妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ二十六『マイ・フレンド』

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「悪かった!」

「……偉そうだな!」

「謝ったぞ!」

 ふんぞり返って謝った紫藤に舌打ちした。謝られた気がしない。

「……すまんが折れてくれ。あれでも精一杯、謝っておられるのだ」

 清次郎に宥められ、溜息と共に許してやった。ここで言い返せば、また七海が泣く。

 せっかく話すようになっていた七海は、また、口を閉ざしてしまった。どんなに大丈夫だからと説得しても、話そうとしない。

 紫藤のせいだ。変な焼き餅をやいて、俺ばかりを責めるから。もともと俺と紫藤は波長が合っていないせいで、良く喧嘩をしていたけれど。今日は久しぶりに、派手にやらかした。

 見慣れていない七海には、ちょっと過激すぎたか。奥歯を噛み締めて開こうとしない彼に、頭を掻いて溜息をついた。

「……腹減った。とにかく飯食いてぇ」

「……そうだな。もう、喧嘩しないで下さいませ、紫藤様」

「分かっておる!」

 清次郎に釘をさされ、ふんぞり返った紫藤はそっぽを向いてしまった。やれやれと清次郎が溜息をつき、七海の頭を優しく撫でるとキッチンへ戻っていく。

 俺の隣でじっとしたまま動かない七海と、真ん中のソファーでふんぞり返ってそっぽを向いている紫藤と、視線のやり場がなくて組んだ足を見つめている俺の三人は、一言も話さなかった。

 なかなか経たない時間にイライラしながら、清次郎が早く戻ってくれば良いのに、と願う。キッチンからは芳ばしい匂いが漂い、食欲があるはずなのに、隣の七海が気になって仕方がなかった。

 話せと言っても話さない。

 話せない、のか。

 一点を見つめ続ける七海に、俺の苛立ちは、募るばかりだった。



***



 結局、七海は紫藤の家に来た時と同じ状態に戻っていた。本当に、一言も話そうとしない。

 清次郎なら、七海を慰めてくれると思っていたのに。彼は紫藤につきっきりになっていた。今も二人で風呂に入っている。

 七海が来てからは、二人が最後に入るようになったので、結構長風呂だ。暫くは出て来ないだろう。

「……なあ、いい加減、話せよ」

 先に入った俺と七海は、もう寝る準備は整えている。四人で寝ている二階の和室で、話さない七海と二人きりなのは息苦しかった。ティシャツと短パン姿の七海は、俺から視線を外したままで。

「気にしてねぇって言ってんだろう?」

 七海の真正面に陣取り、そう言っても、噛み締めた奥歯は開かない。俯いた顔を両手で掴むと、無理矢理上を向けた。

「話せよ!」

 怒鳴った俺に、ビクッと肩を揺らしている。瞼が震えると、また、泣いている。

「……泣くな!」

 言えば言うほど、七海の涙は溢れた。嗚咽は噛み締めた奥歯に聞こえない。ヒクヒクと震える体は、小動物のようで。

 泣かせたい訳じゃない。

 七海が嫌いな訳でもない。

 怒ってもいない。



 ただ、俺は。



「話せよ……」

 頬を掴んだまま、俯いた。

「話してくれよ……」

 七海の頬から、手が離れる。

「……せっかく……ダチになったんだからよ……」

 視線を合わせられなくて、胡座をかいた自分の足を見つめた。

 今まで、友達は居なかった。俺の周りでは不思議なことばかりが起こるから。遠巻きにコソコソ言われるばかりで、面と向かって喧嘩を売ってくる奴は稀だ。

 この家に来て、紫藤と喧嘩したり、清次郎と兄弟のようになって。

 七海が来てからは、同年代の友達もできたみたいで、内心、嬉しかった。清次郎は、俺が兄みたいになっていると言っていたけれど。

 俺は七海を友達だと思っている。

 初めてできた、友達だと。

「せっかく話せんだ、話してくれよ。キスくらい、気にしてねぇって!」

 先に話題を振ったのは俺だから。七海の力がまだ、ちゃんとコントロールできていないことは皆、知っている。あの場に居たのが俺じゃなかったら、キスの相手は紫藤か清次郎だったかもしれない。

 不可抗力、というやつだ。

「なあ……頼むよ」

 俯いた俺に、小さな、注意していなければ聞き逃してしまいそうなほど小さな声が聞こえた。

「……友達?」

 嗚咽に掠れていたけれど。確かに七海の声だ。顔を上げた俺の目の前で、頬に涙を残したまま呆然としている。

「……んだよ。ちげーのかよ……」

 俺だけが思っていたのか。七海は俺のことを何だと思っていたのだろう?

 急に恥ずかしくなった。ガラじゃないことをするものじゃない。

 わしわし頭を掻いて、ふてくされたまま寝てしまおうとしたけれど。胸を握り締めるかのように、七海の手が自分のティシャツを掴んでいる。俯いた彼は、ポタポタと涙を零しながら囁いた。

「……初めて……言われた……」

 震えた声は、胸の奥を痛くさせた。思わず手が伸びる。

 清次郎みたいに格好良くはできないけれど。細い体を抱き締めた。

「泣くな、ば~か」

「……ごめんね……ごめんね……!」

「気にしてねぇって言ってんだろ?」

 黒髪を撫で、ようやく顔を上げてくれた七海と目が合った。赤い唇が涙に濡れて、ますます赤く見える。

 無性に惹かれた。初めて重ねた唇の柔らかさを思い出す。

 ユラユラと揺れて見える七海の瞳にも、吸い込まれそうだ。

「……ファーストキスが言霊のせいってのは、問題があるよな?」

「達也君……?」

「やり直しとこうぜ……」

 自分の意思で、言霊の力ではなく、ファーストキスを。

 ゆっくりと顔を傾けた俺に、七海も小さく唾を飲み込むと顔を上げた。閉じた瞼につられ、俺も瞼を閉じると七海の唇に重ねた。

 涙のせいか、しっとりしている。なかなか呼吸が整わないのだろう、時々震えている。

 宥めるように背中を抱いた。大人しく引かれた体は、俺の腕の中で力を抜いた。

「……これが本当のファーストキスだかんな」

「……うん」

「つか、男同士っつーのは、問題有りか?」

「……僕は……気にしないよ」

 俺の胸から顔を上げた七海は、泣きながら笑っている。腕で擦るように涙を拭いた彼は、もう一度笑ってくれた。

「初めての友達も、ファーストキスも、達也君だね」

「……俺もそうなるな。お前が初めてだ」

「本当に……」

 続けようとした言葉を一度切った七海は、呼吸を整えている。言霊が出てしまわないよう、注意しているのだろう。俺も根気よく待ってやった。

 彼の言霊は強力だ。あんなに強い力で引き寄せられるとは思わなかった。紫藤の手も弾かれるほどだ。

 まあ、七海が相手なら、キスくらい大丈夫だけれど。嫌な感じはしないし、むしろホッとしたし。

 目の前の細い体に手を回すと、二人一緒に寝転んだ。天井を見上げながら笑ってしまう。

「ゆっくりで良いぜ。どうせ清兄達、上がってくるのおせぇし」

「……うん」

「お前の言霊なら怖くねぇよ。俺の魂に住みついてる奴に比べりゃ、何でもねぇ!」

「……うん」

「だからもう、我慢すんな。話せよ。な?」

 隣の七海を見てみれば、また少し泣いている。涙腺の弱い奴だった。くしゃくしゃ、黒髪を撫でてやる。

「泣くなって」

「……うん……うん……!」

 すり寄ってきた体をどうにか抱き締めた。俺も清次郎くらい広い肩幅があれば良いのに。七海よりは男の体をしているけれど、成長しきれていない体は細い。七海一人を受け止めるのも全力だ。

「……達也君……ありがとう」

「おう」

 清次郎がしているみたいに、細い背中を撫でてやった。俺の肩辺りに顔を埋めた七海は、何度も嗚咽に体を震わせていた。



***



「……ずっと、暗い倉の中に居たんだ。誰にも会いたくない、そう思って」

 俺達は天井を見上げたまま、話していた。七海はゆっくりと、自分のことを話してくれている。

「中学までは通ってたけど……家に帰ったらすぐに倉に入ってた。時間がとても長く感じてた。誰かに助けて欲しい、そう、言霊が出た時に、巻物が出てきたんだ」

 願った言葉が導き出した巻物ならと、その内容を信じた七海。清次郎に会いたい、清次郎に会いたいと、言霊を使って、紫藤の家を突き止めたらしい。

 誰にも会いたくないと隠れていた七海だ、外に出て、一人で電車やバスを乗り継いでくるのは勇気がいったことだろう。

「ずっと、ずっと……誰かに助けて欲しかった。大丈夫だって、言って欲しかった。僕と話して欲しかった」

 倉から出た世界は広く、時間から取り残されていた七海は怖くて仕方なかったと言う。いつ、誰に言霊を使ってしまうかと不安に怯えながらここまで来た。



 自分を変えるために。



 倉に戻らなくて良いように。



 伸びてきた七海の手が、俺の手を握っている。握り返してやりながら、綺麗な天井を見つめた。

「……俺もさ。心霊写真が撮れたり、物が吹き飛んだりするせいで、誰も近付いてこなかった。この家に来るまで、毎日毎日、幽霊につきまとわれてさ。家族さえ、俺に近付かないようにしてたな~」

 家に居るのが苦痛で、一人暮らしを始めたけれど。自立するためにバイトに出ても、長くは続かなかった。親の援助も無く、節約しながら食い繋いできた。

 溢れてしまう霊力は、俺にまともな生活をさせてはくれなかった。人に避けられ、怯えられ。誰を信じて良いのかも分からなくなっていた。

 そんな毎日が嘘だったかのように、この家に居る間は、普通の人間として過ごせている。悪霊にも会っていない。俺の中に居る悪鬼も、大人しくなっている。

 紫藤と思い切り喧嘩ができるのも、そんな変な力を気にしなくて良いからだ。俺が怒ったり感情が高ぶったりしても、力は暴走しない。誰かを傷付けたりしないで済むからだ。



 たとえ暴走したとしても、紫藤が居る。



 彼が助けてくれる。

 安心して感情を表に出すことができる。

「……これでも蘭兄には感謝してんだ。まともに生活させてもらってるからよ。……でもあの焼き餅だけは我慢できねぇ!」

「……僕、そんなに清兄さんに似てるの?」

「一個一個のパーツは、そんなに似てるとは思わねぇんだけどよ。全体的に似てんだよ」

 清次郎のことに関してだけは、紫藤の焼き餅はすさまじい。

 すさまじすぎて、清次郎似の七海にも、同じくらい焼き餅を焼くからたまったものではない。俺がちょっとでも七海と肩を組んだり、じゃれていると鼻息が荒くなって睨んでくるくらいだ。

 キスしたのがよほど許せなかったのだろう。七海が大人になって、彼女ができたらどうするのだろうか。焼き餅を焼くだけでは済まないかもしれない。

「清兄は清兄、七海は七海なのにな」

「髪、もっと短くしようか?」

「髪型変えたくらいじゃ収まんねぇって」

 顔が似ているのだから。七海がもう少し成長して、ますます清次郎似になるか。

 成長することで似なくなるかは、大きくなってみないと分からない。もし、スポーツに目覚め、体を鍛えたら、確実に似る道を辿るだろう。

「……お前、将来苦労するぞ。彼女紹介する時、俺も呼んでくれ。面白そうだ」

「ふふ……そうする」

 笑った七海は、俺の方を向いた。横向きになった彼の視線を感じて、俺も向かい合うように方向を変えた。

 クラスメイトと寝起きを共にしたことはない。義務教育中のあらゆる行事は、自主的に行かなかった。運動会も、文化祭も。だから修学旅行も行っていない。

 誰かと過ごす夜。

 普通の夜。

「……なあ」

「もしかしたら僕も、同じことを考えたかも」

「一回、やってみてーよな?」

「……うん」

 頷いた七海と、目配せをする。

「1……」

「2……」

「「3!」」

 同時に起き上がり、枕を手にした。俺の枕は七海へと、七海の枕は俺へと飛んでくる。顔にバフッと当たった枕を手にし、紫藤の枕も手にした俺は、七海に二つ続けて投げつけた。

「うわっ!」

 二つの枕によろめいた彼が布団に倒れている。投げられようとした枕が転がり、チャンスが生まれた。

「隙あり!」

 倒れている七海に飛びつき、脇に手を添えた。身を捩る彼の脇腹を擽れば、面白いように体が跳ねている。追い掛けながら擽り続けた。

「あは、あはは!」

「参ったか!」

「こ、降参……降参するから……!」


《ハナシテ!》


 キンッと耳鳴りが鳴ると、俺の体が吹き飛んだ。布団の上に転がってしまう。運良く布団の上で良かった。転がる俺に、七海が慌てて駆け寄ってくる。

「ご、ごめん……!」

「大丈夫だって。つか、お前の力、やっぱすげーな。俺の悪鬼も、止められそうじゃね?」

 離せと言われたら、離すしかない。布団の上で一度大の字になりながら、跳ね起きた。

「それだ!」

「……何?」

「お前の力で、俺の悪鬼、抑え込めるんじゃねぇか!?」

 万が一、悪鬼が出てきた時、七海が出てくるなと言えば、封じられるのではないか。これだけの力だ。紫藤を弾き飛ばしたこの力なら、悪鬼を抑え込めるかもしれない。

 可能なら、すぐにでも外へ出られるだろう。外の世界に出られるかもしれない。

「お前が俺を止めてくれ!」

「……僕が……達也君を?」

「ああ! お前の力なら、悪鬼だって出てこれねぇよ!」

 七海の肩を掴んでゆさゆさ揺すった。目をしばたかせた七海が白い頬を赤く染めている。

「僕の力が……達也君の役に立てるの?」

「ああ! 蘭兄に聞いてみてさ。やってみようぜ!」

 バンッと肩を叩くと、また泣いている。今度は笑いながら泣いた七海は、ゴシゴシと袖で目元を拭った。

「……嬉しい!」

 そう言って、また泣いた。

 そんな彼の頭を思い切り掻き回した。

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