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第一幕
奇ノ十八『来訪者』
しおりを挟むビルから足早に出た俺と紫藤は、運転手の松尾の出迎えを受け、リムジンに乗り込んだ。いつの間に降っていたのか、雨が街を濡らしている。雨足は一刻ごとに強くなっていった。
思っていた以上に時間を食ってしまった。できれば日が沈む前に帰り着きたかったのだが、そうもいかないようだ。どんなに急いでも、午後の七時を回ってしまうだろう。
紫藤が気にしているので、一度達也に連絡を入れておこうと彼の携帯に掛けたけれど。コールが鳴るばかりで、出る気配が無い。
「……繋がらぬのか?」
「はい。家の電話は取らぬよう、言ってあったので、掛けても出ないでしょうし」
「厠かもしれぬ。いま一度掛けてみよ」
「はい」
五分後に、もう一度掛けたけれど、やはり出なかった。
紫藤の顔が瞬時に曇る。
「松尾、急いでくれ」
「はい」
運転しながら応えた松尾は、心持ち速度を上げた。
「眠っているのかもしれませぬ故、あまりご心配されませぬよう」
「……わかっておる。だが、悪霊の気が乱れておるのは、おそらく悪鬼のせいであろう。達也の方は封じているとはいえ、大場隼人の悪鬼は溢れ出た力のみを封じた状態だ」
しなやかに腕を組み、目を閉じている。白い横顔を見つめた。
「……幸人に言えなんだが、隼人の悪鬼は野放しに近い。札を使い、溢れ出てくる悪鬼の気を吸収することはできても、悪鬼そのものを封じるには、私が直接行かねばなるまいて」
「ですが、そうすれば達也の方が危険になる、と?」
「そうだ。幸いなのは、隼人に憑いた悪鬼は、達也に憑いた悪鬼がおらねば、力を出せぬことだ」
スッと目を開いた紫藤が俺を見つめてくる。
「お主が力を断ち切った時、強い悪鬼であれば暴れたであろう。なおも繋がろうともがいたはずだ。だが、繋がりは容易く斬ることができた」
頷き、紫藤の腰を抱いた。もたれてくる顔を肩で受け止める。
「引き寄せておったのは達也の方であった。ならば今はまず、達也の中にいる悪鬼を封じる他あるまい」
「はい」
「そうするしかない」
自分に言い聞かせるように何度も呟いている。その体を抱き締めた。
大場隼人の方も心配なのだろう。溢れ出ていた悪鬼の力は札に吸収し、取り除いたけれど。電話を通じてできる処置はそこまでだ。
また溢れ出て来ないように、札を使って暫く様子を見るしかない。悪鬼そのものを封じるのは、達也の方を完璧に封じてからだ。
達也が封印の珠を無意識に操れるくらいにまでなれば、いずれ隼人の方へも行けるだろう。励ますように腰を擦ってやった。
「……せめて、二人に繋がりが無ければの」
「左様ですな」
二人まとめて、封印の珠を与え、身を守る術を与えられるのに。側に寄れば、繋がってしまう。
紫藤の力を超えてしまった時、二人の身が危険になる。
今は、引き離すしかない。
「……もう一度電話を掛けてみよ」
「はい」
窓に当たる雨音は強くなっていた。斜めに流れていく雨をぼんやり見つめる紫藤を気にしながら、達也の携帯に掛けるけれど。二十分も経っているのに、電話に出なかった。
俺の胸も、ざわざわと嫌な予感にざわついた。見つめている紫藤に無言で首を横に振る。彼の眉が潜められた。
「あの馬鹿者が! 何故出ぬ!」
「少々お待ちを」
紫藤を宥めつつ、すぐに特別機関に掛けた。コールが鳴り、ブッと繋がっている。
〔はい、特別機関、北条です〕
「お忙しいところ申し訳ありません。調べて頂きたい事がありまして」
〔清次郎さんですね。何でしょう?〕
電話を取ったのが一希で良かった。耳を塞ぎかけた紫藤が、携帯から流れてくる一希の声にホッとした表情を見せている。声に出さずに笑った俺は、安心しながら話を進めた。
「月影達也と大場隼人の、五時間前から現在までの霊力を見て頂きたいのです」
〔少々お待ちを。……隊長、邪魔です〕
〔耳元に囁く清次郎さんの声を私にも……!〕
〔煩いです〕
ヘッドホンタイプの電話を奪われまいと、一希が奮闘しながらキーボードを叩いている音がしている。画面を確認したのか、呻く剣の声に負けない凛とした声が返ってきた。
〔これといって変化はありませんが?〕
「霊力が上がった時間はないと?」
〔はい〕
「そうですか。ありがとうございました。杞憂だったようです」
紫藤に大丈夫だと視線を絡めながら笑った。
〔何か気になることでも?〕
「いえ。お手数をお掛けしました」
〔いいえ。何かあればいつでも……隊長、踏みますよ?〕
〔踏むならいっそ全身で……!〕
〔これ以上はお聞き苦しいでしょう。失礼致します〕
「はい、ありがとうございました」
ブッと通話の切れた携帯を胸ポケットに仕舞いながら、苦笑せずにはいられない。一希にお仕置きされて喜んでいる剣を思うと、少しだけ健気なような気にもなってくるので不思議だった。
「紫藤様。終わりましたから。その様に耳を塞がずとも宜しいでしょうに」
ギュッと目を瞑り、耳を塞いでいる紫藤の手を取った。俺を見ると、携帯を持っていないかを確認し、ホッと息を付いている。
剣の声が漏れた瞬間、バッと耳を塞いだ紫藤の姿が目の端に見え、思わず電話中に吹き出すところだった。
「……あやつは好かぬ!!」
フンッと鼻息荒く言い放った紫藤。子供っぽいその様子に、思わず顔が緩んでしまう。
「紫藤様……」
ポンッと膝を叩き、笑いながら宥めた。甘えるように紫藤の体が傾いてくる。俺の膝に頭を乗せた彼は、そっと目を閉じた。長い白髪を撫でながら、俺も少しだけ目を閉じる。
達也も隼人も、霊力が上がっていないのなら、悪鬼が外へ出てはいないはずだ。携帯に出ないのは、ゲームに夢中になっているか、眠っているかだと思う。
誰が来ても出なくて良いと言ってあるし、きっと大丈夫なはずだ。
松尾が運転する静かなリムジンで家路についた俺達は、雨に濡れた街並みを通り過ぎていった。
***
気が利く松尾から傘を受け取り、紫藤側のドアに近付いた俺はそっと開けた。紫藤が出るまで傘を傾け、待ってやる。傘を差した彼が外に降り立つと、暗い空に目を細めた。
「ずいぶん降るの」
「そうですね」
ドアを閉め、少し窓を開けた松尾に挨拶をした。
「ありがとうございました」
「いいえ。また何かあればお呼び下さい」
「はい」
俺達が離れると、リムジンが動き出す。飛沫が当たらないようにと、最後まで気を使ってくれた松尾はゆっくりと帰って行った。
門を開けた俺達は、足早に玄関に向かう。傘を差していても、足下はずいぶん濡れてしまった。
ドアノブに手を掛けると、ちゃんと鍵は掛かっている。鍵を差し込み、ドアを開けると紫藤を先に通した。
「達也! 帰ったぞ」
声を掛けながら、濡れた傘を畳んだ。返事は無い。
紫藤と見つめ合いながら、簡単に滴を払ってリビングに急ぐ。リビングからは明かりが漏れていた。
「達也?」
ドアを開け、中に入れば、ソファーで眠っている達也が居る。いつもなら紫藤の定位置である真ん中のソファーで、ゲームのコントローラーを握ったまま眠っていた。ロールプレイングをしていたのか、会話の途中で止まっている。
とりあえずホッとした。何事もなかったようだと近づき、起こそうとした俺の目が見開いてしまう。自然と険しくなってしまった声で紫藤を呼んだ。
「紫藤様!」
「ん? どうした?」
達也は無事だと安心し、タオルを取りに行こうとしていた紫藤が戻ってくる。
その彼の目もまた、見開いた。
「何故人がおる!?」
鋭く発した紫藤の声に、眠っていた達也と、いつもなら達也の定位置であるソファーに眠っていた、小柄な少年が目を覚ました。黒い瞳がぼんやりと俺達を見上げている。
「……ん~~うっせ~~」
目を擦り、起きた達也の前に紫藤と俺は立った。達也と少年の間に立ち塞がる。
タオルケットにくるまって寝ていた少年は、コシコシと目を擦り、俺達をぼんやり見上げた。背中に庇った達也もまた、大きな欠伸をしている。
「帰ってたんだ~……お帰り~」
「達也! しっかりしなさい!」
また眠ろうとした達也の肩を揺さぶった。ガクガク揺れた彼は、何故俺達が怖い顔をしているのかと首を傾げている。
「どうしたんだよ?」
「どうしたもこうしたもない! 人がおるではないか!」
紫藤が苛立ったように言えば、頬を膨らませてしまった。
「しゃーねぇじゃん! 普通に入って来たんだよ!」
「……入ってきただと!?」
「つか、札の意味なくね? ずんずん入って……」
「お主! 何者ぞ!」
少年に指を突き付けた紫藤の隣に立った俺は、冷静に彼を観察した。達也に借りたのか、サイズの合わない緑色のつなぎを着ている。
乱雑に伸びている黒髪に隠れるように、黒い瞳が怯えている。細い体は、成長段階だった。達也よりも若い少年は、タオルケットを引き寄せ、握り締めている。
「何者かと聞いておる!」
「蘭兄! んな怒んなって!」
「しかしこ奴は! こ奴は…………んん?」
指を突き付けたまま、紫藤が首を傾げた。ビクッと肩を竦めた少年に顔を寄せていく。
「お主………………おおぅ……!」
紫藤の白い肌が紅潮していく。少年の顔を掴み、まじまじと見つめている。その鼻息がだんだん、荒くなっていく。
「あ、やっぱりそう思う? 俺もそうだと思ったんだよ」
「どういうことだ?」
「清兄、鏡に映る自分の顔とあいつ、見比べてみなよ」
達也に言われ、首を傾げた俺は、ひしっと少年を胸に抱いた紫藤に戸惑った。
「なんと愛らしい顔をしておるのだ……! 若き日の清次郎にそっくりぞ!」
「……俺、ですか?」
少年は紫藤の腕の中でもがいていた。いきなり抱き締められ、混乱している。必死に引き離そうとしているけれど、紫藤の力の方が強かった。頬ずりまでされている。
「紫藤様、その子が困っておりますぞ」
離したがらない紫藤を引き離せば、よろめきながら達也の背中に隠れている。達也の背中を握った彼は、カタカタ震えていた。
「……悪い者には見えませぬ。話を聞きましょう」
「もう少し抱き締めさせてくれ……!」
「なりませぬ。……俺に焼き餅を焼けと?」
少年に手を伸ばす紫藤に囁けば、勢い良く振り返っている。嬉しそうに笑った彼は、俺にしがみ付いた。
「可愛い奴よ! 私は髪の毛一本まで全てお主のものぞ、清次郎!」
「左様で……」
苦笑しながら紫藤を抱き締めた俺は、ドンッと当たった衝撃に下を見る。達也の背中に隠れていた少年が、俺の腰にしがみ付いていた。見上げてくる黒い瞳から、涙が溢れ出てくる。
何かを訴えるように開き掛けた口は、噛み締めるように閉ざされた。
「……大丈夫だ。まずは話を聞こう。な?」
紫藤をそっと離し、泣き出した少年の頭を撫でてやった。
声も出さずに泣き続けた少年は、俺の服を握って離さなかった。
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