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1章

第20話 side:D1 紫月蝕赤

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 巨大な影がある。

  その影は空を仰いでいた。
 見えるのは大きな月だ。月だけだ。

 巨影の周りはゴツゴツとした無骨な岩で囲まれている。
 あるのは上空にポッカリと空いた穴。そしてそこから見える月。

 月は妖しく紫色に染まっていた。
 今日は風が強いのか、あっという間に雲に覆われる。
 そして月の光を失った巨影は漆黒に染まる。

『ふむ……どうしたものかな……』

 巨影は呟く。
 その声は岩肌に反射し重厚な声をより重々しく響かせている。

主人あるじよ。どうされたか』

 巨影に比べかなり小さいが声を発するものがあった。
 主人と呼ばれた影は答える。

『“蝕”の進行が早くなった』
『なッ!? 主人よ! どういうことでしょうか!?』

 小影は困惑した声をあげた。
 その声にはかなり緊迫した雰囲気が伺える。

『ユースよ、落ち着くのだ。現状では支障が出るほどのものではない。だが、ここ数百年無かったことではある。先の勇者の誕生を始め、何かが起ころうとしているのかもしれん』

『そ、そうですか。しかし一体何が……』

 主人の言葉にユースと呼ばれた者は一度安堵のため息を漏らし、その後表情を曇らせた。

『わからぬ。儂の【月見】にも映りが悪い。ただの衰えであれば良いが……恐らくは違うのであろう』

『主人の【月見】で見通せぬものなど……ッ!?』

 ユースは何かに思い当たったのか、言葉を止めそして緊張した気配を漂わせる。

『もしや……』

『その“もしや”じゃろうな。先ほども儂の予測と異なる波動をわずかに感知したところじゃ』

 ユースは一度視線を落とし思案しあんしていたが、主人の言葉を聞き視線を上げる。

『波動自体は弱々しいものじゃ。それこそ通常であれば気づかぬ程の、な。じゃが、明らかに異質なものじゃったから気になっての』

『新たな“特異点”ですか?』

 “特異点”
 それはこの世界、ルードベルにいては、吉兆と凶兆どちらにも転がる不安定なものであった。

『その可能性は高い。じゃが、今までに現界した“特異点”に比べるとこれも異常なほど弱い波動じゃ。現在は儂の感知にも引っかからぬ程に』

『……“特異点”の現出位置はどちらでしょうか?』

 主人はピクッと僅かに反応を示す。
 それはユースの言葉が意外だったのか、それ以外の反応だったのかはわからない。

『ふむ。行くのか? 既にそこには存在しておらぬかもしれんぞ? もしかすると消滅した可能性もある』
『無論です。少しでも不安要素があればそれを取り除く……それが我が役目。“特異点”により予想外の事態に陥った場合には、我のことは捨て置いていただければと存じ上げます』

 主人は少し考えた後、口を開く。

『……なれば、教えようぞ。ここより北東にあるあの島じゃ』
『かしこまりました。何かあれば報告をいれさせていただきます』
『うむ。十分に気をつけて行くのじゃぞ。こちらでもわかったことがあれば報せを出そう』

 軽く頭を下げ、ユースが下がった。
 その直後、強風が巻き起こる。
 そして風を切る音が聞こえた。

 主人は空を仰ぐ。
 僅かに漏れる月明かりの下、大きな影が翼を広げている。
 三度羽ばたいた後、風を切り北東へと飛び去った。

『……いるのじゃろ?』

 主人は視線を落とし、ゆっくりと後ろを見る。
 そこには何もない。
 いや、ボヤけた黒の中に僅かに光る何かがある。

 瞳だ。
 翠とそこから僅かに色彩を落とした蒼。
 パッと見では気づかない程度のオッドアイの瞳がある。
 明るいところでは瞳の違いに気付く者は少ないだろう。
 色が原因……というわけではない。

 答えは現れた者の姿だ。
 その人物の格好は極彩色ごくさいしきいろどられ、奇抜な異彩いさいを放つ意匠いしょうほどこした衣装をその身にまとっていた。
 加えて、特異な帽子を被り、瞳の周りには星と月を象った化粧が施されている。
 それ以外にも可笑しな点は多々あるが、一言でいえば道化師だ。

「おやおや……気づかれてしまいましたか」
『そら気付くワイ。そんな格好をしておればな』

 軽口ではないが、軽い口調の道化師に主人はそう軽口で返す。

「……またまた。相変わらず面白いことを返すお方だ。ワタクシの隠蔽を簡単に破れる程の方はそう多くはいないでしょうに」

 フフフと怪しく笑う道化師。それに対して主人は心底嫌そうな顔をしている。

『ハァ……嫌じゃのう。お主は苦手なんじゃよ。それで何の用じゃ』

「おや、そう言われるとワタクシもさすがに傷つきますよ」

 グスンと涙を掬う仕草を返す道化師に主人は更に深いため息を吐いた。
 その溜息を返事としたかのように道化師はパッと表情を変えた――

 巨影と道化師がやり取りを進める遥か上空。
 紫色の月。雲は晴れ、その色には赤い陰りが見え始めていた。
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