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本編
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しおりを挟む旅行当日、バス1台を使い観光地をいくつか周って夕方には宿へと向かった。
意外にも参加者は3分の2程集まり、係長をはじめ、家族連れの人もいて最初はどこかぎこちなかった空気も宿に着くころには賑やかなものになっていた。
あくまで私以外は。
車中では住田さんが何かと話しかけてくれて、一緒に飲み物などを配ったりしながら時間を費やして緊張を誤魔化すことが出来たが、一番の問題はこれからだという事。
重い足取りでロビーへと向かうと既にフロントで全員分の鍵を受け取った住田さんが一つずつ鍵を配っていた。
当然、女性は一つの部屋にまとめられるのだが、今回、北川さんが不参加のため、益子さんと二人きりとなる。
私達以外にも同室に人がいるのならば、または何かする事があるならば少しは楽なのだけれど、マンツーマンは正直辛い。
ただでさえ、人付き合いが苦手なだけに。
この旅行でも益子さんは営業さん達とずっと一緒にいて会話をしていないし、それ以前に益子さんとは班がわかれてからあまり話す機会がなくなり、今まで以上に距離感がつかめなくなってしまっていた。
以前の仕事見直しの事も要因の一つだとは思う。
重い溜息を吐いた時、視線の先に住田さんが益子さんに鍵を渡している姿があった。
ゆっくりとその方向へ歩いていくと、益子さんが振り返ってきた。
「あ、樋野さん。私達305号室だって。行こう。」
「はい。」
返事を聞くと同時に益子さんは歩き始め、その後に続き、置いていかれないように足を動かした。
「ど、どうしよう。」
部屋から慌てて出てそのまま走り出して、気付いたらロビーの前のラウンジまで来ていた。
動揺してとにかくあの場所から離れたくて、それ以外は考えられず無我夢中だった。
温泉に入った後にさらに走ったせいで、全身は汗まみれだ。
せっかく備え付けの浴衣を着て、気分が上がっていたのに。
少し落ち着いてきて周りが見えてくる。
ラウンジはほとんど人がいないおかげで、ロビーにいるスタッフからは丸見えで悪目立ちしている気がする。
とりあえず場所を移動しよう。
そう思って数少ない、時間を潰せそうな場所を頭に浮かべた。
大浴場を出た所に休憩スペースがあったはず、あそこなら暫くいても変に思われないだろう。
そこでこれからの事を考えなければ。
足早にラウンジを後にして、目的の場所へとエレベーターに乗り込む。
大浴場は最上階にあり、迷いなくボタンを押す。
上昇していたエレベーターは途中の階で人を乗せるために停止して扉を開ける。
そこにいたのは課長だった。
「お、樋野も風呂に行くのか?」
一瞬、お互いに驚いた顔をしたがすぐに課長は笑顔を向けてきてそう訊いてきた。
「えっと、ちょっと休憩スペースに用があって。」
「・・・そうか。」
課長はそれ以上訊かず、エレベーターの扉が静かに閉まり、最上階へと上昇していく。
沈黙が辛い。
何か話すべきだろうか。
けれど何を話せばいいのかわからない。
こういう時、皆はスラスラと会話が出来るのだろう。
けれど私には無理だ。
そんな高等技術は持ち合わせていない。
色々考えているうちにエレベーターは最上階へ到着した。
課長に促され、先にそのハコから出る。
ちょうど目の前に休憩スペースがあり、誰でも気兼ねなく使えるように間口は広々と取られていて扉はなく開放的な設計になっている。
「じゃあな。」
軽く手を上げ課長は右側にある男性浴場へと歩いていった。
それを見送ってから、そっと目の前の空間へ入っていく。
中はかなり広く、小さなテーブルとチェアの組み合わせが何組も並べられていて、チェアは足も伸ばせるような長い造りのものだった。
前面はガラス張りでもし日中ならば壮大な景色が見えたことだろう。
チェアもそれを狙ってガラス張りの方を向いている。
リラックス効果を出すように間接照明でやや暗めの室内で、数人の人達がそこで寛いでいた。
静かにその一番後ろの席へと移動して座る。
ようやく落ち着く場所に来れた。
そのせいで頭の中に先ほどの光景が呼び戻される。
ほんの少し前までは、何事もなく平穏に時間が過ぎていっていた。
割り振られた和室に入って間もなく、益子さんはお風呂に行って一人の時間が過ごせて。
その後、大広間で全員が夕食を取り、そして部屋へ戻って私はお風呂へ行った。
益子さんは部屋でのんびりとすると言って残り、私は宿自慢の温泉に浸かり、ゆっくりとそこで過ごした。
浴場から出てパウダールームで時間を潰してゆっくりと部屋へ戻る。
それは最初から決めていたことで、なるべく二人きりという状況を避けるためだった。
それがいけなかったのだろうか。
部屋の前で扉を開けた瞬間、気付いた。
そこにいるのが益子さん1人ではないということに。
宿のスリッパが最初からあった益子さんの分以外にもう1組そこにあったからだ。
誰だろうと思って一歩踏み出した瞬間、聞こえてきた声。
「っあぁ・・・も・・・。」
「まだ、イけるだろ?ほら、ここは全然満足してない、し・・・っく、やってくれる、ねっ・・・。」
「やだ・・・激し・・・い・・あぁ!」
襖を隔てたその先で何が起きているのか、どういう状況なのかハッキリと認識した瞬間、飛び出していた。
はあっと、何度目かわからない溜息が漏れる。
戻らないといけない。
それはわかっている。
荷物はそのまま部屋に置いてあるし、他に行くあてなどないから。
けれど、どういう顔をして良いのか。
もしまだ男性があの部屋にいたとしたら?
鉢合わせほど気まずいものはないし、そのまま部屋を出ていってくれる保証もない。
何より先ほどの淫らな行為が行われていたあの空間で朝までいなければいけないのかと思うととてもじゃないが無理だった。
でもどうすることもできない。
どうしろと言うのだろう。
誰か教えて欲しい。
頭を抱えていたら、
「まだいたのか。」
小さな声がすぐ近くで聞こえてきてびっくりした。
がばっと顔を上げると、浴衣姿の課長が髪を濡らしたまま、そこに立っていた。
思っている以上に時間が経っていたのかもしれない。
「何かあったのか?あれからずっといたんだろう?」
そう言って隣りの席に座ってきた。
思わず体が強張る。
「その・・・一人になりたくて。」
それしか答えられない。
他にどういえばいいのかなんて考えつかない。
私のその言葉を暫く考えて、
「樋野、もう一度風呂に入ってこい。」
「え?」
「いくら空調が効いてるとはいえ、そんなに薄着でしかも風呂に入った後だったんだろ?湯冷めして風邪を引かれても困る。」
「だ、大丈夫です。全然寒くないし、それに・・・。」
「これは上司命令だ。ほら、立って。」
そう言って腕を掴まれ、立たされた。
そのまま女性浴場の前まで連れていかれ、背中を押される。
「ゆっくり湯に浸かってこい。温まるまで出てくるんじゃないぞ。」
そう言って顎で先を促され、仕方なく扉を開けて中に入った。
でも、良かったのかもしれない。
あのままあそこにいても何の解決にもならないし、それにタオル類はまだ手に持ったままだ。
少し濡れてはいるが、どうせ濡れるものだし。
それに課長と階下へ行くとなると部屋の前まで一緒になる可能性がある。
そうなると部屋へ戻る事が強制的になって、さらに自分の状況が悪くなる可能性があったから。
とりあえずその場しのぎにもなると言い聞かせ、脱衣スペースへ向かった。
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