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本編
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しおりを挟む何が望みなのか
金か
快楽か
それとも・・・
その時の俺には当然知る術がなかった
リビングのほぼ中心で立ちすくむ彼女をリビングに置いて、俺は荷物を置きに別の部屋へと行った。
心なしが動悸が早い。
落ち着かなければ。
そう思って深呼吸をした。
意を決してリビングへ戻ると、来た時のまま立ちすくんでいる彼女がいた。
今、彼女は何を考えているのだろう。
俺を落とす方法?
それとも金を巻き上げる手立て?
いずれにしても俺は騙されない。
敢えて声もかけずに壁に身体を預け、じっと彼女を見つめながらそんな事を考えていた。
俺の気配にようやく気付いたのか、美月が振り返った。
視線が絡み、どことなく彼女の表情は強張っている。
沈黙に耐えられなくなったのか彼女が先に口を開いた。
「話って・・・。」
所在なさげな弱々しい声が聞こえてきた瞬間、俺の身体が僅かに震えた。
懐かしい声。
彼女の、とても親しみのある声で、10年ぶりにその声を耳にした。
けれど、その内容はとても淡泊ですぐにでも会話を終わらせたいような、そんな内容のもので思わず訊き返したくなった。
「お・・・。」
俺とそんなに会話したくない?
そう言おうとしたけれど、それよりも先に彼女がそれを遮ってくれた。
「待って。」
そう言ってゆっくりと呼吸を整える彼女を見据えていると、
「ごめん。」
彼女がいきなり謝ってきた。
なんだ、この展開は。
何か企んでるのか?
そう思わずにはいられない。
「10年前の事。空にひどい事言ったし、最低のことをしたと思ってる。空を傷つけて、そのまま私はそこから逃げだした。あの後、すごく後悔した。ずっと忘れられなくて・・・。でも今更会う勇気もなくて・・・確かめる術もなくて。」
彼女の話を聞きながら、ふいに中川さんの言葉を思い出していた。
『彼女は連絡してきた?あなたに謝ってきた?好意を持ってると知った上でその気持ちをズタズタにしていったんだから謝るのは当然でしょう?あなたの言うような人間なら傷つけた事に気付いて、すぐにでも謝ってるはずよ。』
中川さんの言うとおりだ。
あの時、傷つけたとわかっていたのならいつでも彼女は俺に会おうとしたはず。
でも実際はそれとは異なった。
こうして10年間なんの連絡もないまま時間だけが流れている状態だ。
そう思えた瞬間から彼女の言葉がとてもわざとらしく聞こえた。
「それで?」
「今更、謝ったとしても過去は変えられないけど、でもどうしても会ってきちんと謝りたくて。」
その言葉に思わず、笑ってしまった。
だってそうだろう?
聞けば聞くほど、自己中心的な内容で。
結局、美月は自分が可愛くて仕方なかったんだ。
傷つくのが怖くて、俺に会おうとはしなかった。
俺が今までどれほど苦しんだのかなんて考えもしないんだ。
「ねぇ、美月。あの後、俺がどうしてたか考えた事ある?」
「え・・・。」
美月はどういう意味?と言いたげな顔で俺を見上げてきた。
それだよ、美月。
君は残酷だよ。
「そもそもあの日だけに限らず、知り合ってからずっと俺の気持ちなんて考えた事もなかったよな。」
ほんの少しでも俺の事を考えてくれてたのなら・・・
けれどそんな思いも所詮、夢物語だ。
そうだろ?美月。
「そんなことない!」
思わず声を荒げる美月を冷ややかに見つめた。
ずっと考えてた。
どうして俺と会うことにしたのだろう。
なぜ今頃、彼女は謝るのだろう。
次々と沸き上がる疑問に対して浮かんでくる結果はいつも同じであのファイル。
そこに書かれていた事が鮮明に頭に浮かび上がる。
さらに中川さんの言葉が決定的だった。
『女は計算高い生き物よ。』
そうかもしれない。
葵として生きてきたこの数年、それを実証するような女性を何人も見てきた。
全てというわけではないけれど、でも少なくはない。
そして彼女またその中の一人にカウントされるのかもしれない。
騙されるな。
もう一人の俺がそう訴える。
それに心の中で頷きながら、詰め寄る美月を軽く流して本題に入った。
「ま、いいや。そろそろ俺の方の話を聞いてよ。と言っても一つだけ言っておきたくて。」
現実を教えてあげる。
誰もが美月や兄貴の思い通りにならないってことを。
「俺との過去は全部忘れてくれ。あと今後一切、俺の事を誰にも話さないで欲しい。」
抑揚のない声だと自分でも思う。
敢えてそういう風に言った。
彼女を突き放す意味を込めて。
俺のそんな声と言葉を聞いて、
「別に私は誰にも・・・・。」
言い淀む美月の声をかき消すように続ける。
「念の為だよ。あの日、美月から俺とはもう関わらないって宣言してくれたし、俺がわざわざ口止めすることはないって思ってるけど、事務所にもその辺はきつく言われてるから。今が一番の稼ぎ時だからってさ。今までもそのことで兄貴に・・・ってこれは美月に関係ないな、とにかく話はそれだけ。」
そう言って無理やり話を終わらせると彼女の反論を聞く気もなくて、平静を装ったままキッチンへと向かった。
けれど内心はヒヤヒヤしていた。
危うく兄貴の話をするところだったから。
ここで出す必要のない名前だ。
暫く言葉も出なかった彼女がようやく我に返ったのか、俺に話を振ってきた。
「ねぇ、空。それだけじゃないでしょ?そうじゃなきゃ、わざわざここに私を連れて来ないはずだもの。他に何かあったんじゃないの?」
縋りつくような、訴えるような声で彼女が俺の名を呼んだ。
それには自然と身体が反応してしまう。
深い意味に取られない様に今までの動作を再開しながら、
「ここが一番安全だから連れてきた。ただそれだけ。他の場所だと誰に聞かれてるかわからないからな。」
「そんなに周りが気になるなら、会う必要もなかったはずだわ。それをわざわざ危険を冒してまで・・・。」
なおも彼女は食い下がってくる。
いい加減にしてくれと言いたくなった。
それが結果的に言葉として出てしまった。
「言う気がなくなった。これで満足?」
きっぱりと言い切り、準備の出来た飲み物を両手に持ち、その片方を彼女に差し出す。
そのまま俺はソファへと座った。
敢えて彼女を促すような事はしない。
変に期待を持たせたくなかったから。
彼女は無言で俺の言葉を待っているようだった。
先程の俺の回答には納得してないみたいで、ずっと立ったまま俺を見てる。
仕方なく、言葉を付け足すことにした。
「本当は色々言いたい事があったさ。10年間ずっと俺の中にあったものを全部ぶちまけてやるって決めてた。・・・・・・・・・けど、さっきの美月を見て、言う気が失せた。なんか馬鹿らしく思えてさ。だってそうだろ?結局、美月は自分の事だけで、俺の事なんてこれっぽっちも考えちゃいないんだ。今も、今までも。」
そう。
本当に馬鹿みたいに思えた。
最初から美月にとって俺は何もかもが蚊帳の外だったんだ。
俺が何をしようが、どう思おうが、美月には痛くも痒くもない。
そんな存在だった。
「違う!そんなことない!私はっ!」
「もういいよ。今更だし。それよりさ、最後に軽く飯でも食べないか?何かデリバリーしてもらおう。」
そう言って話を終わらせようとしてるのに、彼女はまだ諦めない。
「ちょっと待ってよ。まだ話は終わってない。」
「終わったよ、俺は。」
「私はまだ終わってない!ねぇ空、あの時のことが空をずっと苦しめてたんでしょ?だったら私にそれをぶつけてよ。何を言われてもいい。私、それを受け入れる覚悟は出来てる。今日はその為にきたの。空の気が済むまで全部ぶつけて!」
「今更何を?言っただろ?俺の話は終わったんだ。何も言う事もないし、言う気だってない。」
言ったところで何も変わらないんだ。
だったら無駄な労力は使わなくていいだろ?
そう思う俺に、
「嘘!さっき言ったじゃない!俺のことなんかこれっぽっちも考えちゃいないって。私に考えてほしかったんでしょ?だったらそれを言えばいいじゃない!大人ぶってないで、本音をぶつけてよ!」
彼女はなおも食い下がる。
けれど俺だってそこまで暇じゃない。
さっさと終わりにしたいんだ。
「だから本音はさっき言った通りだよ。全て終わったって。だから・・・・・・美月と会うのも本当に今日で最後。だからさ、最後の晩餐じゃないけど、軽く何か食べようぜ。」
本当は食欲なんてなかった。
だけど、彼女はきっと一緒に食事をするつもりでいただろう。
それを汲んで声をかけた。
なのに、
「っ・・・・悪いけど帰る。」
そう言うと彼女は身体を翻し、鞄を手に取ると玄関まで足早に向かう。
別に止める理由もなく、彼女の後に続いた。
靴を履く彼女をじっと見ながら、ふと脳裏に中3の『あの日』の事が蘇ってきた。
あの時と立場が逆になったな・・・
あの時は俺が必死に彼女に縋りついて、でも彼女は俺を突き放し拒絶した。
今と本当に真逆だ。
そんな事を考えていた俺の耳に、彼女の声が響いてきた。
「空、傷つけてごめん。・・・・・・・遠くから空の事、応援してる。じゃあ、体に気をつけてね。」
その瞬間の自分の行動がわからない。
だけど、身体が勝手に動いていた。
気が付いた時には彼女の腕を掴み、そのまま玄関の壁に彼女を押しつけていて。
そんな自分に驚きながらも、すぐに冷静になり、この状況を言い繕えるだけの理由を探していた。
それはすぐに見つかって、俺は葵らしい一言を彼女に突き付けた。
「どう?今の気分は。」
「え?」
「いくら言っても相手にされず、挙句に突き放されて。少なくともあの俺は今の美月と同じ気持ちだった。いや、好きだった相手のぶん、それ以上だった。」
「そ・・ら・・・。」
目を見開いて、彼女は俺を見つめる。
彼女の瞳の中に俺がいた。
どくん。
俺の中に眠っていた感情が目を覚ます。
ヤバイ。
頭の中で危険信号が鳴り響く。
これ以上、彼女と向き合うのは危険だ。
昔の自分を呼び起こしてしまう。
それに気付くとすぐに、でも不自然にならないように彼女から離れ、顔を背けた。
そして、
「じゃ、元気で。」
全てを振り払うようにその言葉だけを告げると、『葵』の生活へと戻るべくリビングへと向かった。
しかし、
「何でもする!」
そう叫ぶ彼女の声が俺の足を止めさせた。
「空の傷が癒えるまで私、どんなことでもする!」
なんだよ、それ。
意味がわからない。
俺の傷が癒えるまで?
それこそ本当に今さらだよ。
だいたい何をしてくれるって言うんだ。
どうしたら傷が癒えるのか知ってるっていうのか?
「・・・・・・何ができるの?」
美月の顔を見ることなく問う。
見てしまったら、冷静でいられなくなりそうだから。
「美月に何ができるっていうんだよ。」
「それは。」
言葉が見つからないのか、彼女の言葉は続かない。
「適当なこと言うなよ。そう言うのが余計に苛立つって事わからない?」
「ご、ごめ・・・」
「謝るんなら最初から言うなよ。」
「・・・・っ・・・そうだよね。」
一体、なんなんだよ。
何がしたいんだよ。
俺も俺だ。
さっさと追い出せばいいんだ。
もう過去の人間だろ?
決別するって決めたじゃないか。
なのに・・・・・・なんで出来ないんだよ。
手をギュッと握りしめ、唇も血が出そうな程きつく噛みしめた。
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彼女を信じるための要素が今の俺にはないから。
だから・・・・・・
本当の賭けをしよう。
もし、俺の誘いに乗らなければそれだけで十分だ。
彼女を信じてみよう。
彼女の言葉も行動も。
全部、彼女の本当の気持ちだと。
もし俺の誘いに乗ってきたら・・・
その時は、容赦しない。
覚悟を決めて俺は口を開く。
心のどこかで拒絶してほしいと願いながら。
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