妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ二十『時を越えて』

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「っていう訳。結界通れないっつったのに、入ってきたぜ、こいつ」

 俺は謎の少年が入ってきた経緯を紫藤と清次郎に話して聞かせた。二人は時折、視線をかわし合いながら、俺の話を聞いていた。

 少年は清次郎の側から離れようとはしなかった。紫藤は真ん中のソファーにふんぞり返って座り、俺と向かい合わせになったソファーでは、清次郎と、彼の腰を握って離さない少年が居る。

 少年は二人が帰ってきても無言だった。奥歯を噛み締めている。

 まるで言葉を嫌うかのように。

「……紫藤様。まさかとは思いますが……」

 清次郎が少年の頭を撫でながら紫藤を見つめている。

「いや、しかしだ。そうそう、現れる者ではないぞ」

「されど……」

「んだよ。心当たりがありそうじゃん?」

 聞けば、紫藤が腕を組んでいる。じっと少年を見つめ、テーブルの上に置いてあったマグカップを指差した。

「可愛い清次郎よ、そのマグカップを浮かせてみせよ」

「……は? つか可愛い清次郎って……」

「恐れることはない。さ、やってみせてくれ」

 俺のツッコミはスルーされた。清次郎が少年の肩を叩いて励ますと、あんなに頑なに口を閉ざしていた少年が口を開けた。


《ウイテ》


 キンッと耳鳴りがしたと思ったら、テーブルの上のマグカップがふわりと浮いた。

「……はっ!? はあ!? マジか!?」

「煩いぞ、達也! 黙っておれ!」

「でも浮いたし!!」

「達也、慌てなくて良い。我らはこの力、一度目にしておる」

 清次郎の言葉に、反応したのは少年だった。縋るような目で彼を見上げている。ますます強くしがみ付いた。

「……お前の名を教えてくれ。先ほどから、懐かしさがこみ上げてきてならぬ」

 少年と向かい合った清次郎が、励ますように肩を撫でている。一度俯いた少年は、か細い声を出した。

「土井……七海です」

「やはり! 土井家の子孫なのだな!」

 広い胸に抱き締めた清次郎は、何度も少年の頭を撫でている。顔を確かめるように一撫でし、両手で包み込んでいる。

「俺を知っているのだな?」

 コクリと頷いた少年を、また抱き締めている。広い胸に収まった少年は、初めて安堵した顔を見せた。強張っていた顔から力が抜け、清次郎に身を任せるかのように目を閉じている。

 そんな二人を見ながら、大人しい紫藤を横目で見てやる。

「良いのか?」

「何がだ?」

「すっげーラブラブじゃん?」

「ふんっ。心の狭いわっぱよの。清次郎が可愛い清次郎を愛でるのは当たり前のことよ。子孫が訪ねてきたのだぞ。心の広い私は温かく見守ってやろうぞ」

 そう言いながらも、手はそわそわしていた。抱き締めていることは気になっているらしい。意地っ張りめ、と心の中で思いながら、二人の清次郎を見守った。

 本当に似ていた。土井七海、彼も今から鍛えれば、いずれ清次郎みたいに引き締まった体になるのだろうか?

 想像しようとしたけれど、上手くいかなかった。ボソボソ話す清次郎が、どうしても思い浮かばない俺だった。

「俺を訪ねてきたのならば、その力が理由か?」

 抱き締めていた力を緩めた清次郎は、小柄な七海を温かな目で見つめている。その目に安心したのか、素直に頷いた。

「紫藤様。どうか」

「うむ。どれ」

 そわそわ手を動かしていた紫藤が、コホンッと咳払いをすると七海を挟むようにして座っている。七海の手を取り、握り締めた。

「お主が持つ力は、言霊と呼ばれる非常に珍しいものだ。言うた言葉が真になる。長い時の中で出会うたのは、たった一人だけだ」

 ポンポンと手を叩いた紫藤は、七海をギュッと抱き締めた。

「今すぐに消してやることはできぬ。されど己の言葉を操ることで、力を制御することはできる」

 頬擦りをした紫藤に、七海が少し戸惑っていた。清次郎を振り返ろうとしても、紫藤が離さない。だんだん、無遠慮に触れている。腰を引き寄せ、まるで清次郎に甘えるかのように押し倒そうとしている。

「……ん~~可愛い清次郎~~!」

「紫藤様。七海が困っております。どうぞお離しを」

「今少し……!」

「なりませぬ」

 離したがらない紫藤から、半ば強引に七海を離した清次郎。その眉が、少しだけつり上がって見えたのは気のせいだろうか?

 確かめるように顔を見つめた時には、いつもの清次郎に戻っていた。七海を守るように背中を抱いている。

「どうやって俺のことを?」

 紫藤から守りながら聞けば、七海が立ち上がった。濡れていた鞄まで歩き、中からビニールに包まれていた巻物を取り出した。

 それを清次郎に渡している。紫藤が早く座れ、と自分の隣をポンポン叩いた。抱き付く気満々の顔をしている。

 座る場所に迷った彼は、どうしてか俺の隣に座った。紫藤が切なそうに見つめている。その隣では、早速巻物に目を通した清次郎が、やや興奮気味に叫んだ。

「……これは、なんとお懐かしい! 兄上の書です!」

「ほう。孝明か」

「はい。時を生きる我らのことを書いて残したようです。それで我らを捜してきたのだな?」

 コクリと頷いた七海。

 巻物に残っていた情報を頼りに、本当に清次郎が生きていると思って会いに来た、ということか。清次郎が聞かせるように読み上げてくれる。



 我が土井家に禍が起きた時、清次郎を訪ねるが良い。

 時を生きる、我が最愛の弟の名だ。

 土井家の血は、永久に彼が保ってくれよう。

 清次郎は永久に、生き続けるだろう。



 読み終えた清次郎に、ふむ、と頷く紫藤。

 俺は思いきり顔を横に向けると、七海に心底感心した。

「……すげーな、お前。たったこれだけで探しに来たのか? 俺、信じるのに結構かかったぞ?」

「七海は清次郎に似て素直なのだ。お主とは違っての」

「そりゃ悪かったな。つか、簡単に信じられるかよ、江戸から生きてるなんてよ」

 ソファーの背もたれに両腕を投げ出しながら、隣の七海をまたじろじろと見てしまう。

「お前も霊が見えんのか?」

 小首を傾げた七海に、俺まで首を傾げてしまう。

「んだよ、見えねぇのか?」

「言霊は霊感とが違うものでな。舞姫様も霊を見ることはできなんだ」

「舞姫?」

 知らない名前に清次郎を見れば、紫藤ともども頷いている。ポンッと清次郎の膝を叩いた紫藤は、ゆったりソファーに埋もれた。いつものように、説明は清次郎がしてくれる。

「我らが唯一出会った言霊の使い手は、舞姫様だけであった。彼女もまた、幼い頃から言葉が真になり、悲しい思いもされていた。だがな」

 清次郎の目が七海を見つめ微笑んだ。

「力が出てしまう時と、そうでない時を根気よく見定め、普通に会話ができるようになっておられた。七海、お前もきちんと修行すれば、そのように口を閉ざさずとも良いのだぞ」

 温かい清次郎の言葉に、隣の七海が震えている。唇を噛み締めながら涙をこぼした。膝に乗せていた両手が握り拳になり、震えている。

「必ず、制御できるようになる。それにここは紫藤様の家。力が暴走しても大丈夫だからな」

 ポロポロとこぼれ落ちてくる涙に、頭を掻きながらティッシュケースを取ってやった。受け取ろうとしないので、三枚抜き出すと目元に当ててやる。動かない七海に、仕方がないので目元を拭ってやるけれど。涙は次々に溢れてくる。

 こいつはこいつなりに、妙な力で嫌な思いをしてきたのだろう。拭いても拭いても濡れるティッシュに、新しいティッシュを足した。

「……ふむ。まだ不安なようだの。どれ、顔を上げよ」

 紫藤の言葉に、涙に濡れた目を上げている。にこりと笑った紫藤は、掌を広げて見せると、そこから扇子を取り出した。

 七海の目が大きく開く。取り出した扇子を広げ、一振りして笑った紫藤は、今度は閉じてティッシュケースを指している。

「持ち上げてみよ」

 瞬きを繰り返す七海に、もう一度持ち上げろと言う。パンッと七海の背中を叩いて促した俺は、こぼれていた涙を擦るように拭いてやった。

 七海は一度唾を飲み込むと、ティッシュケースを見つめ、口を開いた。


《ウイテ》


 キンッと耳鳴りがした後、ティッシュケースが浮き上がる。

 そのティッシュケースに右手を翳した紫藤は、眩い緑色の光を放った。

 瞬間、浮き上がったばかりのティッシュケースがぽとりと落ちている。七海が信じられないと言うかのように、大きく目を見開いた。

「私の封印の珠はあらゆる力を吸い取る。普段は抑えておるがな。純粋な力を使えばほれ、このとおりよ。言霊とて、吸える」

「へ~。そういや白かったり緑だったりすんな」

「ふむ。故あってな、一つの珠の力を引き出すのは少々骨が折れるのだ。いつもは面倒で、合わせた力を使っておるがな」

「んだよ、合わせた力って」

「…………」

「面倒くさがんなよ!」

 説明するとなると、途中で止めてしまう紫藤。ふんっとそっぽを向いて止めてしまった。

 そんな彼に、七海が飛び込むように抱き付いた。

 突然、抱き付かれたことに驚いた紫藤は、慌てて清次郎を見ている。自分が抱き付くのは平気なくせに、抱き付かれるのは苦手なようだった。

「……言うたであろう? 紫藤様が居て下さる。恐れず話していこう。な?」

 くしゃっと七海の頭を撫でた清次郎。紫藤もまた、そうっと手を伸ばして、七海を抱き締めた。



***



 七海が落ち着いた頃、着替えを済ませた清次郎は一人キッチンに立ち、夕飯の支度に取りかかった。彼が離れると、七海の目が少し不安そうに揺らいだ。

「……ゲームすっか?」

 紫藤は一人まったりソファーに寝そべり、目を閉じてしまったから。気を使うのは俺の役目になっていて。隣に座っている七海に聞いても、フルフルと小さく首を横に振るだけだった。

 暗い奴だ。ロールプレイングを止め、格闘ゲームに切り替える。今度こそ、清次郎に勝ちたい。そのためには腕を磨かなければ。

 一人修行をしていた俺に、キッチンから清次郎が戻ってくる。隣の七海がホッとしたように息をついた。

「ほら、お茶だ」

「蘭兄は起こさなくて良いの?」

「紫藤様は疲れていらっしゃるのでな。少々骨の折れる悪霊退治をこなされてきた故」

「へ~。あ、だから寝てんのか」

「うむ。お前もずいぶん、紫藤様のことを理解してくれるようになったな。嬉しいぞ」

 くしゃっと清次郎の大きな手が頭に乗り、撫でられる。そのまましゃがみ込んだ清次郎は、七海の手を取った。

「暫くこの家で預かる旨、ご両親にご挨拶せなばなるまい」

 頷いた七海は、濡れてしまった荷物を干している場所まで歩いていく。手に何かを掴むと戻ってきた。

 濡れてしまったけれど、通帳のようだ。無言で清次郎に差し出している。

「気を使わずとも良い。紫藤様も受け取るまい」

「…………」

「七海も、達也も、もう我らの家族故、遠慮はいらぬ。必要な物も揃えていこうな」

 俺と七海の間に挟まった清次郎は、俺達の肩を引き寄せた。楽しそうに笑っている。

「紫藤様にも甘えてくれ。きっと喜ばれるぞ」

「蘭兄は兄ちゃんってより姉ちゃんじゃね?」

「かもしれぬな。江戸の頃は、二人で旅をしていると夜這いが酷くて困ったものだ」

「美人だけど……なんか駄目だな。つかガキっぽいし」

「紫藤様は紫藤様のままだ。それで良い」

 俺達の頭をポンポン叩いた清次郎が立ち上がっている。

「今夜はすき焼きにするからな! しっかり食ってくれ!」

「肉多めで!!」

「あはは! そうしよう」

 やっぱり楽しそうな清次郎は、キッチンに戻るとテキパキ動いている。下手に手伝うとよけいに手間取らせてしまうので、今日は手伝わずに大人しくしておくことにした。

 時計の針はもう、八時を回っている。俺のお腹はぐーぐーだ。

「……遠慮すんなよ? 清兄も蘭兄も、お前が話すの待ってんだかんな」

 コントローラーを握りなおし、隣の七海に囁いた。不安そうな顔にニッと笑ってやる。

「俺だって、遠慮してねぇし。金ねぇけど食いたいもん食わせてもらってる!」

「…………」

 開き掛けた口は、引き結ばれた。自分の膝小僧を見つめている。

 いきなりは無理だろうか。俺もこれ以上、余計な事は言わずに格闘ゲームに集中した。真ん中のソファーは紫藤が寝転がっているので、体ごとテレビを向いて集中した。



 分かってる。



 紫藤がベッドではなく、ここで寝ているのは七海と、たぶん俺のためだ。何かあった時、すぐに対処できるように。

 疲れているくせに、ここで、俺達の側で、守っている。

 いい加減俺も、紫藤の気遣いを素直に受けることにした。すやすやと眠る紫藤を起こさないよう、音量は下げている。

「…………が……と……」

 小さな、とてもか細い声がして。テレビからかと耳を澄ませたら、隣からだった。

「……ありがとう」

 ポツリと呟いた七海は、すぐに唇を噛み締めて言葉を封じた。

「……おう」

 返事をしてやり、ゲームのキャラクターを操った。

 打倒清次郎を目指し、腕を磨く。

 隣に座っている七海は、そんな俺の隣で静かにしていた。

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