May

樫野 珠代

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side 琴未

3-1

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季節が薄桃色の季節になる頃、私のいる部署は大変な時期を迎える。
春といえば、新入社員。
新入社員が入れば、私の机の上にも彼らに関する書類が山積み。
それらの書類をまとめて、入社手続きをしなければならない。
やることも書類と同じく山積みで、最近は専ら残業の毎日。
明美も同じく仕事に追われ、声をかけて雑談なんて余裕すらない。
ここにいる誰もが皆、慌しく駆けずり回っていた。
私も同じように見えるんだろうな。
と、我に返る時がたまにある。
しかしすぐに仕事へと切り替える。
頭の中は仕事のことでいっぱいだった。
しかし、心の奥にはぽっかりと穴が開いたような物足りなさが残っていた。
これがなんなのか、今は考える暇がない。
ただ感じ取るだけに留まっている。
上司に手続きの為に外出する旨を言い、了解を得る。
時間を見れば、午前11時。
お昼は・・・外出先で食べるしかないか。
明美にお昼は一緒に食べれないとメモで渡す。
その足で早々に目的の場所へと向かった。


心地よい風。
暖かい日差し。
仄かに香る桜の匂い。
全てが優しく包んでくれる。
仕事の忙しさでイライラしていた自分が少しだけ落ち着きを取り戻す。
まずはハローワーク、そして社会保険事務所・・・。
電車をいくつか乗り継いで、一つ一つ回って行く。
やはりどこの会社もこの時期になるとやる事は変わりない。
ハローワークにはすでに人込みが出来ていて、カウンターが遠くに見える。
こりゃ、時間がかかるな・・・。
ほっと息を吐き、番号札を片手に邪魔にならないところで待つ事にした。
朝一でくればよかった。
今更だが、後悔の波が押し寄せる。
ちょうど待合席が一つ空き、ラッキーとばかりそこに座る。
まだ当分、呼ばれないだろうな。
暇を持て余し、携帯を取り出すと何気なくメール画面を表示させた。
誰かにメールしようかな。
と言っても、メール自体をあまりしない私が気軽にメールできる相手は一人しかいない。
明美、今仕事で目がギンギンに血走ってるだろうな。
その姿を想像して笑いを漏らした。
携帯はロッカーに置いてあるだろうから、彼女の仕事用のパソコンの方へ送ろう。
アドレスを探す為に電話帳を開いた。
彼女の名前を探そうと上から順に見る。
しかし彼女の名前を見つける前に、ある名前にふいに惹きつけられた。
壱也。
なぜ藤堂という名前で登録しなかったんだろう。
その前になぜ彼のアドレスを登録してしまったんだろう。
電話はもとより彼にメールなんて送ることなんてありえないのに。
見合いを断ってから1ヶ月が過ぎた。
もちろん、彼とはあれっきり会っていない。
もともと接点の全くない二人だから当然のことなんだけど。
彼が言った言葉が今でも胸に響いている。
『こうやって会うのも今日が最後だ。』
彼はそう言った。
その通りになったというだけの話。
何も気にかけるようなことではない。
だけどあの時、なぜか胸が締め付けられた。
それからの会話は記憶にない。
話をしたのかも覚えていない。
ただ残り少ない時間を惜しんでいた。
家の前で彼と別れる時、私は一体どんな顔をしていたのだろう。
最後になんと言って別れたのだろう。
彼は最後に何か言ったのだろうか。
それすらも覚えていなかった。
何をやってるんだか。
記憶力がそんなにも落ちているのかしら。
自分の不甲斐なさが悔やまれる。
はぁっと重い溜息を吐き、再び携帯の画面へ気持ちを向けた。
-明美、頑張ってる?今、ハローワークにいる所。まだまだかかりそうなんだ。会社に戻るのは遅くなりそう。課長にも言っといて。
送信。
さて、これでのんびりと出来る。
上司に一言言っていれば、後でお小言を言われることもない。
本当は直接電話した方がいいんだけどね。
明美がメールに気付かなかったら終わりだけど。


ハローワークでの手続きが終わったのは午後1時過ぎだった。
ずっと座っていたせいか、体がだるい。
深呼吸をして、思いっきり背筋を伸ばした。
「はぁー、気持ちいい。」
午後の陽だまりの中、次の目的地へと向かう。
途中で昼食にしようかな。
電車に乗り、最寄り駅で降りると目ぼしい店を探した。
「んー・・・あんまりないなぁ。」
周りはオフィスビルだらけで店らしい店はなく、ちょっとしたカフェくらいだった。
カフェでもいいんだけど・・・イマイチ気が乗らない。
「先に手続きを終わらせてからにしようかな。」
独り言をつぶつぶと呟きながら、社会保険事務所を目指す。
しかしそこに辿り着いたとたん、頭を抱えてしまった。
やはりここも多いよね・・・。
同じ手続きをしているのだから、どの会社も行く所は一緒なわけで。
結局、ここでも時間を取られ、建物を後にしたのはそれから1時間後だった。
ゆっくりと歩道を歩きながら、空きすぎたお腹を擦る。
うう・・・何か食べたいよー。
もうどこでもいいや、どこか入ろう。
そう思った瞬間、目の前数十メートル先に見知った顔を発見した。
スーツをビシッと着こなし、颯爽と歩きながら車へと向かっているようだった。
彼の隣りには、スレンダーな女性がいた。
大人の女性、その言葉がとても似合う人だった。
彼は車のドアに手を伸ばした。
しかし開けたのは運転席。
レディファーストじゃないの?
そう思いながら、自然と目が彼を追いかけていた。
ちょうど彼が車に乗り込もうとした瞬間、こちらに視線を向けた。
やばっ!
慌てて目を逸らし、方向転換してその場から離れる。
その間心臓はバクバクして足ももつれそうになったが、なんとか踏ん張り、どうか気付いていませんようにと心の中で願っていた。
別に逃げることはない。
だけど体が彼から遠ざかることを選んだ。
早く、早く。
両足へと指示を出す。
そしてビルの谷間へと逸れて、彼のいる場所から見えない位置に行き、そこで立ち止まるとほぅっと息を吐いた。
汗がじわりと体にまとわりつく。
いい運動になったわ。
息を整え、ビルの谷間からそっと彼のいた場所を確認した。
どうか居ませんように・・・。
慎重に辺りを見回した。
すでに彼は車ごと消えていた。
ほっ。
よかった、気付かなかったみたい。
それにしてもあの女の人も一緒に乗ったのかなぁ。
とても絵になる二人だった。
「・・・っ・・・。」
胸の奥に鈍い痛みが走り、思わず顔を歪める。
次第に、胸に広がるモヤモヤ。

これって・・・。
さすがに私でも理解できた。
理解は出来たけど、受け入れられない事だった。

私はあの女性に嫉妬したんだ。
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