寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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離れてみたら

【二十】はがゆさ

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「あ、の、馬鹿が…っ…!」

 暗い林の中で片手で耳を押さえ頬を引き攣らせる高梨に、優士ゆうじは知っていたと遠い目をしていた。
 それは久川が馬鹿と云う事では無く、比較的大人しい久川に怒声を上げさせたせいに対してだ。
 星に掛かれば、どんな相手でも自分のペースを保つ事が出来ないのだろう。
 今回優士は高梨と二人で行動している。前回一緒だった天野は別の者と動いている。
 連絡用の無線は高梨が所持しており、優士は鼓膜の破壊から免れる事が出来た。それでも、久川の怒声はかなりの物だったが。

『…ゴホッ。…あー…、すまん。久川だ。無くなった刀だが、恐らくその抜け出したガキが持っている可能性が高い。星が今探しに向かった。また、ガキが怪我をした時の事を考えて、治療隊の津山さんと…橘が追随している。ガキの名前と特徴だが、菅原が聞いた話によると…――――――――』

(…瑞樹みずきが?)

 暫しのの間を置いて、再び無線機から聞こえて来た内容に、優士の眉が僅かに跳ねる。

 何故、瑞樹が? 避難所で待機では無かったのか?
 それとも、津山に無理矢理に連れ出されたのか?
 津山はそこまでして、結果を急ぎたいのか?
 もし、津山の意に沿わない結果になったとしたら、瑞樹をどうするつもりだ?

「…ああ、解った。こちらでも留意して置く。そちらはそちらで近辺の捜索を頼む。…楠」

「あっ、はい」

 考え事をしていた優士は、何時の間にか通信を終えた高梨に名を呼ばれて、慌てて返事をした。

「橘の事、気になるだろうが一人では無い。津山も星も居る。それよりも、刀を持ち出したかも知れない子供だ。一人で心細い筈だ。あやかしに注意しながら、来た道を戻り付近を探そう」

 刀を手にして力を得た気になっているのか。
 ちからがあれば、どうとでもなると思っているのか。
 それを扱う技術が無ければ、それは自らをも傷付ける、ただの残忍な凶器にしか過ぎない。
 悪い方へ転がって無ければ良いが。と、踵を返しながら隣に佇んだまま動こうとしない優士を高梨は見る。

「…そうですね…」

 高梨の言う事はもっともだが、そんな見も知らぬ子供より、優士は瑞樹の事が気に掛かっていた。
 子供の探索中に妖と遭遇したらどうなるのか。
 あの日から、妖に遭遇はしていないから、恐らくはあの時のままだろう。
 苦しむであろう瑞樹の傍に居られない事が歯痒い。
 今直ぐにでも駆け出して行きたい衝動に駆られる。だが、今は勤務中だ。
 何故、直ぐ傍に居るのに、こんな離れた場所に居なければならないのか。
 何故、誰も、瑞樹を止めてくれなかったのか。

「…気の無い返事だな?」

「そんな事はありません」

 何か言いたげな高梨の低い声と、その鋭い眼光から逃げる様に優士は顔を逸らし、暗い林の奥を見る。
 この林の何処かに、瑞樹が居る。
 今、瑞樹が何を思っているのか、どんな状態なのか、それを知る事が出来ないのが、どうしようもなく悔しい。
 仇を討ちたいと瑞樹が口にした時、優士は迷ったが自分もと頷いた。
 あの時に、止めて置けば良かったのかも知れない。
 瑞樹の意志に反する事になるが、そうしたのなら、今のこの状況は無かったのかも知れない。
 少しでも、瑞樹を助けたいと。
 少しでも、瑞樹の力になりたいと。
 少しでも、瑞樹の支えになりたいと。
 少しでも、瑞樹の傍に居たいと。
 ただ、それだけを思っていたのに。
 何故、今、自分は瑞樹の隣に居ないのか。

「…津山が無理矢理に、橘を引き摺り出したと思っているのなら、それはお門違いだ。少年心の冒険心、お前…お前達にも覚えがあるだろう?」

「え」

 ややして聞こえて来た高梨の言葉に、優士は高梨を見る。
 その目は変わらず刺す様ではあるが、その声音は何処か優しく聞こえた。

「俺は、橘がその子供に自分の姿を重ねて、放って置けなかったのだと思う」

「…何故…それを…」

 星に助けられたその日、直ぐに親達が駆けて来て、怒られたり泣かれたりして、高梨とはまともに顔を合わせては居なかった筈だ。星も直ぐに何処かへ消えてしまったし。手にしていた木刀だって星が壊してしまった。だから、二人は逃げそびれたと、ただそれだけを口にしたのだ。

「お前達が入った日に星から聞いた。後は天野しか知らんから安心し…いや、あの親父は知っているか…」

「…親父…?」

「…………………………………………………………………杜川前司令だ」

(いや、そこまで嫌そうに言わなくても…)

 むすりと草むらの向こうを睨む高梨に、優士は軽い目眩を覚えた。
 杜川が職務に就いていた頃は一体どんな感じだったのか、知りたい様な知りたくない様な、何とも言えない感じを優士は味わっていた。
 しかし、隊員の様子を見るからに、嫌われている訳ではないようだし、何処か飄々として掴み所の無い人物ではあるが、悪い人物では無い筈だ。何せ、あの星と月兎つきとの父親…養父なのだから。
 杜川と長く話した事は無いが、星も月兎も、杜川の前では大人し…気のせいかも知れないが、比較的大人しい…様に見えなくもない気がしないでも無い…から、多分、きっと、恐らくは、人格のある人物だと思いたい。
 と、優士に人格があると思いたいと願われている杜川は、新月の夜の街の中、笑顔で木刀を担ぎ鼻歌を歌いながら、足取り軽く廃屋を転々としているのだった。

 ◇

「…こっちだな」

「あの、杜川君? 周囲を見なくて良いのですか?」

 暗い林の中を進む星の後ろを、ランタンを手にした瑞樹と、鞄を胸に抱えた津山が歩いている。
 星は津山が言う様に辺りを探す事も無く、目的地が解っているかの様に歩みを進めて行く。

「ん! あの母ちゃんに近い匂いを追えば良いだけだから」

 鼻をスンスンとさせながら、星は笑いながらそれを言った。
 それは、星にとっては当たり前の事だったのだが。

「はい?」

「え?」

「お、おーっ! おおっ! アレだっ! 野生のカンってヤツな! おいらのカンは当たるんだぞ!」

 津山と瑞樹の疑問の声に、後ろを振り返らずに頭の後ろで手を組み、空を見上げて慌てて言い直した。
 星の内心は汗だくだ。後ろの二人からは見えないだろうが、星の視線は泳ぎまくっている。ここに高梨が居たら、間違いなく頭上に拳骨が落ちていた事だろう。

「勘ですか…」

「…カンって…」

 しかし、当然の如く二人は訝し気な声を出す。

「いいから! だいじょぶだいじょぶ!」

 残念な事に、星はこう云う時に上手く逃げられる言葉を吐けない。
 手汗や脇汗を掻きながら、大丈夫と繰り返すだけだ。
 夜で良かったと星は思ったし、頼むから、そのカンテラで自分を照らすなよとも思った。
 何なら、今直ぐに雷雨が来ても良いと思った。

「……まあ、確信があるのでしたら、杜川君に任せます。私、何処かの熊や、何処かのむっすりの様な体力はありませんし、戦えませんからね? 本当にか弱いのです。ピンセットより重い物は持った事がありませんので。妖が出て来ましたら、本当に宜しくお願いしますよ?」

 そう言いながら、辺りをキョロキョロと見渡す津山の胸には、治療に必要な道具が詰められた鞄がある。それはピンセットよりは重い筈なのだが。
 そんな津山を横目に、瑞樹はそっと息を吐く。
 治療隊と云っても、基礎体力を作る為の訓練がある。ただ、医療の事だけを学べば良いと思っていた瑞樹は驚いた。そんな瑞樹に津山は『現場の人間に付いて行く為に、体力作りは必須ですよ』と、からかう様に言っていた。戦えないのはともかく、か弱いのは嘘だろうと、瑞樹は思った。
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