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プロローグ

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魔王の放った無数の火の矢が男に向けて降り注ぐ。

男は剣を盾にして火の矢を防ぐが、そのうちの何本かは男の皮膚を傷つけた。


「ぐっ……」


痛みは確かにあったが、足を止めるほどではない。

これくらいの傷、今までの旅での苦労を思えばなんてことはなかった。


「ふははは、無様だな勇者よ! 我が力を前に成す術もなく貴様は死ぬのだ!」


余裕の笑みで勇者を見下ろす魔王。
その両の手には真っ黒な二本の鎌が握られていた。


魔王がその鎌を振るうと片方の鎌からは火の矢や火の玉が、もう片方の鎌からは氷の矢や氷柱が飛んでくるのだ。


勇者はそれを避けながら魔王の額にある二本の角に狙いをつけていた。


物理攻撃であれ魔法攻撃であれ、どんな攻撃もほぼ無効にしてしまう魔王であったがただ唯一の弱点がある。

それが、二本の角だった。


「我が聖剣よ。どうかこの私に最後の力を与えてくれ」


魔王の攻撃を避けるために、勇者は高く飛び上がった。

そのまま空中で身を翻し、壁に足をついて力を貯める。

両手に掴んだ刀身の長い両手剣は魔王を倒すために旅を始めてからずっと使い続けてきた聖剣である。

その聖剣が、勇者の願いに応えるかのように光出す。


魔王は壁に着地した勇者めがけて二本の鎌を投げつけた。

炎と氷、相反する二つの属性は本来ならば混ざり合うことはない。

しかし、魔王の魔法は特別だった。

炎と氷が混ざり合い、そこにさらに邪悪な魔力が伴って強大な力となった鎌は勇者めがけて飛んでいく。


「これで貴様も終わりだ! 勇者!」


魔王が叫ぶ。


「いや、終わるのはお前の方だ!」


勇者も叫んだ。
光り輝く聖剣を振り上げながら、勇者は力強く壁を蹴った。


向かってくる魔王の鎌に向けて勇者は剣を振るう。

激しい轟音と両者の武器がぶつかり合って火花が散る。

勇者は切先で鎌の軌道を少し変え、再び身を翻して鎌の隙間を縫うようにすり抜ける。


「ぐっ……」


すり抜ける際に鎌の切先が勇者の頬を切り裂いた。

その痛みを堪えながら、勇者は再び剣を振り上げ狙いをつけた魔王の角めがけて振り下ろす。


「うぐあああ……」


魔王は自身の額を抑え、痛みにもがき苦しむ。

勇者が一振りで魔王の二本の角を両方とも切り落としたのである。


それまで感じたことがないほどの痛みに魔王は地面に膝をついた。


両断された角の断面から魔王の魔力が抜けて行く。

魔力が全て抜き取られれば魔王は絶命するだろう。

魔王は角の断面を両手で押さえ、魔力が抜け出るのを食い止めようとする。


そして、苦しそうに悶えながらも勇者の方を睨みつける。


「勝った」と、勝ち誇る余裕は勇者にはなかった。

体の様子がおかしい。
魔王と同じように、勇者もまた地面に膝をついて苦しそうに息を吐く。

切られた頬が熱を持ち、ズキズキと痛む。
全身から力が抜けていくような感覚だった。


「……毒か」


傷口に触れ、勇者は察したように魔王を見る。

魔王の投げた鎌には毒が塗られていたのだ。


魔王は自らも苦しそうにしながらも勇者を見てニヤリと笑った。


「魔族でも数分で死に至る猛毒だ。人間の貴様では耐えられまい。惜しかったな勇者よ。我はこれより魔界深くに潜り、魔力を補填することにする。なに、この角もすぐに再生する。お前が我の攻撃を喰らわなければ、逃すようなことはなかったのにな」


魔王はよたよたと立ち上がりながら魔王を嘲る。

魔界に戻れば抜け出ていく魔力を上回る速度で回復できる。

角が生えるまで延命すれば、再び人間界にも戻れるだろう。

しかし勇者に助かる術はない。
この戦い、勝利したのは自分だと言わしめるかのように魔王は高らかに笑った。


しかし、勇者は諦めてなどいなかった。


「そうか、俺は死ぬのか……そいつは、いいことを聞いた」


ニヤリと笑った勇者は剣を支えにして立ち上がる。

その姿に魔王は恐怖を覚えた。
この状況でなぜ笑うのだ、と勇者に怯えたのだ。

この状況で笑えるのならば、勇者にはまだ隠していた力がある。


「この魔法は……決して使うなと言われていた……ぐふっ……自分の命を代償にする魔法だからと……だが、どちらにせよ死ぬのなら関係ない」


立ち上がった勇者の体が光出す。
聖剣もまた、同じように光だし、勇者のマントが風に煽られてひらひらと揺れている。

風?と魔王が疑問に思った時には遅かった。


魔王ですら立っていられないほどの豪風が勇者の周りを取り囲むかのように吹き荒れている。


「貴様……それは、封印魔法か」


勇者の奥の手に気づいた魔王は自らの敗北を察した。

封印魔法は人間にしか使えない特別な魔法である。

使用者の命を代償とする代わりに、決して退けることのできない不可避の魔法。

それは魔王であっても変わりはない。

魔王の体がズルズルと引き込まれるように勇者の方に近寄っていく。

風はさらに吹き荒れて、魔王は立っていられなくなる。

このまま勇者の持つ聖剣に吸い込まれてしまうのだ。

そうなれば、無限にも近い時の中で封印され続けることになる。


「お前を倒せはしなかったが、この聖剣……我が力の源が砕け散るその日までお前のことを封じよう」


勇者がそう叫び、魔王は勇者の持つ聖剣の中に封じ込められてしまう。


「おのれ、勇者よ。これで終わりだと思うなよ。我が力、我が魔王の魂は決して破れぬ。いつの日か、再びこの地に降り立ってその時こそこの世界を我が手中におさめてやろう」


封印される間際に魔王は恨み言のようにそう言った。

全てが消え去ったあと、聖剣は硬い岩の地面に突き刺さっていた。


毒が全身に周り、力を保てなくなった勇者はその場に崩れ落ちる。


「どうやら俺はここまでだ……次代の勇者よ、どうか……どうか魔王を討ち倒してくれ」


それが、勇者の残した最後の言葉であった。
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