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第3章

第17話 娘を送り出した

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 楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 今日までに何も事情を知らない息子たちやお父様、トーマ、リファへの説明には骨が折れた。

 ルミナリアス殿下への説明は簡易的なもので済んだが、彼は椎縫しいぬのために涙を流してくれる良い男だ。信頼して娘を任せられる。

「……またこいつを使うことになるとはな。しかも、自分の娘に」

 俺は小瓶に入った真っ白なカプセルを見て、そんなことを呟いていた。

 劇薬デルタトキシン。

 服薬した者をもがき苦しませ死に至らしめる毒薬。ただし他の毒薬と違い、服薬量を調整すれば息を吹き返す。
 いわゆる、仮死状態にする薬だ。

「よろしいのですか? 私が内服させても良いのですよ」

 気遣ってくれるサーナ先生に被りを振る。

 当初は飲み物に溶かしたりすることも考えたが、俺はこれを用意しただけだ。
 リムラシーヌは自分のタイミングで飲むと断言している。

「娘をお願いします、サーナ先生」

 頭を下げると先生は「はい! 必ずや」と力強く頷いてくれた。


 ブルブラック伯爵家のリビングには多くの人が訪れている。
 家族、親族、友人。そして、婚約者である王族。

「ルミナリアス王太子殿下、リムを……ううん、リムラシーヌをお願いします。見た目以上に感情的な子で、意外におっちょこちょいで、頑固だから。支えてあげて。……私の代わりに」

「任せろ、なんて無責任なことは言えない。でも、きっと椎縫しいぬよりも長い時間をかけて、リムを理解するよ。僕はきみの人格を決して忘れない。自分勝手な僕を叱ってくれてありがとう」

「ははっ。やっぱり、あんた苦手だわ。リムの気持ちが分かんなーい! 末永くイチャコラしてくれ」

 ルミナリアス殿下との掛け合いを見せられると肝を冷やす。国王陛下の前だぞ。

 そんな俺の気持ちなどつゆ知らず、振り向いたリムラシーヌはまずトーマに歩み寄った。

「トーマくん、カッコいい歩き方を教えてくれてありがとう。リムが男の子っぽい服を着ても違和感なく過ごせていたのはトーマくんのおかげです。剣術はからっきしだったけどね」

「入場時と対面時で雰囲気が異なるのはそういうことだったのか。良いコンビだったと思うよ」

「リファちゃん、ガサツな私に女の子っぽいものをいっぱい教えてくれてありがとう」

「庭園の花の植え替えをしたのは今でも大切な思い出です。ずっと続けられれば良かったんだけどなぁ……」

 思わずこぼれた涙を隠すようにトーマの胸に顔をうずくめるリファの背中を撫でてやる。

「にぃにぃズも元気でね。あんまり怪我ばっかりしないで。昔みたいに薬草を塗ってあげられないから」

「もうガキじゃねぇんだからよ。人の心配ばっかりしてんじゃねぇって」

椎縫しいぬも風邪ひかないでね。けっこう長引くタイプなんだから」

「うん。ありがとう」

 息子たちと抱き合う姿はなんていうか……。
 ぐっとくるものがあった。

「ママ、たくさん愛してくれてありがとう。ずっとずっと大好きだよ」

「シーヌ!」

 これまで一度たりとも子供たちに涙を見せたことのないリューテシアが、大粒の涙を流しながら強く抱きしめる姿に目尻が熱くなる。

 これまで我慢してきた分が一気に決壊したように、何度も何度も名前を呼びながら頭を撫で続けている。

 椎縫しいぬは何も言わず、リューテシアの背中に手を回し、彼女が落ち着くのを静かに待っていた。

「パパ」

 そっと離れたリューテシアから俺へと向き直り、いつものように甘えた声で俺を呼ぶ。

「ん?」

 だから、俺もいつも通りに返した。

「覚えてるかな。昔、夜に話したじゃない? パパがパパのママのお葬式で泣いてよかったのかって話」

「もちろん、覚えているさ。情けない話だ」

「私さ、自分の記憶を取り戻してもパパは本物だったなって思うよ。本当の父親は別にいるのかもしれないけど、私にとってのパパはウィルフリッド・ブルブラックだけ」

 あ、これ、ダメかも。

「だから、あの日に泣いたのは間違いじゃないし、悪いことでもない。私は向こうの世界に戻っても皆にパパの名前を言うよ。パパも自信を持っておばあちゃんの息子を名乗ってね」

「……ちょっと、待って。……それ以上は――」

「最後にぎゅってして欲しいな」

 俺はリファと同じように泣き顔を隠すように、リムラシーヌを抱きしめた。

 涙を流したのはいつ以来だ。
 リューテシア以外に見せたことないのに。

「お待たせ、リム」

「待ったよ、シーヌ」

 最後に鏡に手を置いたリムラシーヌが人格を入れ替えながら対話を始めた。

 俺たちは初めて見る光景に驚いたが、彼女たちにとっては十六年も続けた当たり前のことなのだろう。

「私がいなくても平気そう?」

「全然平気じゃないよ。一人ぼっちになるんだよ」

「一人じゃないよ。ずっと側にいるから」

「……こんな時、シーヌならどう思って、何から始めるのか。そうやって考えながら生きていくと思う」

「私もそうだよ。私たちは二人で一人だからね」

 最後の別れの会話が終わった時、ひょこっと顔を出したアーミィが手招きした。

「リムラシーヌちゃん、こっち来て。これに向かって最っ高の笑顔を見せてください」

 アーミィが持っていたのは木製の枠。サイズ的には写真立てのサイズだ。

「はい、チーズ!」

 懐かしい掛け声にリムラシーヌが満面の笑みで応える。

「先生、これでもう私の魔術が欠陥だらけなんて言わせませんよ」

 手渡された木製の何かを家族で覗き込む。
 そこには、二人のリムラシーヌが写っていた。

 同じ顔なのに、雰囲気が全く異なる女の子。
 まるで一卵性双生児のような二人だ。

 アーミィが用意したのは木枠に水を溜めた謎の箱。
 その水面に映るのは俺たちがリム、シーヌと呼んでいる二人が寄り添っている光景だった。

「これ、私!? アーミィちゃん、ありがとう! 大好き!」

「あ、でも向こうの世界には持っていけないので、椎縫しいぬちゃんの手元には残せないんですけどね」

「大丈夫。思い出だけで十分だよ」

 やはり楽しい時間はあっという間に時間は過ぎる。
 もっと話したいのに、もっと触れ合いたいのに。

 俺とリューテシアと一緒に別室に移動したリムラシーヌは俺たちから離れ、劇薬デルタトキシンを手にした。

「いくよ、シーヌ」

「いつでもいいよ、リム」

「せーの」の掛け声と共にカプセルを口の中に放り込み、ごくんと飲み込む。

 やがて苦しみ始めたリムラシーヌを俺とリューテシアで抱き締め、俺たちの腕の中で動かなくなるのをじっと待った。

 呻くような声を必死に押し殺す我が子が動かなくなり、本当に息を吹き返すのか? と不安な気持ちが込み上げてくる。

 こういう時間は長い。

 リューテシアの震える手を握り返す俺の手も震えていた。

 やがて、リムラシーヌが薄く目を開けて、小さな声を漏らす。

「おはよう、リムラシーヌ」

「お父様、お母様」

「気分はどう?」

「ちょっと気持ち悪い。……シーヌは行ってしまいました」

 それだけを伝えてくれたリムラシーヌをサーナ先生とリファに任せて、人知れず崩れ落ちたリューテシアの背中をさすり続けた。
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