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第3章 ボルゾイは語る

新しい世界

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ゲイルはそのまましばらく私を抱きしめてくれた。
鼓動の音を聴きながら、私は幸せだった。
こんな風に人から体温を与えられたのは初めてだった。
胸の鼓動を感じるのも初めてだ。
何という素晴らしい音なんだろう。
どんな演奏より素晴らしい至上の響きだ。

すると空気を変えるようにポン、と1回背を叩き、明るい声でゲイルが言った。

「さあて!腹が減っただろう。
メシにするか?」  

グウ、と私の腹が鳴る。
恥ずかしい!何という事だ!
かああ、と顔に血が集まるのを感じる。
これまでこのようになったことは無い。
食事を抜かれようと空腹を感じだことは無いのに!
賤しいと思われただろうか?
恥ずかしさに俯く私を救ったのは、ゲイルの笑い声。

「はははは!正直だな!」

ゲイルは立ち上がるとまた私の頭を撫でてくれた。
恐る恐る見上げた先にはゲイルの優しい笑顔。

「名前…は言いたくないんだよな?
お前のことは、ボルゾイって呼ぶから。
俺のことはゲイルでいいぞ」

許された!
名を与え、ゲイルの名をくちにすることを許してくれた!
じわじわと喜びが胸に湧き上がる。
ああ…泣きそうだ。

ゲイルと過ごした僅かの間に、無くしたはずの感情が次々と息を吹き返し、私を新しい世界に誘う。

よしよし、と髪をかき混ぜる手を私は面映い気持ちで受け止めた。
なんだか恥ずかしくてたまらず「やめてください」と口にしたらクスクスと笑われた。
ああ。素敵な声だ。ずっとこの笑い声を聴いていたい。




待ってろよ、と言ったゲイルが魔法のようにポトフとパンを出した。
いい匂いがする。

「ゆっくり食えよ」

言ってくれたが、これは私が食べて良いものなのだろうか?
ゲイルの食事ではないのか?
これまで感じたことのない飢餓に近い飢えを必死に抑え、ゲイルに聞いた。

「これは?」
「あん?ポトフだ。庶民の飯屋でよく出すやつだな。
俺のは薬草入りだから栄養があるぞ。
肉もよく煮込んだから胃にも優しい。
野菜もそれ、崩れてんじゃねえぞ。崩してあるんだ」

今、何と言った?
煮込んだ?崩した?
まさか、これを作ったのは…

「え?これをあなたが?」
「ゲイル」
「…あなたが自ら作ったのですか?」
「ゲイル」

これは…あなたの名を口にしろということか?
私は思い切って私の神様の名を口にした。

「……ゲイルが」
「ああ。そうだ。まあ趣味…みたいなもんかな?
たまにシンプルなメシが食いたくなるんだよ。
まあ、食ってみな」

自ら作ったというだけでも信じられないのに、ゲイルは驚くべき行動に出た。
スプーンでスープを掬うと「ほい、あーん」と私の口元にさしだしたのだ!
こ、これは…食べてもよいのだろうか?こんな幸せを私が?

!!!
味がする!
口に広がる深い味わい。野菜の優しい甘さ。柔らかく溶ける旨味。
ああ!
なんて美味しいのだろう。
目を閉じゲイルのくれた味を堪能する。

私は何年振りかで感じる味に酔った。

「……味がします」
「そりゃするだろ」
「……屋敷で出される食事は味がしません。
これは、味がします」

ゲイルが驚いたように目を丸くし、ふ、と口元をゆるめた。

「良かったな。美味いか?」

こくりと頷く。
私が感じているこの美味しさは、多分誰にもわからない。
この旨さは、美味しいんていう言葉では到底足りない。
身体に染み渡る味だ。

「沢山食えよ。おかわりもあるからな」

ゲイルがスプーンを渡してくれた。
?この至上のスープを私が食べてしまっていいのか?
首を傾げると、ゲイルが苦笑した。

渡してくれたスプーンをまたゲイルが取り、スープをすくう。

「あーん」

まさか!!
私の口にまた運んでくれるのか?

あまりの行幸に慌てて口を開くと、またゲイルが食べさせてくれた。
なんて…なんて幸せなんだろう。
幸せが逃げていかないように、ゆっくりゆっくり噛み締めるように味わう。

「…美味しいです。とても美味しい」

食べるとまたすぐに口にスプーンが運ばれた。
何度も何度も。繰り返し運ばれるスプーン。
その先にはゲイルの温かな視線。
身体中に温かな優しさが染みていく。
メキメキと細胞が蘇り、力が行き渡る。

あまりの幸せに2回もおかわりしてしまったが、ゲイルは嫌な顔ひとつせず食べさせてくれた。
私は初めて満たされるということを知った。
ここは完璧だ。

そっとゲイルに寄り添ってみると、ゲイルはそのまま優しく私の頭を撫でてくれる。
なんて温かいんだろう。
ここは息がしやすい。
ぬるま湯のような幸せに浸りうっとりと微睡んでいると、ゲイルが言った。

「お前、いつもそうやってニコニコしてな」

ニコニコ?
もしかしてら私は…笑っているのか?

「私は…ニコニコしていますか?」

表情を出すなと教育され、感情を出せば打たれた。
既に感情など出そうとしても出なくなっていたのに。

するとゲイルの方が不思議そうな顔をした。

「?ああ。してるな。
日向で昼寝中の猫みたいだったぞ?」
「いつも表情がない、可愛げがないと言われているのですが…」
「確かに表情豊かってほどじゃねえが、以外とわかりやすいぞ、お前」

私が?わかりやすい?
そんなことを言うのはゲイルだけだ。

「…そうですか。
ゲイルは…とても不思議な人ですね?」
「そうかあ?」
「はい。会ったばかりなのに……とても…とても安心します」

少しだけ内心を吐露すると、ゲイルは「それは良かった」と笑ってくれた。

ああ。
この人が好きだ。
この優しい笑顔が好きだ。
陽の光のように温かく浴びせられる優しさが好きだ。
人のために怒り、喜ぶゲイルが好きだ。
私の今まではこの人と出会うためにあったのかもしれない。
グランディールの私がこの人のそばにいることが許されるだろうか?

私はただのボルゾイになりたい。
この人のボルゾイに。



この日、私の世界は変わった。
私は私の神様に会ったのだ。

神様のおかげで私は父に暴力を振るわれることは無くなった。
さすがの父もあのゲイルを敵に回すことは避けたかったらしい。

私は時間の許す限りゲイルの元に通った。
ゲイルは苦笑しながら私が側に居ることを許してくれた。

それ以外の時間は全て剣を、魔法を磨くことに注いだ。
ゲイルにふさわしくあるために、自分を磨き上げるのだ。

私を救ってくれたゲイルが何者からも傷つけられぬように。
私はゲイルを守る剣になりたい。
ゲイルを守る盾になりたい。

私がグランディールだと知ってもあなたは私を側においてくれるだろうか?
私を捨てたく無いと思ってくれるだろうか?

ゲイルが私を受け入れ手放したくないと思うほどに。
私はゲイルに必要とされたかった。

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