寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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僕から君へ

贈り物【十】

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「また、是非遊びにいらして下さいね」

「…俺が居る時にな…」

 雪緒ゆきお瑞樹みずきに一升瓶を、優士ゆうじには『みくちゃん様お手製の伊達巻きです。とても美味しいですよ』と、紙袋を渡しながら微笑む。
 その隣では高梨が、むっすりとしながら片手で眉間の皺を解していた。

「はい。今日は、有難うございました」 

「おでん美味しかったです、ごちそうさまでした。次は料理を教えて下さい」

 優士が丁寧に頭を下げれば、瑞樹もそれに倣って頭を下げる。

「…橘」

「はい?」

 深く静かな声で名前を呼ばれて、瑞樹は顔を上げる。上げた先には、腕を組み、目を細め、口の端だけで笑う高梨の姿があった。

「…その気があれば、何時でも戻って来い。俺も、皆も待っている」

「は、はいっ!」

 満面の笑みを浮かべる瑞樹に、高梨は頷いた。
 そんな瑞樹の隣では、そっと小さく優士が頭を下げていた。

 ◇

「瑞樹、転ぶ」

 ふわふわとした足取りで瑞樹が歩いて行く。
 その少し後ろを優士が歩き、ピョンと飛び跳ねた瑞樹の寝癖を見ながら注意を促していた。
 住宅が並ぶ界隈で、それぞれの家からは煌々とした明かりが漏れているし、雲の無い空には白い月も浮かんでいるが、やはり夜の為、足元が不安になる。

「あ、うん。何か、身体が軽くてさ。酒のせいかな?」

 優士の心配等、何処吹く風と云う様に瑞樹は空を見上げて笑う。

「食前にお猪口で一杯だけだろう。呑んだ内には入らない。何処かの誰かみたいに呑んだ訳では無い」

 よくもまあ、あれだけ呑んで酔わない物だと、半ば呆れた様に優士が塩を吐いた。
 おでんを食べながら、徳利三本は軽く消えていた。今も呑んでいるのだろうか? それともあれは呑んだ内には入らないのだろうか? あまり酒を嗜まない優士には判断が付かなかった。

「何だよー。だって、何か本当に身体が軽いんだぞ?」

 軽く振り返り唇を尖らせる瑞樹に、優士は軽く息を吐いた。その息は白く、秋が遠ざかって行くのを感じさせた。

「…心のつかえが取れたんだろう。今日、誘ってくれた隊長と雪緒さんに感謝しろ」

「…あ、あー…そっか…そうだな…うん…」

 優士の言葉に、瑞樹はピタリと足を止めて、片手で頭を掻いた。
 そして、頭を掻きながら思う。
 父の記憶の中の母も笑っているのだろうかと。
 いや、きっと笑っているのだろう。
 後で電話して聞いてみようか? きっと『何を当たり前の事を』と、呆れられそうだが。それでも、聞いてみなければ、本当の事は解らないのだ。

「…瑞樹」

「ん?」

 足を止めた事で隣に並んだ優士が、頭を掻く瑞樹の手首を掴んで下へと下ろす。
 その手首を掴みながら、優士は瑞樹の目を真っ直ぐと見詰めた。

「…隊長からも応援された事だし、もう、あれこれ考えるのは止めだ」

「おお?」

 応援って何だ? と瑞樹は首を傾げる。

「これまで瑞樹は一人で頑張って来た。だから、もう良いだろう?」

「優士?」

 それは二人距離を取った事か?
 だが、完全に一人だった訳じゃあない。
 朝等、先を歩く優士を見掛ければ声を掛けて並んで歩いたし、それは優士も同じだった。
 週一回の食事交換だってあったし、その間は二人それぞれが作った物を食べているんだなと、頬が緩み、胸がぽかぽかとした。まあ、触れ合いは無かったが。
 それでも。そんな時間があったから、今日、ここまで来られたのだと思う。
 高梨は『何故、支え、頼らない』と言っていたが、十分に支えられ、また、頼っていたと思う。
 しかし、こうして行き詰まってしまえば、亀の歩みも止まってしまって。
 そんな時は二人で考えろと、そんな時は甘えて良いのだと、そうして良いのだと、そう諭してくれたのだろうか?

「これからは、二人で考えて行こう。達、二人の事だから」

「…ゆ…」

 真っ直ぐと瑞樹を見詰める優士の瞳は、何処か不安気に揺れていて。瑞樹の手首を掴む優士の指も小さく震えていた。
 それを切なく感じて瑞樹は喉を詰まらせた。
 優士を不安にさせているのかと、こんなにも不安に、心配にさせていたのかと、今更に気付く。

「…悔しかった。何故、隊長が、雪緒さんが言うんだ。何故、僕がそれを言えなかったんだ」

 手を差し伸べたかった。
 だが、それをきっかけに瑞樹の決意が揺らいでしまったら?
 それで瑞樹の努力を無駄にしてしまったら?
 そう思えば、動く事が出来なかった。

「…優士…」

 ぎゅっと唇を噛み締めて俯いてしまった優士に、瑞樹はただその名を呼ぶ事しか出来ない。

「…あの時、お前の言葉に頷かなければ良かった。が、あのままだったら、ただ甘やかすだけの関係になっていたと思うから。…だが…互いにそれに気付けたんだ…それで、良いだろう? 僕達は、間違ってもそれに気付ける強さがある。二人なら、尚更だ。…だから…また二人で…瑞樹が嫌なら、週一回のままで良い…ただ…二人で向かい合って…飯を食べたい…お前の顔を見ながら、お前が作った物を食べたい。雪緒さんのおでんは美味しかったけど、僕は、僕の為に…僕を想いながら、瑞樹が作ってくれた物をお前と食べたい…作ってくれるか…?」

「…けど…俺、いいのかな…このままで…」

 身体が軽くなったのは、心の痞えが取れたからだと優士は言った。
 それは、あの日の後悔をそのままにしないでと雪緒に諭されたから?
 ありし日の母の笑顔を思い出したから?
 けれど、まだそれは不完全な気がして。
 優士をこんな風に不安にさせて、心配掛けさせて、そんな頼りない自分なのに。

「僕は今の瑞樹が良い。…吐きながらでも、あやかしに立ち向かって行く瑞樹が良い」

 そんな瑞樹の言葉に、優士は俯いていた顔を上げて僅かに目を細めた。

「は!?」

(何で知っているんだ!?)

 週一回の食事交換の時に、軽く近況を話したりするが、瑞樹はそれを話した事は無い。
 情けないと思ったから。強がりだと思うが優士に知られたくないと思っていた。
 …いたのに。

「…他の隊から報告が上がっている。殆どの者は知って居る」

「…げ…」

(この間のは間に合わなかったから仕方が無かったけど、吐きたくなった時はなるべく隠れて吐いていたのに!?)

「…色々と言われているが…その度に、高梨隊長や天野副隊長、星先輩…隊の皆が口を揃えて言う『後で、橘を欲しがってもやらんぞ』、『治療も出来る、将来有望な討伐者だ』と」

 そう言葉にして優士は挑発的に笑って見せる。
 それは、その時にそう言った皆がしていた表情だ。
 "他の隊"と優士は口にしたが、津山からも、ご丁寧に瑞樹の状態の報告が高梨に上がっている。

「…え…」

 戻って来いと高梨は言った。皆、待って居ると。

「…迷惑掛けたのに…?」

「誰も迷惑だなんて思っていない…高梨隊長の判断が早かったんだろう。あの頃は、未だ僕達は新人だったから…ずるずると伸ばしていたら、どうなっていたかは解らないが…」

「…そっか…」

 間違っても、失敗しても、未だ許される範囲だったと、そう云う事かと、何処か自嘲気味に瑞樹は笑う。

「…けど、それって結局、甘えてるって事だよな…」

「高梨隊長がそうしたんだ。それは、甘えて良いって事だ」

 生真面目に口を結ぶ優士に瑞樹は思わず噴き出す。

「ふはっ! 強引じゃないか、それ!?」

「強引なぐらいで丁度良いんだ。高梨隊長だって雪緒さんに甘えている」

「え? 何処が?」

「雪緒さんの鼻を摘まんでいた。あれは高梨隊長なりの甘えだと僕は思う。雪緒さんなら、それを受け入れてくれると知っているからだ。雪緒さんもそんな高梨隊長に甘えている。鼻を摘ままれて、あんなに嬉しそうに笑う人を僕は雪緒さん以外に知らない」

「お、おお?」

(それはそうかも知れないな? でも、本当にそうなのか?)

 首を傾げる瑞樹に、優士は尚も語り続ける。

「…僕も瑞樹に甘えたいし、瑞樹を甘やかしたい。…今夜…泊っても良いか…?」

「お、おおおおおおお!?」

 脈絡がある様な無い様なお泊り発言に、瑞樹は目も口も大きく開いた。

「…瑞樹に触れたい。瑞樹と交わりたい…」

「んまっ、まっ、まっ、じっ…っ!?」

 口をパクパクとさせる瑞樹に、優士は更に畳み掛ける。

「高梨隊長はクソ喰らえと言った。僕も、その通りだと思う。強くなる為に、気持ちを殺す? 僕が瑞樹を蔑ろにする? 冗談じゃない。僕は誰よりも瑞樹の傍に居たい。瑞樹が立ち止まって居たら、真っ先に手を差し伸べたい。それが出来ない距離に居るのは、もう、嫌だ。今日みたいな悔しい思いは、もうしたくない。だから、僕の手を取れ瑞樹。僕と一緒に悩んで迷って歩いて行こう。二人で駄目だと思ったら、周りを頼れば良いんだ。甘えて良いんだ。そう、高梨隊長は教えてくれたし、あの時の友人もそう言っていた」

 それは、ぼんやりとしていた瑞樹を呼び戻した一言をくれた彼の事だ。
 あの彼の言葉が無かったら、瑞樹は今、ここには居ないのかも知れない。
 それを思えば、自分は何度同じ事を繰り返すのだろうと、情けなくも思うが。
 それでも。
 情けなくても。
 誰よりも瑞樹の隣に、傍に、自分は居たいから。
 だから。
 僕も強くなる。
 それには瑞樹が居なければ始まらない。
 瑞樹と二人で、強くなる。

「この手を取れ、瑞樹」

 瑞樹の手首を掴んでいた手を離して、優士は掌を向けて瑞樹に差し出す。
 真っ直ぐと、涙の滲む瑞樹の目を逃がさないと云う様に見据えながら。

「…優士…」

 差し伸べられた手に、瑞樹は戸惑いながらも自らの手を乗せた。

「…二人で強くなって行こう…」

 載せられた瑞樹の手を掴み、少し低い位置にある額に、優士は自分のそれをコツンとあてる。
 唇が触れ合いそうな距離で。
 互いの吐息の熱が感じられる距離で。
 囁く様に言われて、瑞樹は『…うん…』と、小さく頷いた。

「良し」

「え!?」

 そうすれば、優士はガバッと瑞樹の身体を引き剥がし。

「僕は一足先に帰る。お前も風呂に入って、部屋で待っていろ」

「は!? え!?」

 予期していなかった展開に戸惑う瑞樹を無視して、優士は走り出した。
 小さくなって行くその背中を見送った瑞樹は、ぽっかりと浮かぶ月を見上げて小さく呟いた。

「…………父さん…母さん…俺、嫁に行って良い…?」

 と。
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