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第4章

人の噂も七十五日⑩ ~仁義なき戦い、吹奏楽部秋の陣~

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 二郎と忍が体育館で健康的なラブコメを展開していた頃、同じ校舎内にある音楽室では昼ドラ的愛憎劇が展開されていた。

「先輩、お疲れ様です。あ、ヤッホー!佐々木君も午後練習参加組なの。どうせなら文化祭に向けて一緒に練習やらない」

 土日のような休日、ここ琴吹高校吹奏楽部では朝から夕方まで部活が行われるが、部員の多さから全体練習の日以外は個々人で参加する時間を選んで良いことになっており、すみれは二学期が始まって最初の土曜、午後から部活に参加することにした。

「あぁヤッホー、橋本さん。俺もこれからだから一緒に練習しようか」

 るんるん気分で現れたすみれの挨拶に明るく優しい笑顔で応えた生徒は2年1組ですみれと同じく吹奏楽部に所属する佐々木勇次だった。勇次は一年の時にすみれと同じクラスであり、また吹奏楽の楽器で一番目立つと言われるアルトサックスの演奏者だった。この女子が大半以上を占める吹奏楽部において勇次は数少ない男子部員という事もあり、一種のハーレム状態の部活の日々を送っているかのように周囲の友人たちには見られていたが、何分真面目な性格の勇次はハーレムとは無関係な生活を送っていた。

 しかしながら、それでもやはり、勇次はモテた。身長は平均的な170センチほどであったが、女装をすればその辺の女子よりも可愛く見えるだろうと思える綺麗な顔立ちを持ち、また性格は温厚で見るからに優男であったが、なんと言ってもサックスを演奏したときに醸し出されるなんとも言えない色気がその音を聞いた女子達を何人も虜にしてきたほど熟達したサックスプレイヤーであったからだ。
 
 そんな勇次をすみれは女友達のように見ており、一年の頃から今日のように個人練習の時などは同じ時間を過ごすことが多く、女子を含め部活内でも一番仲の良い友人と考えていた。また勇次も自分に色目を使わずに接してくれる女子部員であり、余計なプレッシャーを感じずに部活に集中できる相手としてすみれを好んでいた。その感情は一年以上時間を共にすれば自然と特別な感情が生まれてもおかしくない程度のモノであり、友達以上の存在としてすみれの事を好意的に思っていた。

 また秋の文化祭で吹奏楽部では有志で参加を希望する部員はグループを作り演奏を発表することが出来る事になっており、1グループ10分程度の演奏までなら自由な曲を選んで良いことになっていた。そこで今年の文化祭ですみれと勇次はグループを作りフルートとアルトサックスの二重奏、もしくはもう一人ピアノを加えた三重奏で参加する事を考えていた。そう言った関係もあり練習時間が重なった二人は今回初めて文化祭に向けての合同練習をしようという流れになっていた。

 「ところで佐々木君、ピアノ候補者は見つかった。私も何人かは声をかけているんだけど、まだはっきりしなくて。他のグループに取られちゃう前に早めに決めておきたい所だけど、佐々木君の方で誰か見つかりそうかな」

「そのことなんだけど、一人やりたいって言ってきている子がいるけど、どうしようか考えていたんだよね」

 すみれの問いに歯切れの悪そうに勇次が答えていると、一人の女子生徒が新たに部室へやって来た。

「お疲れ様で~す。あー勇次君、来ていたんだ~。昨日メールしたときはどうするかわからないって言っていたのに、今日午後に来るなら教えてくれれば良かったのに~、もう。あぁ、橋本さんもいたの。お疲れ様。早く自分の練習部屋に行った方が良いんじゃない。良い部屋取られちゃうわよ」

 あからさまな声のトーンの高低差に耳がキーンとなるような挨拶をかました生徒は2年3組で吹奏楽部に所属するアルトホルン奏者の鈴木亜美菜だった。亜美菜は同性の女が聞いたらぶん殴りたくなるような甘ったるい声で勇次に声を掛けると、その隣にいたすみれを見つけた途端に氷のような冷えた声ですみれを追っ払うように言い放った。

「あぁ鈴木さん。今日も変わらず元気みたいね。確かに早く練習を始めたいし、私は向こうの部屋に行くわ。ほら佐々木君も行こうか。それじゃそっちも練習頑張って」

 すみれは面倒事から手を引きたい一心で一切の感情を込めず事務的に対応するように亜美菜の挑発を受け流した。

「ちょっと勇次君、どこ行くつもりなの。勇次君は私と練習してくれるんじゃないの。どうして橋本さんと一緒に行くわけ」

「どうしてもと言われても、昨日説明したとおり文化祭で彼女と組んで演奏する予定だから、ちょうど練習の時間が同じになったから一緒にやろうって話していた所なんだよ。だから鈴木さんとは練習できないからごめんね」

 亜美菜の無茶ぶりに落ち着いた口調で事情を説明した勇次に亜美菜がさらに追い打ちを掛けて言った。

「そんなひどいよ、昨日は良いって言ったのに。私より橋本さんと練習がそんなにしたいの」

「そんなことは言ってないよ。僕が言ったのは橋本さんがいなければ練習に付き合っても良いって言っていたんだよ。忘れているならメールを確認しても良いよ。どうする」

 この女は一体何を言っているのかという表情で勇次が勝手な事をのたまう亜美菜を黙らせるようと携帯を手にしたところで、すみれが触らぬ神に祟りなしといった心境で二人の会話に割って入った。

「佐々木君、もし約束があったなら私は大丈夫だから、彼女の相手をしてあげて良いよ」

 すみれは面倒な事になりそうだと感じて合同練習の辞退を提案したが、逆にそれが勇次を頑なにした。

「いや、橋本さんは何も悪くないから大丈夫だよ。鈴木さん、誘ってくれるのは嬉しいけど、僕も文化祭に向けて一日でも早く合同練習を始めたいから申し訳ないけど諦めてくれないかな。しばらくは無理だけど時間に今度余裕が出来たときには練習に付き合うからそれで我慢してくれないかな」

 勇次が最後通告と言わんばかりに亜美菜を拒絶したところ、見事なカウンターパンチが亜美菜から放たれた。

「それじゃ私も一緒にピアノやるわ。昨日勇次君言っていたでしょ。ピアノ奏者を探しているって。私3才からずっとピアノやっていて、高校から始めたホルンよりも余程ピアノの方が上手いんだから問題ないでしょ。だから私も二人と一緒に練習しても問題ないよね」

 普段温厚な勇次からは想像も出来ない強めの口調で亜美菜を説得出来たかと思う間もなく、それを飛び越えるような亜美菜の言葉にすみれと勇次は目を合わせて、呆れと諦めのこもったため息をついた。

「はぁーっ、佐々木君、もしかしてさっき言っていたピアノ候補って」

「うん、彼女の事だね。正直何度も断ったんだけど、聞く耳を持たなくて結局保留になっちゃっていたんだけど、どうする橋本さん」

 勇次の諦観した表情からこの一週間ずっとこの話で詰め寄られていたことを察したすみれは仕方がないという結論を下し、気の進まない口調で言った。

「わかったわ。この際ちゃんとピアノの演奏をしてくれるなら誰でもかまわないわ」

「何その言い方。そもそも私が勇次君とホルン四重奏をやろうと誘っていたのに、あなたが彼をそそのかしたのが悪いのだから、やる気が無いなら彼を私のグループに返してよ」

 すみれの消極的賛成にけんか腰でお門違いの批判をかました亜美菜についに怒りを爆発させた勇次が口調は丁寧ながらも怒鳴るように言った。

「ちょっと鈴木さん、いい加減にしてくれよ。橋本さんを誘ったのは俺の方からで、彼女は僕のわがままを聞いてグループを作ってくれたのだから、その言葉は聞き捨てならないよ。だからちゃんと橋本さんに謝って欲しい。そうじゃなければ、僕が君の参加を拒否させてもらうよ」


 勇次の今まで見た事もない剣幕にさすがの亜美菜も圧されしぶしぶすみれに謝罪した。

「私が言いすぎたわ、ごめんなさい。反省するから私も二人のグループにいれてください。これでいいでしょ、ふん」
 
 亜美菜は前半の言葉を小さく頭を下げながら言うと、最後の抵抗と言わんばかりに捨て台詞をすみれから顔を背けるように言った。

「はぁ、橋本さん本当にごめんね。一応、彼女も反省したみたいだけど、橋本さんが嫌なら断っても僕は良いけどどうする」

「佐々木君、私も慣れているから大丈夫だよ。正直断ってもまた同じ事が何度も繰り返されてまともな練習が出来ないと思えば、さっさとこの問題を終わられせて練習に集中した方が私達のためになるよ。きっと」

「そう、君がそう言うなら僕も異論ないよ。それじゃ、鈴木さん、もう橋本さんにむやみに噛みつかないで仲良くしてくれよ。これを破ったら今度こそ僕がグループ参加を認めないから、約束してくれるかな」

 勇次の本気のトーンで話す言葉に亜美菜はどこ吹く風と言った垢抜けた声で返事をした。

「わかったわ。勇次君がそんなに言うなら約束してあげる!橋本さん、これからよ・ろ・し・く・ね」

「はぁ、はい、よろしくね」

 すみれは大木の心で亜美菜を受け入れてこれから起きる面倒な日々を想像して大きなため息をつきながら頭の中で独白をもらした。

(もう何か私に恨みでもあるのかね、この子は。一年の時から相性が悪いと思っていたけど、最近はあからさまに喧嘩を売ってきているわね。何がそんなに気に食わないのか。あぁ面倒くさい子に目をつけられちゃったな)
 
 すみれが頭を抱えて考え込んでいると、突然話題を変えて亜美菜が話し掛けてきた。

「そういえばこの噂知っている。一組の工藤君が五組の馬場さんに告白して振られたって話。馬場さんって橋本さんと同じクラスで結構仲が良い友達でしょ。何か聞いてないの」
 
 亜美菜はニヤニヤした顔でわざとらしくすみれに例の噂を話題に出した。

(ふふふ、工藤君に一年の頃から片思いしている事は知っているんだから、ざまぁみなさい。私でも付き合えなかった工藤君があんたなんか見向きもするわけないじゃない。友達の女に先を越されるなんてあぁ可哀想。まったく私が工藤君を諦めて手頃な勇次君を狙っているというのに、またこの女は私のモノに手を出そうって言うならトコトン邪魔してやるわよ。見てなさいよ。ふふふふふ)

 亜美菜の当てつけがましい言葉を友人である三佳を守るため、そして今となっては彼氏持ちとなった余裕のある勝ち組女として売られた喧嘩は買ってやると言わばかりにバッサリ切り捨てた。

「あぁ何かそんな噂があるみたいだけど、私は興味ないよ。噂なんて結局彼氏も彼女もいない寂しい人たちが僻み根性で言っている負け惜しみみたいものでしょ。私は友達のそう言う話を誰かに広めるようなダサいことはしたくないしさ。もし本当の話でも三佳が話してくれるまでは私は無理には聞かないつもりだから、何も知らないや」

(この女わざと私にこの話題を振ったわね。それに何かを知っている感じもするし。全くわかりやすい女だわ。だから一年の時も関わらないようにしたんだけど、1度どこかで決着をつけなきゃ駄目かもしれないわね)

 亜美菜は勇次には聞こえないように小言で何かをつぶやいた後で、平然を装って返事を返した。
 
「うっざ、相手にもされない女がよく言うわ。・・・あ、そう。なーんだ、つまらないの。まぁいいけど」

 すみれが亜美菜の思惑を察して内なる闘争本能を燃やしている横で、バチバチと火花を散らす女の戦いを静かに見守っていた勇次が恐る恐る声を掛けた。

「なぁ二人ともそろそろ練習を始めようよ。さぁ部屋を移動しようよ」

 二人はお互いを牽制するように勇次の言葉に頷き自分の楽器を持って移動し始めた。

 勇次は先に歩く二人の背中を見ながら一年の頃を思い出しながら胃が縮む想いを感じていた。

 というのもすみれ、亜美菜、勇次は1年の頃に同じクラスであり、そこにはモテ男の剛も在籍しており、二人は同時期に剛に想いを寄せる、いわゆる恋敵の関係だった。以前はクラス内での派閥に興味がなかったすみれはクラスの女子を束ねる亜美菜とは水と油の関係だったが、すみれが面倒事を回避するため極力亜美菜を刺激しないように剛にアプローチをしなかったため、直接的なもめ事は1年のときには起きなかった。

 しかしながら、クラス内においてなかなか軍門に降らないすみれは亜美菜にとって目の上のたんこぶであり、何でもそつなくこなしクラス内でも何かと存在感を示すすみれを煙たく思っていた。またすみれもクラス内を掌握する亜美菜をやっかい事をもたらすトラブルメーカーと考えており、できれば卒業するまで関わりたくない女ベストワンにするほど無関心、無干渉の関係を保ちたいと願う唯一の相手だった。

 ところが二人は同じ吹奏楽部に所属する部員同士であり、これまた勇次を大切な女友達のように考えるすみれに、すみれにすっかり惚れ込んでいる勇次と、勇次を剛に代わる恋人候補として狙っている亜美菜という構図が2年になり構築された結果、これまで辛うじてニアミスで済んでいた二人の関係がここに来て正面衝突を起こしうる状況が生まれることになっていた。

 先程の短いやり取りを見て、それを正しく理解した勇次は今後起こるであろう女の戦いを想像してぞっとする思いを胸の内で抱くのであった。

 さらには今回の噂の騒動にも一枚噛んでいるとすみれが疑う亜美菜は、噂の真相を追っている二郎やエリカにとっても見過ごせない相手となるのであった。

 こうしてまた新たな火種を生みながら、狂る狂ると校内全体に噂は広がっていくのであった。
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