44 / 125
離れてみたら
【十九】重なってしまったもの
しおりを挟む
「ありがとうございました。ほら、あんたもお礼を言うのよ」
「あいあとー」
瑞樹の前で一組の母娘が頭を下げて去って行く。
手を振る子供に、瑞樹は軽く肩を竦めて手を振り返す。
避難所で、瑞樹は転んで膝を擦り剥いた子供の手当てをしていた。
避難の際に転んで怪我をしたのだ。そう云う子供は何人か居たし、足腰の弱った者も転び怪我をし、その手当てをしていた。
昔は妖の姿を発見したら、警鐘を鳴らして避難を促していたが、それでは遅いし危ないと云う事になり、何時からか暗くなる前に住民を一か所に集める事になった。それでも、こうして怪我人は出てしまう。
周りを見れば、年配の者の話相手をしている治療隊の者も居る。耳を澄ませば『最近腰が悪くて~』との内容が聞こえて来た。こうして住民の話し相手をし、不安を和らげるのも、治療隊の仕事だと瑞樹は教わった。目に見える傷だけで無く、心に出来そうな傷を癒すのも、治療隊の仕事だと。
避難所をぐるりと囲む様に焚かれている篝火。その内の一つ、少し離れた場所にある篝火を見れば、津山が瑠璃子と亜矢と話をしているのが見える。
「おー、お疲れ、みずき」
折り畳み式の椅子に座る瑞樹の肩に、後ろからポンと温かい何かが置かれた。
振り返れば、そこに居たのは星だ。両手にアルミで出来たマグカップを持っている。どうやらマグカップの底で肩を叩かれたらしい。
「ほら、飲め。あったまるぞ」
「ありがとうございます。星先輩は今回は避難所なんですか?」
マグカップを受け取り、隣にしゃがみ込んだ星を見る。
「ん~? ゆかりんたいちょに頼まれたからな」
ズズッとコーヒーを啜りながら星が言う言葉に、瑞樹は何だか申し訳なくなった。
星が今回ここに居るのは、自分のせいなのでは、と、そう思ってしまったのだ。
そんなのは、ただの考え過ぎ、或いは思い上がりかも知れないが。
星は、こういった場所を守るよりも、自由に飛び回っている方が似合う。
「それに。あっちでは親父殿が頑張ってるから良いんだ!」
ぽつりとそんな事を零せば、星が月の無い夜空を見上げて白い歯を見せて笑った。
「あっち?」
屈託無く笑う星に、瑞樹は首を傾げながらコーヒーを一口啜る。
「運動不足だからって、今頃、夜番の奴らの目を盗んで空き家を回ってる筈だぞ!」
「ぶふっ!?」
思わず瑞樹はコーヒーを噴き出した。
子が子なら、親も親と云う処なのか、親が親なら子も子と云う事なのか、判断に悩む瑞樹だった。
運動不足とは? と、更に首も捻る。ほぼ毎日、どこかしらの隊をいびっている事は優士から聞いている。それで運動不足とは何ぞや?
「あの、すみません…」
首をひたすら捻る瑞樹の耳に、遠慮がちな女性の声が届いた。
「んー?」
「はい。何処を怪我したのですか?」
間の抜けた声を出す星とは反対に、瑞樹は何回か繰り返し口にして来た事を言葉にする。
瑞樹の目の前に立つ、三十代半ばに見える気の弱そうな女性は、胸の前で手を組み視線を泳がせながら、それを口にする。
「あ、いえ。子供が厠に行ったきり、戻って来なくて…見に行ったんですけど…」
「え…?」
女性の言葉に、瑞樹は座っていた椅子から立ち上がり、背後にある公民館の方を見た。
避難場所は大概、その村や町にある公民館が指定される。理由は単純にそこが一番広いからだ。
かと行って、この村の様に、村人全員を収容出来る程の大きさが無い場合は、身体の弱い者、体調の悪そうな者以外は外での避難となる。厠は、その公民館の脇にある。迷子に等なりようも無い距離だ。本人が自ら望まない限りは。
『久川だ! 高梨! やられた! 予備の刀が一本無い!!』
その時、無線から飛び込んで来た報告に、しゃがみ込んでいた星が勢い良く立ち上がり、話し掛けて来た女性を睨む。
「子供って、どんなヤツだ!?」
それは過去にもあった事だった。
子供に限らず、避難所からこっそりと抜け出して、無謀にも腕自慢をしたがる者が居るのだ。
万が一に備えて、車には予備の刀が置いてある。監視しやすい様に、車は避難所の近くに停めてあるが、それでも僅かな隙は生まれてしまうものだ。この村でのそう云った報告は上がって居なかったから、油断していたと云うのもあるだろう。
「あ、え…十二歳の男の子で…着物は藍色と白の…格子柄で…坊主頭で…」
睨まれた女性は星の気迫に押されて、一歩後退り、組んでいた手を更にきつく握り締めながら、それでも震える声で、何とか星の質問に答えた。
「ひさかわのおっちゃん! おいらが探して来るから! ここにそいつの母ちゃんが居るから、話聞いてくれな!」
『ここって何処だよ!?』
「るりことあやが見えるとこ!」
『こっの、どアホーッ!!』
それを聞いた星は首から下げていた無線機を使い、用件だけを伝える。当然、それだけで概要が見える筈も無く、無線の向こうの久川は呆れた叫び声を発した。これを聞いていた者は、皆、頭を抱え、耳を押さえたに違いない。報連相は徹底している筈だが、しかし、それは本能で動いている星には当てはまらないのだった。
「星君、早く行って!」
無線での遣り取りを聞いていた瑠璃子が片耳を押さえながら、津山と共にやって来た。
「ん!」
「…行くなら治療隊の奴、誰か連れてけ…っ…! 素人が刀なんて…っ! 怪我してるかも知れんっ!」
星が走り出そうとした時、先程の無線で応答した久川が走って来た。
「では、私が自由ですから私が行きましょう。橘君はここに居て下さいね」
「あ、俺も行きます!」
その言葉に津山が逡巡無くそう言い、首から下げている無線機で残る治療隊へその旨を連絡しようとした時、瑞樹は思わず叫んでいた。
「橘!?」
「瑞樹君!?」
久川と瑠璃子が、目を見開いて瑞樹を見て来る。その目は『お前にはまだ無理だ』と語っている様に見えた。
しかし、瑞樹は怯まずに二人を見返した。
だって、瑞樹はその子供が自分と重なって見えてしまったのだ。
あの頃の無謀な自分と。
妖なんて簡単に退治出来ると、何でも出来ると思っていた頃の自分と。
それに優士を巻き込んでしまった事の後悔。
(…あ…そう云えば、あの時の事、俺謝ってないかも…。…今日が終わったら、謝ろ…)
妖と遭遇するのは怖い。
また動けなくなったらどうしようと、それは苦しいし、怖いし、思い出せばやっぱり身体は竦むけど。
だけど。
今も引き摺るこの思いを、まだ十二歳の子に経験して欲しくない。
この、気の弱そうな母親にそんな我が子を見せたくない。
無謀だとは思うけど。でも。それでも。それを知って居る自分だから、ただ、ここで待つなんて出来ない。
「…よっしゃ。みずきはおいらが守るから、つやまのおっちゃんは自分で何とかしてくれな!」
「…ええぇ…」
星のあんまりな言葉に、通信を終えた津山は肩を落として、本気で情けない声を上げた。
「あいあとー」
瑞樹の前で一組の母娘が頭を下げて去って行く。
手を振る子供に、瑞樹は軽く肩を竦めて手を振り返す。
避難所で、瑞樹は転んで膝を擦り剥いた子供の手当てをしていた。
避難の際に転んで怪我をしたのだ。そう云う子供は何人か居たし、足腰の弱った者も転び怪我をし、その手当てをしていた。
昔は妖の姿を発見したら、警鐘を鳴らして避難を促していたが、それでは遅いし危ないと云う事になり、何時からか暗くなる前に住民を一か所に集める事になった。それでも、こうして怪我人は出てしまう。
周りを見れば、年配の者の話相手をしている治療隊の者も居る。耳を澄ませば『最近腰が悪くて~』との内容が聞こえて来た。こうして住民の話し相手をし、不安を和らげるのも、治療隊の仕事だと瑞樹は教わった。目に見える傷だけで無く、心に出来そうな傷を癒すのも、治療隊の仕事だと。
避難所をぐるりと囲む様に焚かれている篝火。その内の一つ、少し離れた場所にある篝火を見れば、津山が瑠璃子と亜矢と話をしているのが見える。
「おー、お疲れ、みずき」
折り畳み式の椅子に座る瑞樹の肩に、後ろからポンと温かい何かが置かれた。
振り返れば、そこに居たのは星だ。両手にアルミで出来たマグカップを持っている。どうやらマグカップの底で肩を叩かれたらしい。
「ほら、飲め。あったまるぞ」
「ありがとうございます。星先輩は今回は避難所なんですか?」
マグカップを受け取り、隣にしゃがみ込んだ星を見る。
「ん~? ゆかりんたいちょに頼まれたからな」
ズズッとコーヒーを啜りながら星が言う言葉に、瑞樹は何だか申し訳なくなった。
星が今回ここに居るのは、自分のせいなのでは、と、そう思ってしまったのだ。
そんなのは、ただの考え過ぎ、或いは思い上がりかも知れないが。
星は、こういった場所を守るよりも、自由に飛び回っている方が似合う。
「それに。あっちでは親父殿が頑張ってるから良いんだ!」
ぽつりとそんな事を零せば、星が月の無い夜空を見上げて白い歯を見せて笑った。
「あっち?」
屈託無く笑う星に、瑞樹は首を傾げながらコーヒーを一口啜る。
「運動不足だからって、今頃、夜番の奴らの目を盗んで空き家を回ってる筈だぞ!」
「ぶふっ!?」
思わず瑞樹はコーヒーを噴き出した。
子が子なら、親も親と云う処なのか、親が親なら子も子と云う事なのか、判断に悩む瑞樹だった。
運動不足とは? と、更に首も捻る。ほぼ毎日、どこかしらの隊をいびっている事は優士から聞いている。それで運動不足とは何ぞや?
「あの、すみません…」
首をひたすら捻る瑞樹の耳に、遠慮がちな女性の声が届いた。
「んー?」
「はい。何処を怪我したのですか?」
間の抜けた声を出す星とは反対に、瑞樹は何回か繰り返し口にして来た事を言葉にする。
瑞樹の目の前に立つ、三十代半ばに見える気の弱そうな女性は、胸の前で手を組み視線を泳がせながら、それを口にする。
「あ、いえ。子供が厠に行ったきり、戻って来なくて…見に行ったんですけど…」
「え…?」
女性の言葉に、瑞樹は座っていた椅子から立ち上がり、背後にある公民館の方を見た。
避難場所は大概、その村や町にある公民館が指定される。理由は単純にそこが一番広いからだ。
かと行って、この村の様に、村人全員を収容出来る程の大きさが無い場合は、身体の弱い者、体調の悪そうな者以外は外での避難となる。厠は、その公民館の脇にある。迷子に等なりようも無い距離だ。本人が自ら望まない限りは。
『久川だ! 高梨! やられた! 予備の刀が一本無い!!』
その時、無線から飛び込んで来た報告に、しゃがみ込んでいた星が勢い良く立ち上がり、話し掛けて来た女性を睨む。
「子供って、どんなヤツだ!?」
それは過去にもあった事だった。
子供に限らず、避難所からこっそりと抜け出して、無謀にも腕自慢をしたがる者が居るのだ。
万が一に備えて、車には予備の刀が置いてある。監視しやすい様に、車は避難所の近くに停めてあるが、それでも僅かな隙は生まれてしまうものだ。この村でのそう云った報告は上がって居なかったから、油断していたと云うのもあるだろう。
「あ、え…十二歳の男の子で…着物は藍色と白の…格子柄で…坊主頭で…」
睨まれた女性は星の気迫に押されて、一歩後退り、組んでいた手を更にきつく握り締めながら、それでも震える声で、何とか星の質問に答えた。
「ひさかわのおっちゃん! おいらが探して来るから! ここにそいつの母ちゃんが居るから、話聞いてくれな!」
『ここって何処だよ!?』
「るりことあやが見えるとこ!」
『こっの、どアホーッ!!』
それを聞いた星は首から下げていた無線機を使い、用件だけを伝える。当然、それだけで概要が見える筈も無く、無線の向こうの久川は呆れた叫び声を発した。これを聞いていた者は、皆、頭を抱え、耳を押さえたに違いない。報連相は徹底している筈だが、しかし、それは本能で動いている星には当てはまらないのだった。
「星君、早く行って!」
無線での遣り取りを聞いていた瑠璃子が片耳を押さえながら、津山と共にやって来た。
「ん!」
「…行くなら治療隊の奴、誰か連れてけ…っ…! 素人が刀なんて…っ! 怪我してるかも知れんっ!」
星が走り出そうとした時、先程の無線で応答した久川が走って来た。
「では、私が自由ですから私が行きましょう。橘君はここに居て下さいね」
「あ、俺も行きます!」
その言葉に津山が逡巡無くそう言い、首から下げている無線機で残る治療隊へその旨を連絡しようとした時、瑞樹は思わず叫んでいた。
「橘!?」
「瑞樹君!?」
久川と瑠璃子が、目を見開いて瑞樹を見て来る。その目は『お前にはまだ無理だ』と語っている様に見えた。
しかし、瑞樹は怯まずに二人を見返した。
だって、瑞樹はその子供が自分と重なって見えてしまったのだ。
あの頃の無謀な自分と。
妖なんて簡単に退治出来ると、何でも出来ると思っていた頃の自分と。
それに優士を巻き込んでしまった事の後悔。
(…あ…そう云えば、あの時の事、俺謝ってないかも…。…今日が終わったら、謝ろ…)
妖と遭遇するのは怖い。
また動けなくなったらどうしようと、それは苦しいし、怖いし、思い出せばやっぱり身体は竦むけど。
だけど。
今も引き摺るこの思いを、まだ十二歳の子に経験して欲しくない。
この、気の弱そうな母親にそんな我が子を見せたくない。
無謀だとは思うけど。でも。それでも。それを知って居る自分だから、ただ、ここで待つなんて出来ない。
「…よっしゃ。みずきはおいらが守るから、つやまのおっちゃんは自分で何とかしてくれな!」
「…ええぇ…」
星のあんまりな言葉に、通信を終えた津山は肩を落として、本気で情けない声を上げた。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
愛を注いで
木陰みもり
BL
拗らせ系喫茶店マスターとちょっと冴えないサラリーマンのラブストーリー
ある夏のはじめ、いつもの道に、新しい喫茶店を発見したサラリーマンは、喫茶店に引き寄せられるまま扉を開ける。そこにはとても可愛らしい青年がいて…
愛されたい、愛したい
過去の言葉に縛られた2人の、不器用な恋模様
空っぽのカップに、愛を注いでーー
★続きは書いている途中です
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる