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旦那様と銭湯
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それは、冬の日のお買い物帰りの事でした。
偶には違う道を通りましょうと思ったのです。
ここ数日、どんよりとしていましたお空が久しぶりに明るかったせいもあるのでしょう。鮮やかな夕焼けをもう暫く眺めていたかったのです。吐く息は白く指先も冷たいのですが、それでも、その綺麗な茜空を見たかったのです。
何時もは真っ直ぐに進みます道を右へと曲がってみました。そちらの方が屋根の高いお屋敷が少なく、お空が良く見えましたので。
暫く歩きますと、その通りには銭湯がある事に気付きました。
そう云えば、高い煙突が見えていましたね。さんたくろうす様は、あの高い煙突へもお上りになられるのですよね? 僕でしたら、足が竦んでしまうと思うのですが、さんたくろうす様は凄いです。
ふわぁ~と感嘆の息を吐いて、上へと向けていた視線を下げた時に、その方に気付きました。
一人の女性の方が、お店の入口の前に佇んでいたのです。
片手に手提げ袋を持ちまして、そわそわとした様子で男湯と書かれた暖簾を見ています。
待ち合わせなのでしょうか? 少し御髪が湿っている様に見えます。ご入浴後でお身体が温まっていたとしても、この寒空の下では風邪を引いてしまわないか心配になります。
どうしましょう? 何方をお待ちになられているのでしょう? 僕が中へ行って、あの方の待ち人へとお声を掛けた方が良い様な気がして来ました。
はらはらとしながら、女性の方へ話し掛けようとした時です。
がらりとした音と共に、男湯と書かれた暖簾が揺れました。
「はっくん」
女性の方が、中から出て来ました、お腹の丸い男性の方へと片手を上げます。
「あ、悪い。待った?」
女性の方へと歩み寄りますその方に、僕は心の中で言います。
ええ、そわそわと待っていましたよ、と。
「ううん。今、出て来たとこ」
ところが、女性の方はその様な事を仰ったのです。
思わず僕は声をあげそうになりました。
何故、その様な事を?
そわそわと待っていらしたのに?
「嘘吐け。髪、冷たくなってる。早く帰ろう」
不思議に思います僕の目の先で、男性の方は軽く肩を竦めましてから少しだけ腰を落として、女性の方の頭へと手を乗せて笑いました。
「うん」
それがとても嬉しいのでしょう。女性の方は軽く頬を染めて、幸せそうに微笑んだのです。
「…ふわ…」
身体を寄せ合って手を繋いで歩き出しましたお二人の背中を見送りながら、僕は胸に手を置きました。
何故でしょう? 何故でしょう? 凄く胸がどきどきしますし、心なしか顔が熱い気がします。
これは一体何なのでしょう?
◇
「――――――――と、云う様な事があったのです」
ごんっ、と鈍い音が僕の前から聞こえました。
向かいに座ります旦那様が、頬杖を付きながら僕のお話を聞いていたと思ったのですが、何故、額が卓袱台へと乗っているのでしょうか?
「旦那様? お休みになられますか? 今日は夕立もありませんでしたので、お布団はとてもぽかぽかとさらっとしていますよ」
「…ああ…いや、眠くはない。…ただ、暑いとぼやいただけで、そんな話が出て来るとは思わなかっただけだ」
卓袱台から顔を上げた旦那様が、片手で額を押さえながら軽く首を振ります。
「額が痛みますか? 冷やす物をお持ちしますね」
「いや、要らん。…それより、お前は銭湯に行きたいのか?」
立ち上がり掛けた僕を旦那様が引き留めます。
「ふえ?」
額に手を置いたままで、その指の隙間から見えます、細く鋭いのですが、優しい旦那様の目に僕はどきどきとしました。
「え、えぇと…」
はて? 僕は銭湯へ行きたいのでしょうか?
「違うのか? 羨ましそうに話していたから、行きたいのかと思ったんだがな?」
羨ましい?
「あ…。…ふわ…っ…!!」
あの時を思い出しまして、僕は両手で顔を覆います。
そうです。
そうなのです。
何故、あんなにもどきどきとしたのか、その理由が今解りました。
僕は、あのお二人を羨ましいと思ったのです。
そして、今、僕の脳裏にはあのお二人の様に旦那様と手を繋ぎ…。
「ふわっわっわっわっわっ!!」
両手で顔を覆ったままふるふると頭を振る僕の耳に、旦那様の押し殺した様な笑い声が聞こえて来ました。
「お前の話を聞いていたら、銭湯に行きたくなった。明日は休みだし、夕方に散歩がてら行くか? 出る頃には、良い具合に涼しくなっているだろう。ん?」
「は、はひ…」
ぽふんと頭に置かれた手に押される様にして、僕は更に熱くなる頬を押さえたまま頷きました。
偶には違う道を通りましょうと思ったのです。
ここ数日、どんよりとしていましたお空が久しぶりに明るかったせいもあるのでしょう。鮮やかな夕焼けをもう暫く眺めていたかったのです。吐く息は白く指先も冷たいのですが、それでも、その綺麗な茜空を見たかったのです。
何時もは真っ直ぐに進みます道を右へと曲がってみました。そちらの方が屋根の高いお屋敷が少なく、お空が良く見えましたので。
暫く歩きますと、その通りには銭湯がある事に気付きました。
そう云えば、高い煙突が見えていましたね。さんたくろうす様は、あの高い煙突へもお上りになられるのですよね? 僕でしたら、足が竦んでしまうと思うのですが、さんたくろうす様は凄いです。
ふわぁ~と感嘆の息を吐いて、上へと向けていた視線を下げた時に、その方に気付きました。
一人の女性の方が、お店の入口の前に佇んでいたのです。
片手に手提げ袋を持ちまして、そわそわとした様子で男湯と書かれた暖簾を見ています。
待ち合わせなのでしょうか? 少し御髪が湿っている様に見えます。ご入浴後でお身体が温まっていたとしても、この寒空の下では風邪を引いてしまわないか心配になります。
どうしましょう? 何方をお待ちになられているのでしょう? 僕が中へ行って、あの方の待ち人へとお声を掛けた方が良い様な気がして来ました。
はらはらとしながら、女性の方へ話し掛けようとした時です。
がらりとした音と共に、男湯と書かれた暖簾が揺れました。
「はっくん」
女性の方が、中から出て来ました、お腹の丸い男性の方へと片手を上げます。
「あ、悪い。待った?」
女性の方へと歩み寄りますその方に、僕は心の中で言います。
ええ、そわそわと待っていましたよ、と。
「ううん。今、出て来たとこ」
ところが、女性の方はその様な事を仰ったのです。
思わず僕は声をあげそうになりました。
何故、その様な事を?
そわそわと待っていらしたのに?
「嘘吐け。髪、冷たくなってる。早く帰ろう」
不思議に思います僕の目の先で、男性の方は軽く肩を竦めましてから少しだけ腰を落として、女性の方の頭へと手を乗せて笑いました。
「うん」
それがとても嬉しいのでしょう。女性の方は軽く頬を染めて、幸せそうに微笑んだのです。
「…ふわ…」
身体を寄せ合って手を繋いで歩き出しましたお二人の背中を見送りながら、僕は胸に手を置きました。
何故でしょう? 何故でしょう? 凄く胸がどきどきしますし、心なしか顔が熱い気がします。
これは一体何なのでしょう?
◇
「――――――――と、云う様な事があったのです」
ごんっ、と鈍い音が僕の前から聞こえました。
向かいに座ります旦那様が、頬杖を付きながら僕のお話を聞いていたと思ったのですが、何故、額が卓袱台へと乗っているのでしょうか?
「旦那様? お休みになられますか? 今日は夕立もありませんでしたので、お布団はとてもぽかぽかとさらっとしていますよ」
「…ああ…いや、眠くはない。…ただ、暑いとぼやいただけで、そんな話が出て来るとは思わなかっただけだ」
卓袱台から顔を上げた旦那様が、片手で額を押さえながら軽く首を振ります。
「額が痛みますか? 冷やす物をお持ちしますね」
「いや、要らん。…それより、お前は銭湯に行きたいのか?」
立ち上がり掛けた僕を旦那様が引き留めます。
「ふえ?」
額に手を置いたままで、その指の隙間から見えます、細く鋭いのですが、優しい旦那様の目に僕はどきどきとしました。
「え、えぇと…」
はて? 僕は銭湯へ行きたいのでしょうか?
「違うのか? 羨ましそうに話していたから、行きたいのかと思ったんだがな?」
羨ましい?
「あ…。…ふわ…っ…!!」
あの時を思い出しまして、僕は両手で顔を覆います。
そうです。
そうなのです。
何故、あんなにもどきどきとしたのか、その理由が今解りました。
僕は、あのお二人を羨ましいと思ったのです。
そして、今、僕の脳裏にはあのお二人の様に旦那様と手を繋ぎ…。
「ふわっわっわっわっわっ!!」
両手で顔を覆ったままふるふると頭を振る僕の耳に、旦那様の押し殺した様な笑い声が聞こえて来ました。
「お前の話を聞いていたら、銭湯に行きたくなった。明日は休みだし、夕方に散歩がてら行くか? 出る頃には、良い具合に涼しくなっているだろう。ん?」
「は、はひ…」
ぽふんと頭に置かれた手に押される様にして、僕は更に熱くなる頬を押さえたまま頷きました。
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こちらでも、ありがとうございます(笑)
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キノウ様。
嬉しいお言葉ありがとうございます(*'ω'*)
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キノウ様。
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