこなす。電話回線は複数あるとはいえ、できるだけ空けておきたいのだろう。
 自分の頬を一度打つと、意識をはっきりさせた。
「紫藤様、起きて下され」
 隣で眠っている紫藤を揺り起こす。深く眠りについているのかなかなか起きない。脇から腕を通すと背中を支えながら引き起こした。
「東京方面で何か起きている様子。隼人様の悪鬼を確認しなければなりませぬ」
「……悪鬼とな? 達也になんぞあったのか!?」
「いえ、達也の悪鬼のことは言うておりませなんだ。ですが東京方面の霊場が乱れているのでしょう、かなり警報の音が響いておりました」
 瞼をこすった紫藤はすぐにベッドから降りている。その後を俺も追った。隣の部屋で寝ているはずの大場兄弟の様子を見に行くため部屋を飛び出していく。
 廊下の電気を点けると、紫藤が隼人達の部屋のドアを無遠慮に叩いた。
「急ぐ故、入るぞ!」
 ドアノブを捻った紫藤は、返事も待たずに開けようとしたけれど。ドアは固く閉ざされていた。鍵が掛かっていて開かない。
「鍵は掛けるなと言うておったはずだ」
「はい。万が一の時、出遅れる可能性がある故、部屋の鍵は開けているはずです」
「……蹴破れ、清次郎!」
「承知」
 一歩、紫藤が下がるのに合わせ、俺は一歩、前に出る。ドアノブの真横の辺りを渾身の力で蹴りつけた。
 派手な音を立てながらドアが内側に開く。風が、通り道を得たのか勢いよく流れていく。
 部屋の中央にあったダブルベッドには、一人しか眠っていなかった。
 正確には、両手足をガムテープで固定され、横たわっている大場幸人しか居なかった。ドアからの異音にも目を開けない。紫藤は開いていた窓へ、俺は幸人のもとへ駆け寄った。
 口にも貼り付けられていたガムテープを剥がし、両手両足を自由にしてやると抱き起こす。頬を数度打てば、瞼を震わせながら覚醒した。黒い瞳が俺を捕らえ、瞬間、腕から跳ね起きている。
「隼人は!?」
「一緒ではないのですか?」
「それが……眠っている時に、妙な胸騒ぎを感じて目を開けた時には、ガムテープで拘束されていました」
 夜中に目を覚まし、固定されていた自分の両手足を見た幸人は、すぐに悪鬼だと思い叫ぼうとしたけれど、手で口を塞がれてしまった。そのままガムテープで口も封じられてしまい、身動きがとれなくなったと言う。
「私を見下ろす隼人の目……まるで別人でした」
 暗がりの中、隼人は少しの間、幸人を見つめていたという。どうにか動こうと、体を捩っていた幸人の頬に手を当てた隼人は、そっと額を重ねてきたという。
「「どうしても、会いたいお方が居るのです。連れて行くことをお許し下さい」と、言っていました。その後、意識が遠くなってそのまま眠っていたようです」
 隼人を止めることができなかった幸人は、俺の腕を握りしめてきた。
「隼人は今どこです!? やはり悪鬼があの子を操っているのでしょうか?」
「連れて行く、そう申したのだな?」
 窓の外を確認していた紫藤が振り返っている。頷いた幸人に、紫藤は長い白髪を靡かせながら歩いてくる。
「清次郎、我らも空から行くぞ」
「承知しました」
 幸人の手を離し、励ますように背中を一つ、叩いてやった。先に部屋を出て行く紫藤を追いかけようとした俺の腕を握ってくる。
「空を行くとは? 私も行きます!」
「いえ、ここから先は危険です。それから、これから見聞きすること、どうか他言なさらないで下さい。時間が無い故、紫藤様も決意されたご様子」
「何をするのです?」
「悪鬼を追います」
 説明がほしいと、腕にすがる彼の肩に手を乗せた。
「必ず連れて戻ります。どうかお待ちを」
「清次郎さん……」
「必ず」
 そっと手を離し、急いで紫藤の後を追った。俺たちの寝室へ戻った時にはもう、紫藤は下着を脱ぎ捨て、浴衣のみに着替えて待っていた。
 部屋の隅に置いていた横がけの鞄を肩から掛ける。紫藤の着替えの服と靴を入れてある。もう一つ、用意していた物を背負った。
「その刀は初めて使うの」
「はい。背中掛けのため、刀身は少し短くして頂いております」
「ふむ。珠を埋め込んだ物ができるまでに慣れておくのだぞ」
「はい」
 背中にかかる、刀の重み。江戸時代の頃は腰に挿していたけれど、現代の洋服には帯が無い。そのためベルトで鞘を固定し、背中に背負う様相にした。肩から引き抜くイメージで抜刀する。刀身には、紫藤によって描かれた仏事が刻まれていた。
「清次郎」
「はい」
 声に顔を上げた時には唇を塞がれていた。流れ込んでくる、紫藤の力。破壊の力が体に溢れてくる。
 数秒の間、唇は塞がれたままだった。充分に行き渡ったところで外れている。近い紫藤の漆黒の瞳は、真っ直ぐに俺を見ている。
「以前は、悪鬼の意識のみを飛ばしておったが今宵は違う。私に気づかせず、窓から空を飛んだのだろう。車は置いたままであった」
「では……」
「危ういの。封印の珠にずっと封じておったのは隼人の方であったかもしれぬ」
 隼人の振りをして、封印の珠の扱い方を学んでいたのなら。
 悪鬼を封じる方法で、隼人の魂が封じられてしまう。
「急ぐぞ」
「承知」
 部屋を出る紫藤の後に続く。階段を駆け下りる俺たちに、着替えた幸人も追いかけてくる。
「私も行きます!」
「ならぬ! お主をかぼうてやる余裕は無い」
「しかし!」
 紫藤が駐車場の方へ足早に歩いて行く。ついて行こうとする幸人を体を使って止めた。
 弟が大事なのは分かる。だが、俺たちは車で行く訳ではない。
 背中を見せていた紫藤が浴衣をスルリと脱ぎ捨てる。薄暗い中、白い髪と体が浮き上がる。
 その体が、内側から膨らむ様に巨大化していく。滑らかな肌に白い羽毛が生え、仰け反るようにしながら巨大化していく。
「こ……れは!?」
 足を止めた幸人が驚愕に目を見開く中で、紫藤は真っ白な美しい鳥へと変化した。赤く変わった瞳が幸人を見つめている。
【清次郎、乗れ】
「はい」
 ふさふさの羽毛に覆われた背中に乗り込んだ。こうして、鳥に変わった紫藤の背に乗るのはいつぶりになるだろう。文明が発展するに従って、空にも生きた人の目が多くなり、鳥に変わることはほとんど無くなった。
【お主はここで待て】
 俺を乗せた紫藤が大きく羽を広げている。その姿を立ち尽くしたまま見上げた幸人は、ふわりと浮いた紫藤の姿に、静かに頭を下げた。
【振り落とされるでないぞ、清次郎】
「俺のことはどうかお構いなく」
 ふさふさの羽毛をしっかり握った俺は姿勢を低くした。紫藤が飛びやすいように。
 地上から見上げられても見つからないよう、高度を上げていく。幸い、厚い雲が広がっているためか、月が昇っている空の一部が少し明るいくらいで、白い獣に変わった紫藤の姿を捕らえるのは難しい夜だった。
 それでもどこから見られるか分からない。俺たちは慎重に、空を飛んでいるであろう、隼人の悪鬼を追った。


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