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第2章

ある梅雨の日 その1 ~凜と二郎の不思議な関係~ ③

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 二人が部屋を出るとちょうど野球部員達が廊下を走ったり筋トレなどをしている活気のある放課後の風景がそこにはあった。

「それで凜先輩、このポスターは何ですか」

 二郎が手に持つ紙袋に目を向けて凜に問いかけた。

「これは校内美化運動の呼びかけポスターよ。来週から夏休みに入るまで校内の清掃や整理整頓を強化する活動を始めるから、その広報のためのポスターだわ。こういう活動も生徒会が中心になって行ってるのよ。ちなみこれは宮森さんの発案よ」

「そういうことすか、きっちりした宮森らしい提案ですね。それで掲示物の撤去ってのは何ですか」

「ちょうど新入生の部活勧誘の期間が5月一杯で終わったから、これまで必要以上に掲示していた部活の勧誘ポスターとか、無許可で張ったりしているポスターを取りはずすのよ。一応、各部活には5月末までに取り外すように通知はしてたけど、まだ残っているモノも多いから、強制的に取り外すのが二郎君の今日のお仕事よ」

「いやいや、俺がメインじゃなくて本来は凜先輩の仕事ですからね。それを忘れずにお願いしますよ」

 二郎が一通り今日の業務内容を確認したところで、二人は早速校内を回り、作業にとりかった。

「はい、二郎君。そのポスター撤去で、これ張って。はい、そこにあるポスターもどんどん取り外して。はい、次のフロアに行くわよ。遅いわよ、早く来なさいな」

「はい、はい、はいって、結局俺がほとんどやってますよ、先輩」

「私が発見して、君に指示を出す。君が取り外して新しいポスターを貼る。ナイスチームワークよ。はい、ぐだぐだ言わずに次に行くわよ」

 凜は二郎の言い分を完全に無い物として、二人の作業はスムーズに遂行されていった。

 本館での作業を終えて、二人は別館に移動した。

 別館1階の美術室の前に来たところで、凜が美術室に用があると言って部屋のドアを開けた。二郎もその後を追って美術室へ入っていった。凜がドア付近にいた美術部員に声をかけて部長に取り次ぐようにお願いをした。

 二郎は部長さんが来るまで部屋の中を見ていると見知った顔を2人見つけた。まず1人目は同じクラスの飯田エリカだった。

 (あれは委員長か、美術部だったんだな。この前は勉強会ご苦労様でした)

 二郎が三佳を見事に救った勉強会の功労者として心の中でエリカを労った後で、その隣の奇抜な格好をした女子に目を向けた。

(あの子は確か、川上さんとか言ったか。それにしても今日も半端いない姿だな。普通にしてたら間違いなく可愛いだろうに何が彼女をああさせているのか、神秘だわ)

 二郎が理解できないとしみじみ思う女子生徒は2年4組の美術部に所属する川上零だった。零は眉目秀麗で学力も学年トップの才女だったが、一つだけ飛び抜けて変わった特徴を持つ生徒でもあった。それはファッションがあまりにも奇抜であるということだった。

 琴吹高校では自立性を重んじるため、服装や髪の色などの決まりは一切ない。そのため多くの生徒は自由な髪型をしたり、髪を染めていたが零は格が違っていた。

 零の髪型はいわゆる盛り髪とよばれる髪型が主だった。これはその名の通り髪を器具などを使い従来の髪のボリューム以上に見えるように盛り上げるのが基本的な盛り髪であり、キャバクラ嬢や一部のギャルに好まれる髪型であったが、校内でそれをするのは零ただ一人だった。

 また零は純粋なイギリス人のレベッカよりも明るい金髪であり、その盛り髪には日によって花が飾られていたり、可愛いぬいぐるみが付けられたり、場合によっては小さな鳥籠や人形、どこに向けて飛んでいくのか分からないロケットの模型などバラエティに富んだ装飾が施されていた。どうやら今日はクマのぬいぐるみの日のようだ。さらには制服も原型が留まっておらず、日々改造されており、一日たりとも同じ姿の零を見た者はいなかった。

 さすがにあまりにも奇抜で常識の範疇を超えていたため、学校から注意されてもおかしくないほどのファッションスタイルだったが、零は学年一位の成績を1年一学期から一度も落としておらず、また、生活態度も非常に真面目で美術のコンクールでも金賞を受賞するなど、校訓として歌われる自由と自律を体現してたため、零の自由を学校も認めざるをえず、アンタッチャブルの存在として黙認されていた。

 そういった事もあって彼女は校内のアイドル的存在の三佳と並び校内の有名生徒の一人として君臨しており、その名に恥じぬ神々しいオーラを放っていた。

 二郎は普段、零をよく見たことがなかったが、改めて身近でその姿を見たとき、無意識にありがたいモノを見たときのように両手を合わせ拝み始めていた。

「あぁ神はここに居た。ありがたやぁ」

「何を言ってるの君は」

 凜が突然意味不明な事を言い始めた二郎に慣れたようにチョップを頭にかましたところ、美術部部長の三木友子が凜に声を掛けた。

「私が部長の三木です。生徒会の二階堂さんですよね」

「突然すみません、会長の藤堂から伝言を頼まれていまして、今時間少し大丈夫ですか」

 友子が自己紹介をし、凜が訪問の了解を取り付けようと返事をした。

「もちろん大丈夫ですよ。もしかして、看板の件ですか」

「そうです。よかったわ。もう話しが伝わっていたみたいで」

「はい、ちょうど昨日、顧問の先生から話しがありまして、今部員を何人か集めて話していたところですよ」

 友子が教室の奥の作業テーブルの前に座る5,6人の部員達を指さしながら状況を説明した。

 凜が美術部に来たのは、式典の際に舞台の上に飾る看板の模様替えの依頼だった。1年に一度、年号の入った始業式や終業式、入学式や卒業式といった看板の数字の修正と同時に全体の模様替えを美術部に依頼しており、それの確認と、十一月に行われる文化祭の入場門のデザインと作成の依頼が凜の訪問目的だった。この二つは美術部に課された重要な役割であり、生徒会から美術部に発注しそれを受けるのが毎年の通過儀礼だった。

「話しが早くて助かります。では、生徒会副会長二階堂から美術部部長三木さんにこの看板修正と文化祭の入場門制作の依頼を正式に申し込みさせて頂きます。よろしくお願いします」

「はい、確かに承りました。美術部一同、精一杯やらせて頂きます。・・・と、こんな感じで大丈夫かな」

 二人は定型句を交わし、具体的な話しを始めた。

「三木さん、直近で必要なのは1学期終わりの終業式と2学期明けの始業式の看板です。それから、できれば一学期中に入場門のデザインを何パターンかもらえると2学期入ってから余裕を持って文化祭の準備も出来ると思うので、忙しいとは思うけど、その二つをよろしくお願いします」

「了解です。まぁ私らとしてはこれも美術部の活動として楽しみにしているモノだから安心してください。看板も入場門も自由にデザイン出来て、それを皆に見てもらえるのはそれなりにやりがいのある事だし、楽しんでやらせてもらってますから、大丈夫ですよ」

 友子は屈託のない笑顔で凜からの依頼を快く受諾した。
 
 滞りなく話しを終えた2人は美術室を出て掲示物の撤去と張り替えの作業に戻った。

 別館2階に上がると今度は写真部のある地学準備室へと凜が入っていった。

「失礼します。生徒会です」

「どうも、二階堂さん、どうしましたか」

 凜に向かい受け答えしたのは、3年唯一の写真部で部長の藤木裕也だった。

「藤木君、ごめんね、急に。今大丈夫」

「大丈夫だよ、何の用かな。とりあいず入って座りなよ」

 裕也は凜を見知ったように、部屋に招き入れた。二郎は凜が裕也の近くに座ったことを確認して、邪魔にならぬようにレベッカの隣に座った。裕也も数十分前まで共にお茶を飲んでいた二郎に軽く手をあげて、凜の話を聞くために態勢を整えた。

「毎年の事なんだけど、卒業アルバムに載せる写真を1学期が終わるまでにまとめてほしくてね。これまで撮りためてきた3年生の写真で写りが良いものをデータでほしいのよ。藤木君がまとめてくれたのもを、生徒会の方でも精査するから、その前に写真部の方でもピックアップしてもらえたら助かるの。お願いできるかな」

「なるほど、そういう話しね。了解しました。とりあえずこの2年間ちょっとの分だけでも整理しとくよ。それにしても、もう卒アルの話か、早いモノだな。ちょっと前に入学したと思ったら、もう卒業まで一年過ぎてるんだもんな。なんだかんで二階堂さんとは3年間同じクラスだったし、付き合いも長くなるよな」

 凜と裕也は高一から3年間同じクラスであり、また生徒会から写真部に卒業アルバムの作成の手伝いやイベント事の写真の撮影を依頼する関係で二人は気心知れた間柄になっていた。

「本当そうだよね。藤木君にはいつも協力してもらって助かってるよ。まだしばらく先だけどこれから写真選びの打ち合わせとか依頼するからそのときはまたよろしくね」

「了解、了解、生徒会副会長様の頼みは断れないさ。今月中にはまとめておくから出来たらデータを二階堂さんに渡せば良いかな」

「それで大丈夫。よろしくお願いね」

 二つ返事で凜の依頼を請け負った裕也は話題を替えて凜に話しを振った。

「ところでさっき帰ったはずの二郎君がどうして生徒会の二階堂さんと一緒にここにやってきたんだ。二人にどんな繋がりがあるんだい」

 凜と二郎のことをよく知る裕也は、当然の疑問を投げかけた。

「まぁ二郎君は私の下僕・・・じゃなくて、そう、助っ人でね。いつも暇そうだから、たまに生徒会の仕事を手伝ってもらっているのよ。ね、二郎君」

 凜は自分の失言をごまかしながら二郎に話しを振った。

「今完全に「下僕」って言いましたよね。凜先輩。うまくごまかしたつもりでも、そうはいきませんよ」

 二郎が自分の身分の扱いに抗議するように、すかさず厳しいツッコミを入れた。

「何のことかしら、二郎君が何言っているか分からないわ。あまり細かいことばかり気にしていると女の子に嫌われるわよ、二郎君!」

 凜が言う事を聞かない下僕を黙らすかのように、恐ろしい笑顔で二郎をにらみ付けた。

「すみません、私の勘違いでした。マイマスター」

 二郎がこれ以上追求すると後が怖いと判断し、大人しく凜に従った。

「何かよく分からないけど、二郎君が二階堂さんに頭が上がらないという事だけはよく分かったよ。これ以上は追求するのは僕もやめておくよ」

 裕也は知らぬが仏というようにこの話題を終わりにした。

 凜と二郎が部室を出るとレベッカが恐る恐るつぶやいた。

「部長サン、あの副会長サン、マジ怖いデスね。たぶん鬼デスよ。私、鬼退治できるようにジローに今度たくさんオマメ渡たしマスヨ」

 裕也は慌ててレベッカの口を塞ぐとゆっくりドアの方を見て、誰も居ないことを確認し、息を吐いた。

「シーっ、レッベカさん、なんて事と言うのですか。そんなこと二階堂さんには絶対に言っちゃ駄目ですよ」

 汗を拭きながら裕也はレベッカに注意をしてると、急にドアが開いた。
 
「藤木君、これUSBメモリです。これに写真データを入れてくださいね」

 笑顔で裕也に手渡すと、最後に小声で一言。

「私は堅くて痛い大豆よりも甘いアンコの小豆が好きですよ。藤木君」

 そう言い残し、凜は部屋を去った。

「レベッカさん、今度生徒会においしいどら焼きでも差し入れに持って行こうかね」

「ソウデスネ、私も痛いの嫌ですカラ、ドラヤキが良いデスね」

 二人は無表情で見つめ合い、生徒会への(凜への)献上物を持参することを決断した。

 その後、残りのポスターの張り替えを終えて、凜と二郎の今日の業務は無事終了したのであった。

 生徒会室へ戻っていく途中で、二郎は仕事をやりきってスッキリした表情の凜を見ながら、今後も二度と凜先輩には逆らわない事を心に誓うのであった。
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