妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ七『不器用な愛情』

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 俺のせいだ。この人は俺のせいで巻き込まれただけだ。

 俺が外に出たから、悪霊を呼んでしまった。封印の珠の力が働いていないから。

 大きな体を守ろうと、覆い被さった。警察官が流す赤い血が俺の体にも移ってくる。

「馬鹿……逃げろって!」

「俺の……せいだから!」

「……ちくっ……しょう!」

 負傷した腕で俺を抱きこんでくれた。大きな体が覆い被さってくる。

「駄目だ! 俺のせいなんだ! あいつ等は俺が呼び寄せちまって……」

「黙ってろ!」

 俺を隠すように抱き込んでくる。這い出そうとしても、重たすぎた。

 何だろう、また、懐かしさがこみ上げる。

 警察官の体温が、危険な状況だというのに、俺を酷く安心させようとさえしている。



 この人を、守りたい。



 守らなければならない。



 懐かしさを振り切るように大きな体を引っ張った。

「あんたを巻き込む訳にはいかねぇ……!」

「だったら大人しくしてろ!」

 大人しくしていても無駄だ。黒い影が揺らぎ、迫ってくる。

 俺を殺そうと、迫ってくる。

 抱き締められたまま、警察官の制服を握り締めた時だった。

 狭い路地であるにもかかわらず、眩しいヘッドライトを照らしながら猛スピードで迫ってくる車が一台あった。俺達の方へ急接近してくる。

 避けながらすれ違わなければならないほど狭い道で、急停止した車から男が一人飛び降りてきた。

 飛び降りざまに、右手に構えた扇子を大きく振っている。強風が巻き起こり、俺達に迫っていた黒い影が次々に舞い上がっていく。

「……清次郎! 暫し持ち堪えよ!」

「承知!」

 運転していた男も飛び出してくる。手にした木刀を構え、振り上げた。光が散り、黒い影が威嚇するように、二人へ向き直っている。

 扇子を振った紫藤が、倒れている俺達のもとへ駆け寄ってきた。負傷した警察官を見つめ、その下に居る俺を睨み、鼻を摘んでくる。

「馬鹿者が!! 死にたいのか!!」

「……うっせーよ!! 関係ねぇだろうが!!」

「関係無ければ引き取ったりはせぬ!!」

 悪霊はどんどん集まってきているように見える。寝静まった世界に、黒い影が幾つも揺らぐ。木刀を持つ清次郎がそれを遠ざけていた。

 俺の体を警察官の下から引きずり出した紫藤は、問答無用で繋ぎのチャックを下ろしてきた。シャツを捲られてしまう。

 翳された右手から、奇妙な力を感じた。何かを吸い出されている。

「……やはり、霊気が漏れ出ておる。あれ等はまだ、悪霊になる段階ではなかった。お主が悪霊に変えてしまったのだぞ!」

「……んなの、俺には関係ねぇ!!」

 手を払い除けようとしたら、頬をひっぱたかれた。じんっと左頬が痛んでいる。

「悪霊に憑かてしまえば、己の意思とは関係なく人を襲うのだぞ! それでも関係ないと申すのか!」

 襟首を締めるように掴まれていた。綺麗な顔が寄せられる。黒い目が、少しだけ濡れていた。

「……辛い思いをするのはお主ぞ!」

 綺麗な眉をしかめた紫藤は、俺の襟から手を離し、溜まっている力を吸い出してくる。へたり込んだまま、叩かれた頬を押さえるしかなかった。



 関係ないはずだ。



 清次郎と親しくするなと、俺を避けたのは紫藤のはずなのに。どうして追い掛けてくる? 助けようとする?

 訳が分からない。頬を押さえながら紫藤から視線を外した。

「……紫藤様! 数が多うございます!」

「今行く! ……良いな、ここを動くでないぞ!」

 俺の力を吸った紫藤は、両手を広げている。そこから数十枚の札が噴き出してきた。その札が一枚一枚、悪霊に貼り付いていく。動きが鈍ったところへ扇子から噴き出す風で刻んでいる。

 悪霊の数は多かった。これを俺が集めてしまったのか。

 俺が居るから。

 悪霊にならなくて良かった霊まで、悪霊になってしまったのか。



 俺は、何だ?



 痛む頬を押さえまま、風をまといふわりと飛んだ紫藤を見上げた。代わりに清次郎が駆け寄ってくる。

「大事ないか、達也!」

「……俺より……おっさんが」

 俺が痛む所と言えば、紫藤にひっぱたかれた頬だけ。俺よりも、庇ってくれた警察官の方が重傷だ。

「この方は?」

「補導されたんだ。おっさん……見えるみたいで」

「さっきから……人をおっさん扱いしてんなよ」

 血を流す腕を押さえた警察官は、自力で起き上がった。俺を見ると笑っている。

「居るじゃないか、迎えに来てくれる人」

「この人達は……違うし……」

「後で……いって……はぁ~。調書のご協力、お願い致します」

 痛む腕を押さえながら、清次郎に警察官らしく顔を引き締めて見せている。その肩を押した。

「だから! この人達は関係な……」

「はい。達也は我らが引き取っております。ここが片付きましたら必ず」

 笑った清次郎は、鋭い空気の流れを感じて木刀を振っている。光が飛び、迫ってきていた悪霊の力を削った。なおも木刀を振った清次郎は、悪霊の力をどんどん削っていく。

 青い目が、細く尖る。空を紫藤が、地に下りてきた悪霊は清次郎が、打ち減らしていく。

 彼ら二人で、集まっていた悪霊を削ってはあの世へ送っている。数ヶ所で起こる淡い光が浮かび上がる度に、警察官がほうっと溜息をついた。

「……俺も教えて欲しいな、あれ」

 悪霊が見えている警察官は、俺の腰を抱くと引き寄せた。戦いを見ながら、俺を守ろうというのか抱き寄せてくる。

 広い胸が、たまらなく安心した。

 まるで、ここが俺の安らぐ場所のような錯覚さえ起こってしまう。悪霊の存在なんて、忘れてしまいそうなほどに。

 俺達だけしか、居ないような気さえして。

 見上げた先に、整った顔がある。

 もう少しで、引き締まった唇に触れそうだ。



 また、感じた懐かしさ。



 彼もそうなのか、紫藤達を見ていた視線が降りてくる。見上げていた俺の視線と絡め合った。黒い目がゆらゆら揺れている。

「……お前さ、どこかで会ってないか?」

「……わかんねぇ……」

「だよな……俺も、なんか……奇妙でさ」

 顔を寄せてくる。もっと良く見ようとしているのだろう。無事な彼の右手が頬に当てられた。紫藤に叩かれた左頬が、大きくて優しい手に包まれている。

 まじまじと見つめられると、なんとなく照れくさい。俯きながら彼の胸を押した。

「俺に近付かない方が良いぜ。あいつ等……皆俺のせいで……」

「好きで持った訳じゃないだろう? 俺もそうだ」

 ニッと笑った警察官は、頭をくしゃっと撫でてくれた。笑いながら宙に浮かぶ紫藤に感心している。

 感心、というレベルで終わらせる辺り、この警察官も色々な物が見えていたのだろうか。普通、人は空を飛ばない。掌から札も出さない。

 普通ではない紫藤を見ても、彼は驚いただけで怖がってはいなかった。

 悪霊に追い掛けられた俺のことも。

「練習すれば俺も飛べるかな?」

 能天気な言葉に力が抜ける。

「……できる訳ねぇし」

「だよな。漫画の世界だな。さすがに俺も、ここまでのは見たことがない」

 ぐいっと引き寄せられながら、なんとなく笑った。冗談なのか、本気なのか、紫藤が悪霊を打ち減らすと、すげー、すげー、と興奮していた。

 ふわりふわりと浮かぶ紫藤は、確実に悪霊の力を削いでは、あの世へ導いていく。最小限に止めようとしているのだろう、あまり派手な力を使わなかった。結界を張っていない状態のため、悪霊が見えなくても、空を飛ぶ紫藤の姿は見えてしまう。

 人に見られたら面倒なことになるだろう。民家の密集地帯ではないとはいえ、遠くからでも見えてしまうかもしれない。

「清次郎! 人はおらぬか?」

「はっ! 今のところは大事ありませぬ! なれどお急ぎを!」

 人の気配は清次郎が探っていた。少し先に民家が見えたけれど、幸いまだ、家に明かりは点いていない。騒ぎに気付いて出てくるまで、もう少し時間があるだろう。

「……お主で最後ぞ!」

 残っていた悪霊の力を削った紫藤は、光の粒子に変えるとあの世へ送ってやった。

 俺に集まっていた悪霊は皆、紫藤の手によって無事に旅立っていった。

 紫藤はなおも空に浮かび、辺りの様子を窺っている。隠れている悪霊が居ないか、探っているようだ。

「紫藤様! そろそろ人が集まって参ります! 一度お戻りを!」

 清次郎が促せば、ようやく降りてきた。確かに人が集まってきているみたいだった。吹き飛んだ交番の方で騒いでいる音が微かに聞こえてくる。遠くでサイレンが鳴り響いていた。おかげで、こちらの騒ぎは二の次なのだろう。騒ぐ音は遠くに集まっている。

 もし、警察官が見えなかったなら。

 俺も、彼も、死んでいただろう。

 そう思うとぞっとした。悪霊が建物まで壊せるなんて聞いていない。

「車に乗れ。今少し力を吸い出しておかねばならぬ」

 扇子をパンッと音を立てて閉じ、手の中に収めている紫藤。すげー、と警察官が呟いた声を聞きながら、彼の制服を知らず握り締めてしまう。

 紫藤は唇を引き結んでいた。俺を冷めた目で見下ろしている。

 その目が、痛かった。

「……もう……死んだ方が簡単じゃねぇの?」

 俺は生きる災害だ。誕生日を迎えた日から、俺の人生は狂ってしまっている。俺だけじゃない、俺の周りまで狂っていく。まだ悪霊になるはずじゃなかった霊まで巻き込んでしまった。

 一生、紫藤の世話になんてなりたくない。なら、今ここで命を断ってしまえば全て丸く収まる気がした。

 誰も俺の帰りなんて待っていないのだから。

「良いよ、殺してくれよ」

 その方が煩わしくなくて、紫藤も清次郎が取られるなんて馬鹿なことを考えなくて済む。俺一人が消えてしまえば良い。

 こんな風に、冷たい目で見られることもない。

 紫藤なら、簡単に俺を消せるだろう。

「殺せよ」

「おい、お前! 何言ってんだ!」

「……もう良いんだよ! 生きてて何になんだよ!? ただ迷惑振りまいてるだけじゃん!」

「迷惑って何だよ!」

「あんただって俺のせいで死に掛けたんだよ! ……俺は……邪魔なんだよ!」

 警察官の胸を強く押した。怪我をした左腕が痛むのか、顔をしかめているけれど、俺の肩を無事な右手が掴んでくる。

「簡単に死ぬなんて言うな!」

「……誰も俺なんか……!」

 絶対に泣くものか。

 震える唇を噛み締めた。

 紫藤の前でなんか、泣くものか。

 さっさと死んで、厄介者は消えよう。

 もう、嫌だ。



 信じて何になる?



 ようやく落ち着く場所を、安心できる場所を、見つけたと思ったのに。

 結局、俺は独りのままだった。

 東京に出てきても、何も変わらなかった。



 あの時、死んでいれば良かった。



 警察官に肩を揺さぶられながら目を瞑った時、打たれた左頬を包まれた。

「……死んでは……ならぬ」

 紫藤の手だった。少し冷たい。瞑った目を開けたら、目の前に顔があって。少し乱れた白髪が顔に掛かっている。額から滲んだ汗が頬を伝って落ちていた。

 くしゃりと、歪んだ綺麗な顔。

 汗と、溢れた涙が零れ落ちていく。

「すまなんだ……戻って来い、達也」

 涙を流す紫藤に、俺は何も言えなかった。どうして泣いているのか、分からなくて。紫藤が何に謝っているのかも、分からなくて。

 何もできない俺と、泣いている紫藤を見守っていた清次郎は、パンッと手を打った。

「とにかく、車に乗ってくれ。結界を張っている。車の中ならば、お前の力が溢れても問題ない故な」

 反応できないままにひょいっと、簡単に抱き上げられていた。車の後部座席に乗せられてしまう。

「紫藤様もどうぞお車へ。俺が事情を説明してきましょう」

「……うむ」

 俺の隣に、目元を拭いながら紫藤が乗り込んでいる。ドアを閉めた清次郎は、警察官に肩を貸して交番の方へと歩いていった。説明すると言っていたけれど、何をどう説明するのか。

 悪霊に交番を吹き飛ばされました、とでも言うつもりだろうか?

 二人の背中を黙って見送った。結界を張られた空間に居ると思うと、少しだけホッとしている。

 隣の紫藤は目元を何度もゴシゴシ擦っているのか、車が動く。窓の外を見つめ続ける俺に、ポツリと呟いた。

「……兄としての清次郎なら、想うても構わぬ」

 振り向きそうになって、何とか堪えた。紫藤も前を向いたまま話している。

「心が狭かった……許せ。頼る者がおらぬお主だ、清次郎の優しさに惹かれても仕方があるまい」

「……俺は……男だから。あの人の事は……」

「分かっておる……それでも焼いてしまう。清次郎だけが、こんな化け物を愛しいと言うてくれたでな」

 微かに笑った紫藤をそっと振り返る。彼も俺を見ていた。薄暗いけれど分かる。紫藤の目元は赤くなっている。

「芸事でもできまい」

「……だな。掌から扇子くらいならマジックって思うけど……空飛ぶからな、あんた」

「産まれた落ちた時から、呪われておった故な。人間など、どうなろうと構わぬとさえ思うたこともあった」

 でも、と笑っている。

「清次郎が私を人として愛してくれた。どれほど嬉しかったことか……! お主が恋敵になるようであれば、尻を引っぱたいてでも止めるぞ!」

「……ならねぇよ」

 鼻息荒く言い放つ紫藤に、少し笑った。後部座席に深く埋もれてしまう。

「…………俺、生きてて良いの?」

 ポツリと聞けば、おでこを引っぱたかれた。

「いってぇし!!」

「生きねばならぬ」

 真正面から言われた。

「生まれ落ちた以上、生きるが人の定めぞ」

「……一生、あんたの世話になる訳には……」

「……少しくらいなら、頼っても構わぬ」

 ふいっと、そっぽを向いた紫藤の横顔を見つめた。口を尖らせている。

 俺も座りなおすと、窓の外を見つめた。お互い、違う方向を見続ける。

 車の中は静かになっていたけれど。

 紫藤から感じていた息苦しさは、少しだけ無くなった。



***



 清次郎はなかなか戻ってこなかった。車から出ることができない俺は、隣の紫藤の様子が少しずつおかしくなっていることに、気付かずにはいられなくて。

「……なあ、あんた。どっか怪我したのか?」

 先ほどから、紫藤の息が上がっている。はあはあ、言っていた。後部座席の隅に寄り、まるで丸まっているようだ。

「窓くらい開けても良いのか? 清次郎さん呼ぼうか?」

 ずいぶん離れている交番の方は騒がしかった。パトカーが何台も駆けつけている音がしているし、消防車も来ていた。サイレンが鳴り響き、人のざわつく声まで聞こえている。

 ここが静かなのが不思議なほどに。交番の周りは人でごったがえしている。きっと清次郎は、その説明に追われて忙しいのだろう。

「……なあ」

 あんまり苦しそうなので、背中に触れた。さすってやろうと思って。

「……触れるでない!」

 拒絶され、慌てて手を引いた。強く言われ、胸が痛む自分に腹が立ってしまう。紫藤に拒絶されるのはいつものことなのに。

「分かったよ! 勝手に苦しんでろ!」

 人がせっかく、心配してやったのに。腕を組んでそっぽを向いた俺に、紫藤が掠れた声で囁いた。

「……済まぬ……破壊の力は……体に……返る故な……今……触れてはならぬ……ぅ……」

「体に返るって……何だよ」

 横目で見れば、紫藤の首筋を汗が伝って落ちていった。鼓動が跳ねてしまうほど、色気がある。気怠そうに窓に寄りかかっている姿に、喉が鳴った。

「……発情……するでないぞ。襲えば容赦せぬ……」

「だ……誰が!!」

「分かったであろう……わっぱにはまだ早い事情がある故……向こうを向いておれ」

 白い手に軽くあしらわれてしまった。言われなくても視界には収めない。紫藤が美人なのは認める。でも、男だ。汗がなんだ。首筋に貼り付く白髪がなんだ。



 ただの、男だ!



「……ぅ……ん……はぁ……」

 体を抱き寄せ、一人堪えている紫藤。

「ぁ……せいじろう……」

 小さく呟き、清次郎を呼んでいる。膝を抱えた彼は、小さくまるまった。サラリと揺れる白髪が膝にも掛かっている。

「清次郎……早く……!」

 カタカタ震えている紫藤の姿に、俺はパンッと自分の頬を叩くと窓を開けた。

「清次郎さん!! 紫藤さんが大変だ――――!!」

 出来る限り大声で怒鳴った。交番は離れている。ここから声が通るかどうかは賭けだった。

 悪霊が来ないようすぐに窓を閉めた。後部座席から前の助手席に急いで移る。

 清次郎に聞こえただろうか? やはりもう少し近くに寄らないと聞こえないだろうか?

 そわそわしながら待った数分後、清次郎が走って来ている。さすが清次郎、聞こえたのか勘なのか、後部座席のドアを勢い良く開けた。

「紫藤様!! 何があったのです!!」

 高い身長を押し込んだ清次郎に、耳を思い切り塞ぎ、目を瞑った俺は、彼に怒鳴っていた。

「発情してんだよ! 何とかしてくれ! 俺、絶対聞かないし見ないから!!」

 耳がじんじんするくらい塞いだ。目も固く瞑ってしまう。彼が何か言ったかもしれないけれど、聞こえないくらい塞いだ。

 振動で、ドアが閉まったのは分かった。深く沈み込んだから、清次郎も乗っている。男が三人も乗っているからか、車は少し揺れている。



 後ろで、何かが起こっている。



 俺も男だから、紫藤の今の状態が危ないことは分かっていた。破壊の力とやらのせいだろうか? 毎回、発情していては大変だろうに。

 助手席に足を乗り上げ、顔を埋めながら一生懸命耳を塞ぎ続けた。時折揺れる車内に、心臓はバクバクで。

「……うぅん……!」

 苦しそうな紫藤の声が、塞いだ手の壁を乗り越え、音を伝えてくる。これ以上塞ぎようがない俺は、好奇心に負けて片目をうっすら開けてしまった。

 バックミラーに、二人の姿がぼんやり見えた。後部座席に折り重なっている。紫藤の唇を塞いだ清次郎は、俺には見えないよう手で下を探っていた。体で隠されたその場所から刺激が与えられるのか、紫藤が時折跳ねている。

「…………!!」

 慌てて目を閉じなおした。凄いキスを見てしまった。あんなに人が良さそうな顔をしている清次郎が、紫藤の口内を荒らすように舌を差し込んでいた。弱々しく回った紫藤の腕を受け止めながら。

 そうか、清次郎も男だったんだ。

 ドキドキしながら耳を塞ぎ続けた。

 時間にすれば、たぶん五分も掛かっていなかったと思う。でも俺には一時間くらいに感じた。それだけ懸命に耳と目を塞ぎ続けた。

 ポンッ、と肩を叩かれて、飛び出しそうな心臓と一緒に、座っていた助手席から滑り落ちそうになってしまった。

「……達也……終わったぞ」

 押さえ込んでいた耳から手を離してくれたのは清次郎だった。恐る恐る目を開け、彼を振り返れば襟元が広がるようによれていて。大きめの唇が、濡れていた。

 知らず知らず、俺の顔が赤くなったのだろう。清次郎も照れたように頬を掻いている。

「……済まぬな。子供の前でするべき事ではないと分かっておるのだが……」

「お、お、俺は……べ、別に……!」

「余所に移す間も、場所も無かった故……以後、気を付ける。呼んでくれて、ありがとう」

「お、おう……」

 襟元を整えた清次郎は、俺の頭を掻き回した。いつもの、精悍な顔をしている。

 その顔を見るとホッとした。なんとなく色気があるように感じるけれど、清次郎は清次郎だった。後ろで横たわる紫藤も、呼吸が落ち着いて眠っている。先に彼の服を整えたあたり、やっぱり清次郎だった。

 空気の入れ替えを、と清次郎が窓を開けている。車の中に貼った結界は、空間を遮断しているものだから、窓を開けても問題はないらしい。

 ボタンを押して窓を開け放ったら、そこに警察官を見つけた。呆然と固まっている。

「……おっさん?」

 後部座席の窓の前で、ぼうっとしていた彼はハッとしたように動き始めた。慌てて頭を下げている。

「も、申し訳ありません!!」

 いきなり謝った警察官に首を傾げた。

 直後、ピンッとくる。

「もしかしておっさん、覗き見したの?」

「ち、違うぞ! 何かあったのだろうと駆け付けたら、その……そう言うことになっていてだな……! み、見ようと思って見た訳じゃない!」

 真っ赤になって否定しているけれど、たぶんしっかり、見たのだろう。清次郎が駆け付け、そのすぐ後から追い掛けてきていたのならなおさらだ。

 ニヤッと笑った俺は、警察官を見上げた。

「おっさんすけべ~!」

「……おっさん、おっさん言うな! 俺はまだ二十六歳だ!」

「おっさんじゃん。俺、十七だもん」

「お前だってすぐに二十歳超えるんだぞ!」

「まだ十代」

「……いきなり生意気になりやがって。泣いたくせに呆れるな」

 大きな手が俺の頭に乗っている。くしゃっと撫でられた。

「……良かったな。迎えが来て。しかも特別機関の方に引き取られていたとはな」

「何だよ、特別機関って」

「俺も詳しくは知らない。伝説みたいな機関だからさ。でもま、実際にこうしてお会いして、その力を見たんだ。すげー興奮するよ!」

 ニッと笑った警察官は、爽やかに笑いながら清次郎を見たのだが。

 清次郎は赤い顔のまま固まっていた。紫藤を隠すように上着を掛けてやったままの状態で。

「どうしたの? 清次郎さん」

 俺が呼び掛けると、ビクッと肩を揺らし、健康的に焼けた肌に赤味を差した。

「……達也を側に……大場様には見られ……俺は恥ずかしゅうて居たたまれませぬ……!」

 そう言って、紫藤の手を握り締めると項垂れてしまった。

 清次郎の言葉に慌てたように顔を背けた警察官と、今更じゃん、と心の中でつっこんだ俺達をよそに、紫藤は一人すやすやと眠っていた。

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