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第6章

一日千秋⑯ ~初めての夏と涙の決断~

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 時は二郎が男子バスケ部の三年先輩達からの締め上げを喰らう危機を忍の助けによって回避した日より少し前の高校1年の5月のことである。

 女子バスケ部に入部後すぐに忍がゴールデンルーキーとして注目を集め、それがすっかりなじみ始めた頃、強力な新人の登場で沸き立つ先輩部員の一部から不穏な空気が流れ始めていた。
 
 それはどんな団体スポーツでも起こりうるレギュラー争い問題だった。入部後一ヶ月が経つ頃には忍の実力の全容が大方明らかになり、それが3年のレギュラー格の中でもトップクラスにも食い込む実力を持っていることが周知され始めたことがザワつきを生み出す原因となっていた。

 当然それは部員達だけでなく、顧問の小原も理解しており忍が3年にあがる時に黄金期を迎えるであろうその日のために、できる限り忍には一年の内から試合の経験を積ませて少しでも成長を促したいと思わせるに至っていた。

 そしてその事に理解し始めたレギュラーラインギリギリにいる部員達は貴重なレギュラー枠をぽっと出の一年に奪われるという不安に直面していた。

 ある日の部活が終わった18時半頃。忍は一人体育館にいた。部活はだいたいが18時過ぎには終わりクールダウンや片付けをしても18時半には体育館は人がいなくなるのが普段の流れだった。忍は部活が終わってから守衛さんが見回りに来る19時半頃まで居残り練習をするのが日課となっており、この日も一人で黙々とシュート練習を行っていた。

 いつも通りゴールの右サイドの90度、45度、正面、左サイドの45度、90度と5ヶ所の位置から10本ずつシュートを打っては移動するのを繰り返していると、数人の人影が館内に入ってきて忍を呼び止めた。

「お疲れ!成田さん、ちょっと悪いんだけど少し時間もらえるかな?」

 突然の三年先輩の登場に慌てて汗を拭いて背筋を伸ばしながら忍が返事をした。

「あれ、先輩たち。お疲れ様です。こんな時間にどうしたんですか?」

 まったく検討もつかないと言った様子の忍に3人は単刀直入に言った。

「えぇ大事な用があるわ。申し訳ないけど、小原先生にあなた自身で申し出て欲しいのよ。今度の試合にはまだ出さないでくさいって」

「え?それはどういう?」

 予想だにしない先輩の言葉に忍は理解できずにいると、もう一人の先輩が言葉を付け加えた。

「まぁ急に言われても分からないわよね。つまり試合に出るにはまだ早いって言っているのよ。何故かわかる?あなたよりも上手くないのかも知れないけどさ、私らもこれまでずっと真面目に部活に取り組んで来たのよ。それなのに試合に出られないとなったら、何のために今までやって来たのか分からないでしょ。だから、夏のインターハイで私ら三年が引退するまではあなたは出来ればベンチにいて欲しいの。そうすればレギュラーギリギリのあたしらにもチャンスが生まれるし、高校三年間の部活の良い思い出として区切りがつけられると思うのよ。だからお願い」

 真剣な表情で訴えながら頭を下げる先輩に忍は慌ててそれに止めに入りながら言った。

「ちょっと先輩、急にどうしたんですか、頭をあげてくださいよ。・・・わかりました。先輩方の気持ちは当然ですよね。正直試合にあたしが出るかどうかは分かりませんが先生と一度話してみます。でも、それを小原先生が聞き入れてくれるかはあたしにも分かりませんよ。それでも良いですか」

「そう、ありがとう、成田さん。それは分かっているわ。だけど、きっと先生はあなたの言うことなら聞くと思うわ。だからお願いね」

 そう言って先輩三人には体育館を後にした。

(先輩達、どうして急にこんなこと?あたしはただチームのために力になれたらってそう思っているだけなのに。あたしは三年生にとっては邪魔なのかな?)

 忍が戸惑いを隠せずに考え込んでいると、用具倉庫の中から物音が聞こえてきて忍は意識を取り戻した。

「!?何。誰かいるの?」

 そう言って忍が倉庫の中を見ても誰もいないようだったため、気を取り直してシュート練習を続けるのであった。

 実はこの時日頃からサボりと遅刻を連発する二郎は罰としてボール磨きを上級生から命じられており、忍が居残り練習を始める前から一人用具倉庫の中でふて腐れながらボール磨きをしていたのであった。そして先程の忍達とのやり取りを一部始終聞くこととなり、何処かきな臭い空気を感じ取った二郎はその日から忍とその先輩達の動きを観察し始めるのであった。



 それから週末になり、男バスは校内で練習を、女バスは練習試合のために他校に遠征に来ていた。

「今日のスタメンは今呼んだレギュラー4人と成田で行く。成田、これがお前にとっては高校のデビュー戦だ。練習では経験できないことが沢山あるはずだから一つでも多くのことを吸収できるように全力で行ってこい。他のメンバーはしっかり成田をフォローしてやれ。よし、今年のウチはひと味違うことを見せてこい」

「はい!!」

 そんなやり取りの陰でスタメンからあぶれた例の3人が忍を睨み付けていることに顧問の小原は気付かないのであった。

 試合の結果は衝撃的なモノだった。1試合目、忍はフル出場で20得点、10リバウンドの大活躍だった。2試合目は控えとなり、3試合目でも1試合目と同等の成績を残して鮮烈のデビューを果たすことになった。

 3年のエースが2試合で35得点を挙げた一方で忍は2試合で38得点を挙げてチーム内の得点王となり、名実ともにレギュラーを掴むにふさわしい実力を示すことになった。

 試合後、顧問の小原から今後も忍をレギュラーで起用していく方針を告げられた部内では大方が納得という反応を見せたが、全てがそうとはやはりいかなかった。

 それから女バスの練習風景の中で確かな違和感を二郎は抱き始めていた。それは明らかに忍に詰め寄った女バスの3年3人が忍に対して敵対的な態度を見せるようになっていた。例えば、連携練習でわざと忍にパスを出さなかったり、絶対取れないパスを出したり、雑用を忍に押しつけたりと二郎が分かる範囲でもこの調子であるわけだから、見えないところではそれ以上の事が行われているであろう事は容易に想像できた。

 さらにはそれを見たレギュラーメンバーも余程あからさまな嫌がらせ以外は気付いても見て見ぬ振りをするしかなかった。それはレギュラー落ちしたメンバー達の気持ちを思えば仕方がないと思うと共に、3年間ともに切磋琢磨してきた仲間でありライバルでもある3人に対して苦言を呈することに尻込みしたからだった。

 そんな状況に忍は耐えた。これは仕方がないことだ。自分が先輩達から試合に出るチャンスを奪ったのだから当然の報いだと。だから自分に出来ることは少しでも試合で活躍してチームに勝利にもたらすことだと。そうすれば先輩達も最後は自分を認めてくれるだろうと、そう信じながら忍はしばらくの間、忍耐の日々を受け入れることになった。

 忍にとって厳しい日々が続くある日、女バス部員誰もが何処か違和感のある状況をチームが勝つため、強くなるために必要な事だと言い聞かせて受け入れている中で、ひとりその外部から冷めた目で見つめる男が一人何かを決断したように体育館を後にした。

 その日の放課後、二郎は練習中に急にいなくなった罰として再びボール磨きを用具倉庫でしていると、こちらも普段通り忍が一人黙々とシュート練習をしている所に例の先輩3人が忍の下に現れた。

「ちょっと成田さぁ。話しが違くない?あなた本当に小原先生に話しをしたの?」

 突然の弾劾に忍は戸惑いを隠せない様子で答えた。

「先輩!それはその・・・あたしはちゃんと先生に話しました。だけど、先生は聞き入れてくれなくて。そんな気を遣っているようじゃ、上には行けないぞって言われて。それに先生は三年と二年の先輩達全員にはちゃんと話して了解を取っているから安心しろって言われて。・・・あたしにはそれ以上は何も言えませんでした」

「了解を取っているですって。あんなの決定事項を伝えられただけよ。あの場で私が反対したら他の子達から私らが総スカンを食らうような状況で反対なんて出来る訳ないでしょ。小原も大概にしてほしいわ」

「正直言ってこの前の試合であなたのプレーを見たら、ベンチで座っていろなんて正直言えないのは私達だって分かっているわ。だから、今後の練習試合にはスタメンで出れば良いわ。正直悔しいけど譲ってあげる。だけど、インターハイの予選だけは、お願いだから私達にスタメンを譲ってほしいのよ。分かるでしょ。最後の大会だけでも試合に出たいって気持ちは」

「だからお願い、成田。当日は体調不慮で休んでちょうだい。その日だけで良いからお願い」

 3人の懇願に忍は申し訳ないと思いながらも自分の嘘偽りのない気持ちを話し始めた。

「先輩方の気持ちは痛いほど分かります。自分が同じ状況だったら同じように思うかもしれません。だけど、あたしはバスケに対してはいつでも全力で取り組むと決めています。あたしが今後もレギュラーになるかどうかは先生が決める事ですし、もし選ばれるならその時は全力で勝つためにプレーするだけです。キャプテン達レギュラーの皆さんにもインターハイ予選で一つでも多く勝つためにも協力して欲しいと言われていますし、それを妥協するつもりはありません。スタメンでも控えでも全力を尽くすことだけがあたしに出来ることです」

 当然了解の意を示すと考えていた3人は忍の言葉に激怒した。

「何を言ってんの、あんた?そんな事どうだって良いのよ。一年のくせに調子に乗ってんじゃないわよ。少しバスケ上手いからって偉そうなこと言わないでよ」

「成田さぁ、部活には上下関係ってモノが一番大切なのよ。あなたのこだわりとかは良いから、大人しく言うこと聞いてくれない?」

「あまりごちゃごちゃ言っているともう手加減しないわよ。覚悟しているの?」

 先輩からのあまりに理不尽な物言いにさすがの忍も言い返せずに困り果てていたところに、思わぬところから声がかった。

「おーい、成田。そんなところでぼーっとしているならボール磨きを手伝ってくれないか?あれ先輩方、すいません。一人じゃいつまで経っても終わらないので成田を借りて行きますよ」

「え?ちょっと山田君。ちょっと待ってよ」

「うるさい奴だな。ゴールデンルーキーだかなんか知らんが、俺にしてみればただの同じ一年なのだから、雑用ぐらい手伝ってくれたって良いだろうが。いつも綺麗なボールを使えるのは誰のおかげだと思っているんだ?」

「そう、そうだけど・・・・」

 二郎に手を引かれながらも先輩達の顔色を伺う忍を3人が引き留めた。

「ちょっとあんた、男バスの一年でしょ。あたしら大事な話しをしているのだから邪魔しないでくれる」

 そんな言葉に二郎が冷めた目付きで答えた。

「へ~大事な話ですか?俺には先輩方が一年の後輩を囲んで寄って集っていじめているように見えましたが、俺の目がおかしいんですかね。やっぱり部内でのいじめは見過ごせないので先生に報告した方が良いですかね、先輩?」

「何を言っているの。私達はそんなことしてないわよ。そうよね、成田さん」

 ものすごい形相で睨み付け同意を求める先輩に忍はいやいやながらも返事をした。

「え?あぁはい」

「ほ、ほらみたことか。成田さんがそう言っているんだからあんたの勘違いでしょ」

 ドヤ顔で二郎を黙らせようとする先輩に二郎はどこ吹く風と言った表情で言った。

「そうですか。でも、やっぱり気になるのでこれから男バスの先輩達にも相談してみようと思います。最近女バスの様子がおかしくないかって心配していたので一応報告しておきますよ」

 全く言うことを聞かない二郎にイライラを募らせる先輩が今度はおちょくるように言った。
 
「ちょっと待って。そんなことして何の意味があるわけ。あなたいつも部活をさぼっている子でしょ。そんなあなたにはこんなことどうでも良いことでしょ。もしかして成田のことが好きだったりするわけ。正義の味方って奴?」

「何それキモいんですけど?後輩君さ。あんまり先輩を舐めていると後で痛い目見るよ。大人しく引き下がった方が身のためだよ」

「もう良いからさ、黙ってボール磨いていなって」

 二郎の舐め腐った態度に苛立ちを見せる3人に二郎は何かを思いだしたように言った。

「そう言えば先輩方、部活後に女バスの三年全員は小原先生のところに集合だって女バスの部長さんが言っていませんでしたかね。3人がいないと誰かが探しに来るんじゃないですか。こんなところ他の人に見られても良いんですか」

 二郎の言葉に焦った様子の1人が小さな声で言った。

「ちょっと早めに切り上げた方が良いかも。こんなに時間がかかるとは思わなかったからこの子の言うように誰かが探しに来てもおかしくないわ。今日のところはこの辺にしておこうよ」

「ふん、そうね。成田、これで納得したわけじゃないわよ。それとあんた覚悟しておきなさいよ」

「行こう、もう」

 そう言って3人は足早に忍と二郎達の前から姿を消した。

 突然の二郎の乱入と先輩達との言い合いに圧倒され呆然としていた忍が戸惑いを隠せない様子で言った。

「ちょっと山田君。あなたどうしてこんなことを?」

「どうしてって何がだよ?」

「何がって、どうしてあたしなんかを庇ってあなたが先輩達に目を付けられるようなことをしたのよ。あなたには女バスのことは関係ないでしょ」

 何が何だか理解できない様子の忍に二郎は雑巾を投げて言った。

「はぁ?女バスのことなんて俺には興味がないわ。さっきも言っただろう。俺はただ一人でボール磨きをやっても終わらないから、お前に手伝って欲しかっただけだわ。ほら突っ立ってないで早くこっち来てボールを磨け!」

 二郎の見当違いの言葉に忍は苦笑いを見せつつも、なんだかんで自分は目の前の男子に助けられたのではないかという直感が頭を過っていた。

「なにそれ、もう。ボール磨きってあなたがいつも遅刻してくる罰で命じられたことでしょ。どうしてあたしが手伝わなきゃいけないのよ、ばか」

 そんなことを言いながらも忍は二郎の隣に座り、ぶつぶつ文句を言っている二郎を見つめながらボール磨きをするのであった。



 その夏、女子バスケ部はインターハイ2回戦敗退となり、三年部員達の短い夏は終わった。

 このインターハイでは忍は控えに回り、2試合に途中出場してそれなりの爪痕を残して初めての夏のインターハイ予選を経験する事となった。一方で忍に詰め寄った3人は一人がスタメンとして出場し、残りの2人も忍と同じく途中出場となり、全力でボールを追いかけ悔いのない最後の夏を迎えていた。

 試合後、3人は忍を呼び出していた。それはあの時の謝罪と良い試合が出来た事への感謝のためだった。

 そして最後に意外な事を忍は知ることになる。

「あの日、三年全員と小原先生と話し合いになって、あなたを控えに回すって事が決まったのよ。だけど突然の事で不審に思った私達は先生を問い詰めたのよ。そしたらなんて言ったと思う?」

「一体、何を言われたんですか?」

「あなたを控えに回すのを決めたのは、あの山田って子が先生に直談判したからみたいでね。なんでもあなたを特別扱いしすぎていて他の部員からやっかみを受けていると。そのせいで先生がいないときの女バスの練習の雰囲気は最悪だと。それで本当にチームは強くなるんですかって?それを成田一人に背負わせてどうするんですかって言われたそうよ。それから、一番練習に参加していない自分でも分かる事だから、一度自分の目で確かめて下さいってね。それでこっそり私達に気付かれないようにその日の練習の様子を見て決めたらしいわ。まず第一に部員全員がチームメイトを信頼できる環境を作ることが大事だってね」

 忍は自分の知らない水面下での出来事を驚きの表情で受け止めていた。

「そんなことがあったんですか」

「その時の私達は余程ピリピリしていたのでしょうね。それで先生も決断したそうよ。先生もね、あなたのような才能のある部員を持つのが初めてで、どうやって成長させたら良いのか分からなくて、とにかく試合に出して成長させることが大事だと思ってレギュラーに押したらしいわ。だけど、そうしたら他の部員がどう思うかを考えてなかったみたいでね。それに気付かずに酷いことをして済まなかったって、何度も私達も謝られちゃったわよ」

「そうだったんですか」

 忍が真剣な面持ちで相槌を打っていると、3人の先輩が深く頭を下げて言った。

「だから私達も謝らせて欲しいの。あなたは何も悪くなかったのに酷いことをしてしまって本当にごめんなさい」

 その先輩達の気持ちを受け止めて忍が答えた。

「あたしこそあの時は生意気を言ってすいませんでした。先輩達の分の気持ちも背負ってもっともっとチームを強く出来るように頑張ります。3年間本当にお疲れ様でした」

 忍はようやく和解できた先輩達に深くお辞儀をして部活という青春に終止符を打った先輩に最大限の敬意を贈るのであった。



 そんな話を長々としていた忍はすみれに最後の締めくくりとして言った。

「と言うわけで、今に至るって事よ。わかった?」

「ん?つまりどう言うこと?」

 今一要領をつかめないすみれに忍が声を大にして言った。

「だから、二郎はあたしを助けるために先生に直談判してあたしをレギュラーから外した方が今後のチームのためになるって説得してくれて、そのおかげで部が分裂しないで済んだし、あたしも先輩達と仲直り出来て凄く助かったって事よ。二郎って何だか分からないけどあたしの知らないところでいつもあたしを助けてくれているのよ。だからあたしは二郎のそういうところが・・・好きなの!言わせないでよ、バカ!」
 
 忍の言葉を聞いたすみれはハイハイと頷きながら、何かとても言いづらそうな口調で忍に返事をした。

「全く一年の頃から変わらないね、二郎君は。そう、ありがとう。忍が二郎君のそう言うところに惹かれたって事は良く分かったわ。だけど、いや、だからこそ言わせてもらうわよ。忍がどんなに二郎君を想っても今のままでは二郎君にその想いは伝わらないよ。だってそうでしょ。二郎君にとって忍を助けたのは当たり前の行為で、全く特別でも何でもないのよ。考えてみれば四組の結城さんの事も、噂の時も、騒動が収まった後の亜美菜のことも、自ら面倒事に首を突っ込んで行って、誰彼構わず世話を焼いてさ。それでいて特にその後誰かに何を求めたり偉ぶったり恩着せがましいことをしたりしないし、かと言って助けた相手に何か特別な感情を持っているとかもない変人なのよ。だからひとりで忍がヤキモキしていても二郎君にはなんで忍が怒ったり騒いだり落ち込んだりしているのかが理解できないのよ。言っていることわかる?」

「そうかもしれないけど、あたしは・・・」

「結局さ、忍がはっきりと二郎君に気持ちを伝えない限り何も始まらないし、このまま宙ぶらりんのままだと二郎君との関係自体がどんどんおかしくなって壊れて行っちゃうよ」

 すみれの若干飛躍しているような言葉に忍はショックを受けていた。それは忍が頭の片隅でチラついていた直感であり、しかしながら気付かないようにしていた予感でもあり、ここ一ヶ月近く感じていた実感だったからだ。

「でも、・・・じゃあたしはどうすればいいのよ。正直二郎に今告白したって絶対にフラれるし、それで本当に関係が終わっちゃうなんてあたし嫌だよ。だけど、このままギクシャクするのも苦しくて・・・すみれ、あたしはどうしたらいいの。どうしたら二郎とまた仲良くできるの?」

 藁をもすがる思いの忍にすみれはこれまで何度も言えずにいた考えを忍に告白した。

「それはね、忍。・・・・・・」

 忍はすみれの言葉を認めたくないと思いながらも、それを否定できない事を理解し苦渋の決断として受け入れた。

 電話越しでも伝わってくる忍の苦しみをすみれは無言で耐えて最後にこう締めくくった。

「これが、忍のためだから」

 すみれの忍を思う友情の気持ちと、忍の揺らぐことのない二郎への切ない想いと、ようやく芽生えた二郎の忍を大切にしたいという儚い願いと、それに関わる人々の様々な思惑が絡み合った結果、思いもしなかった結末を忍は選択するのであった。

 その夜、忍はベッドの中で両手を祈るように握りしめながら体を縮めて泣いた。その左手には夢の中で感じていた二郎の手の感触はもう消えて無くなっていた。
 
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