睡蓮

樫野 珠代

文字の大きさ
上 下
18 / 23
本編

18

しおりを挟む





次の日、帰りのバスに乗り込む時、益子さんに謝られた。
いきなりだったので驚きながらも大丈夫だという言葉は返して帰路についた。
実際に困ったのは課長との事を除けば数時間だけで、部屋も別々になったおかげで気を張らずに済んだのは正直有り難かった。
そうして色々な思いをした旅行も終わりを告げ、ほっとする間もなく月曜日はやってきた。

午前中は先週中に頼まれた仕事に加え、朝一で頼まれた仕事もあり慌ただしく時間は過ぎていった。
気が付けばお昼、という状況で昼休憩を知らせる鐘が鳴る。
周りは徐々にフロアから出ていくのを仕事をしながら感じていた。
すると、
「樋野さん。」
いつも後ろから別の人物へと聞こえる呼び声が今日は自分へと向けられていることにワンテンポ遅れて気付き、
「は、はい!」
急いで返事をして立ち上がりながら振り返る。
すぐ後ろに立っていた北川さんはにっこりと笑顔を浮かべ、私の腕を取った。
「社食に行きましょ?連れに座席は取らせてるから安心して。さぁ、行くわよ!」
そう言ってグイグイと腕を引っ張っていく。
「あ、あの!」
「あ、ついでに日替わりも頼んで貰ってるから。もちろん連れの奢りよ、安心して。」
「い、いえ!仕事が・・・。」
「仕事効率を上げるには適度な休憩は必要よ!集中力なんてそんなに続かないんだから。それに元総務の先輩の誘いを断るつもり?」
その言葉に少し驚いた。
まさか配属されてわずかしかいなかった私の事を覚えているなんて思ってもみなかったからだ。
それでも慣れない人とのランチに二の足を踏む。
「い、いえ。でもお邪魔に・・・。」
「私が誘ってるのに邪魔なわけないじゃない。」
その後もお断りの為の言葉をことごとく断ち切られ、現在、社食の窓際の席に座らされている。
社食を利用するのはこれで二度目だ。
一度目は興味を持って利用したが、人の多さと席の確保の難しさにもう二度と利用はしないだろうなと自分では思っていた。
けれど・・・
相変わらず人は多い社食の、しかも窓際席。
忙しい人ならば出入り口近くを確保するだろうが、ざっと見ただけでも窓際は女性層に人気らしく大部分を占めている。
その中で座らされている現状に少し疲弊していた。
「さすが和田君ね、頼りになるわー。」
「実際にこの席を確保したのはコイツだけどな。」
そう言って和田さんは隣りに座る住田さんをチラリとみる。
「スゴイっしょ!俺、全力出しましたから。なんてったって樋野ちゃんとランチ♪あー、嬉しくて何も喉を通らないっす!」
「じゃあ、私がそれ食べてあげるわ。」
北川さんはそう言って住田さんの日替わりを取ろうとする。
けれど、それに気づいた住田さんが慌てて死守。
「これは俺のです!北川さん、自分の分あるでしょ、取らないでください!」
「何も喉を通らないって言ったのはあなたよ。残すのは勿体ないじゃない。」
「そ、それは言葉のアヤです!」
「あっそ。で?旅行は随分楽しかったみたいね?あー、私も行きたかったわー。なんでよりによって昨日、顔合わせなんてあるのよー。」
「顔合わせ?北川、見合いでもしたのか?」
「ふ、冗談でしょ。なんで私が見合いしなきゃいけないのよ。妹よ。結婚に向けての両家の顔合わせ。ってそんなのはどうでもいいのよ。で?イタ子ちゃん事件の話、聞かせてよ。」
含みのある笑みを浮かべて北川さんがグイッと顔を前に突き出す。
「イタ子?何ですか、それ。」
住田は首を傾げて訊き返した。
「うちにいるでしょ、オツムのイタイ子が。今回の旅行でイタ子がまたやらかしたんでしょ?あー、見たかったわー。」
北川さんに言い方はまるで全て知ってるような物言いだった。
なんで知ってるんだろう。
昨日の帰りのバスでも、今朝だって誰も何も言わなかった。
そもそもあの事を知ってるのは私と課長だけではなかったのだろうか。
私は誰にも話してはいない。
益子さんだって態々言ったりしないだろう、もちろん課長も然り。
ひょっとして他にもいたのだろうか。
まさか旅行に参加していた人達全員知っていたのだろうか。
その上で触れないでいてくれたのだろうか。
そんな考えが次々と浮かんでいく。
その間も目の前では話が先に進んでいる。
「なんだ、それは。住田、おまえ何か知ってるか?」
「あ、いや、その、わかんないっすね!ははっ・・・は・・・。」
「おまえ、わかりやすすぎ。」
明らかに挙動不審な言動をする住田さんに和田さんは溜息を吐いた。
その言葉で住田さんはがっくりと肩を落とす。
そしてそれを見て私も住田さんが少なくとも益子さんとの事を知っているのだと確信した。
「ほら、さっさと吐いて楽になりなさい。何があったのよ。」
「課長に止められてるんで言えないっすよー。」
「あれ?北川は知ってるんじゃないのか?」
「私?知るわけないじゃない。参加してないんだもの。」
「いや、でもさっき自分でイタ子事件って・・・。」
「あんなの、カマ掛けたに決まってるでしょ。朝の住田君とイタ子の余所余所しい空気を見て不審に思ってたら、住田君、やけに樋野さんの事チラチラ見てたでしょ?あ、見てるのはいつもの事かしら。でもいつもと違う感じがしたのよねー。こりゃ、なんかあったんだなってピーンときたわけ。」
「は、はは・・・なんかスゲーっす。」
「おまえは探偵かよ。」
「なんとでも言って。こっちはイタ子のせいでストレスゲージが振り切れそうでイライラしてるんだから。なんで私がイタ子に教えを乞わなきゃいけないのよ。ミスの仕方を教えられてるようなもんじゃない。」
「まあまあ。課長には考えがあってそうしたんだと思うぞ。」
「それはわかってるわよ。でも期限を決めてもらわないと私だって我慢の限界よ。」
「我慢しなきゃいけないのか?課長が我慢してくれって言ったのか?」
「え?」
「そうじゃないなら別にいいんじゃねーか?好きにやって。むしろ課長はそれが狙いなのかもよ?おまえらしく仕事をして欲しいんじゃないか?総務の頃のおまえを見て課長はおまえを選んだんだろうし。つまり、おまえに期待してるのは『絶対零度の北川』なんじゃないか?」
「和田君・・・。」
唖然として北川さんは和田さんを見つめていたが、暫くすると
「ふ、ふふ・・・そう、そうよね。私が我慢する必要ないのよね、ふふふ。」
堪えきれないほどの不敵な笑みを浮かべて北川さんは急に目の前のランチを我武者羅に食べ始めた。
そして僅か数分で箸を置き、
「じゃ、私は先に戻るわね。あなたたちも早く午後の準備をしなさいよ。」
そう言って食器の乗るプレートを持ち、足早に立ち去っていった。
「和田さん・・・俺、なんか嫌な予感しかしないっすよ。」
「・・・悪い。発破かけすぎたか。住田、覚悟しとけ。」
「え?俺??なんで!?」
「おまえにも被害・・・いや班が違うから大丈夫だろう、たぶん。さ、俺らも食べようぜ。」
「わ、和田さーん!俺、なんか怖いっす!」
「いいから食べろ。」
「う・・・食欲が急に・・・。」
胃の辺りを押さえ、住田さんの元気が消えた。
それを完全に無視して和田さんはこちらへと視線を向けた。
「樋野ちゃんも我慢はしないほうがいいぞ。何かあれば遠慮なく俺ら先輩達を頼っていいから。約1名頼りにならないヤツもいるけど、話を聞く事くらいは出来るだろうし。俺達も先輩に相談したりしながら少しずつ実績を積んでいるんだよ。話すのが苦手ならメールでも何でも方法はあるだろ?俺達じゃなくても早見でもいい。きっと先輩として経験してきた中でアドバイスを貰えるはずだから。」
そう言って微笑む和田さんはしっかりと私の苦手意識を把握しているらしく、その上でアドバイスをくれている。
心が温かくなるのを感じると同時に、きちんと同じ部署で働いている一員として見てくれている事に喜びを覚えた。
だからこちらも出来るだけ笑顔で返そう、そう思って
「はい。」
短い返事だけれど、それでも和田さんには伝わったらしく、頷いてランチを再開させた。
私も目の前のプレートへと視線を移し、箸を動かした。
住田さんは暗い表情のまま、箸が進んでいなかったけれど。


社食から戻ると、課のフロアは人が少なく静かなもので人の声がやけにはっきりと聞こえる。
その中に北川さんが含まれていて、ちょうど昼休憩から戻ってきた益子さんに話しかけている所だった。
「益子さん、これ訂正して。あと、こっちはやり直し。」
「え?でもこれさっき・・・。」
「やり直し。」
「・・・はい。」
「ああ、それから会議室の準備、出来てる?課長に頼まれてたでしょ?」
「あ!」
「もうすぐお客様が来るから、急いでやった方がいいと思うけど。」
「え!?」
北川さんの言葉の直後、すぐに走り去る音がフロアに響いた。
そうして暫くした後、益子さんが戻ってくると北川さんは座ったまま益子さんへと体の向きを変えて言い放った。
「これからは遠慮なくいくから覚悟して。」
「北川さん?」
「私、半端な事が嫌いなの。もちろん半端な人もね。やるからには完璧にやってくれる?間違っても私の足を引っ張るような事をしないでね。」
そう言うと益子さんの反応を見ることなく仕事を再開していた。
そして、それらの様子は仕事を始めようとしていたフロア全員がしっかりと記憶する事になった。



 



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

最愛の人は11歳年下でした

詩織
恋愛
夫の浮気で6年の結婚生活を終えた真莉。手に職もなくそれでもとりあえず働くしかない!見つけたのは居酒屋のキッチン担当。そこで知り合ったバイトの青年は休憩中はスマホばかり見て話もあまりしない。でもこんなことになるなんて想像もしてなかった

このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。

若松だんご
恋愛
 「リリー。アナタ、結婚なさい」  それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。  まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。  お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。  わたしのあこがれの騎士さま。  だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!  「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」  そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。  「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」  なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。  あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!  わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈 
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

処理中です...