寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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番外編・祭

特別任務【完】

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「…泣くな…」

 優士ゆうじは頬にぽたりと落ちて来た雫を追い、首に回していた腕を動かして、瑞樹みずきの濡れた頬を拭う。

「…だ…、俺…っ…情けな…っ…!」

 一人では嫌だと優士は言った。
 瑞樹も、優士と共に。と、そう思った。
 が。
 
「…別に…早くはないと思うが…」

「うっ…!」

 そう。
 優士と共に高みへと上り詰める筈だったのだが、瑞樹のそれは、今、力無く項垂れていた。

「…ほぼほぼ…初めての様な物だし…うっ!?」

 頬に流れる涙を拭う手とは違う手を背中に回して、慰める様にゆっくりと撫でれば、優士の脇に置かれていた瑞樹の腕から力が抜けて、その身体の重みが伸し掛かって来た。

「…焦る物でも無いし…慣れて行けば…きっと」

「…うう…」

 塩の抜けきった声で囁き、背中を撫でれば瑞樹は泣きながらも、優士の胸の上で頷いた。

「…それに…僕はそのままの瑞樹が良い…」

(可愛いって、それはお前だろう…)

 背中を撫でる手とは別の手で、柔らかな黒髪を梳けば、ぴょこんと跳ねているそれに指があたった。

(この寝癖だって、ずっと直さないでいて欲しい)

 これを注意して直すのは自分だけで居たい。
 他の誰にも、それを渡したくはない。
 変わらずにだなんて、無理な話かも知れない。
 これから先も色々な事があるだろう。
 それによって変わって行くもの、変わらずにいるもの。
 それでも、自分は変わらずに瑞樹の傍にいるだろう。
 どれだけ仲の良い家族でも、兄弟姉妹でも、離れて行くものはある。
 生まれた時から傍に居て、今もこうして傍に居られるのは、どれ程の奇跡なのだろう?
 瑞樹が虚ろだった時に、友人に言われた言葉を切っ掛けに、うつつへと戻って来た。
 それが優士がそう言われるのが嫌だったと聞かされた時、どれだけ舞い上がった事か、きっと瑞樹は知らない。
 知らなくて良い。
 流石に恥ずかし過ぎる。

「…ずっと…一緒に居よう…死ぬまで…。好きだ」

「…死んでも、だ。…俺も…好きだぞ…」

 ぴょんと飛び跳ねた寝癖を弄りながら、優士が甘い金平糖を投げ付ければ、瑞樹は腕に力を入れて身体を起こして、眉を下げて続ける。

「…死んでもなんて…嫌か…?」

 そんな事を思うくらいなら、多分、虚ろだった頃に離れていただろう。

「そう簡単に死ぬつもりは無いが、言った言葉、後悔するなよ?」

「うっ…! …するかも知れないけど…今はしたくない…」

 益々眉を下げる瑞樹に、優士は軽く噴き出してしまう。
 本当に、良くもまあ、人の事を可愛いと言えた物だと思いながら、優士は髪や背中を撫でていた手に力を入れて、瑞樹の身体を引き寄せる。

「…そうだな、今は野暮と云う物だ…」

 それは、どちらが先に逝く事になっても、互いを縛る言葉だ。
 後悔する時が来るかも知れない。
 言わなければ良かったと。
 自由にしてあげれば良かったと。
 そう思う時が来るだろう、いずれは。
 けれど。
 今は。
 今は、何時か来るかも知れない先の事に憂いていても意味が無い。
 ただ、手にした幸せを。
 ただ、手にした満ち足りた想いを。
 それを噛み締める事にしよう。

 近付いて来る熱い吐息に、優士は静かに目を伏せた。

 ◇

「…成程…やはり管理する者が居ないと厳しいですか」

 休暇を終えて、皆に書かせた報告書を纏めた高梨は、それを五十嵐へと渡していた。

「はい。粗方討伐はしたと思いますが、奴らは次から次へと湧いて来ます。一般へと開放するのなら、常駐する者が必要です。常の訓練も必要ですから、別に家事等をする者も必要だと思われます」

「うん、まあ予想通りです。ご苦労様でした。…これなら、先輩の計画通りに進めても問題ないかな。外にある厠への安全な動線と…」

 報告書を見ながら、顎に指をあてて呟く様に言った五十嵐の言葉に、高梨は軽く眉を顰めた。

「…先輩…?」

 五十嵐が親しみを籠めて『先輩』と呼ぶ人物を高梨は一人だけ知っている。と云うか、その人物しか知らない。更に、何やら『その人物の計画』とか言葉が続かなかったか? その人物は親馬鹿であるし、祭り事も好きであるから、特に同行する事に疑問も持たなかったし、そもそも『家族の同伴』と言い出したのは五十嵐だ。

「あっ…!!」

 高梨から放たれる剣呑な気配に、五十嵐は肩を跳ね上げ『しまった』と云う表情をした。

「ああ、いや、ほら、うん。先輩のね、里に居るあやかしから人になった者達をね、外の色々な人に慣れさせようってね、いきなり人の多い処に連れて行っても、帰って来たりする者も居てね、で、保養所の管理はその者達にさせて、人に慣れさせようって…慣れて来たら村にして、ゆくゆくは近くにある町と合併して街へと…」

 机の上に報告書を置き、胸のポケットからハンカチーフを取り出し汗を拭う五十嵐に、高梨はスッと目を細めた。

「…つまりは、私達はあの親父の掌で転がされていたと言う訳ですね?」

 道理で、五十嵐があれ程に食い下がって来た筈だと、高梨は納得した。
 自分達であれば、手間は無いと杜川が吹き込んだのだろう。可愛い息子も居るし。

「あ、いや…転がすだなんて、人聞きが悪いですよ…」

「…大事には至りませんでしたから、とやかく言うつもりはありませんが、今後はこの様な事が無い様に願います。では」

(…五十嵐司令を責めても仕方が無い。あの親父を締め上げれば良いだけだ。幸いと云うか、せい達と年越しをすると言っていたからな)

 本当に、掌で転がされていたと云う事実に、高梨はむすりとしたままで己の隊の部屋の扉を開けて、奥にある隊長室へと進んで行った。

「あ、高梨隊長。お聞きしたいのですが、隊長はこちらを使用されましたか?」

 高梨が来るのを待っていたのだろう。隊長室の扉を開けたら、机の前に優士が一人で立って居た。

「…何…?」

 優士が手に持つ薄い四角い物は、数日前に津山から渡された物と同じ物だ。

「先日の機会に使うのを忘れていまして。せっかくですから、使用感をお聞きしたいのですが」

 首に巻いた白い襟巻きを弄りながら、そう問い掛ける優士の姿には甘さの欠片も無い。何時も通りの塩だ。
 高梨はこめかみに青い筋を立てて叫んだ。

「出て行け――――――――っ!!」

 その声は隊長室を抜け、部屋を抜け、廊下を抜け窓を抜け、冬の青い空へと吸い込まれて行った。
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