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第一幕
奇ノ四十九『ダンディおじさん、現る』
しおりを挟む「良いな、何ぞあればすぐに清次郎の携帯に電話をするのだぞ?」
「分かってるって」
「遠慮するでないぞ? 少しの変化も見逃してはならぬ」
「分かったから! 早く行けって! 待ってんぞ!」
くどくどと、何度も連絡するようにと言っては、なかなか任務に行こうとしない紫藤。もう、清次郎は運ばれて来た車の前で待っているというのに行こうとしない。
苦笑している清次郎に助けを求めた俺は、ずいっと寄せられた紫藤の綺麗な顔に仰け反った。
「黒い影が見えた時や、胸が苦しい時は気を付けねばならぬ」
「……もう! 経験してっから分かるって! 清兄! 早く連れてってくれ!」
「紫藤様、心配されるお気持ちは分かりますが、その辺で」
「しかし、いつ悪鬼が出てくるやもしれぬではないか!」
仕舞いには、俺の肩を掴んで放さない。眉間の皺が深く刻まれている。
「のう、清次郎。やはり連れて行った方が良いのではないか?」
「しかし、悪霊退治の間、二人は暇になりますからな。ただ待っているというのも辛いでしょうし」
「そうだよ! じっとしてろってのか? 冗談じゃないぜ! せっかくガイドブックまで買ったのに」
旅行なんて初めてだ。この日のために食べたい物まで決めている。紫藤の過保護のせいでこれらが全ておじゃんになったら恨む。
「何かあったらぜってー連絡すっから!」
「……うむ」
「それに七海の言霊があるじゃん! 大丈夫だって!」
にこにこと笑っていた七海を引き寄せ、アピールした。俺と七海はこれから美味しい物を食べに行くのだから、悪霊退治なんて行っていられない。
俺から七海に視線を移した紫藤は、大きな大きな溜め息をついて、ようやく俺の肩から手を引いた。
「七海、しかと頼んだぞ?」
「はい! 達也君は僕が守ります!」
「うむ」
頷いた紫藤は、待っていた清次郎のもとへ歩いていく。何度も俺を振り返っては、仕方なさそうに車に乗り込んだ。
運転席に回ろうとした清次郎が、俺達を振り返ると笑っている。
「では行ってくる。迷子にならぬようにな」
「俺がついてんだ、大丈夫!」
「行ってらっしゃい、蘭兄さん、清兄さん」
清次郎が運転する車で、二人は特別機関の任務に向かった。俺達の横を通りすぎる時、紫藤の心底心配そうな目が追いかけてきたけれど、笑って手を振ってやった。
遠ざかる車を見ながら、両手を頭の後ろで組んだ。
「ったく、過保護すぎだよな?」
呆れてそう言った俺に、七海が吹き出している。
「何だよ?」
どうして笑うのか。聞けば上目遣いに見つめられる。
「とっても嬉しそうな顔してる」
「だ……誰が!」
「達也君」
からかうように、俺の頬を指で突付いてくる。その手を払いのけ、ふいっと顔を背けた。
「別に嬉しくねぇし!」
「顔、真っ赤」
「うっせーぞ、七海!」
「ふふ、蘭兄さん、仕事終わったら真っ直ぐに帰ってくると思うから。それまでには帰っておかないとね」
にこにこと楽しそうに笑った七海は、先に歩き出した。軽快に歩いていく。
背中を見せている七海に知られないよう、自分の顔をこすった。確かに、少し赤くなっているかもしれない。
気に掛けてくれる大人が、今まで居なかったから。
俺がどこへ行こうと、何をしようと、気にする人は居なかったから。
恥ずかしいけど、少しだけ嬉しかったような気がする。七海に見抜かれてしまったのはしゃくだけど。紫藤の心配っぷりは、新鮮だった。
ゴシゴシ顔を擦って戻した俺は、歩く七海の背中を見て、ハッとなる。軽快な足取りで突き進む七海を慌てて止めた。
「おい、七海! そっちじゃねぇぞ!」
「え?」
「だいたい、何処行こうとしてんだ!」
目的もなく歩いているだけで。どこに行こうと言うのか、商店街に戻ろうとしている。
「街の方に出てみっぞ!」
「そうなの?」
「そうなんだよ!」
細い腕を取ると一緒に歩いていく。七海が歩いている方角は、來夢の家の方だ。戻ったところで意味は無い。
俺が計画した美味しい物食べつくしコースに任せてもらおう。肩から提げたショルダーバックから、ガイドブックを取り出した。
「小遣いもたっぷりもらったし、色々と回ってみようぜ!」
「うん! 僕、旅行って初めてだよ!」
「俺も!」
旅行なんて、行く余裕が無かった俺と。
蔵の中で蹲っていた七海。
外の世界は新鮮で、友達と一緒に遊ぶというのも新鮮だ。
七海が迷子にならないよう気を付けながら、俺達は駅の方へ向かった。電車に乗って、ちょっと遠くまで行くつもりだ。何度もガイドブックを確かめたから、行き方は分かっている。
今日はそれほど遠くまで行く時間は無いかもしれないけれど、明日は朝から動き回る予定だ。今日のうちに駅内の様子と、路線を確かめておきたい。
二人で駅の方まで歩いた。結構、大きな駅なのか、人通りは多い。來夢が住んでいる場所は観光名所にもなっているようで、ガイドブックにも簡単に紹介されていた。
驚きなことに、オレンジ色の髪をした來夢は、刀を造る腕が良いと評判で、番組でも取り上げられたことがあるらしい。歳若い鬼才と呼ばれているらしい。
霊感も強く、刀には不思議な力が宿ると言われている。彼が打った刀は、不思議な音色を奏でる時があるらしいのだが。生憎、俺には全く、感じられなかった。
同じ霊感でも、種類が違うのかもしれない。封印の珠を体に取り込んでからは、霊の姿を確認できても、寒気がきたり、とり憑かれたりすることは無くなったから。不思議な力とやらは、感じられないのかもしれない。
行き交う人々の中に、ポツポツと混ざっている霊達。影の無い姿を見かけても、気付かない振りを貫いた。紫藤もそうしているらしい。
見えていると気付けば、助けを求められる。悪霊に変わりそうな危ない霊は自ら声を掛け、成仏させるらしいけれど、そうでないのなら、未練が断ち切られるまで自由にさせた方が良いと紫藤は言う。
この世に残る理由が、彼らにはあるのだから。それを無理やり断ち切ることは無いと。
霊のことに関しては、真面目な紫藤。霊が見えてしまう俺に、怖がらないようにと諭した。
紫藤と清次郎に出会ってから、あんなに怖かった霊達が、自然になっている。今も、すれ違った霊に怯えることはなくなった。
「ね、達也君」
「ん?」
ガドブックを確認しながら歩いていた俺は、つなぎの袖を引っ張られた。振り返れば、七海が何かを指差している。
「あの人……」
指先を追えば駅と一体化している建物の一角にある喫茶店に、見覚えのある男が座っていた。
オープンテラスで、テーブルに潰れたバラの花束を置き、暗い雰囲気を振りまいているのは、來夢に求婚していた男だった。
大きな大きな溜め息を何度も吐き出している。スーツの上着だけは脱いでいたけれど、暑苦しい姿のままでいる。
「あのおっさん、まだ居たのか」
「どうしよう?」
「どうするもこうするも、俺達には関係ねぇし。行こうぜ」
関わったら面倒そうだ。七海の手を握り、引っ張っていく。気になるのか、振り返る七海をぐいぐい引っ張った。
せっかくの旅行だ、痴話喧嘩に巻き込まれてはいけない。顔を見られないよう、駅の方へ急いでいた俺達に、男が気付いてしまった。
「き、君達! 待ってくれ!」
「やばっ! 走るぞ、七海!」
「でも……!」
男は俺達を追いかけようとして、お金を払っていなかったのか店員に止められている。その隙に人がごった返している駅内へ入ってしまう。この人混みに紛れてしまえば見つけるのは困難だろう。
七海の手を握ったまま走り、追いかけていない事を確かめてから足を止めた。無理やり走ったせいで息が切れてしまった。
「は、早く行こうぜ! 面倒ごとはごめんだ!」
「ちょ、ちょっと待って、達也君……! 息が……苦しい!」
駅内は暑苦しかった。走ったせいで汗が噴き出している。何か冷たい飲み物が飲みたかった。七海も賛同し、駅内にある売店に入った。俺はコーラを、七海はブドウジュースを買った。
止まると追い付かれる可能性があるので、飲みながら歩き続ける。切符を買って電車に飛び乗ると、ようやく落ち着いた。
駅を乗り継ぎ、目的地に着いた俺は、空になった缶をゴミ箱に捨て大きくを背伸びをした。
「食うぞ――!!」
「ふふ、やる気満々だね!」
「おうっ! 付き合えよ!」
「なるべく頑張る!」
俺より小食の七海を連れて、駅から歩いていく。明るい日差しを浴びながら、少し古風な町並みへと入っていく。
ガイドブックによれば、昔ながらの町並みが続いているらしい。俺は歴史というものには全く興味が無いけれど、ブランド物の牛肉が美味しいと評判なのは見逃せない。
「牛と鮭、どっちが良い?」
「達也君の食べたい方で良いよ」
「両方食いてーから聞いてんだって」
「ん~~……なら、お肉!」
「だよな!」
ニッと笑い合い、道を歩いていく。古風な家を眺めて歩く観光客をすり抜け、老舗の丼屋に入った俺達は、もらったお小遣いをケチることなく、一番美味しそうな牛丼を注文した。
運ばれてきたホカホカの牛丼。柔らかそうな霜降り肉。
「頂きます!」
「頂きます」
手を合わせ、かき込んだ。清次郎に見られたらきっと、注意されるだろうと思いながらも、箸を止めることができないほど美味しい。小食の七海ですら、箸の進みが速い。
「すげー柔らけぇな!」
「うん! 美味しい!」
「やっぱ肉が一番だ!」
ご飯の一粒まで染み込んだタレが絶妙だった。最後まで全てを完食した俺達は、満腹になったお腹を擦りながら町並みに戻った。
こってり肉の後は、やっぱりデザートだろう。
調べはついている。
「ぜんざい食うぞ!」
「……入るかな」
「甘いもんは別腹だろう?」
牛丼一杯で苦しくなった七海とは違い、俺はまだ、デザートなら入る余裕がある。目指すぜんざいも、昔からやっている老舗の人気店だ。ぜひとも味わっておきたい。
七海がどうしても食べられないのなら、俺が代わりに食べても良いから。とにかく行こうと手を引いた時だった。
背中に何かを感じて振り返る。観光客が行き交う中で、俺の背中にひたりと寄り添っていた男が居た。じっと、俺を見ている。四十代くらいの、知らない男だ。
「……んだよ、おっさん。見てんじゃねぇぞ」
ジロジロと人の顔を見るなんて失礼だ。睨んだ俺の袖を七海が引っ張っている。
「誰と話してるの?」
「……ってことは、おっさん、幽霊か?」
七海に霊は見えない。すぐに男の足元を確認したら、影が無かった。七海の手を引き、一歩下がって距離を取る。周りの観光客に知られないよう、さりげなく話した。
「俺、何もできねぇから。声も聞こえねぇし、悪いけど、他当たってくれ」
「……幽霊さん?」
「ああ。何か、すっげー俺を見てくんだよ」
「蘭兄さんに知らせた方が良いんじゃない?」
心配そうにギュッと俺の袖を握っている七海に、首を横へ振った。目の前の幽霊の男は、まだ悪霊にはなっていないし、なりそうにもない。自然とさ迷っている霊達は、そっとしておく方が良い。
このまま離れてしまおう。七海を連れて、数歩後退した時だった。
男が、頭を押さえ、呻き始めた。激しく肩が揺れている。苦しそうに胸を押さえたかと思うと、黒い影を大量に噴き出した。
「……マジかよ!」
「どうしたの、達也君!」
「逃げんぞ、七海!」
細い七海の手を握り締め、人混みが少ない方へと走っていく。霊力が高い俺が狙いなのか、影を噴き出している男が追いかけてくる。ふわりと浮いた体は、すぐに俺の頭上に浮かんだ。
今は逃げるしかない。人が多いのはまずい。
人混みから離れたら紫藤に連絡を入れよう。古風な町並みを走って抜けようとしたけれど、男は先周りをして目の前に降り立った。
急ブレーキを掛けるように足を止めたけれど、間に合わない。手よりも長い黒い影が俺の喉元めがけて突き出される。
捕まる、目を見開いた瞬間、影が何かに弾かれた。呻いた男がよろめいている。
「おっと、悪いな。痛かったかい? でも、時間が無いんで我慢してくれ」
俺と霊の間に、知らない男が優雅な動きで入り込んだ。すぐに足元を確認すれば、影はある。ということは、生きた人間の男だ。
俺達に見せている、広い背中。スーツを着た四十代の男は、まるで洋画に出て来る渋い俳優のように、落ち着いた大人の雰囲気を持っている。
顔もかなりイケメンだった。程よく歳を重ねた大人の男性は、引き締まった体をしている。後ろへ軽く流された黒髪が、良く似合っていた。
「……おっさん、誰?」
「ダンディおじさんだよ、少年」
「……ダンディおじさん……?」
振り返り、にこりと笑った顔と、「ダンディおじさん」というフレーズに、覚えがある気がする。顔をまじまじと見上げた俺に、また笑った自称ダンディおじさんは、両手に札を持っていた。
その札は、特別機関のメンバーが使う、紫藤お手製の札だった。
「君達は下がっていなさい。周りに知られると面倒だ。完全な悪霊に変わってしまう前に送り届ける」
ダンディおじさんは、苦しむように胸を押さえている男の霊まで素早く歩いていく。俺達の騒ぎに気付いた一般人が遠巻きに見ているけれど、足を止めることはなかった。
呻く霊。もがくように何度も頭を押さえている。
近づくダンディおじさんを拒むように、両手を振って遠ざけようとしたけれど。スッと動いたダンディおじさんの右手が、男の額に札を貼り付けた。
あまりにも自然な動作だった。悪霊になろうとしている霊に全く恐れることはなく、左手の札も胸に貼り付けている。二枚の札を貼られた霊は、暴れていた体を大人しくさせた。
「……急な変化で苦しかっただろう? もう、逝く時が来たんだ。何も考えず、苦しまず、逝くといい」
ダンディおじさんの言葉のとおり、大人しくなった男の霊は、穏やかな顔を見せると光の粒子になって消えた。
男が逝ったことを確認したダンディおじさんは、ハラリと落ちた札を手早く拾っている。スーツの胸ポケットに仕舞うと、俺達を振り返った。
「さて、少しお付き合い願おうか、月影達也君、土井七海君」
何故、名前を知っているのか。
七海を庇いながらダンディおじさんを睨む。
「……何もんだ、あんた」
「何度も言っているだろう? ダンディおじさんだ。ああ、元隊長と言った方が、分かり易いかな?」
「元隊長……? じゃあ、あなたも特別……」
「おっと、し~~」
様になる動作で、口元に人差し指を持って行ったダンディおじさんは、言っちゃ駄目、と片目を瞑った。
「ま、美味しいぜんざいでも食べようじゃないか」
にこりと、笑ったダンディおじさん。長い足で俺達の所まで来ると、腕を掴んで颯爽と歩き続ける。
「おい、あんた!」
「まあまあ。美味しい店を知っているから。そこで少し話そうか」
強引に連れて歩いたダンディおじさんは、どうしてか一度だけ、背後を振り返った。何かを見つけようとするかのように視線を巡らせたけれど、すぐに前を向いている。
「…………おっさん?」
「ダンディおじさんだ」
爽やかに笑ったダンディおじさんの手の力は、半端なかった。俺と七海を簡単に引きずり、歩き続ける。
そんな彼に付いて行かされた俺と七海は、何が何だか分からなかった。
***
「さて、オススメぜんざいの味はいかがかな?」
「うめー!」
「美味しい!」
七海とほぼ同時に叫んでいた。
昔ながらの佇まいとやらを残す老舗のぜんざい屋は、想像以上に美味しかった。俺が調べていたガイドブックに載っている店とは違うけれど、甘い餡子も、白玉も、美味い。
夢中になって食べる俺達をにこにこと見つめているダンディおじさんは、自分はお茶しか飲んでいない。
三つ目の白玉を口に放り込みながら、スプーンを彼に突きつけた。
「で、あんた誰?」
「渋くて優しいダンディおじさん」
「じゃなくて! 札! それ、蘭兄のだろう?」
特別機関のメンバーが使っている札を、ダンディおじさんが持っている。ということは、彼も特別機関のメンバーなのだろうか?
都合よく、俺達のピンチに駆けつけた札を持った男。
特別機関絡みの男が、居たということは。
「……蘭兄に頼まれたのかよ」
「不正解」
チッチッ、と口で鳴らし、長い人差し指を振って見せたダンディおじさんは、スラリと長い足を組んでいる。男の色気を持つ彼の姿に、剣が見たら飛びつきそうだと、ちょっと思った。
「紫藤さんは知らないさ。清次郎さんは知っていたみたいだけどね。俺達に頼んできたのは、剣だ」
「……エロじじいが?」
意外な人物の名に、持っていたスプーンを落としそうになる。何故、剣が俺達を監視させたのだろう?
隣の七海もキュッと唇を噛んでいる。怒っているのか、静かに眉根が寄った。
「あれでも、現隊長だからな。俺が見込んで引き込んだ男だ。君達を心配している……と、思っておこう」
「つーか、あんたやっぱり隊長なのかよ」
特別機関の名前は出して欲しくないようなので、名前は伏せておいた。目の前の男は、腕を組んで見せるとにこりと笑っている。
「元、な。俺だけじゃない、現役を退いたメンバーは各地に散っている。ある程度の霊は俺達で処理もしているからな」
「じゃ、あんたまさか、ずっとつけてたのか? 俺達を」
「はしゃぎ回る少年の後を追うのは大変だったよ」
尾行を認めたダンディおじさんは、ごめん、と右手を軽く上げて見せた。
「何事も無ければ、出てくるつもりは無かったんだが……君の霊力が一時的に上がっていたからね」
「……俺の?」
そんなはずはない。俺の中には封印の珠がある。もう、自然に霊力を抑えられるまでになっている。無意識に垂れ流しているはずはない。
「珠があるし、勘違いじゃね?」
「俺の恋人は探査が得意でね。心路君の師匠でもある機械マニアだ。その彼が、君の数値の上昇を確認した」
少し真剣な目になったダンディおじさんは、じっと俺の顔を見つめてくる。一房垂れた黒髪を指で弾いた彼は、声のトーンを落とした。
「正確には、君の側に寄っていたモノだ」
「……俺の側に?」
「ああ。何かは分からないらしいが……それがまだ、悪霊になるはずではなかったあの霊を暴走させてしまったようだ」
ダンディおじさんの言葉に、思わず自分の胸と腹の間を押さえた。まさか、悪鬼が漏れ出ていたのだろうか?
でも、俺の体から出る黒い影は見えなかったし、苦しくもなかった。
胸と腹の間を擦る俺の手に、七海の手も添えられた。
「言霊使おうか?」
「七海……」
「その必要はない。もう、消えている。だが、正体が分からない以上、済まないが暫く尾行させてもらう」
尾行、という言葉に、俺も七海もテンションが下がった。ずっと監視されている中で遊ぶ、というのは面白くない。
せっかくの旅行なのに。七海といっぱい遊ぶつもりだったのに。
美味しいはずのぜんざいから手を引いた。監視されるくらいなら、もう、帰った方が気が楽だ。
「もしくは、なんだが」
テンションの下がった俺達を交互に見つめたダンディおじさんは、長い腕を伸ばすと、コツンと拳で額を打ってくる。
「観光案内、しても良いかな?」
「……観光案内?」
「俺も後ろからコソコソ付いて行くだけってのは、つまらないからな。現役を退いてからはこっちで暮らしているから。穴場の店、知っているがどうだ?」
「……美味い店?」
「絶品だ」
言い切ったダンディおじさんの言葉に、七海と視線を交わし合う。お互いにコクリと頷いた。
「行く!」
「お願いします!」
「決まりだな」
笑ったダンディおじさんは、携帯を取り出すとどこかに掛けている。その間に俺と七海は、残りのぜんざいを腹に詰め込んだ。
数コールで相手が出たのか、クスクス笑っている。
「これから観光に連れて行くから。監視宜しく」
〔構いませんが、正体は分かりましたか?〕
携帯から漏れる声に、スプーンを運ぶ手を止めた。チッと舌打ちしてしまう。気付いたダンディおじさんが目を細めると、しっ、と口元に人差し指を当てた。
「残念ながら、確認できなかった。俺は例のモノを実際に見ていないからな」
〔そうですか。二人は側に?〕
「いや、あまり聞かれてもまずいからな。ところで剣、そんなに心配なら直接お前が来れば良かったんじゃないか?」
俺と七海は、側に居ないことにしている。何故だろう? 首を傾げる俺達を見ながら、片目を瞑って見せた。
剣の声は、賑やかな店内でも聞き取れた。
〔少々、いけないことをしてしまいましてね。過保護な二人に近づくなと言われているんですよ〕
「お前が素直に従うとはね」
〔……それより、頼みましたよ? 蘭丸さんが離れている以上、達也君の悪鬼が不安定になる可能性がありますからね〕
剣が、隊長らしい事を言っている。意外な姿だ。
いつも誰かにセクハラしている姿しか見た事がないというのに。真面目に心配してくれているようだった。
「分かっている。そっちも観測、続けてくれよ? どうも、誰かが接触したような気がしてならない」
〔……接触、ですか。一希、彼の様子は?〕
一言、二言話したようだ。すぐに剣の声が戻ってくる。
〔特に変わったことはないようです。何か他の要因があるかもしれませんので、しっかり見張って下さいね?〕
「お前の大事な子猫ちゃん達は任せておけ」
〔ええ、お願いしますね。ああ、私が絡んでいることは秘密にしていて下さい。何かと嫌がるでしょうからね〕
「ふふ、お前がそう言うなら、秘密にしておくよ」
〔では、また〕
苦笑している剣の声を最後に、通話を切っている。クスクス笑ったダンディおじさんは、スッと長身を立たせた。
「さ、行こうか」
「……エロじじいと仲が良いの?」
席を立ちながら思わず聞いた。俺に顔を寄せたダンディおじさんは、コソッと教えてくれた。
「あいつが初めてを捧げても良いと思った、最初の男が俺だ」
「……マジで?」
「ああ、大マジだ」
渋い男の雰囲気を持つダンディおじさんは、サッと伝票を取ると歩いていく。七海と顔を見合わせると、急いで広い背中を追った。
剣のターゲットは一希だけだと思っていたけれど。まさか、その前にセクハラをしていた男が居たなんて。
「なあ、おっさん! もうちょい詳しく聞かせてくれよ!」
「おっさんじゃないぞ。ダンディおじさんだ」
会計を済ませたダンディおじさんは、チッチッ、と口を鳴らし、人差し指を振ると、颯爽と歩いていく。その広い背中を追いかけ、飛び込んだ。
ダンディおじさんは、渋い顔立ちで爽やかに笑っていた。
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