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第1章 始まりの海国

希望の剣

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「ロイケン爺、剣の指導をお願いします……実戦で学ばせてください」

「一太刀入れてみよ」

 断ることもなく淡々と言葉を返したロイケン。
クレイスもまた一切の躊躇なく斬撃を放つ。

しかし、移動音を一切発生させない足運びに、避けられた事もすぐに察知できなかった。

「爺に勝つことも出来ん若造が、魔王に勝てると思うのか?」

「くっ!」

 頭に昇った血が沸騰した。
そのまま領主から貸し出された部屋の壁を撃ち壊し、庭へと二人は落下する。

短い白髪が微動だにしないのに対し、大剣を振り回すクレイスは動きに無駄がありすぎる。

「はぁ!」

 怒涛の連続攻撃をロイケンは紙一重で躱していく。
老体にも関わらず、息が切れる様子もない。

攻撃を仕掛けるクレイスだけが一方的に疲労を溜めていた。

「だから言ったろう? 怒りで剣を振るな、と」

「でも……それでも!」

 わずかに見えた重心移動に合わせ、繰り出す突撃。
倒す、斬る、いくら想いを刃に乗せても、攻撃がロイケンに届くことはなかった。

「焦燥に囚われるな。いつものお前なら、そう怒り狂ってなどいない」

「何を……!」

「黙々と剣を振るい、己の身体に動きを染み込ませているはずだ」

雑念の篭る剣ではロイケンの残像に触れることも出来ない。
それを体感し、太刀筋が揺れる。

「お前の道は正しい方向に続いている。今の斬撃もより速くなれば儂を両断しているだろう。そして……その未来はそう遠くない」

「だから今……」

「飲まれるな!」

老体から発せられた怒号は空気を震わせ、クレイスを飛び退かせる。

「お前は勇者だ! 力に溺れた魔王とは違う!」

「……!」

「お前は街を救った! 敵の進軍を止めた! 讃える声が、人々の笑顔が見えんのか!」

 緩やかに流れる日常を守り抜いた自負。
そして今の自分が魔王と同じように人々を恐怖に陥れていることに気づき、クレイスは剣を下ろした。

「お前の剣は希望だ。それを忘れた剣では、魔王を屠ることなど出来ぬわ!!」

 その叱咤でクレイスは完全に目を覚ました。
闇に溢れていた視界は開け、その中央に佇む師は厳しくも真剣な眼差しのままあるべき姿を説いていてくれたのだ。

「——すみません師匠」

 纏う気が変わったことに気づいたロイケンは封印を施した刀の柄に手をかけてしまう。
それほどの気迫が、改心したのクレイスにはあった。

「いきます……!」

 目にも留まらぬ抜刀。
ロイケンですらクレイスを見失い、腰から下がっている刀の鞘を前方に突き出して剣戟を防ぐ。
甲高い音と共に数メートルほど地面に轍を作ったロイケンは満足そうに口角を上げた。

「やれやれ、儂を殺す気か?」

「ロイケン爺……まさか今のを教えるために?」

「お前は勇者だ……希望を想いを覚悟に変えた刃だけが魔を滅することができる」

「——はい! ありがとうございます!」

 渾身の一撃にも関わらず飄々としている相手は流石歴戦の英雄だ、と心の中で賛辞を送りつつも、あまりにも無礼だった事に今さら恐縮して急いでロイケンに駆け寄る。

「あ、あの! すみませんでした! ロイケン爺の言う通りだった、よ……」

「なぁに弟子の暴走を止めるのも師の仕事よ」

「本当にごめんなさい……」

「とにかくお前は領主に謝ってこい。壁をぶち抜きおって」

「そ、そうだった……すぐに謝ってきます!」


 慌ただしく家の中へ駆け込むクレイスを見届け、ロイケンは人気のない裏路地へ向かった。
自分に視線が向けられていないと察するやいなや、その場に崩れ落ちる。

「ぐふっ!」

 抑えた手のひらには黒い血がべたりと付いていた。
明らかに病魔のものだと思われるその血に、ロイケンは嘆息する。

「防御しただけでもダメかい……ソールデュイン様」

 愛する神の名を空へとこぼしたロイケン。
封印された刀を強く握りしめた後、何事もなかったようにロイケンも領主の家へ戻っていった。 



「私が弁償しておきました」

 屋敷に戻ったクレイスを待ち構えていたのは頬を膨らませたパニーナだった。
後始末を一人で担当したらしく不機嫌さが滲み出る。
キリルは轟音が響いても眠りこけているらしい。

「ご、ごめんよパニーナ……」

「良いのです。そういうのが私の仕事ですから」

「ありがとう」

 その礼は一拍おいて、ゆっくりと紡がれた言葉だった。
優しさに満ちた声音に驚いたパニーナはクレイスを見上げる。

「あのさ……頭が冷えたよ。心配かけたよね。あー、後始末も一人でやらせてごめん」

「クレイスさん……」

 魔王軍との戦いで肉体的殻を破り、ロイケンとの手合わせで精神的な殻をクレイスは破った。
数時間で見違えるようになったクレイスに対し、パニーナは顔を真っ赤にして目を背けるので精一杯だった。

「貴方が勇者であるために、私は出来ることをしたまでです……」

 真っ赤になった顔を見られないように踵を返して歩き出した瞬間、続けるようにクレイスは口を開いた。

「——ロイケン爺はすごいね。一瞬で僕の気にしてたこと吹き飛ばしてくれたよ!」

 自分にだけ特別な気持ちがあった、そう一瞬でも思ってしまったパニーナはすぐにいつもの無表情でクールな状態に戻る。

「……そうですよね」

「あれ……パニーナ?」

「何でもありません。私たちはパーティですからね」

 首を傾げるクレイスを尻目に、パニーナは特別扱いをされたいという乙女心に気づいた。

「……そういうものは仕事を始めた時に捨てたと思ったのですが」

 真剣に世界を救うために戦いつつも、年相応に抜けた表情も見せるクレイスにパニーナは惹かれていることを自覚してしまった。
そして、昨夜の迫り方を猛省し、頬を何度もつねる。

「あ、クレイスさん……領主の方に謝りに行く前にいいですか?」

「ん?」

「私だけ赤くなるのは不公平なので……かっこよかったです。さすが勇者だと思いました」

 耳を澄ました瞬間に叩き込まれたカウンターパンチ。
妙に色っぽい表情のパニーナにクレイスも妙に意識してしまう。

「や、やめてよ! と、当然のことをしただけだし!」

 お返しです、と笑うパニーナは早々に歩き去ってしまった。
妙な気恥ずかしさ故に追いかけるのをやめ、本題に戻るクレイスをパニーナが見つめていた事は彼女だけの秘密だった。


 次の大陸を目指すのは翌日、そう決定した後は疲れを取るために眠るだけだった。

魔王の軍勢も完全に撤退し、悪しき気配は街から遠のいている。

 砕けた巨大なゾオンについては勇者達がいつでもこの大陸に戻ってこられるように、と専門のゲートとして機能させることが決められた(一方的に)。

再びの侵略を住人たちは危惧しているのだろう。

「あー……しまった……」

 寝室にて、昨夜夢の逢瀬が出来なかったことを思い出し、眠るのが億劫になってしまう。
何と言い訳をすれば良いか困り果てても、激戦の疲れが勇者を夢の世界へと連れ去っていく。


 
 小高い丘を登りきると、反対側から登ってきたテュイアが現れた。

完全に同時というのは数多い逢瀬の中でも初めてのことで喜んだ二人はいつも腰掛けて話す切り株のところへと駆け寄って行く。

「クレイス!」「テュイア!」

 そして。


「「ごめん!」」


 二人の謝罪が夜空の下で響いた。

すぐに顔を上げた二人はハッとした状態で目をぱちくりと瞬かせた。
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