寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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離れてみたら

【十】新天地

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 優士ゆうじが高梨に頭を抱えさせていた頃、瑞樹みずきは津山と病院内を歩いていた。

「悪いね。ちゃんとした時期なら、全員集めて式をやるんだけど」

 苦笑を浮かべる津山に瑞樹は『いいえ』と首を振る。
 今日から新しい職場だ。
 基本的に一般病棟勤務となるらしい。
 朱雀御用達病院となっているが、一般病棟が用意されており、一般人も利用出来る様になっているここは、討伐隊の建物とは違い、静かで消毒薬の匂いが充満していた。
 今日は施設内の案内を兼ねながら、働く先人達への挨拶周りと云った処だ。

「ここが食堂。向こうと変わらないと思うよ。あ、食欲魔人は居ないから、品切れは無いから安心して」

 案内された食堂は広くて白かった。討伐隊の食堂にあるのは、茶色い木目の見えるテーブルに、同じく茶色い椅子だったが、こちらは白いテーブルに白い椅子が並べられていた。テーブルとテーブルの間隔も広い。大きな窓には、やはり白いカーテンがあり、開けられた窓から室内に入って来る風に揺られていた。病院と云う事から、清潔さをイメージしているのだろう。厨房の方へ目をやれば、荒々しいイメージのある討伐隊の厨房の面々とは正反対の感じの者ばかりだった。

「あはは…」

 津山の言葉に、もりもり食べるせいの姿が瑞樹の脳裏に浮かんだ。

(星先輩、こっちでも有名なんだな…)

 そう云えば、昨日はあれからどうなったのだろうか? 無言で星と月兔つきと雪緒ゆきおを連れ出した高梨。瑞樹達が店を出た時には、当然であるが、とっくに姿は見えなくなっていた。
 だが、それだけで終わりでは無い筈だ。何かしらの一悶着があったと思われるし、それに…。

「本当に、彼が来た初日はこちらも恐慌状態に陥りましたからね。まさか、討伐隊の食堂の方から食材を分けてくれと云う電話があるなんて、夢にも思いませんでしたよ」

 腕を組み、顎に指をあてて遠くを見る津山に、瑞樹はやはり笑うしかない。

「あははは…」

 実際に百貨店にて、食材の買い出しに走った店員を瑞樹も優士も見ていたのだから。

「今日から異動になった、橘瑞樹君です。皆さん宜しくお願いしますね」

 と、津山が厨房に声を掛け、その後に夜勤終わりに、朝食を食べていた隊員達へと声を掛けた。
 そうすれば『若いな』とか『正真正銘の新人だ』とか『宜しくな』とかの声が飛び交った。

「…正真正銘て…」

「すみませんね。討伐隊と違い、こちらは地味で人気の無い日陰者でして…先日もお話ししたと思うのですが、今年の新人は負傷して戦えなくなった、おっさん三人のみでして…はは」

「…はあ…」

 いや、笑えないんですけどと、瑞樹の頬が引き攣る。
 今、食堂に居る者達を見ても、若くて二十代後半の者が一人に、後は三十代以上か。女性の姿は、もちろん、無い。はっきり言って、ムサい。厨房にも女性の姿は見えなかった。いや、まだ昼間の人間を全員見た訳では無い。もしかしたら、その中には年代の近い者が居るのかも知れない。

 それから事務方の者達に挨拶をしたり、一般病棟に行ったりしたが、看護師の女性には一人も朱雀の者は居なかったし、年代の近い者も見当たらなかった。とにかく、おっさん祭りだった。
 華が無い。
 瑠璃子るりこ亜矢あやが居た高梨隊は、もしかしなくても恵まれていたのだろうかと、瑞樹は思った。
 まあ、星と云う問題児は居るが。それを差し引いても、もしかしたら、おつりが来るのかも知れなかった。

「それから、こちらは休憩場所になります。小休憩の時は、食堂より、こちらを利用する者が多いですよ」

 次いで案内されたのは、喫茶店の様な場所だった。飲み物と軽食の提供がある様だ。店内は食堂とは違い、若干彩度の落とされた照明が灯り、大きな窓には薄い緑色のカーテンがある。テーブルは木目のはっきりとした物で、柔らかそうな布張りの茶色いソファーには、何人かが飲み物や煙草を手に寛いでいた。

「…へえ…」

 瑞樹がカウンターを見れば、従業員の三十代ぐらいの女性がにこりと微笑んでくれた。その奥の小さな厨房にいるのは、やはり、おっさんだったが。

「すみません。アイスコーヒーを二つお願いします。歩いてばかりで疲れたでしょう? 休憩にしましょう」

 喉が渇いていたのでありがたいと瑞樹は素直に頷き、津山に促されるまま、空いているテーブル席へ行き、柔らかそうなソファーへと腰を下ろした。
 見た通り、ふかふかだった。ずぶずぶと尻が沈んで行く感覚は何とも安定感の無い物で落ち着かない物だったが。

「お待たせしました。こちらが異動して来た子かしら?」

 先程、微笑んでくれた店員がやはり笑顔を浮かべて津山に話し掛けて、瑞樹を見た。

「ありがとうございます。さあ、橘君、遠慮せずにどうぞ。ええ、そうですよ。若くて純粋で素直な子ですから、手を出したりしないで下さいね」

「ぶほっ!」

 早速運ばれて来たアイスコーヒーに、ストローを挿し、それに口を付けていた瑞樹は、盛大に噴いた。高梨との前例があるだけに、これはただの冗談では無い何かがあると思わせたからだ。

「あら、可愛い。これから贔屓にしてね」

 軽く片目を瞑ってから、店員は足取り軽く立ち去って行った。

「ふふ。本当に、高梨からの紹介文にあった通りに、素直で可愛い子ですね」

 瓶底眼鏡のせいで、その目は見えないが、口元は楽しそうに弧が描かれていて、その底の知れない津山の笑みを見た瑞樹は『俺、ここでやっていけるんだろうか』と、少し不安になったし『可愛い』と云う言葉に、昨夜の吸引呼吸を思い出していた。
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