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もう一つの器編
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しおりを挟む気がつくとディーレインは森の中にいた。
辺りはまだ暗く、夜が明けていないことがわかる。
流れゆく木々の隙間から星が煌めいているのを見ていた。
こんな状況でなければ、この星に綺麗だと感動する心の余裕もあったのだろうか。
そんなことを考えつつ、疲れ切った体を起こしているのが億劫でディーレインは広い背中に頭を預けた。
そう、彼は今運ばれているのだ。
誰かにおぶわれて。
はじめ、それはビアルカ族の誰かなのだろうとディーレインは思った。
あの赤髪の男に負け、気を失ったまま自分は捕まったのだと。
しかし、すぐにそうではないと気づく。
ディーレインの手足は縛られていなかった。
普通、捕虜を移送するのならば逃げないように手足を縛るだろう。
移送手段がおんぶというのも違和感がある。
その広い背中から自分を背負っているのが男だということはわかるが、ディーレインの位置からでは横顔しか見えない。
その横顔も森の中の月の光が届かぬ場所では誰のものかは判別できなかった。
しかし、その背中には懐かしさとホッとする何かがあった。
男は手負いなのか、足を引き摺りながら走っている。
ディーレインのことを庇っているのか、体を揺らさないように気遣っている様子だ。
一心不乱に走る彼。その背中に乗りながらディーレインは声も発さず身を任せていた。
なぜか落ち着くのだ。
こんな状況だというのに、心が休まるような気がした。
しばらくすると、男とディーレインは森を抜けた。
月は雲に隠れてしまったようで、男の顔はまだ見えない。
その頃には男は肩で息をするようになり、とても苦しそうだった。
それでもディーレインは声をかけられなかった。
あなたは誰なの、どこへ向かっているの、と聞きたいことはいくつもあったのに一心不乱に走る男に何と声をかけていいのかわからなかったのだ。
やがて男は走るのをやめた。
たどり着いたのは島の海岸である。
そこは潮の流れが速く、船も滅多には近寄らない場所だった。
雲が晴れ、月明かりが二人を照らす。
「ジルメール……」
明かりに照らされた男の顔を見てディーレインが呟く。
ようやく判明した男の正体はディーレインのよく知る者であった。
戦斧のジルメール。父であるシーライが信頼を寄せるシドルト族の魔法使いである。
身体強化の魔法と風の魔法を得意とし、戦では多大な貢献を上げる八魔部隊の一人でもあった。
ディーレインも幼少期に何度か子守をしてもらったことがある。
「おや、若。お目覚めでしたか。すいません、逃げるのに必死で気付きませんで」
ジルメールは力尽きたのかディーレインを背中から下ろすと膝をついた。
肩や胸、至る所に傷があり血を流している。
そんな状況でディーレインを背負い森を抜けて来たのだから疲弊もするだろう。
「ジルメール、父さんが……母さんが……」
ディーレインは瞳から涙を流し、ジルメールは顔を背けた。
どうやら、族長とその奥方が殺されてしまったことを知っているらしい。
「それに、皆も……ファナもいなんだ」
先程の魔力の覚醒の時とは打って変わり、子供の表情に戻ってしまったディーレインは不安そうな顔をする。
それは、ジルメールを心から信頼している証で彼を頼りにしているからだった。
「申し訳ありません若。皆捕まっちまいました。」
ジルメールは申し訳なさそうにそう言うと、今度はニカッと笑ってディーレインの頭を撫でる。
「でも安心してくだせぇ。あっしが必ず皆を助け出します。若も無事に逃しますから」
ジルメールはそう言うと近くに積まれていた木の枝のところへ行く。
枝をどかすと、その下には小舟が隠されていた。
ジルメールはディーレインを小舟に乗せて逃がそうというのである。
「そんな……嫌だよ。僕だけ逃げるなんてできない! ジルメール!」
ディーレインは乗ることを拒むが、ジルメールは首を横に振った。
「王国軍の奴ら、どういうわけかシドルト族を殺さずに捕まえています。でも、族長達だけは違った。きっと同じ血を引く若も殺されてしまいます。だから逃げてくだせぇ」
ジルメールはディーレインを無理やり小舟に乗せる。
抵抗するだけの力がディーレインには残っていなかった。
「でも、ファナは? ファナはまだ見つかっていないんだ」
「ファナ様はニルカに預けました。きっともう逃げてる。だから若もこの国を出て、ファナ様をどうか見つけてください」
ニルカ、というのは八魔部隊のメンバーの名前だった。
ジルメールはあらかじめディーレインの妹のファナをニルカに預けて逃していたのだ。
「この船には守りと導きの魔法をかけました。ちょっとやそっとじゃ壊れませんし、放っておいてもどこかの陸地に流れ着きますから」
その時、ジルメールの背後で爆音が鳴った。
それと同時に森から火の手が上がる。
ディーレイン達を追ってビアルカ族が森を焼きながらやってきたのだ。
「さぁ、もう時間がない! 行って!」
ジルメールはそう言って小舟を蹴り、ディーレインを大海原へと放り出した。
その後のことをディーレインはよく覚えていない。
覚えているのは煌々と燃え盛る森がどんどんと小さくなっていく姿とそれが見えなくなるまでジルメールの名前を叫び続けたことだけだ。
気がつけば、ディーレイン別の大陸へと流れ着いていたのだった。
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