寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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募るもの

【五】鉛の抱擁

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「これは一体何なのでしょうかね? 瑛光えいみつ叔父貴?」

 これ以上にない程の爽やかな笑顔を浮かべる高梨が手にしているのは、木刀だ。ただし、それは普通の木刀よりも、ずしりと重い。

「おお! 遠慮せずに是非ともえみおじさんと呼んでくれたまえ!」

 これまでに目にした事も無い、高梨の爽やか過ぎる笑みに病室の温度は間違い無く零度を下回っているが、杜川はだらしなく眉も口角も下げて両手を広げている。

『今すぐに、私の胸の中に飛び込んでおいで!』

 と、言わんばかりの良い笑顔を浮かべる杜川の胸に飛び込んだのは、高梨が手にした鉛入りの木刀だった。

 ◇

 怪我を負った優士ゆうじを連れて、せいと車の運転を務める久川、治療隊の長渕が先に戻って来た。
 その四人を乗せた車を目撃した杜川が、ひょっこりと駐屯地にやって来た。
 車から運び出されようとしている、負傷した優士を見た杜川が率先して指示を出し、病院内へと運んだ。
 長渕も久川も、杜川と星が優士を診ると言う言葉に文句等言える筈も無く、報告書を書く為にそれぞれの部署へと戻った。

 と、言う話を優士が杜川から聞かされた処で、軽く戸を叩く音が聞こえ、優士が『はい』と返事を返せば戸が開いて行き、優士を見るよりも早く、その人物を認めた高梨が、がくりと肩を落とし、片手で顔を押さえて、疲れた様に言った。

「…………………何故…あなたが居るのですか…………」

 と。
 それは、高梨の背後に居る瑞樹みずきも津山も同じ様で、高梨の言葉に小さく頷くのが見えた。

「いや、何。散歩をしていたらだね…」

(…あくまでも"散歩"で通すのか…)

 じとっと目を細めて杜川の背中を見る優士の耳に、遠慮がちな瑞樹の声が届く。

「散歩…? あれ? …そう言えば、星先輩が"今頃、運動不足だから、空き家を回ってる筈だぞ"って…」

「………何?」

 瑞樹の呟きに即座に反応したのは、高梨だ。
 ピクリと眉を動かし、その双眸を細める。
 "空き家"
 それも、新月の夜のだ。
 それだけで、杜川が何をしていたのか察したのだろう。

「何を言うのかね、瑞樹君!?」

 瑞樹の言葉に、杜川は椅子から立ち上がるが。

「…あの、ベッドの下に木刀がありますが…」

 援護射撃とばかりに、優士もそれを口にした。
 寝起きに可愛くないおっさんの、可愛らしいさまを見せられて、少々胸やけを起こしていたのかも知れない。慌ててみせる杜川の姿は、かなり愉快に見えた。

「優士君!?」

 ツカツカと鉄板の入った長靴ちょうかを鳴らしながら、高梨が無言でベッドへと近付いて行く。

ゆかり君! そんなに乱暴に歩いては、優士君の怪我に障るよ!?」

「津山、橘、その親父を押さえろ」

 そんな高梨の前に杜川が立ち、行く手を阻もうとするが、高梨は顔だけを後ろに居る津山と瑞樹に向けて、低く冷たい声で言い放った。

「紫君!?」

「か弱い私が、このぬりかべをっ!?」

「えっ、こんなドラム缶無理ですっ!!」

「君達、失礼過ぎやしないかねっ!?」

 幾ら高梨でも、本気で二人に杜川を取り押さえろと口にした訳では無い。
 ただ、杜川の気を逸らせる事が出来れば良かったのだ。

(それにしても、ぬりかべにドラム缶とは…)

 徹夜明けで少々神経が昂っているのだろうが、中々にさらりと酷い事を言う。この場に星が居なくて良かったなと、高梨はそっと息を吐いた。

 ベッドの下を覗くまでもなく、適当に滑り込ませたのか、木刀はベッドの反対側から顔を覗かせていた。カーテン越しではあるが、陽の光に晒されたそれは、眩しそうに目を細めている様に見えた。
 その窓のある反対側へと高梨は回り、床に片膝をつき、木刀を拾いあげて、通常の物よりも遥かに重いそれに眉間の皺を深くした。

「…………………………」

 はあ~と、長い長い深い息が高梨の口から溢れる。

「ゆ、かり君? あの、ね? その、ね?」

 背中を向けたまま無言で居る高梨に、杜川が身をクネクネさせて、人差し指を口の端にあてながら、どうやって言い訳しようかなと思っていた時、高梨がおもむろに立ち上がり、ゆっくりと身体の向きを変えて来た。
 背後の窓から射し込む陽の光が強さを増して来ていて、まだ薄いカーテンの生地は、遮光の意味を知らぬかの様に、その光を取り込んでいた。神々しいとさえ言える光の中で、高梨は目を細め、口を開き白い歯を見せて、それはそれはとても爽やかな笑顔を浮かべたのだった。

 ◇

 そして、冒頭へと戻る。

「むっ!?」

 胸に飛び込んで来た木刀を、杜川は手刀で叩き落とす。

「危ないではないかっ! 私でなかったら、相当の打撲を負っていたよ!?」

「あなたは一度、いや、二度三度…いや、到底数え切れないぐらいに傷を負えば良いんです」

 肩を怒らせて杜川は高梨を指差すが、高梨は変わらずに爽やかな笑顔を浮かべたままで、爽やかさとは程遠い事を口にした。

「酷いっ! 老い先短い私に、何と云う事をっ! 皆もそう思わないかね!?」

「……………」

「え…」

「えぇと…」

 涙混じりの杜川の問い掛けに、優士は無言を貫き、津山は頬を引き攣らせ、瑞樹はひたすらに視線を泳がせた。

「同感です。私の毛を返して下さい。新種のあやかしさん?」

 この病室で、これまでに聞こえた事の無い声に、そこに居た全員が声が聞こえて来た方、病室の戸口の方へと顔を向ければ、そこにはまるで幽鬼の様に佇む五十嵐の姿があった。
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